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修善寺の修禅寺

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3回目の修善寺温泉です。この修禅寺も修善寺温泉を紹介したときに一部をアップしていますが、今回は焦点を絞って紹介します。ややこしいのですが、お寺の名は修善寺ではなく修禅寺です。

修禅寺は修善寺温泉街の中心に位置する曹洞宗の寺院。山号は福地山で、正式名称は「福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)」、略して福地山修禅寺と呼ばれています。807(大同2)年に空海が創建したと伝えられる歴史がある寺院ですが、本堂は明治時代に再建されたものです。

福地山 修禅寺(修禅萬安禅寺)本堂
1883(明治16)年
設計・施工 : 不明
静岡県伊豆市修善寺964
撮影 : 2017.8.29
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石段を登って山門をくぐります。
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鐘楼。敷地の端の樹木に隠れたような場所にあるので、前回はあまり注目しませんでした。
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よく見ると軒下の複雑な木組みが特徴的です。

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こちらは手水舎。太師の湯の太師は弘法大師のこと。実際に温泉の湯で手を清めます。
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手の込んだ装飾彫刻があります。
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前回もアップしたおなじみの「だるま石」。
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明治26年に再建された本堂。

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背後に山が迫っています。
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by gipsypapa | 2018-05-13 08:43 | 建築 | Trackback | Comments(2)

北口本宮冨士浅間神社

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ようやく私の意向が通ってここに来ました。北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、富士登山の入り口の一つ、吉田口の起点になる神社。全国にある浅間神社の一社です。富士山-信仰の対象と芸術の源泉の構成資産のひとつである「富士山域」の一部として世界文化遺産に登録されています。

北口本宮冨士浅間神社
室町時代以降
重要文化財
設計・施工 : 不明
山梨県富士吉田市上吉田 5558
撮影 : 2017.8.28
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道路に面する一の鳥居。
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昔ながらの長い参道を進みます。
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両側には見事な巨木が並びます。杜という感じがぴったりです。
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角行(かくぎょう)の立行石(たちぎょういし)。江戸時代に流行った「富士講」の開祖「角行が、富士山を遥拝しながら、真冬に裸で爪立ちして30日の荒行をしたという場所だとか。
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長い直線の参道の突き当たりに二の鳥居。
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鳥居の前に清流。禊川(みそぎがわ)というそうです。
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随神門
1733(享保18)年
重要文化財

これ以降の斜体の解説は富士吉田市教育委員会のHPから引用しています。

永正17年(1520)の銘のある随神像が存在することなどから、村上光清らにより新たに再建されたものと推定されます。彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物で、屋根裏天井により演出される広がりのある空間と太い柱は参詣者に豪壮な雰囲気を与え、当社の入口を飾るに相応しい門です。
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神楽殿
1737(元分元)年
重要文化財

本殿の正面に位置し、本殿に向かって神楽を奉納することになります。元文元年(1737)に村上光清を中心とした富士講中による境内建物大修理の一環で建立されたものです。富士山御師により継承されてきた太々神楽が奉納される舞台であり、現在でも神社の祭礼には地元の神楽講により太々神楽が奉納されています。
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手水舎
1745(延享2)年
重要文化財

本殿、東宮、西宮と並ぶ彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石と四本の柱など、村上光清らによる大修理に相応しい作りです。水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士信仰の霊場である富士八海の一つ、泉水から引き込んだ霊水が、現在も絶え間なく溢れ出ています。
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龍頭が多数。すごい彫刻です。
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社務所
1741(寛保元)年
重要文化財

唐破風の玄関が神社建築らしさを表すことを除いて、素朴な建物です。一部改造はありますが、間取りは市内に所在する御師住宅と類似しており、この流れの建物と考えられます。文献では「斎浄所」、「清浄所」、「御供所」等とあり、時代によって区々の呼称が用いられていました。現在は、社務所となっています。
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境内を散策します。
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拝殿および幣殿
1615(元和元)年
重要文化財 

