タグ:庭 ( 130 ) タグの人気記事

修禅寺へ再び

修禅寺へ再び_c0112559_07583424.jpg
来るたびにお参りして、すでにこのブログでも何度かアップした修禅寺へ再び。町の名前の由来ですが、お寺は修禅寺、町名は修善寺です。

807(大同2)年に空海が創建したと伝えられ、以来、長く真言宗に属していましたが、臨済宗に改宗した後、北条早雲の時代に曹洞宗の寺院として再興させ、現在に至っています。現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものです。

福地山 修禅寺
1883(明治16)年
設計・施工 : 不明
静岡県伊豆市修善寺964
撮影 : 2019.12.15
修禅寺へ再び_c0112559_07592879.jpg
修禅寺へ再び_c0112559_07594992.jpg
修禅寺へ再び_c0112559_08000578.jpg
修禅寺へ再び_c0112559_08002221.jpg
修禅寺へ再び_c0112559_08003768.jpg
修禅寺へ再び_c0112559_08005384.jpg
何度も来たのに知らなかったのですが、本堂の裏側に池泉回遊式の庭があるのです。よさそうな庭園ですが、今回も見ることはできませんでした。
修禅寺へ再び_c0112559_08033983.jpg
秋の特別公開が11月21日~12月2日まで開催されたとか。
修禅寺へ再び_c0112559_08054062.jpg
2ヶ月前に知り菊屋の予約を取ろうとしましたが、空き室は無しでした。
修禅寺へ再び_c0112559_08062170.jpg
「だるま石」。5年前に見たときに比べると、くすんだ色になって貫禄がつきました。その代わり目立ちません。
修禅寺へ再び_c0112559_08073900.jpg
向こうに見えている回廊の後に庭園があるようです。
修禅寺へ再び_c0112559_08081184.jpg
もう訪ねることはないかも知れません。写真はネットから借用しています。
修禅寺へ再び_c0112559_08090373.jpg

by gipsypapa | 2020-01-27 08:10 | 建築 | Trackback | Comments(0)

補陀洛山 常稱寺

補陀洛山 常稱寺_c0112559_08381251.jpg
総持寺から南に下り、阪急電車の総持寺駅脇のガードをくぐると、すぐ東側に常稱寺(じょうしょうじ)があります。常稱寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は総持寺と同じ補陀洛山(ふだらくせん)です。

創建は室町時代の文明7 年(1475 )と伝わる古刹ですが、総持寺とは僧侶の交流があったとかで、強い関係があるそうです。本堂は元禄13 年(1700 )建立で、宝暦12年(1762)に改築されたものです。ただし屋根は、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で被害を受け、葺替えを行ったとか。

本堂脇にある庫裡は専用の梯子に宝暦14年(1764)の墨書みつかったそうで、本堂の改築のころに建てられたようです。本堂の前に小さな庭園があります。この庭かどうかは定かではありませんが、ネット情報では学術調査などで、書院の西に枯山水庭の遺構が確認されたとあります。

また寺伝では「高槻市富田の普門寺及び紅屋(酒造家)の庭園を造った同じ庭師の作と伝えてられているが、確証はない」とも。そうであれば、作庭者は小堀遠州の高弟だった玉淵坊日首(ぎょくえんのぼうにっしゅ)で、江戸時代初期の造営ということになります。

