タグ:重森三玲 ( 6 ) タグの人気記事

松尾大社 松風苑「蓬莱の庭」

c0112559_07524413.jpg
松尾大社境内には「松風苑(しょうふうえん)」として、昭和50年(1975年)に完成した神苑があります。松風苑は「曲水の庭」次に「上古の庭」、最後に「蓬莱の庭」の三つから成っています。いずれも近代の作庭家、重森三玲(しげもり みれい、1896 - 1975)の最晩年の作です。昭和の日本庭園を代表するものの1つといわれます。最後は蓬莱の庭です。

「蓬莱」は仙人が住むと言われていた仙境の一つ。岩の間から流れ出す水が鶴形の池に注いでいます。蓬莱の島を表現した石が数多く点在する、仙境を表現した廻遊式庭園です。池の曲線が美しい鎌倉風の庭園といわれ、一周することができ、場所によって変化する風景を楽しむことができます。

重森三玲が基本構想を固めた後に入院したため、意匠設計と工事監理を長男の重森完途(しげもりかんと 1923 - 1992)が受け継ぎました。

松尾大社 松風苑「蓬莱の庭」
1975(昭和50)年
作庭 : 重森三玲+重森完途
京都市西京区嵐山宮町3
撮影 : 2019.5.7
c0112559_07532310.jpg
c0112559_07511933.jpg
他の庭は楼門を入った西側にありますが、蓬莱の庭は楼門外にあります。
c0112559_07542106.jpg
客殿の向こう側、見逃しそうな小さな入り口です。
c0112559_07553311.jpg
c0112559_07560143.jpg
c0112559_07561954.jpg
c0112559_07563797.jpg
池の曲線は、いわゆる「らしい」形です。
c0112559_07571634.jpg
c0112559_07573327.jpg
c0112559_07575207.jpg
c0112559_07581153.jpg
左側の建物は客殿。右が瑞翔殿と思われます。
c0112559_07585342.jpg
c0112559_07591656.jpg
c0112559_07593295.jpg
c0112559_07595666.jpg
c0112559_08002050.jpg
c0112559_08003957.jpg
c0112559_08005788.jpg
北側に水の取り入れ口。やはり水不足か、あまり勢いがありません。
c0112559_08014164.jpg
客殿と瑞翔殿の間の空間にも小庭があります。「瑞翔殿庭園」といわれ、1997(平成9)年に孫の重森千青(ちさを)氏が作庭した庭でした。
c0112559_08021696.jpg
c0112559_08023271.jpg
c0112559_08025593.jpg
c0112559_08031522.jpg
c0112559_08033246.jpg
真鯉がたくさん泳いでいます。
c0112559_08042111.jpg
c0112559_08043630.jpg
重森千靑氏の解説。




松尾大社を後にして、梅宮大社に向かいます。

by gipsypapa | 2019-06-26 08:09 | | Trackback | Comments(0)

松尾大社 松風苑「上古の庭」

c0112559_08120787.jpg
松尾大社境内には「松風苑(しょうふうえん)」として、昭和50年(1975年)に完成した神苑があります。松風苑は「曲水の庭」次に「上古の庭」、最後に「蓬莱の庭」の三つから成っています。いずれも近代の作庭家、重森三玲(しげもり みれい、1896 - 1975)の最晩年の作です。昭和の日本庭園を代表するものの1つといわれます。

今回は上古の庭です。松尾大社の裏山にある磐座(いわくら)は、本来は神のいる場所のことでしたが、徐々に石そのものを神体として祭祀の対象とするようになったそうです。上古の庭は磐座信仰を主題にして作られていて、人の手を感じさせないことを意識して作られた庭です。

松尾大社 松風苑「上古の庭」
1975(昭和50)年
作庭 : 重森三玲
京都市西京区嵐山宮町3
撮影 : 2019.5.7
c0112559_08124492.jpg
c0112559_08125938.jpg
神像館に向かって右の奥にあります。
c0112559_08133537.jpg
この角度から見ると自然な感じで、作られた庭には見えません。
c0112559_08141061.jpg
c0112559_08143127.jpg
c0112559_08144447.jpg
c0112559_08150269.jpg
植えてあるのはミヤコザサ。イネ科のタケ・ササ類で、名前は京都の比叡山で発見されたことによるそうです。
c0112559_08154206.jpg
c0112559_08160055.jpg
「重森三玲が最後にたどり着いた無我の境地」といわれていますが、自分には高尚過ぎるようです。
c0112559_08163569.jpg
ネットにあった裏山から撮った写真を借用しています。ここには行けませんでした。
c0112559_08170828.jpg
再び重森千青氏の解説。





なお、ネット情報によると、今年2019年の6月15日~9月14日までの3ヶ月間は葵殿、神像館とその周りの回廊の改修工事のため、上古の庭の拝観はできないそうです。お気をつけください。

by gipsypapa | 2019-06-25 08:19 | | Trackback | Comments(0)