本殿の前面に付属する建物として、元和元年(1615)に鳥居成次によって本殿とともに造営されました。慶安2年(1649)には秋元冨朝によって本殿とともに修復が加えられ、享保19年(1734)から寛延4年(1751)まで村上光清を中心とした富士講中によって修復がなされ、今日にその姿を残しています。
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濃密な装飾彫刻がありました。
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本殿
1615(元和元)年
重要文化財 

本殿は元和元年(1615)都留郡の領主鳥居土佐守成次によって建立されました。桁行一間、梁間二間の入母屋造りの建物を身舎とし、その前面に唐破風造りの向拝一間をつけています。桃山時代の装飾的技法とともに、すぐれた意匠が表現されています。本社は富士山吉田口登山道の起点で、富士山信仰と密接な関係を持ちながら発展しました。
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文化遺産オンラインにある本殿内部の写真。
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東宮本殿
1561(永禄4)年
重要文化財

本社本殿の東に北面し、富士権現とも呼ばれてきました。貞応2年(1223)北条義時が浅間本社として創建したと伝えられ、現在の社殿は永禄4年(1561)武田信玄が川中島の戦いの戦勝を祈願して、浅間本社として新たに造営したものです。桁行一間、梁間一間の身舎の前面に一間の向拝をつけた一間社流造の形式です。
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西宮本殿
1594(文禄3)年
重要文化財
本社本殿の西に北面して建っています。現在の社殿は、文禄3年(1594)都留郡の領主浅野左衛門佐氏重が本社として建立したものです。桁行一間、梁間二間の身舎の前面に一間の向拝をつけた一間社流造りの形式となっています。唐草文の彫刻や飾金具など、その装飾意匠は、桃山時代の特色をよく表現しています。
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西宮本殿の裏側は富士登山道の吉田口になっています。


by gipsypapa | 2018-04-27 09:17 | 建築 | Trackback | Comments(4)

香取神宮

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香取神宮(かとりじんぐう)は関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社で、茨城県の鹿島神宮や息栖神社とともに東国三社の一社だとか。また江戸時代以前には「伊勢神宮」、「鹿島神宮」と、この「香取神宮」の三社のみが「神宮」といわれた神社です。社伝では初代神武天皇十八年(紀元前642年ころ)とある歴史的な神社で、ご祭神は「経律主大神(ふつぬしのおおかみ)」です。

香取神宮
千葉県
千葉県香取市香取1697-1
撮影 : 2017.7.8
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二の鳥居をくぐって参道の緩やかな坂を登ります。
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森林浴をしているような気分です。
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並んだ石灯籠は古いものから、比較的新しいものまで。
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三の鳥居。
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そばに池があります。
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総門(神門)。
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手水所で清めて・・・

楼門
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江戸中期、元禄時代造営の純和風の山門で、壁や柱は色鮮やかに映える、朱色。この象徴的な塗装を「丹塗り(にぬり)」というそうです。神宮のシンボル的な建造物で国の重要文化財に指定されています。

楼門
1700(元禄13)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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楼上の額は東郷平八郎の筆だとか。
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門内にある随身像は俗に「左大臣・右大臣」といわれ、
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正面向かって右像は武内宿禰、左像は藤原鎌足と伝えられているそうです。
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拝殿の手前にもう一つ手水舎。
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祈祷殿
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祈祷殿は1700(元禄13)年の造営で、拝殿として造られ使用されていましたが、昭和の大修築に伴って南東に移築され、1984(昭和59)年にさらに西へ1.5メートルほど移動され、現在地にあるそうです。

祈祷殿
1940(昭和15)年
設計・施工 : 不明

拝殿
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拝殿は幣殿、神饌所とともには、昭和の大修築による造営です。背後にある本殿から幣殿、拝殿とつながった、権現造の形式をとっているます。拝殿正面に千鳥破風と軒唐破風を付け、軸部は黒漆塗り,組物や蟇股を極彩色として本殿の意匠と釣り合った体裁になっています。国の登録有形文化財の木造平屋建て。

拝殿
1940(昭和15)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
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右が幣殿、左は本殿です。幣殿は拝殿と同時期、昭和の大修築による造営で、国の登録有形文化財です。

