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住吉大社(その1)

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思い立って住吉大社へ行って見ました。大阪市の南部の住吉区にある神社で、全国に約2300社あるという住吉神社の総本社です。地元では「住吉さん」と呼ばれて親しまれています。

大阪市南部の上町台地に、大阪湾の方角に西面して建っています。海の神である筒男三神すなわち、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)と神功皇后の4神を祀っています。昔から航海の神、港の神として祀られてきた神社です。

境内の建造物の多くは江戸時代のもので、本殿4棟が国宝に指定されているほか、重要文化財が14棟、登録有形文化財が35棟もある文化財建築物の宝庫です。

住吉大社
大阪市住吉区住吉2-9-89
撮影 : 2019.4.17
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難波駅から南海本線で住吉大社駅まで、普通電車で5駅。難波駅にはいつものラピートが出発待ち。
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もちろんラピートは特急電車。住吉大社駅には止まりません。
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数週間前に新聞で住吉大社の紹介記事を読んで、思い立ちました。
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大阪府の北部に住んでいるので、南部に行く機会が少なく、まだ行ったことがなかったのでした。
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参道左右に大きな石灯籠。境内の周囲には他にも多くの古そうな石灯籠があります。
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左右に絵馬殿が建っています。南絵馬殿と北絵馬殿ともに1929(昭和4)年造営で、国の登録有形文化財。
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絵馬はかかっていますが、吹きさらしなので色あせているのが多かったです。
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西側に建つ神馬舎は1931(昭和6)年造営の、これも登録有形文化財。
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正面に反橋(そりばし)が見えてきました。
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最初は慶長年間(16世紀末~17世紀初頭)に造営されたと伝えられています。
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造営者は豊臣秀頼という説と、淀殿という説があるとか。
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鮮やかな朱色の橋の欄干が大きな円を描く反橋。橋の下にある池の水面に映り込む姿から、「太鼓橋」とも呼ばれます。
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橋の基礎部分は創建当初のものをそのまま使用していると考えられているそう。
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木製の橋桁や欄干は老朽化に伴って何度もかけ直され、直近の掛け替えは2009(平成21)年です。
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昔は橋に階段がなかったので、渡ろうとして転げ落ちる人もいたそうです。
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幕末に刊行された「浪花百景」から。
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こちらは明治時代です。
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橋を渡り終えて石段を登ります。
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朱色が鮮やかな瑞垣が境内を取り巻いています。この向こうが本殿。国宝の本殿は次回に。


by gipsypapa | 2019-05-23 08:15 | 建築 | Trackback | Comments(0)

石見銀山の銀山ゾーンを歩く

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ツアーの最終訪問地は石見銀山(いわみぎんざん)です。2007(平成19)年に世界遺産に登録されました。銀を精錬するためには、大量の薪炭用木材が必要とされます。石見銀山の特徴は、周辺の環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であり、その点が高く評価され、世界遺産登録につながったそうです。

戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山でした。当時は日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定され、石見銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとか。ここでは龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)を見学するのが目的です。

世界遺産に指定されたためでしょう、道路整備が制限されているようで、観光バスの乗降所からゆるい坂道を約2.3km、片道45分、往復1時間半を歩く必要うがあります。登って龍源寺間歩に行くか、ほぼ平地の大森地区の武家・町家ゾーンや代官所ゾーンを散策するかの2者択一。我々は龍源寺間歩に向かう銀山ゾーンに挑戦することにしました。

石見銀山の銀山ゾーン
島根県大田市大森町イ1597-3 付近
撮影 : 2019.3.23
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小雨が降っています。
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清水谷精錬所跡。
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寛永8年創建と伝わる西本寺(さいほんじ)があります。門前の掲示板には「山吹城城門西本寺」と書かれています。山吹城とは要害山山頂にあった城のこと。山門は石見銀山を守護する為に築城された山吹城の城門と伝わるもので、切妻、桟瓦葺、四脚門です。西本寺山門は大田市内に残る山門建築の中でも最古級にあたる貴重なものとして大田市指定文化財に指定されています。

西本寺
江戸時代中期(17世紀初期)
大田市指定文化財
島根県大田市大森町ホ209
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普通の観光地のように土産物屋や食事処はほとんどありません。これは例外ですが閉まっていました。
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豊栄神社(とよさかじんじゃ)は、毛利元就の木像がご神体として祀られています。元は洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でした。幕末の慶応2年(1866)に第2次長州戦争が起こり、毛利氏を藩主とする長州藩の隊士達が石見に侵入し長安寺に駐屯したそうです。