松尾大社 松風苑「曲水の庭」

c0112559_08100507.jpg
松尾大社境内には「松風苑(しょうふうえん)」として、昭和50年(1975年)に完成した神苑があります。松風苑は「曲水の庭」次に「上古の庭」、最後に「蓬莱の庭」の三つから成っています。正確にはもう一つ「即興の庭」もあります。

いずれも近代の作庭家、重森三玲(しげもり みれい、1896 - 1975)の最晩年の作です。昭和の日本庭園を代表するものの1つといわれます。最初は「曲水の庭」と「即興の庭」から。

松尾山から流れ出る御手洗川を引き込んでいます。曲水の庭は平安時代の貴族たちが行った、曲水の宴の舞台とされた庭を現代的に表現したもので、中央に小川が蛇行して流れています。高い木がない庭で、築山のサツキ刈り込みの中の石組みが力強く豪快。小川の周りの柔らかな曲線との対比が印象的な、明るい雰囲気の庭です。形式的には「枯山水流れ」というそうです。

松尾大社 松風苑「曲水の庭」
1975(昭和50)年
作庭 : 重森三玲
京都市西京区嵐山宮町3
撮影 : 2019.5.7
c0112559_08084374.jpg
c0112559_08090712.jpg
c0112559_08092665.jpg
c0112559_08094533.jpg
c0112559_08080531.jpg
c0112559_08101802.jpg
c0112559_08103408.jpg
c0112559_08105141.jpg
c0112559_08110987.jpg
向こうに見える葵殿と北側にある神像館という宝物館の前に広がっています。
c0112559_08114392.jpg
c0112559_08120168.jpg
c0112559_08121789.jpg
c0112559_08123496.jpg
c0112559_08125137.jpg
c0112559_08130874.jpg
c0112559_08132476.jpg
c0112559_08134561.jpg
もらったパンフレットは重森三玲の孫の重森千青(ちさを)氏によるものです。
c0112559_08142205.jpg
神像館に登る階段の左に枯山水の庭。
c0112559_08145489.jpg
即興の庭は実際に即興で作られたようです。
c0112559_08152354.jpg
c0112559_08154366.jpg
これも重森千青氏の解説。
c0112559_08161057.jpg
c0112559_08162533.jpg
廊下の下をくぐって上古の庭へ。



by gipsypapa | 2019-06-24 08:19 | | Trackback | Comments(2)

岸和田城

c0112559_08095146.jpg
岸和田城は別名が千亀利城(ちきりじょう)。江戸時代には岸和田藩の藩庁が置かれたところです。伝承では、当初の城は楠木正成の一族、和田高家が築いたといわれています。天正13(1585)年に羽柴秀吉が紀州根来寺討滅後、叔父の小出秀政を城主として城郭が整備され、天守閣もこの時に築かれましたそうです。

現在の天守は昭和29年に市民の寄付や旧城主の子孫である岡部氏の要望などにより再建されたものです。また平成4年には大改修工事も行なわれました。重森三玲が設計した庭園は国の名勝に]、城跡は大阪府の史跡に指定されています。

岸和田城1954(昭和29)年 / 1992(平成4)年改修
名勝、大阪府史跡
設計 : 池田谷久吉
施工 : 岩出建設
作庭 : 重森三玲(八陣の庭)
大阪府岸和田市岸城町9-1
撮影 : 2018.9.19
c0112559_08123172.jpg
がんこ五風荘では庭に入れず残念な思いをしましたが、天気がよく、すぐそばにある岸和田城へ。
c0112559_08135103.jpg
c0112559_08141007.jpg
なんと、城門が閉まっています。
c0112559_08144470.jpg
9月4日に日本に上陸した台風21号による倒木などの被害により臨時休業。被害があったのは新聞で読んでいましたが、2週間経ったのでもう大丈夫と思ったのが甘かった。
c0112559_08152148.jpg
c0112559_08154256.jpg
仕方なくお堀を廻ります。
c0112559_08161505.jpg
c0112559_08163413.jpg
かなり大きな木がへし折れています。いかに風が強かったかが分かります。
c0112559_08170411.jpg
南から四国の徳島を通過した後、神戸周辺を北上しました。台風は進路の右側の風が強いため、自分の住んでいる高槻市は、経験したことがない強風で被害が大きかったのです。停電が12時間続きました。関西国際空港の高潮被害は大きなニュースでした。岸和田市も進路右側なので、やはり被害を受けたわけです。
c0112559_08201153.jpg
掘の外側にある二ノ丸多門は公衆便所になっています。
c0112559_08232361.jpg
c0112559_08234794.jpg
今回のお目当ての一つだった八陣の庭には入れず。これ以下はネットにあった写真を借用しています。
c0112559_08242498.jpg
重森三玲の設計で、1953(昭和28)年に竣工した砂庭式枯山水庭園です。
c0112559_08250540.jpg
三国志で有名な諸葛孔明の八陣法をテーマに、中央の大将と先端の天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎の各陣に石組みがされているとか。
c0112559_08262582.jpg
天守からの眺め。見たかったです。
c0112559_08270283.jpg
c0112559_08320840.jpg





by gipsypapa | 2018-12-19 08:32 | 建築 | Trackback | Comments(2)

