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石見銀山 龍源寺間歩

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世界遺産の石見銀山の見所はここ龍源寺間歩です。石見銀山には、銀鉱石を採掘するための坑道である間歩が大小合わせて600箇所以上も残っているそうです。龍源寺間歩は、約870メートルの大久保間歩の次に大きな、全長約600メートルです。

内部はノミで掘った跡がそのままの状態で残っていて、当時の作業の様子を知ることができます。大久保間歩は期間限定のみだそうですが、龍源寺間歩は唯一、常時一般公開されています。

石見銀山 龍源寺間歩
島根県大田市大森町銀山
撮影 : 2019.3.23
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狭い箇所や天井画低いところが多いので、ソロソロ進みます。
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暗い穴だけのシーンで、どれも似たようなものですが、しばらくお付き合いください。
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ところどころに横穴。
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排水に使われた竪穴。
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新坑道との交差点まで来ました。
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観光用の新坑道は広くゆったりしています。
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坑道を出たら晴れていました。1泊2日の山陰ツアーはこれでお終い。大阪に戻ります。


by gipsypapa | 2019-05-22 08:18 | | Trackback | Comments(2)

太田市立大森小学校

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銀山ゾーンを龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)に向かう途中に古そうな小学校の校舎を発見。調べてみると戦後とはいえ、65年も前に建てられた大森小学校でした。開校したのは明治5年といいますから、まだ石見銀山が採鉱をやっていた頃。そのころはもっと児童数が多かったはずですが、今は十数名だとか。戦後に建てられた古い木造校舎が少人数で丁寧に使い続けているようです。木造平屋建て。

太田市立大森小学校
1954(昭和29年)
設計・施工 : 不明
島根県大田市大森町ニ32
撮影 : 2019.3.23
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黒い下見板張りの校舎に白い窓枠が美しい。
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裏側にもう1棟高い建物が見えます。講堂かもしれません。
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往きは雨でしたが、帰りは晴れました。
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赤い瓦の新しそうな校舎もいいですね。
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学校のHPに中の写真があったので、借用します。


by gipsypapa | 2019-05-21 08:00 | 建築 | Trackback | Comments(2)

石見銀山の銀山ゾーンを歩く

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ツアーの最終訪問地は石見銀山(いわみぎんざん)です。2007(平成19)年に世界遺産に登録されました。銀を精錬するためには、大量の薪炭用木材が必要とされます。石見銀山の特徴は、周辺の環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であり、その点が高く評価され、世界遺産登録につながったそうです。

戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山でした。当時は日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定され、石見銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとか。ここでは龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)を見学するのが目的です。

世界遺産に指定されたためでしょう、道路整備が制限されているようで、観光バスの乗降所からゆるい坂道を約2.3km、片道45分、往復1時間半を歩く必要うがあります。登って龍源寺間歩に行くか、ほぼ平地の大森地区の武家・町家ゾーンや代官所ゾーンを散策するかの2者択一。我々は龍源寺間歩に向かう銀山ゾーンに挑戦することにしました。

石見銀山の銀山ゾーン
島根県大田市大森町イ1597-3 付近
撮影 : 2019.3.23
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小雨が降っています。
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清水谷精錬所跡。
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寛永8年創建と伝わる西本寺(さいほんじ)があります。門前の掲示板には「山吹城城門西本寺」と書かれています。山吹城とは要害山山頂にあった城のこと。山門は石見銀山を守護する為に築城された山吹城の城門と伝わるもので、切妻、桟瓦葺、四脚門です。西本寺山門は大田市内に残る山門建築の中でも最古級にあたる貴重なものとして大田市指定文化財に指定されています。

西本寺
江戸時代中期(17世紀初期)
大田市指定文化財
島根県大田市大森町ホ209
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普通の観光地のように土産物屋や食事処はほとんどありません。これは例外ですが閉まっていました。
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豊栄神社(とよさかじんじゃ)は、毛利元就の木像がご神体として祀られています。元は洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でした。幕末の慶応2年(1866)に第2次長州戦争が起こり、毛利氏を藩主とする長州藩の隊士達が石見に侵入し長安寺に駐屯したそうです。

大森に進撃した長州軍の面影をとどめ、激動の幕末の遺跡として興味深い神社です。明治2年に朝廷は、元就に対して豊栄神社の神号を与えたので、長安寺から豊栄神社に変わりました。