本殿
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本殿は楼門と同時期の元禄時代の造営。三間社流造り、檜皮葺で壁や柱は黒漆塗り。黒を基調とした特徴的な外観で国の重要文化財の木造平屋建て。

本殿
1700(元禄13)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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神庫
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神庫は明治末期の造営で、木造の校倉造り、香取市指定文化財です。

神庫
1909(明治42)年
香取市指定文化財
設計・施工 : 不明
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by gipsypapa | 2018-03-29 09:42 | 建築 | Trackback | Comments(2)

成田山新勝寺

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今日の宿泊地は成田です。成田といえば国際空港と新勝寺。ホテルにチェックインする前に新勝寺に立ち寄りました。成田山新勝寺は、真言宗智山派の寺で、同派の大本山のひとつです。

関東地方で多くの参詣人がお参りする有名な寺院で、家内安全、交通安全などを祈るそうです。本尊が不動明王なので、寺名は一般には「成田不動」あるいは単に「成田山」と呼ばれることが多いとか。

開基は平安時代中期という歴史あるお寺で、戦国時代の混乱の中で荒廃し、江戸時代までは寂れ寺となっていたそうですが、現在は初詣参拝客の数では明治神宮に次ぐ全国二位という賑わいを見せています。

成田山新勝寺
千葉県成田市成田1
撮影 : 2017.7.8
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総門
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参道から、この総門をくぐって境内に入ります。この日は丁度、祇園祭という大日如来の祭礼の日で、多くの若者で賑わっていました。見た目は古く見えますが、開基1070年記念事業として2006年(平成18年)に竣工したばかりです。総欅造り、高さ15m、桁行14.2m、梁行6.3mの山門。

総門
2006(平成18)年
設計 : 財団法人建築研究協会
施工 : 大林組、金剛組
江戸木彫刻 : 日本木彫連盟

仁王門
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出店が並ぶ境内を寺側に抜けると仁王門です。普段はここから登っていくようですが、この日は祭りのために閉鎖されていました。大本堂へ至る急な階段の途中に建つ、入母屋造の八脚門で、1830年(天保元年)の建立。国の重要文化財です。

仁王門
1830(天保元)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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登って本堂前から門を見下ろしています。
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剣に龍が巻きついて剣を呑み込もうとしている倶梨伽羅剣(くりからけん)は不動明王の化身、倶梨伽羅不動明王を表わしています。

大本堂
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本尊の不動明王像を安置する寺の中心となる本堂ですが、新しい鉄筋コンクリート製なので、なんとなく存在感がありません。入母屋造り二重屋根の鉄筋コンクリート造り、間口95.4m、奥行59.9m、棟高32.6mという巨大な寺院。

大本堂
1968(昭和43)年
設計 : 吉田五十八研究室
施工 : 大林組
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三重塔
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大本堂の手前右手に建つ、鮮やかな朱色の塔。高さが25mある中規模の塔ですが、思ったより小さい感じでした。随所に金色を配した鮮やかな色使いで、彫刻も右たえがある、装飾性が豊かな意匠です。国の重要文化財の木造3層塔。

三重塔
1712(正徳2)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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解説書には「軒裏には垂木(軒を支える棒状の部材)を用いず、雲文を刻んだ板で軒を支える板軒とする。」とあります。
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その横に二つの建造物が並んでいます。

鐘楼
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三重塔に近くにある鐘楼は光明堂と同じ元禄時代の建立。建物では、後に出てくる光明堂と共に 境内では一番古い建物です。

鐘楼
1701(元禄14)年
成田市指定文化財
設計・施工 : 不明
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一切経堂
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鐘楼の隣にある一切経堂(いっさいきょうどう)。一切経が収められた輪蔵で、これも同時期に建立されたものです。板葺の宝形造で、棟には火焔宝珠がつき、正面には唐破風つきの向拝があります。

