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岩国市の旧目加田家住宅

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この建物も吉香公園の一角にあります。岩国吉川藩々士だった目加田(めかた)家の住宅で、軒が低く簡素ながら、端正な意匠です。武家屋敷としては珍しい2階建てですが、玄関側の2階には窓がなく、上位身分の武士も通る路を上から見下ろすことがないように配慮されているとか。18世紀中頃と見られる中級武家屋敷の数少ない遺構として、国の重要文化財に指定されてる、木造2階建て。

旧目加田家住宅
江戸後期
設計・施工 : 不明
山口県岩国市横山2-6
撮影 : 2018.2.27
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玄関側から。どう見ても平屋建てです。
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小さな庭があります。
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これ以降はネットの写真を借用しています。
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裏側から見ると軒が低い2階があるのがわかります。
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これで山口県を中心とした2泊3日の山陽・山陰ツアーを終わります。次回から和歌山です。

by gipsypapa | 2018-10-08 08:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

岩国市の錦雲閣

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錦雲閣 (きんうんかく) は、旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香神社の絵馬堂。1885(明治18)年に旧岩国藩主吉川家の居館跡が吉香公園として開放されたときに、旧藩時代の矢倉に似せて造られました。

入母屋造り、桟瓦葺きの楼閣風建築で、階下は土間敷で,外周は入口を除き腰を板壁として内側に腰掛縁を設け、階上は板敷で高欄付切目縁を廻しています。国の登録有形文化財の木造2階建て。

錦雲閣
1885(明治18)年
設計・施工 : 不明
山口県岩国市横山2-8
撮影 : 2018.2.27
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これ以降はネットにあった写真を借用しています。
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by gipsypapa | 2018-10-07 09:20 | 建築 | Trackback | Comments(2)

岩国市の香川家長屋門

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吉香公園の一角にある岩国藩家老だった香川氏の表門。元禄時代に地元の大工大屋某によって建てられたいわゆる長屋門で、屋根は入母屋造り本瓦葺きです。左右対称ではなく、正面に向かって左寄りに出入り口があります。岩国市における建物としては最も古いものの一つで、城下町をしのぶ建物として山口県有形文化財に指定されています。

香川家長屋門
1693(元禄6)年
山口県有形文化財
設計・施工 : 大家某
山口県岩国市横山2-4-9
撮影 : 2018.2.27
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by gipsypapa | 2018-10-06 08:46 | 建築 | Trackback | Comments(2)

岩国市の吉香公園

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吉香公園(きっこうこうえん)は、錦帯橋を渡った先の岩国城のふもとにある公園。桜の名所として知られ、錦帯橋と共に日本さくら名所100選に選定されています。

公園は、1885年(明治18年)に旧岩国藩主、吉川家の氏神社だった吉香神社が現在の所在地(吉川氏の居館跡)へ移設されたのに合わせ、同神社の境内および付属地が庭園として整えられたのが始まりだとか。1968(昭和43)年に都市計画公園の総合公園の指定を受けました。

吉香公園
山口県岩国市横山2-6-51
撮影 : 2018.2.27
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2月の終わりですが、華やかな花が咲いています。春はすぐそこ。
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とはいえ花オンチなので名前は分かりません。
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入りませんでしたが徴古館です。国の登録有形文化財。

by gipsypapa | 2018-10-05 08:44 | | Trackback | Comments(0)

岩国市の錦帯橋

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錦帯橋(きんたいきょう)は、山口県岩国市の錦川に架橋されたユニークな木造のアーチ橋。江戸初期の1673(延宝元)年に、岩国の3台目藩主、吉川広嘉が大工の児玉九郎右衛門に命じて建造した5連のアーチ橋です。

だた、建造の翌年には洪水によって流失してしまったため、同年に橋台の敷石を強化して再建。その後は昭和期まで、定期的に架け替え工事を施しながら250年以上に渡り、その姿を保ったそうです。

しかしながら1950(昭和25)年の台風被害で全て流失したため、3年がかりで1953(昭和28)年に建造当時の姿のまま復元されました。国の名勝に指定されています。