豊栄神社
詳細不明
大田市指定文化財
島根県大田市大森町ホ211
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福神山間歩。
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こちらは甘南備坑の表示。この周辺の木立の間には、大きく口を開けた間歩がいくつかありますが、中には入れません。
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江戸末期から石見銀山の町年寄山組頭を勤めた高橋家の住宅。山組頭とは鉱山の取締役で、山師の中から2~3名任命される役職。高橋家は、代々銀山の町年寄・山組頭等、山方・町方の役人を勤めた家で、付属建物では酒造も行っていたそうです。山組頭の遺宅としては唯一現存する建物だとか。

現存する主屋は、安政年間(1858~1860)に建設されたで、瓦葺き切妻造り、2階建てで、往時の風格を偲ばせます。1975(昭和50)年に「石見銀山御料銀山町寄山組頭遺宅」として島根県指定史跡に指定されました。

高橋家住宅
旧石見銀山御料銀山町寄山組頭遺宅
安政年間(1858~1860)年
島根県指定史跡
島根県大田市大森町
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道路わきを流れる小川は銀山川。
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龍源寺間歩の見学を終えて、山道を下る途中にある佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)。境内までは急勾配の石段がありますが、社殿にブルーシートがかけられていました。16世紀中頃に創建された鉱山の守り神で、精錬の神「金山彦命」を祀る神社です。

壮大で全国一の規模の山神社だそうです。地元では、「山神さん」と呼ばれ親しまれている古社です。現在の建物は文政2年に再建されたもの。

佐毘売山神社
1819(文政2)年
島根県大田市大森町
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銀山が盛んな頃に物資の輸送に使われた旧道ですが、今は使われないため草に埋もれています。
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往き同じ道を下ってきて、駐車場が近づいてきました。往きに写真を取れなかった渡邊家住宅へ再び。渡邊家住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内に唯一現存する武家屋敷です。

世界遺産の石見銀山遺跡に関連する史跡で、主屋は木造一部2階建て。土塀を巡らせて前庭を設け、奥に主屋や土蔵を配置する当時の武家屋敷の特徴を伝えています。

渡邊家住宅
1811(文化8)年 / 2019(平成31)年3月改修
島根県大田市大森町銀山
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このときは、大田市教育委員会が行っていた保存修理工事の終わりかけだったようで、復元工事がこのあとすぐに完了。現在は一般公開され、隣接地で和食を提供する日本料理店「渡辺家咄々庵」として営業しているそうです。
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壁などが塗り替えられて、Brand New になっています。



by gipsypapa | 2019-05-20 08:34 | | Trackback | Comments(2)

出雲の日の出館

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出雲大社の参道筋にあたる神門通りある和風旅館の日の出館。創業百有余年の老舗旅館で、昔から出雲大社の参拝客に愛されてきた宿です。

通りに面した玄関棟は、西面して建つ木造2階建てで、正面は入母屋造り。この向こうには、これより古い明治時代に建てられた明治棟や坪庭、中庭など風情ある佇まいです。2棟とも国の登録有形文化財に指定された木造2階建て。

日の出館 玄関棟および明治棟
明治時代 / 1916(大正5)年 / 1991(平成3)年改修
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
島根県出雲市大社町杵築南776
撮影 : 2019.3.23
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これ以上は宿泊客しか見ることができません。ネットの写真をいくつか借用して覗いてみしょう。
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中庭もよさそうです。
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by gipsypapa | 2019-05-19 07:53 | 建築 | Trackback | Comments(2)

一畑電車出雲大社前駅舎

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出雲大社前駅は出雲大社の参道筋にあたる神門通りあります。一畑電車(いちばたでんしゃ)大社線の駅の終点です。一畑電気鉄道は島根県東部で鉄道事業を運営する企業で、社名は、出雲市にある一畑寺(一畑薬師)への参詣者輸送を目的とした鉄道を計画し建設したことに由来するとか。

出雲大社前駅は1930年に創業しましたが、当初の駅名は「大社神門駅」でした。現在の「出雲大社前駅」に駅名が変更したのは1970年です。駅舎はかまぼこ型の半円屋根を直行させたユニークな外観で,セセッション風といわれる独特な意匠の駅舎として親しまれています。鉄筋コンクリート造り、平屋建での国の登録有形文化財。