一切経堂
1722( 享保7)年 /1809(文化6)年再建
成田市指定文化財
設計・施工 : 桜井政信、小兵衛政重(棟梁)
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聖徳太子堂
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境内の一角に法隆寺の夢殿のような建物があります。聖徳太子は推古天皇の摂政。全国に数多くのお寺を作り仏教を広めた仏教興隆の祖です。

聖徳太子堂
1992(平成4)年
設計・施工 : 不明
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釈迦堂
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大本堂左手の広場に建つ入母屋造の仏堂で、江戸時代末期に建立されたもので旧本堂です。屋根正面にある大きな千鳥破風が印象的。国の重要文化財です。

釈迦堂
1858(安政5)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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更に左手奥へ向かいます。
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いくつかある手水舎の一つです。

額堂
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大本堂左裏の階段を上った先にも二つの重要文化財が建っています。最初の額堂は入母屋造、全面吹き放し(建具や壁がない)の堂で、その名のとおり額に入った絵馬などを掲げるための建物です。国の重要文化財。

額堂
1851(文久元)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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吹き放しという珍しい形です。
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7代目市川團十郎。調べたら、「化政期から天保にかけて活躍した江戸の歌舞伎役者。屋号は成田屋。」とありました。なるほど成田つながりですね。
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開山堂
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こちらは比較的新しい建物。新勝寺開山の寛朝僧正を安置する堂です。

開山堂
1938(昭和13)年
設計・施工 : 不明
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光明堂
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額堂のさらに奥に建つ入母屋造の仏堂で、釈迦堂が本堂になる、その前の旧本堂でした。愛染明王・不動明王・大日如来が祀られています。元禄の本堂とも呼ばれている新勝寺最古のお堂の一つで、国の重要文化財です。

光明堂
1701(元禄14)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
装飾彫刻 : 嶋村圓哲
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彫物師嶋村圓哲は嶋村家の二代目で、左甚五朗の再来といわれた名人だったそうです。
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平和大塔
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更に奥に建つのが平和大塔。多宝塔形の仏塔で外観は二重塔ですが内部は5階建てだとか。鉄筋コンクリート造り。

平和大塔
1984(昭和59)年
設計 : 建築研究協会
施工 : 大林組
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大本堂のあるところから下りて来たとこに気になる建物がありますが、何か分かりませんでした。
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灯明台
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明治27年に建立された石造りの灯明台があります。火袋から上にあった宝珠や笠などが大正時代の関東大震災の際に崩落し、無くなったままだそうです。設計は佐立七次郎(1856-1922)、工部大学校造家学科(現東京大学工学部)の第一期生でジョサイア・コンドルに師事した日本近代建築家の一人です。

灯明台
1894(明治27)年
設計 : 佐立七次郎
施工 : 不明
by gipsypapa | 2018-03-24 09:23 | 建築 | Trackback | Comments(4)

尾山神社

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市内に1泊し、翌日は、昼前にチャックアウト。駅に向かう途中に立ち寄った最後の訪問地は尾山神社です。尾山神社は江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつで、加賀藩祖の前田利家と正室お松の方を祀る神社です。

有名な神門は、石造と木造の混構造による3層の楼閣門。1層目は木骨煉瓦造りに石貼りを施した3連のアーチになっています。2階・3階は木造漆喰塗りで、上に行くごとに細くなり、垂直ではなく竜宮城のようにカーブしていて、中国南方の寺院の門の作りを想起させます。

欄干、ガラスなど、細部にさまざまな意匠をちりばめ、和風建築に洋風や中華風の手法を混用した特異な外観で、他に類例を見ない貴重な建物です。棟梁・津田吉之助の設計施工で、国の重要文化財の石及び木造、3階建て。