補陀洛山 常稱寺
1700(元禄13)年 / 1762(宝暦12)年改築
設計・施工・作庭 : 不明
大阪府茨木市中総持寺町6-31
撮影 : 2019.12.5
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08385938.jpg
山門は東側にあり、細長い参道の奥にあるのですが、参道入り口の格子戸が閉まっています。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08415332.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08421038.jpg
境内から見た山門。閉まっています。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08425436.jpg
現在の入り口は北側にありますが、ちょっと見ただけでは奥に寺院があるとは思わないでしょう。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08432939.jpg
江戸中期建立の本堂。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08440556.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08442360.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08443854.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08445545.jpg
本堂の裏側は境内を出たところから金網越しに見えます。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08453204.jpg
庫裡も江戸中期の築。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08461375.jpg
庫裡手前にあるのはソテツの木でしょうか。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08470083.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08472093.jpg
12月初旬ですが、まだ紅葉は残っていました。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08483500.jpg
本堂の右手前にある小さな庭。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08491930.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08493556.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08495879.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08503470.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08505330.jpg
学術調査で枯山水の遺構と確認された庭があるとかですが、実際は水溜りのような池があります。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08514780.jpg
他にそれらしいものはなく、「書院の西に発見された枯山水」という、書院と呼ばれるような建物もありません。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08522357.jpg
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08524177.jpg
ということで、その遺稿かどうかはわかりませんでした。
補陀洛山 常稱寺_c0112559_08531425.jpg
次回からは静岡県です。



by gipsypapa | 2020-01-23 08:56 | 建築 | Trackback | Comments(2)

秋の総持寺庭園

秋の総持寺庭園_c0112559_08365721.jpg
12月の初旬。紅葉を求めて近所を散策しました。少し紅葉には遅すぎだったかも知れません。この日はもう一つの目的地があったのですが、個人的にはおなじみで、何度かアップした総持寺(そうじじ)を経由しました。秋になった庭園を見たかったこともあります。

総持寺は大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくせん)で本尊は千手観音。西国三十三所第22番札所です。美しい庭園は比較的近年に完成したと思われる池泉回遊の庭。石を適所に配した見所が多い設計です。境内には、ほかにも、小ぶりですが巨石を使った枯山水の庭もあります。

補陀洛山 総持寺庭園
詳細不明
大阪府茨木市総持寺1-6-1
撮影 : 2019.12.5
秋の総持寺庭園_c0112559_08400424.jpg
裏門を入ると左手にある石庭。
秋の総持寺庭園_c0112559_08403904.jpg
本堂側へ。
秋の総持寺庭園_c0112559_08411287.jpg
池泉の庭。落葉樹が少ないので、色づいているのはこの周辺だけ。
秋の総持寺庭園_c0112559_08415325.jpg
秋の総持寺庭園_c0112559_08420811.jpg
秋の総持寺庭園_c0112559_08422423.jpg
夏にはなかった何種類かの花の苗が植えてありました。
秋の総持寺庭園_c0112559_08430379.jpg
秋の総持寺庭園_c0112559_08432629.jpg
秋の総持寺庭園_c0112559_08434204.jpg
秋の総持寺庭園_c0112559_08440295.jpg
秋の総持寺庭園_c0112559_08442154.jpg
秋の総持寺庭園_c0112559_08443813.jpg
結論として、秋には特に特別感はないです。この庭は桜の季節が一番でしょうか。アーモンドの花もきれいに咲きます。



by gipsypapa | 2020-01-22 08:53 | | Trackback | Comments(2)

富田御坊 本照寺庭園

富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08041025.jpg
普門寺を訪ねたついでに、昔は普門寺城といわれた広大なエリアを訪ねました。既にこのブログでアップしたことがある本照寺(ほんしょうじ)は浄土真宗本願寺派の仏教寺院で、富田御坊(とんだごぼう)ともいわれています。

この日、普門寺でお話を伺い、本照寺は室町時代以前は普門寺のいわゆる塔頭(たっちゅう)だったと聞きました。また秀吉の中国大返しのときに普門寺で落ち合った秀吉の軍が山崎の戦い前夜にここに本陣を張ったといわれています。

江戸時代になってからは周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている地域です。本堂は1798(寛政10)年の築で、山門、東門、鐘楼とともに市の有形文化財に登録されています。

以前にアップしたときも、一部紹介していますが、最近参考にしている藤井里江さんの「続大阪の庭」という論文(pdf)に取り上げられていたので、この日はじっくり見てきました。「日本庭園鑑賞便覧」によると大正時代に作庭の枯山水となっていますが、今の庭園は池泉になっています。