錦帯橋
1673(延宝元)年 / 1953(昭和28)年復元
名勝
設計 : 児玉九郎右衛門
施工 : 不明
山口県岩国市岩国
撮影 : 2018.2.27
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川幅約200メートルの錦川河川に4つの橋脚を持つ5連の木造橋で、中央3連がアーチ橋、両端が桁橋構造を持つ反橋になっています。
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長さはアーチ橋が35.1メートル、桁橋は34.8メートルです。
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両端は反橋で、橋桁で支えられています。
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3つのアーチ橋には支える桁はありません。
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反橋は緩やかな勾配。
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アーチ部分は急な勾配になり、両端は階段です。
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澄んだ錦川の流れ。
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向こう側に到着。槍倒(やりこか)し松と書いた木碑が立っています。盆栽みたいな松です。
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橋の向こうにある吉香公園を散策し、戻ります。
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山頂に岩国城が見えています。1962(昭和37)年に建てられた鉄筋コンクリート構造の復興天守です。
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これ以降はネットの写真を借用。まずウィキペディアにあったアーチ橋の裏側の構造。
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浮世絵にも描かれています。これは葛飾北斎。

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こちらは歌川広重。

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by gipsypapa | 2018-10-01 08:36 | 建築 | Trackback | Comments(4)

萩の菊屋横丁

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菊屋横丁は萩市の春若町から南古萩町に至る全長0.5 kmの細道の通称です。旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていたそうで、現在でも町筋はそのままに残って往時の面影をとどめています。

参勤交代が通った御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、横丁には、それぞれの名が残されているとか。菊屋横丁は菊屋家住宅の脇を通る横丁であることから名づけられました。白いなまこ壁の美しいこの通りは「日本の道百選」の一つに選ばれています。

菊屋横丁
江戸後期 / 明治期
山口県萩市呉服町~南古萩町
撮影 : 2018.2.27
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菊屋家住宅にもアップした図。菊屋横丁は一番下の通りで、左が北なので菊屋の西側を通っています。
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北の端に建つ蔵のような建物は、前回紹介した重要文化財、菊屋家住宅の主屋のようです。江戸初期のもの。
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白い土蔵が並んでいます。どれがどれかは分かりませんが、図面から見ると主屋、米蔵と養蚕場が通りに面しているようです。
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萩の散策はこれで終わり。ツアー最後の訪問地、錦帯橋に向かいます。

by gipsypapa | 2018-09-30 08:21 | | Trackback | Comments(2)

萩の菊屋家住宅

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萩藩の御用商人で、徳川幕府巡見使の宿として本陣として使われた菊屋家住宅。主屋はかなり改造されているそうですが、全国でも最古に属する大型の町家として貴重なもの。屋敷地は広大で、一部が一般公開されています。主屋・本蔵・金蔵・釜場・米蔵の5棟が国の重要文化財。

菊屋家住宅主屋
江戸初期
設計・施工 : 不明
山口県萩市呉服町1-1
撮影 : 2018.2.27
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ストリートビューから。通りに面した長屋門です。
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ガイドの説明はありましたが、ツアーは中に入らず素通り。
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江戸中期の町家で重要文化財。見逃すわけには行きません。添乗員に断って単独行動です。
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中門から入りました。入場料は500円でした。
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中に入ると左側に御成門があります。幕府や藩の御上使はここから入ったようです。
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藩の御用商人と務めた豪商。年貢米を相場が高いときに上方へ売り、その手数料を稼ぐ、今の商社のようなものだったとか。
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全体図がネットにありました。私が見学したのは左半分のエリアだったようです。
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最初は書院から。
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この建物は文化財指定されていません。
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ネット情報では幕府の使いや藩の役宅に使われたそうなので、江戸期の建物でしょうが、古さは感じません。
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少なくとも何度か改修されているのでしょう。
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よく手入れされた日本庭園が菊屋家の見所。
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先ほどの全体図の右半分に、もっと広い庭があります。特別公開のときしか見れないようです。
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こちらは主屋です。これは江戸初期に建てられたもの。
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商家なので帳場も残っています。
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電話は5番。中には明治30年から使われた電話機があります。
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壁には柱時計。伊藤博文が初めての洋行したときのアメリカ土産とあります。今もちゃんと動いていました。
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各部屋には民具や古書、掛け軸、屏風など約500点が展示されています。
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by gipsypapa | 2018-09-29 09:20 | 建築 | Trackback | Comments(2)

旧萩藩校明倫館 有備館

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萩・明倫学舎の隣にあるのは有備館。有備館は旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張したもので、藩士の練武の修行場です。また他国からの剣槍術の修業者との試合場、すなわち「他国修業者引請剣槍術場」でもあったとか。