尾山神社神門
1875(明治8)年
重要文化財
設計・施工 : 津田吉之助
石川県金沢市尾山町11-1
撮影 : 2017.6.6
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洋風の石貼りの門の中には、日本らしい装飾彫刻。
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避雷針が立っています。
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夜景はネットにあった写真を借用しています。
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他にも見所がありました。境内のマップです。1.本殿 2.拝殿 3.神門 4.利家公像 5.お松の方像 6.授与所 7.金谷神社 8.東神門 9.神苑
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拝殿は入母屋造屋根瓦葺き。
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金沢城金谷出丸にあった旧金谷御殿から移築したそうです。
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HPにある内部の写真です。
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拝殿の後方右側には煉瓦塀の玉垣。
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剣梅鉢のご紋すかしが入っています。建造年は分かりませんでしたが、金沢で最初に煉瓦を使ったらしいです。
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奥まった塀の向こうにあるのが本殿です。
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見にくいのですが、古式に則った三間社流造だそうで、簡素ながらも神厳に満ちた社殿です。
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金谷神社。
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2代藩主前田利長公をはじめ3代から17代までの藩主、当主と正室(夫人)をお祀りしています。
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東神門は旧金沢城の二の丸の唐門だったもので、明治3年以来、旧卯辰山招魂社前にあったものを、昭和38年に当社境内地に移築したとか。桃山風御殿建築の様式を偲ぶ貴重な建造物として国の登録有形文化財に指定されたいます。

東神門
江戸中期 / 1963(昭和38)年移築
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
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金沢城は何度かの火災で、ほとんどの建造物が焼失しましたが、この門が難をのがれました。
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難をのがれたのは、この二匹の竜が水を呼んだためと伝えられています。
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利家公像。織田信長に仕え、槍の名手だったため、「槍の又左」の異名をもっていたそうです。
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お松の方像。前田利家の正室で、学問や武芸をたしなむ才能豊かな女性であったと伝えられています。
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神苑は旧金谷御殿の庭園で、古代舞楽の楽器を模した地泉廻遊式の名園で石川県指定名勝です。
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これ以降はネットの写真を借用しています。
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七尾、和倉温泉から金沢を訪ねた石川県編はこれで終わりです。

by gipsypapa | 2018-03-20 09:15 | 建築 | Trackback | Comments(2)

金澤神社

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金沢神社は菅原道真を主祭神とする神社。菅原道真は前田家の祖先とされ、江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつです。12代藩主前田斉広が建てた竹沢御殿の鎮守社とされて竹沢御殿御鎮守天満宮といわれましたが、明治9年(1876年)に金沢神社に改称されたそうです。

災難除けの神である白蛇竜神や交通安全の神である琴平大神、商売繁盛の神である白阿紫稲荷大明神も合わせて祀り、歴代の藩主が兼六園を散策する際に藩内の繁栄と平和を祈願したとか。拝殿は入母屋造りで、国の登録有形文化財です。また拝殿の背後には同じく登録有形文化財の本殿があるそうですが、そこへは行けませんでした。

金沢神社拝殿
江戸後期
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
石川県金沢市兼六町1-3
撮影 : 2017.6.6
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これ以降の写真はネットから借用しました。
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白蛇龍神。
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本殿は拝殿の後ろにあります。境内からは近づけませんが、ストリートビューには少し見えています。
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by gipsypapa | 2018-03-15 08:45 | 建築 | Trackback | Comments(0)

和倉温泉 信行寺の清涼閣

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青林寺の近くに真宗大谷派の信行寺があります。本堂は昭和48年に再建されたもので鉄筋コンクリート造りです。

渓雲山 信行寺
1978(昭和43)年
設計・施工 : 不明
石川県七尾市和倉町ソ11−1
撮影 : 2017.6.6
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青林寺にあった明治42年の皇太子(後の大正天皇)の行啓にあわせて建てられた御便殿のうち、随行員の控室だった供奉殿をここにで移築したものです。ネットでは「清涼閣」とも呼ばれているようです。国の登録有形文化財の木造平屋建て。

信行寺書院
旧和倉御便殿供奉殿
1909(明治42)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
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訪ねたときは御便殿供奉殿のことを知らなかったので、建物に近づいていせん。ストリートビューで横から。民家の向こうに屋根が見えます。
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これと次の写真は文化庁の文化遺産オンラインから。
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こちらはネットにあった写真を借用しています。青林寺に移築された本殿部分とは廊下を介して接続していたそうです。

by gipsypapa | 2018-03-01 08:25 | 建築 | Trackback | Comments(0)