富田御坊 本照寺庭園
昭和期か
作庭 : 不明
大阪府高槻市富田町4-4-27
撮影 : 2019.11.12 & 2020.1.15
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08082922.jpg
東側の脇門から入るとすぐ、庭は本堂の手前にあります。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08090794.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08092573.jpg
睡蓮が浮かぶ池泉の庭。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08102922.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08111193.jpg
八本足の構造物は何でしょう。いずれにしろそんなに古い庭ではなく、昭和の造園ではないでしょうか。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08120794.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08122756.jpg
形から見て、いわゆる心字池のようです。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08131527.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08133284.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08134906.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08140479.jpg
小さな池ですが、回遊式になっています。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08145215.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08152992.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08161495.jpg
昨日も近くを通ったので立ち寄りました。落ち葉が多くなっています。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08165417.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08171437.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08173555.jpg
再び去年11月中旬の写真です。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08181847.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08183788.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08185464.jpg
普門寺にあった伽羅双樹の木がここにも。こちらの方が大きいので、樹齢数百年かも。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08195226.jpg
山門に向かうところの手水所。
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08202533.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08204150.jpg
富田御坊 本照寺庭園_c0112559_08205806.jpg
山門は南側です。

by gipsypapa | 2020-01-16 08:23 | | Trackback | Comments(2)

慈雲山 普門寺

慈雲山 普門寺_c0112559_07475452.jpg
普門寺(ふもんじ)は地元にあり、国の重要文化財と名勝に指定されているのは以前から知っていました。ただ、いつも門が閉まっていて、事前の電話予約が必要という張り紙があり、躊躇していました。思いきって電話したら、女性の声で明るく、今日でもOK、とのこと。喜んで訪ねることに。

普門寺は、明徳元年(1390)に開創された禅寺です。その後荒廃しましたが、室町時代末期の永禄年間に、室町幕府摂津官領の細川晴元や、14代将軍 足利義栄の居城となり、普門寺城と呼ばれ多くの堂塔伽藍をもつ大寺でした。

江戸時代に京都の龍安寺末寺となって、方丈が現在の場所に移築されました。江戸前期には明(みん)から渡来した隠元(いんげん)を迎え、後水尾天皇が滞在し、繁栄したそうです。

その後、明治時代の廃仏毀釈、戦後の農地解放で、現在の本照寺、三輪神社、旧富田小学校まであった敷地が大幅に減少。昭和初期まで専任住職も置かれずに荒廃していたそうです。昭和末期になって、新たに住職を迎え、庭園を含む境内全域が国の名勝に、また方丈も国の重要文化財に指定されるなど、少しずつ寺勢が復興してきています。