一畑電車出雲大社前駅舎
1930(昭和5)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
島根県出雲市大社町杵築南1
撮影 : 2019.3.23
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内部はレトロな西洋建築の駅舎で、高い天井に照明器具やステンドグラス風の窓が印象的。
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駅舎内にカフェ・レストラン「LAUT(ラウ)」
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ホームを覗いてみました。自転車が並んでいますね。
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ストリートビューです。
更に南に行くと重要文化財の旧大社駅があるのですが、時間がなく行けませんでした。



by gipsypapa | 2019-05-17 07:28 | 建築 | Trackback | Comments(2)

出雲大社門前町商店街「神門通り」

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南は宇迦橋(うがばし)の大鳥居から、北は出雲大社の正門まで続く、約700mの表参道。数多くの参拝客が訪れる通りです。両側には土産屋、名物の出雲そば、ぜんざいの店やカフェなど、様々な店舗が軒を連ねています。

出雲大社門前町商店街「神門通り」
島根県出雲市大社町杵築南
撮影 : 2019.3.23
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小雨模様なので、通りの写真を撮る気分にはなりません。1枚目とこれはネットにあった天気の良い日の写真を借用しました。
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お昼時です。お腹がすいたので蕎麦を食べる店を探して歩いていましたが、どこも込み合っていました。かなり南まで歩いて、やっと空いている店を発見。

手打ちそば いとう
島根県出雲市大社町杵築南1370-15
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坪庭があってなかなかの雰囲気です。
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うすら寒かったので暖かい蕎麦を注文。麺が太いです。写真は食べログから。
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やはり、この冷たい方が出雲そばらしかったかも。
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神門通りの北の端を西に入る細い路地は「ご縁横丁」です。
小さな横丁ですが、アーケードになっていて、小雨が降っていたせいもあり、賑わっていました。
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by gipsypapa | 2019-05-16 07:35 | | Trackback | Comments(2)

出雲大社(その3)

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出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」/ いずもたいしゃ)は、祭神が大国主大神。式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社です。

境内は玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。今回は出雲大社の最終回。玉垣の中の建造物を外から見て廻ります。

出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
撮影 : 2019.3.23
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八足門(やつあしもん)。門の内側には楼門と回廊が取り巻き、その内側に本殿があります。すなわち御祭神である「大国主大神」は二重の門で守護されているわけです。八足門は、門を支える本柱4本を軸として前後に4脚の控え柱が備えられた八脚門です。国の重要文化財。

八足門
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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これとその次の写真はネットから借用しました。
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八足門の彫刻は左甚五郎の作と伝えられています。
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八足門の奥には通常、一般参拝者は入ることができませんが、正月三が日、祭典などの特別な日や、ご祈祷を受けた人のみ八足門の内側へ入ることができます。我々のツアーは団体でご祈祷を受けたので、門の向こう側に入ることができました。
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楼門は玉垣内への出入り口で、高さは、7.3mの二重造りの白木造りの門です。入母屋造りに檜皮葺の屋根で、三間一戸の構造というそうです。国の重要文化財。

楼門
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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楼門の右は神饌所(しんせんしょ)です。神饌所は八足門の奥の楼門の西側端と東側端に建っています。2棟ともに移設されたものではなく、1744(寛保4)年の造営時からのもの。神饌所の「神饌」とは、神様にお供えするためのお神酒や食事のこと。つまり、神饌所とは、神様へのお供え物を準備するための建物だとか。国の重要文化財。

神饌所 2棟
1744(延享元)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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西神饌所とその向こうに見えているのは摂社の門神社(もんじんのやしろ)です。東西2棟あり、東側は宇治神(うじのかみ)、西側は久多見神(くたみのかみ)を祀っています。この2柱の神様は、本殿と本殿の周囲の「おにわ(お庭)」を守護する神様たちです。国の重要文化財。

ちなみに摂社は末社と同様に、本社の主祭神と関連のある神様をお祀りした本社境内の神社。格式(社格)は「本社>摂社>末社」です。この写真はネットから。

摂社 門神社 2棟
1744(延享元)年か
重要文化財
設計・施工 : 不明
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八足門の東側に建つ観祭楼(かんさいろう)は、途中から二階建てになっていて、その二階には2つの畳敷きの部屋があるそうです。朝廷や幕府の要人、または藩の重臣などが訪れた際に南側の境内を見ることができます。国の重要文化財。