和倉温泉 青林寺の御便殿

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和倉温泉の山側にある曹洞宗の青林寺。解説書によると同じ能登半島の石川県羽咋市にある永光寺の末寺で、明治25年(1892)に永光寺において後醍醐天皇600回忌大法要が修された際の記念事業として、510世孤峰白巖大和尚によって永光寺別院として開創されたとか。その後寺号を青林寺と改称し、現在に至っています。

白巖山 青林寺本堂
1892(明治25)年か
設計・施工 : 不明
石川県七尾市和倉町レ−61
撮影 : 2017.6. 6
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石段を登ります。
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小さな山門も古そう。
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本堂は一番奥です。
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左側には鐘楼。
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本堂を覗くと・・・
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びんずる(賓頭盧)様らしいです。釈迦の弟子の1人とか。
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本堂右側にレトロな建物を発見。御便殿(ごべんでん)でした。明治42年の皇太子(後の大正天皇)の行啓にあわせて建てられた御便殿のうち、御座所を含む本殿部分をここにで移築したものでした。御便殿とは皇族の行在所(休憩所)です。御座所の折上格天井など随所に精緻な技巧が使われ便殿建築の希少な遺例として、国の登録有形文化財に指定された、木造平屋建て。

青林寺客殿
旧和倉御便殿本殿
1909(明治42)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
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改修工事中かもしれません。
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隣に2階建てがあり、中でつながっているようです。これも庫裏でしょうが、御便殿ではないようです。
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境内では誰にも合わなかったので、分からなかったのですが、運がよければ中も見学できるそうです。ということで中の写真はネットから借用しています。
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見事な折り上げ格天井ですね。
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御便殿のもう一部である清涼閣は近所の信行寺に移設されました。それは次回に。

by gipsypapa | 2018-02-28 09:10 | 建築 | Trackback | Comments(2)

和倉温泉 少比古那神社

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渡月庵の裏手にある少比古那神社(すくなひこなじんじゃ)。大同年間(806年~810年)に裏手から温泉が湧き出たことを感謝して祀った湯の神、つまり和倉温泉の守り神です。石段を登ると小さな境内に拝殿と本殿、無病息災、家内安全、夫婦円満が叶うという夫婦神木があります。

少比古那神社
詳細 : 不明
石川県七尾市和倉町ヨ47
撮影 : 2017.6.6
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少名毘古那(スクナビコナ)は須久那美迦微、少彦名、少日子根などとも表記される日本神話の神です。
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裏手にある長く急な石段を上ると、かつての湯脈である「湯湧谷」へと続くそうですが、未確認。
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夫婦神木。檜(ひのき)と欅(けやき)のペアです。
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「湯湧谷」に温泉が湧き出たことが和倉温泉の始まりだそうです。
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しかし、永承年間(1046~1053)年に起こった地震による地殻変動で湯脈が海の沖合に移動。
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現在は祠のみが、この裏の近くに移転されて残っています。
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by gipsypapa | 2018-02-24 08:15 | 建築 | Trackback | Comments(2)

利尻島の「北のいつくしま弁天宮」

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「北のいつくしま弁天宮」は、嵐で岩に打ち砕かれそうになった弁財船を弁天様が救い、そのご加護に感謝した海の男たちが建てたといういわれのあるお宮です。社は「龍神の岩」の上に建てられ、海に突き出した形で祀られています。

北のいつくしま弁天宮
北海道利尻郡利尻町久連
撮影 : 2017.5.16
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バスの車窓から。社が立っているのが龍神の岩。
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弁天様が助けた弁財船とは中世末期から明治にかけて日本での国内海運に広く使われた大型木造帆船だそうです。
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この周辺の岩も利尻山が噴火したときの溶岩が流れ出たときにできたものです。
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向こうに見えるのは、次に訪ねる沓形岬灯台です。

by gipsypapa | 2018-01-28 08:46 | 建築 | Trackback | Comments(2)