慈雲山 普門寺方丈
1621(元和7)年 / 1982(昭和57)年解体・復元
名勝・重要文化財
設計・施工 : 不明
高槻市富田町4-10-10
撮影 : 2019.11.12
慈雲山 普門寺_c0112559_07484901.jpg
表門。方丈とともに江戸時代初期の建立。いつも格子戸が閉まっています。門の左に張り紙があり、前日までの電話予約が必要とあります、
慈雲山 普門寺_c0112559_07494442.jpg
その張り紙に電話番号が書いてないので、いつもそこで挫折していたのです。結局ネットで調べました。℡ 072-694-2093。ちなみに拝観料は400円(お茶付き)でした。
慈雲山 普門寺_c0112559_07512254.jpg
戦国時代には、秀吉の「中国大返し」のときに、この地で全軍が落ち合い、山崎の合戦で明智光秀を打ち破ったと伝えられています。今年の大河ドラマ「麒麟がくる」に出てくるかも知れません。
慈雲山 普門寺_c0112559_12231293.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_07515524.jpg
もらったパンフレットの境内絵図。平成8年の再建記念だそうです。
慈雲山 普門寺_c0112559_07524678.jpg
インターフォンで連絡を取ると女性が出てこられて、境内へ。
慈雲山 普門寺_c0112559_07532447.jpg
門を入ってまず迎えてくれるのが隠元禅師作の黄檗式石畳。この石畳も名勝の指定対象になっています。
慈雲山 普門寺_c0112559_07540765.jpg
幾何学的な造作で江戸初期とは思えません。正方形に切り出された石が貴重で見事。
慈雲山 普門寺_c0112559_07544819.jpg
隠元は江戸時代初期に明から来た僧で「インゲン豆」の由来になった人です。当時の普門寺の勢力がうかがえます。
慈雲山 普門寺_c0112559_07560301.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_07562212.jpg
石畳の正面にある建物は最初は庫裡と思いましたが、別に庫裡らしいのがあり違うようです。未確認ですが、毘沙門堂かも。
慈雲山 普門寺_c0112559_07575204.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_07582053.jpg
方丈へのくぐり門の手前にある蹲(つくばい)。
慈雲山 普門寺_c0112559_07594936.jpg
くぐり門の先は方丈です。
慈雲山 普門寺_c0112559_08011026.jpg
方丈の前庭が見えています。これは次回に。
慈雲山 普門寺_c0112559_08014547.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08020248.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08021685.jpg
戸をあけて、中で色々な説明をしていただきました。
慈雲山 普門寺_c0112559_08030261.jpg
この方丈が現在の本堂になっています。
慈雲山 普門寺_c0112559_08033448.jpg
本尊の釈迦如来像。金ピカですが、パンフレットでは唐時代のもので、中国の佛師、笵道生の作だとか。
慈雲山 普門寺_c0112559_08043138.jpg
襖は長く無尽の寺だったこともあり、相当痛んでいます。
慈雲山 普門寺_c0112559_08060141.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08061819.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08063478.jpg
江戸時代の狩野派の絵師で狩野永徳の孫の狩野安信(かのう やすのぶ、1614 - 1685)による襖絵があります。
慈雲山 普門寺_c0112559_08071707.jpg
山水・竹雀図襖絵は狩野安信が正保2年(1645年)頃描いたもの。
慈雲山 普門寺_c0112559_08083015.jpg
長く檀家不在のために欠損していた襖には、南画の大家、直原玉青(じきはら ぎょくせい、1904 - 2005)の「淀川右岸天王山鵜殿前島菖景」が描かれています。
慈雲山 普門寺_c0112559_08093711.jpg
混在しているので、どれが誰の絵かわかりませんが、襖全体の色の違いでしょうが・・・
慈雲山 普門寺_c0112559_08103407.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08104814.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08110236.jpg
方丈の脇にあるのは、普門寺仏殿に置かれていたという隠元が書いた「獅林」の大額。
慈雲山 普門寺_c0112559_08114478.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08120181.jpg
慈雲山 普門寺_c0112559_08121901.jpg
普門寺の見所は庭なので、何回かに分けてアップします。
慈雲山 普門寺_c0112559_08124952.jpg

by gipsypapa | 2020-01-09 08:18 | 建築 | Trackback | Comments(2)

南御堂庭園 獅子吼園

南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08341572.jpg
真宗大谷派難波別院は、大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目にある真宗大谷派の寺院。通称は南御堂。今はモダンな構えのお寺になりましたが、境内には歴史がありそうな枯山水庭園と池泉式が混在した庭園「獅子吼園(ししくえん)」があります。

周辺に何の説明文もなく、ネット情報も少ないので詳細はわかりませんが、庭園内に江戸時代末期に建てられたという松尾芭蕉の句碑があります。ブリタニカによれば「獅子吼(ししく)」とは、釈尊が説法する様子を獅子のほえる様子にたとえたものだとか。