観祭楼および廻廊
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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玉垣の外を歩いています。先ほど紹介した東側の門神社が見えています。
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向こうから、天前社(あまさきのやしろ)、御向社(みむかいのやしろ)、本堂の千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が見えています。このときは知りませんでしたが、後に大阪の住吉大社を参拝したときに知りました。
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二本の木をX状に交叉させたものが千木です。屋根の頂点部に水平の木を何本か置かれたものが鰹木です。千木の端の部分が、水平になっている神殿の御祭神は女神で、垂直になっている神殿の御祭神は男神であると一般にいわれています。また鰹木の本数が男神の場合は奇数、女神の場合は偶数になっているとも。ただし、それらは絶対的なものではなく、例外も多いとか。
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出雲大社は祭神が大国主大神、つまり男神なで、この法則に合っています。
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天前社と御向社はいずれも摂社で、同系の社です。天前社は蚶貝比賣命(キサガイヒメノミコト)と蛤貝比賣命(ウムガイヒメノミコト)を、御向社は須勢理比売命(スセリヒメノミコト)を祀っています。国の重要文化財。

摂社 天前社と御向社
1744(延享元)年か
重要文化財
設計・施工 : 不明
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大国主大神を祀っている本殿が見えてきました。別名「天下無双の大廈(二つと同じものが無い壮大な神殿)」と称えられる本殿は、大社造りで。高さが8丈(およそ24m)という、神社としては破格の大きさです。

神代の時代の創建といわれ、長いの歴史の中でなんどもの造営遷宮と修造遷宮を繰り返し、今にその姿を引き継いでいます。現在の本殿は延享元年(1744)に御造営されたもので、国宝に指定されています。

本殿
1744(延享元)年
国宝
設計・施工 : 不明
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本殿の南側に見えるのは、海の神様の多紀理比売命(タキリヒメ)を祀る筑紫社(つくしのやしろ)。なお多紀理比売命は以前宗像大社で紹介した宗像三女神の中の1柱です。国の重要文化財。

筑紫社
1744(延享元)年か
重要文化財
設計・施工 : 不明
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玉垣の外からでは遠近感がわかりにくいのですが、向こうが筑紫社で、手前はもっと内側に建つ西神饌所です。

by gipsypapa | 2019-05-15 08:51 | 建築 | Trackback | Comments(2)

出雲大社(その2)

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出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」)は、祭神が大国主大神の式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社です。境内は玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。今回は玉垣と瑞垣の間を廻ります。

出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
撮影 : 2019.3.23
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銅製の「馬と牛の像」は、瑞垣の出入口にあたる銅鳥居をくぐった左脇にあります。神様の乗り物である「牛」と「馬」は「神牛(しんぎゅう)」と「神馬(しんめ)」です。
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南から銅鳥居をくぐると正面に拝殿があります。室町時代創建の古い拝殿は火事で焼失。現在の拝殿は、1959(昭和34)年に竣功したものです。通常は参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われるそうです。

本殿の修造の際に主祭神「大国主大神」の御神体を一時的に奉安しておく仮の本殿にもなることから「御仮殿(おかりでん)」とも呼ばれます。

拝殿
1959(昭和34)年
設計・施工 : 不明
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出雲大社の神楽殿にも同様の「大しめ縄」がありますが、拝殿の大しめ縄は、神楽殿の注連縄(長さ13m、太さ8m)に比べると半分程の長さです。

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八足門横の「御守所(授与所)」。
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八足門(やつあしもん)の詳細は次回に。
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八足門の前に大きな円の中に更に3つのピンク色の円が描かれています。これは平成12年から13年の間に行われた出雲大社境内遺跡の発掘調査で、杉の大木3本を1組で括りつけた巨大な1本の柱が発見されました。その柱がこの八足門前の床の下に埋まっていたということを示しています。
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さすがに出雲大社。名だたる皇族方の御神饌を頂いています。
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古そうな水舎の前を通って。
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観祭楼(かんさいろう)及び廻廊.。これも次回に。
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東西の十九社(じゅうくしゃ)は、本殿が位置する瑞垣の外側にあり、2社とも東端と西端に建っています。「十九社」の名前の由来は、東西の各、十九社が「19枚の扉」があるお社だから。流造(ながれづくり)と呼ばれる建築様式です。

日本全国の八百万の神々(やおよろずのかみがみ)が、地上の主でもある大国主大神との間で「神議(かみばかり)」と呼ばれる会議をするために出雲大社にお越しになりますが,期間中、八百万の神々はこの社にご宿泊されるそうです。国の重要文化財。