東福寺 龍吟庵と庭園

c0112559_08365204.jpg
龍吟庵(りょうぎんあん)は臨済宗東福寺派の寺院で東福寺の塔頭(たっちゅう)です。方丈は東福寺の本坊庫裏の背後から偃月橋(えんげつきょう)を渡った正面にあります。室町時代初期に建造された現存最古の方丈建築だとか。

龍吟庵 方丈
室町時代初期
国宝
京都市東山区本町15−812
撮影 : 2016.12.2
c0112559_08374289.jpg
龍吟庵に向かう途中、東福寺三名橋の中で最も上流に架かる偃月橋。桃山時代の築で、国の重要文化財。秀吉の正室である北政所・ねねが龍吟院にお参りするために架けられたといわれています。

偃月橋
1603(慶長8)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
c0112559_08381113.jpg
c0112559_08383531.jpg
c0112559_08385147.jpg
龍吟庵 庭園
c0112559_08393661.jpg
方丈を囲んで東・西・南の三庭があります。いずれも重森三玲の手による枯山水の庭で、昭和39年(1964年)の作庭です。最初の写真は南庭(無の庭)。方丈の前庭で、白砂を敷いただけというシンプルな庭です。

龍吟庵 庭園
1964(昭和39)年
作庭 : 重森三玲
c0112559_08402428.jpg
西庭(龍門の庭)。龍が海から顔を出して黒雲に乗って昇天する「昇り竜」の姿を枯山水にして、水墨画のようなイメージになっています。
c0112559_08410440.jpg
c0112559_08415695.jpg
c0112559_08421753.jpg
c0112559_08424492.jpg
c0112559_08430131.jpg
東庭(不離の庭)。シンプルな枯山水ですが、赤砂を敷いています。伝統的な様式を用いながら、モダンでインパクトの強い庭です。
c0112559_08440032.jpg
c0112559_08443628.jpg


by gipsypapa | 2017-10-06 08:45 | | Trackback | Comments(2)

東福寺 方丈(本坊)と庭園

方丈(本坊)
c0112559_09031814.jpg
これも明治後期に昭憲皇太后より下賜されたもので内部は3室2列の6室あり、前庭のある南面には広縁が設けられているます。方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居ですが、後には相見(応接)の間の役割が強くなったとか。

方丈
1890(明治23)年 / 1909(明治42)年(唐門)
設計・施工 : 不明
京都市東山区本町15−778
撮影 : 2016.12.2
c0112559_09045687.jpg
庫裡の南側にある、東福寺本坊への入口。方丈へは左側にあるもう一つの入り口から入ります。

東福寺 方丈(本坊)庭園
c0112559_09070871.jpg
ここで有名なものは庭園は近代の造園家、重森三玲(しげもり みれい 1896-1975)作庭により、方丈の四方に配される、国指定名勝の庭園です。これらの庭は重森三玲の事実上のデビュー作で、傑作といわれています。

東福寺本坊庭園
1939(昭和14)年
国指定名勝
作庭 : 重森三玲
c0112559_09074965.jpg
南庭(八相の庭)。荒海の砂紋の中に釈迦の生涯における8つの重要な出来事「八相成道(はっそうじょうどう)」の「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壺梁」「八海」「五山」を表現しているそうです。
c0112559_09082376.jpg
方丈唐門。明治14年の火事で方丈、庫裏、法堂、仏殿が焼失。その翌年、英照皇太后、昭憲皇后から、再興のための賜金が給わされました。明治42年(1909年)に造営された唐門を恩賜門とよぶのは、このためだとか。
c0112559_09085939.jpg
c0112559_09180030.jpg
方丈を時計回りに見て行きます。
c0112559_09095910.jpg
西庭(井田の庭)。さつきの刈込みと砂地が大きな市松模様になっています。
c0112559_09105136.jpg
c0112559_09184298.jpg
c0112559_09191039.jpg
c0112559_09192840.jpg
北庭(市松の庭)。白い敷石と緑の杉苔を幾何学的な市松模様に配した新鮮で現代的な庭です。
c0112559_09201877.jpg
c0112559_09205366.jpg
重森三玲といえばこれを思い出す、印象的な代表作です。
c0112559_09213018.jpg
東庭 (北斗七星の庭)。波と雲を表す白砂に、円柱の石組みを突き出し北斗七星を表現しています。
c0112559_09222228.jpg

by gipsypapa | 2017-10-05 09:22 | | Trackback | Comments(2)