南御堂庭園 獅子吼園
江戸末期か
大阪市中央区久太郎町4-1-11
撮影 : 2019.10.31
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08350062.jpg
鐘楼の右側にある細長い庭園。大阪の庭を紹介し、最近よくお世話になっている「続・大阪の庭」というpdf に記載されています。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08403175.jpg
本堂の左側の敷地の端、鐘楼の西側にあります。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08420883.jpg
庭園の説明はありませんが、芭蕉の句碑の説明はあります。芭蕉が最期を迎えた場所が南御堂の門前にあった屋敷だったとか。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08431447.jpg
何故か芭蕉の木が。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08435255.jpg
右の大きな句碑は新しい。中央の小さな石碑が江戸時代末期のものです。その頃にはこの庭があったと考えるのが妥当かと。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08445925.jpg
アップで。辞世の句「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08454030.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08460007.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08462172.jpg
細長い庭の中央は白砂の枯山水。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08470389.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08472415.jpg
少し進むと、この辺は枯れ池。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08481932.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08483935.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08485579.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08491356.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08495459.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08500955.jpg
一番奥は小さな築山になっています。
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08513504.jpg
南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08515518.jpg
その下に池泉というには小さい水溜りのような池があります。


南御堂庭園 獅子吼園_c0112559_08525349.jpg
天王寺から御堂筋を北上した庭園巡りはここまでです。



by gipsypapa | 2020-01-05 08:57 | | Trackback | Comments(2)

日下山 願泉寺庭園

日下山 願泉寺庭園_c0112559_13042133.jpg
地下鉄御堂筋線で天王寺から2駅目の大国町で降りて願泉寺(がんせんじ)を訪ねました。願泉寺は浄土真宗本願寺派の寺で、山号は日下山。寺伝では、推古天皇11年(603年)に小野妹子の8男、多嘉麿義持(永証)により創建されたという歴史ある古刹です。

第二次大戦前には、当時国宝に指定されていた伊達政宗の寄進した書院や茶室があったそうですが、1945年の大阪大空襲で焼失してしまいました。 相阿弥(そうあみ、生年不明 - 1525)の作庭といわれる枯山水の庭園は石組みが戦災を免れ、現在は大阪府の名勝となっています。

相阿弥は室町時代の絵師、鑑定家、連歌師で、龍安寺方丈庭園や慈照寺庭園を手がけたといわれています。いずれにしろ室町時代の人で、大阪府文化財一覧に記載されている江戸時代中期の作庭とは合致しません。多分、江戸中期に大規模な改修が行われたと思われます。

日下山 願泉寺庭園
室町後期 / 江戸中期
大阪府指定名勝
作庭 : 相阿弥(伝)
大阪市浪速区大国2-2-27
撮影 : 2019.10.31
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13045967.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13051870.jpg
門をくぐって境内へ。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13062341.jpg
本堂は戦後の築です。庭の場所がわからず、電話したら親切に出迎えて案内していただきました。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13072678.jpg
庭は本堂の裏側にあります。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13080460.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13082185.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13083947.jpg
本殿などすべて戦災で焼けてしまいましたが、この庭の石組みだけは残ったと仰っていました。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13091443.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13093813.jpg
枯山水の庭ですが、この滝口の下には水溜りがありました。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13101977.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13103652.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13105247.jpg
向こうに見える建物は新しいものですが、伊達政宗寄進の書院があった場所と思われます。庭はいわゆる方丈前庭だったようです。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13113295.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13114992.jpg
奥に井戸と・・・
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13122616.jpg
茶室。伊達政宗が寄進したという茶室を意識して建てられたのでしょう。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13125986.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13131201.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13133107.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13134860.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13140425.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13142154.jpg
茶室の横に小さな築山。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13144999.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13150402.jpg
書院があったと思われる建物側。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13154166.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13155761.jpg
やはり、こちらからの眺めが本命のようです。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13163046.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13164779.jpg
石組みが見事。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13171727.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13173305.jpg
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13175670.jpg
よく手入れされている庭園で満足でした。
日下山 願泉寺庭園_c0112559_13183855.jpg
庭の場所がわかりにくいのと、入り口の格子戸が施錠されているので、あらかじめ電話したほうがよさそうです。
電話: 06-6641-0084

by gipsypapa | 2019-12-30 13:22 | | Trackback | Comments(2)