末社十九社本殿
東十九社 : 1748(延亨5)年 再建
西十九社 : 1744(延亨元)年 再建
重要文化財
設計・施工 : 不明
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釜社(かまのやしろ)の御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子神で、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。食物を司る神様です。国の重要文化財。

末社釜社本殿
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明

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境内の北東置奥にある文庫(ふみぐら)は出雲大社では珍しい方形造り、越屋根付の木造平屋建て。屋根が二重になっていて、一見2階建てに見えますが、越屋根という屋根で、平屋建て。つまり換気を意識した屋根が高い平屋です。

文庫
創建不明
設計・施工 : 不明


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北の端にある摂社素鵞社(そがのやしろ)は須佐之男命を祀っており、次回紹介する本殿と同様に大社造りの社殿です。殿舎の周囲には縁が回って、切妻造りの社殿の前面に同じく切妻の向拝が出入口となって据えられています。国の重要文化財。

摂社素鵞社(そがのやしろ)本殿
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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出雲大社は因幡の白兎の舞台。白兎があちこちにいますが、これは本堂前にいました。
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北西の端に建つ彰古館(しょうこかん)は、他の建造物とは違ってあきらかに近代建築の雰囲気を感じます。純和風、左右対象ですが、窓の形状や配置には洋風の影響もあるようです。国の登録有形文化財の木造2階建て。

彰古館
1914(大正3年)
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
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西側へ来ました。宝庫(ほうこ)宝物を収蔵する蔵。江戸時代中期建立の小さな建物ですが、屋根は切妻造で、正面階段の上に張り出した庇付きの檜皮葺(ひわだぶき)です。国の重要文化財。

宝庫
1667(寛文7)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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2棟が並ぶ氏社(うじのやしろ)です。宝庫と同時期の建立で、北側は天照大御神の第2子である、「天穂日命(あめのほひのみこと)」を、南側はその子孫で17代にあたる「宮向宿彌(みやむきのすくね)」が祀られています。国の重要文化財。

摂社本殿 2棟
1667(寛文7)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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神祜殿(しんこでん)のそばにある昔の本殿の想像図。強烈な高床です。この本殿の足の一本がが八足門の前の円にあったのです。
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神祜殿は建築家菊竹清訓氏の設計により1981(昭和56)年に竣功した宝物殿で、ユニークな意匠で建築ファンに有名でしたが、取り壊されて最近建て替えられました。「神祜」とは「神の助け」、「神から幸を授かる」という意味があるそうです。

神祜殿
2015(平成27)年 / 2017(平成29)年改修
設計 : 菊竹清訓
施工 : 不明

by gipsypapa | 2019-05-14 08:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

出雲大社(その1)

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ツアー2日目はまず出雲大社の参拝です。出雲大社(正式な読み方は「いずもおおやしろ」)は縁結びの神・福の神として有名です。『古事記』にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。

主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」で、『古事記』に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まりといわれています。

境内は玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。ちなみに玉垣も瑞垣(みずがき)も一般には神社の周りの垣根ででが出雲大社では区別するために使い分けられているようです。荒垣はそのうち、隙間が多い垣根です。まずは一番外側の荒垣外から。

出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
撮影 : 2019.3.23
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朝から小雨模様。南から境内へ向かいます。
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松の参道。両脇に松の木が整然と並び立つ玉砂利の参道が左右にあり、一部に敷石を整備した道が南北に走り、中央部分は松の緑地帯になっています。
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瀧徹作の大理石の彫刻「神話の杜」。3本の石で森をイメージし、神話に登場する兎、八岐大蛇、猪、鼠の姿を抽象的に表現したものだそうです。
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浄の池(きよめのいけ)が見えましたが通過。
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左側に勅使館(ちょくしかん)が見えてきます。天皇や皇族の使者である勅使の方の宿泊などに使われる貴賓館です。唐破風の玄関に銅葺き屋根の重厚な純和風の建物。設計は平安神宮や明治神宮など国家的な建築物の設計を担当し、また築地本願寺、東京大学農学部正門など、数多くの和風建築を手がけた伊東忠太(いとう ちゅうた)。