建物は南北に長く、内部の北側半分は板の間で39畳の剣術場、南側半分は土間で54畳の槍術場、各その西側を藩主の上覧場とし、中間に藩主臨場などの場合に使う控室があります。木造平屋建て入母屋造桟瓦葺き。

旧萩藩校明倫館 有備館
江戸後期
史跡
山口県萩市大字江向448
撮影 : 2018.2.27
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ツアーの案内を抜け出して来ました。左手前から萩・明倫学舎の二号館、奥に三号館と四号館。
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その右側にあります。
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黒光りする床板の剣術場。
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槍術場は、右半分が畳の間で、槍術場の藩主上覧場。左半分は畳の間より低い土間になっています。
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時間切れです。ツアーの集合時間が迫り、落ち着いて見れませんでした。

by gipsypapa | 2018-09-28 10:24 | 建築 | Trackback | Comments(2)

萩・明倫学舎

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「萩・明倫学舎」は、かつて明倫小学校の校舎として使われていた木造校舎を改修整備して誕生した観光スポットです。旧明倫小学校は明倫館(めいりんかん)の跡地に建っています。明倫小学校の木造校舎は2014(平成26)年まで使用され、2017(平成29)年に敷地一帯が明治維新150年記念事業として設置された萩市の観光拠点施設「萩・明倫学舎」となっています。

旧明倫小学校は鴟尾(しび)を載せた本館棟をはじめとする4棟の木造校舎が並んでいます。隣接する史跡有備館に合わせた意匠で,外壁は1階部分は押しぶち下見板張り,2階部分は白漆喰塗り。屋根のフランス瓦や連続する窓の意匠が特徴的です。木造学校建築の好例として国の登録有形文化財に指定された、木造2階建て。

萩・明倫学舎
旧明倫小学校本館
1935(昭和10)年
史跡
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
山口県萩市江向602
撮影 : 2018.2.27
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明倫館は、長州藩の藩校で、水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つといわれました。創建以来、藩の人材育成の中枢を担い、多くの人材を輩出されたそうです。
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南門です。閉まっていました。
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車寄せの玄関があるのは登録有形文化財の本館。
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案内の都合により本館の次にある2号館から見学。
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2号館には「明治日本の産業革命遺産」を紹介する「世界遺産ビジターセンター」と幕末維新期の歴史・科学技術史の貴重な実物資料を展示する「幕末ミュージアム」があります。
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2階の廊下から見えるのは3号館。
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3号館とその向こうの4号館は使われていません。
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幕末から明治維新にかけて使われた近代化遺産が展示されています。
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貴重なもののコレクションが多く、個人的に興味深かったです。
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明治維新前後の武器や兵器類の収集も見事です。
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長州五傑(ちょうしゅうごけつ)は、江戸時代末期(幕末)の1863年に長州藩から清国経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名の長州藩士を指します。
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3号館の1階部分です。
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本館へ移動。
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特別な展示品はなく、登録有形文化財である本館の特徴的な建築構造を紹介が紹介されています。
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先ほどまでいた二号館。
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天井裏の屋根支持構造を見ることが出来ます。
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両端に載っているのが鴟尾(しび)。「 屋根の大棟の両端を飾るもので,沓形 (くつがた) ともいう。」だとか。
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by gipsypapa | 2018-09-26 09:35 | 建築 | Trackback | Comments(2)

吉田松陰幽囚の旧宅

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吉田松陰は、伊豆国下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕えられ、ついで萩に送られて野山獄に入れられますが、安政2年(1855)に釈放されて父親の杉百合之助預けとなり、この実家に入りました。

松陰はここの幽囚室に謹慎して読書と著述に専念。家族からの薦めもあり、幽囚室で近親者や近隣の子弟たちに孟子や武教全書を講じましたそうです。

建物は部屋が10以上あるほか、板間・物置・土間を有するかなり大きい建物。幽囚室は東側にある3畳半の一室です。国の史跡に指定された木造瓦葺き平屋建て。

吉田松陰幽囚の旧宅
旧杉百合之助邸
江戸後期
史跡
設計・施工 : 不明
山口県萩市椿東1537
撮影 : 2018.2.27
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ここで幽閉された後、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄され・・・
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結局、安政6年(1859年)に斬首刑に処されました。
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享年30(満29歳没)という若さでした。
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吉田松陰は今で言う学校の先生だったわけで、特に何をなしたということがないのに神社まで建てて祀るのは不思議です。それだけ長州藩が明治維新に関して重要な役割を果たした証拠でしょう。
by gipsypapa | 2018-09-24 08:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)