慶沢園(その2)

慶沢園(その2)_c0112559_08432398.jpg
慶沢園(けいたくえん)は天王寺公園内にある林泉回遊式日本庭園で、元は住友家第15代吉左衛門が茶臼山本邸の庭園として造園したものです。命名は伏見宮貞愛親王だそうで、大正15年(1926)に、住友家から大阪市へ寄贈されました。南側から庭園に入り、池を廻って北側を見ます。

慶沢園
旧住友家本邸庭園
1919(大正7)年
大阪市指定文化財(名勝)
作庭 : 木津聿斉、七代目小川治兵衛(植治)
大阪市天王寺区茶臼山町1-108
撮影 : 2019.10.31
慶沢園(その2)_c0112559_08442025.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08443865.jpg
東に廻って築山の方へ。
慶沢園(その2)_c0112559_08445574.jpg
竜頭石という石組み。対岸からは見つけにくく、見つけても自分のカメラの望遠では無理。ネットから借用しています。岩が左を向いた竜の頭で、サツキの植え込みが胴体になっているそいうです。
慶沢園(その2)_c0112559_08462326.jpg
大降りの石を敷いた州浜。
慶沢園(その2)_c0112559_08465762.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08471797.jpg
市立美術館を背景に沢渡りの飛び石が見事。美術館ができたのはずいぶん後の1936(昭和11)年です。
慶沢園(その2)_c0112559_08475894.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08481463.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08483288.jpg
左に突き出しているのは舟形石。
慶沢園(その2)_c0112559_08490345.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08492512.jpg
船着場そのもの。これもネットにあった対岸からの写真を借用しています。
慶沢園(その2)_c0112559_08500489.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08502273.jpg
北側の築山に水源の滝口。
慶沢園(その2)_c0112559_08505456.jpg
大きな飛び石。ここを渡りましたが、山側に迂回ルートもありました。
慶沢園(その2)_c0112559_08512729.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08514423.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08520230.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08522055.jpg
ほぼ一回り。
慶沢園(その2)_c0112559_08530160.jpg
菖蒲畑があります。
慶沢園(その2)_c0112559_08533532.jpg
あべのハルカスが借景になるとは植冶は想像もしなかったですよね。
慶沢園(その2)_c0112559_08541371.jpg
出口の右側に長生庵という茶室があります。
慶沢園(その2)_c0112559_08544675.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08550615.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08552869.jpg
予想通り敷地にも入ることはできませんが、垣根の間から見えます。
慶沢園(その2)_c0112559_08560258.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08562012.jpg
慶沢園(その2)_c0112559_08563955.jpg
出口は旧藤田家正門。住友家の分家だった旧藤田家の正門を1958年に移築したものです。
慶沢園(その2)_c0112559_08571546.jpg
門を出て振り返っています。
慶沢園(その2)_c0112559_08575594.jpg
門を出た周辺は旧藤田家の敷地だったところでしょう。



by gipsypapa | 2019-12-25 09:01 | | Trackback | Comments(0)

慶沢園(その1)

慶沢園(その1)_c0112559_08584371.jpg
9月に四天王寺に行ったばかりですが、再び天王寺へ。そのときに時間がなく見れなかった慶沢園(けいたくえん)をお目当てに訪ねました。この日はこの後、お庭を訪ねて、御堂筋を北上しました。

慶沢園は天王寺公園内にある林泉回遊式日本庭園で、元は住友家第15代吉左衛門が茶臼山本邸の庭園として造園したものです。命名は伏見宮貞愛親王だそうで、大正15年(1926)に、住友家から大阪市へ寄贈されました。

庭園の設計は明治・大正期の茶匠の木津聿斉(きづいっさい)で、施工者は植治(うえじ)こと第7代小川治兵衞で、このブログでも紹介した、平安神宮神苑、円山公園、無鄰菴など数々の庭園を手掛け、近代造園のスタイルを確立したと称えられる造園家です。