勅使館
1921(大正10)年
設計 : 伊藤忠太
施工 : 不明
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勅使館の北隣は斉館。斎館とは神職が祭典神事に先立って先籠し、潔斎する建物のことだそうです。
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斉館前の兎と大国主大神の像は、御自愛の御神像。袋を背負った大国主大神が、傷ついたうさぎに手を差し伸べています。
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荒垣の中へ入る前にここ手水舎(ちょうずや、てみずや)でお清め。
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手水舎を挟んで御自愛の御神像とは反対側にも像があります。
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大国主命と・・・・
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ムスビの御神像。大国主神の前にあり、「幸魂(さきみたま)」・「奇魂(くしみたま)」といった「魂」が現れて、その「魂」を頂く時の場面を表現しているそうです。向こうに見える建物は会所(かいしょ)です。
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会所は松並木の参道を通り抜けた銅鳥居の手前の右側のさらに奥の「杵那築(きなつき)の森」の中にあります。江戸時代に建てられた入母屋造りで、神職が神事の前の身支度や、特別高貴な参詣者への接待、連歌の催しなど、様々なことに使われたようです。国の重要文化財。

会所
1667(寛文7)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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銅鳥居は、出雲大社の4本目の鳥居となることから「四の鳥居」とも呼ばれ、「銅製の鳥居」としては、日本における最古の鳥居になります。1666年(寛文6年)に当時の出雲を統治した長州藩2代目藩主の毛利綱広(もうりつなひろ)が、木製の鳥居を青銅の鳥居に造り替えたものになります。国の重要文化財。

銅鳥居
1666(寛文6)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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銅鳥居の手前から左へ進んだところに大駐車場がありそこにツアーバスが止まっています。車止めの鳩がかわいい。
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北にある神楽殿に向かう途中に小さな社が二つ並んでいます。左が金毘羅宮と右は祓社です。
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巨大な注連縄(しめなわ)で有名な神楽殿。明治に入り、出雲大社教が設立されてからは出雲大社教の神殿としても使用され、現在では國造家大広間、並びに出雲大社・出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。昭和56年に出雲大社教が特立100年を迎えた折、現在の神楽殿として規模を拡張して建て替えられました。その大広間は270畳の広さを誇り、神社建築にはめずらしく正面破風の装飾にステンドグラスが使われています。

神楽殿
1981(昭和56)年
設計・施工 : 不明
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ここでツアー客総勢がお祓いを受けました。
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神社には珍しいステンドグラスがチラッと見えます。
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注連縄を張る向きが一般の神社とは逆になっているそうです。一般には向かって右側が太く、左側が細い向きに張られますが、出雲大社ではこれが逆向きになっています。
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大しめ縄が逆向きになっている理由は、神社神道では神様に向かって右方を上位としているそうですが、出雲大社では左方を上位としているためといわれています。出雲大社が左方を上位としている理由は、御本殿内の客座五神が祀られている場所の、上位の神様は左に祀られているからだとか。
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神楽殿の裏側にある鏡の池。
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ここまでは行きませんでした。神門通りの南端にある宇迦橋の大鳥居。ネットにあった写真です。

by gipsypapa | 2019-05-13 08:19 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松江の明々庵

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松江城山公園の北東、武家屋敷の裏側の高台にある明々庵(めいめいあん)。茶人としても知られる松江藩7代藩主、松平不昧(ふまい)によって、1779(安永8)年に家老の有沢弌善の邸内に建てた茶室を主とする古庵です。

ネット情報では、一時、東京の松平伯邸に移されていたそうで、その後松平家から郷国の出雲に返され、昭和3年に菅田庵(かんでんあん)のある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接した萩の台に建てられていたとか。

第二次世界大戦後は管理が行き届かず、荒廃していたのを、昭和41年、不昧公150年祭を機に現在の赤山に移されました。木造、入母屋造り、茅葺き平屋建て。

明々庵
1779(安永8)年 / 1966(昭和41)年移設
設計・施工 : 不明
島根県松江市北堀町278
撮影 : 2019.3.22
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坂道の途中に標識と看板があるので、わかりやすい。
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さらに細い石段を上ります。
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登りついたら枯山水の小さな庭に迎えられます。
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正面の瓦葺きは百草亭といわれる建物でしょう。
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城見台といわれ、松江城ビューポイントの一つです。
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庭の右側にアプローチがあり、左の百草亭の受付奥に茶室「明々庵」がありますが・・・
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時間がなくここまで。
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なので、以下はネットの写真を借用しています。
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by gipsypapa | 2019-05-10 08:05 | 建築 | Trackback | Comments(2)