慶沢園
旧住友家本邸庭園
1919(大正7)年
大阪市指定文化財(名勝)
作庭 : 木津聿斉、七代目小川治兵衛(植治)
大阪市天王寺区茶臼山町1-108
撮影 : 2019.10.31
慶沢園(その1)_c0112559_08592689.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_08595579.jpg
慶沢園手前にある門は旧黒田藩蔵屋敷長屋門。江戸時代中期に建てられた蔵屋敷の表門で、大阪府の有形文化財です。
慶沢園(その1)_c0112559_09003099.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09004627.jpg
少し歩くと庭園入り口があります。入園料は150円でした。
慶沢園(その1)_c0112559_09011823.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09013998.jpg
大きな池が主役の開放的な庭園です。
慶沢園(その1)_c0112559_09021499.jpg
園内に2箇所ある切り石橋の一つ。
慶沢園(その1)_c0112559_09024652.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09030272.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09031874.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09033634.jpg
右岸から池を巡りました。トイレ前の蹲(つくばい)。
慶沢園(その1)_c0112559_09041492.jpg
絶景スポットの四阿(あずまや)です。
慶沢園(その1)_c0112559_09060832.jpg
その前にも蹲。
慶沢園(その1)_c0112559_09063613.jpg
ここからの眺めがいいので、数人か眺めていました。額縁で庭を撮影。慶沢園ではおなじみのアングルです。
慶沢園(その1)_c0112559_09082218.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09083741.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09085316.jpg
床に敷き詰めてあるのは那智黒石。三重県熊野市神川町で算出され、碁石の黒石や硯でおなじみの石です。
慶沢園(その1)_c0112559_09100687.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09102396.jpg
もう一つの切り石橋がここにあります。
慶沢園(その1)_c0112559_09110020.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09113403.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09121668.jpg
慶沢園(その1)_c0112559_09125974.jpg
これから左岸に向かいます。



by gipsypapa | 2019-12-24 09:16 | | Trackback | Comments(2)

瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園

瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08184564.jpg
瑠璃光寺(るりこうじ)は曹洞宗の寺院。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園(こうざんこうえん)と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっています。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院で、「西の京・山口」を代表する観光名所です。

国宝五重塔は大内文化の最高傑作といわれる建造物。室町時代の嘉吉2年(1442年)頃の建立です。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺、奈良の法隆寺の五重塔とならんで、日本三名塔の一つに数えられ、いずれも国宝に指定されています。

瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園
1442(嘉吉2)年ころ
国宝
設計・施工 : 不明
山口市香山町7-1
撮影 : 2019.10.16
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08202910.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08211455.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08213144.jpg
高さ 31.2m で屋根は檜皮葺き。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08222517.jpg
二層にのみ回縁(まわりえん)がついているのが特徴だとか。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08225998.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08231690.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08233351.jpg
五重塔を借景にした池泉庭園があります。五重塔を借景にした美しい庭園です。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08242172.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08244107.jpg
室町時代に造られたと思いますが、詳細はわかりませんでした。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08260491.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08262278.jpg
向こうに見えるのは・・・・
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08265684.jpg
亀の乗った石の向こうにハート岩。恋愛成就の願掛けの場所だそうです。この亀はどの写真を見ても同じなんで、作り物みたいです。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08275282.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08281276.jpg
池を1周しています。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08284831.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08290679.jpg
ハート岩の後から。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08312796.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08300768.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08314842.jpg
水源を探しました。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08321958.jpg
池の南西の隅に水源の石組み。水は瑠璃光寺の本堂前にある蓮池から流れてきているようです。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08341085.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08342969.jpg
この周辺は日本庭園らしい風景。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08350372.jpg
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08351969.jpg
すぐ横に刈り込みがあります。
瑠璃光寺 五重塔と池泉庭園_c0112559_08355033.jpg

by gipsypapa | 2019-12-19 08:41 | 建築 | Trackback | Comments(2)