大森に進撃した長州軍の面影をとどめ、激動の幕末の遺跡として興味深い神社です。明治2年に朝廷は、元就に対して豊栄神社の神号を与えたので、長安寺から豊栄神社に変わりました。

豊栄神社
詳細不明
大田市指定文化財
島根県大田市大森町ホ211
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福神山間歩。
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こちらは甘南備坑の表示。この周辺の木立の間には、大きく口を開けた間歩がいくつかありますが、中には入れません。
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江戸末期から石見銀山の町年寄山組頭を勤めた高橋家の住宅。山組頭とは鉱山の取締役で、山師の中から2~3名任命される役職。高橋家は、代々銀山の町年寄・山組頭等、山方・町方の役人を勤めた家で、付属建物では酒造も行っていたそうです。山組頭の遺宅としては唯一現存する建物だとか。

現存する主屋は、安政年間(1858~1860)に建設されたで、瓦葺き切妻造り、2階建てで、往時の風格を偲ばせます。1975(昭和50)年に「石見銀山御料銀山町寄山組頭遺宅」として島根県指定史跡に指定されました。

高橋家住宅
旧石見銀山御料銀山町寄山組頭遺宅
安政年間(1858~1860)年
島根県指定史跡
島根県大田市大森町
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道路わきを流れる小川は銀山川。
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龍源寺間歩の見学を終えて、山道を下る途中にある佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)。境内までは急勾配の石段がありますが、社殿にブルーシートがかけられていました。16世紀中頃に創建された鉱山の守り神で、精錬の神「金山彦命」を祀る神社です。

壮大で全国一の規模の山神社だそうです。地元では、「山神さん」と呼ばれ親しまれている古社です。現在の建物は文政2年に再建されたもの。

佐毘売山神社
1819(文政2)年
島根県大田市大森町
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銀山が盛んな頃に物資の輸送に使われた旧道ですが、今は使われないため草に埋もれています。
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往き同じ道を下ってきて、駐車場が近づいてきました。往きに写真を取れなかった渡邊家住宅へ再び。渡邊家住宅は、江戸後期の1811(文化8)年に建てられた銀山付地役人の居宅で、同町の銀山地区内に唯一現存する武家屋敷です。

世界遺産の石見銀山遺跡に関連する史跡で、主屋は木造一部2階建て。土塀を巡らせて前庭を設け、奥に主屋や土蔵を配置する当時の武家屋敷の特徴を伝えています。

渡邊家住宅
1811(文化8)年 / 2019(平成31)年3月改修
島根県大田市大森町銀山
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このときは、大田市教育委員会が行っていた保存修理工事の終わりかけだったようで、復元工事がこのあとすぐに完了。現在は一般公開され、隣接地で和食を提供する日本料理店「渡辺家咄々庵」として営業しているそうです。
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壁などが塗り替えられて、Brand New になっています。



by gipsypapa | 2019-05-20 08:34 | | Trackback | Comments(2)

出雲大社(その3)

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出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」/ いずもたいしゃ)は、祭神が大国主大神。式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社です。

境内は玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。今回は出雲大社の最終回。玉垣の中の建造物を外から見て廻ります。

出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
撮影 : 2019.3.23
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八足門(やつあしもん)。門の内側には楼門と回廊が取り巻き、その内側に本殿があります。すなわち御祭神である「大国主大神」は二重の門で守護されているわけです。八足門は、門を支える本柱4本を軸として前後に4脚の控え柱が備えられた八脚門です。国の重要文化財。

八足門
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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これとその次の写真はネットから借用しました。
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八足門の彫刻は左甚五郎の作と伝えられています。
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八足門の奥には通常、一般参拝者は入ることができませんが、正月三が日、祭典などの特別な日や、ご祈祷を受けた人のみ八足門の内側へ入ることができます。我々のツアーは団体でご祈祷を受けたので、門の向こう側に入ることができました。
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楼門は玉垣内への出入り口で、高さは、7.3mの二重造りの白木造りの門です。入母屋造りに檜皮葺の屋根で、三間一戸の構造というそうです。国の重要文化財。

楼門
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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楼門の右は神饌所(しんせんしょ)です。神饌所は八足門の奥の楼門の西側端と東側端に建っています。2棟ともに移設されたものではなく、1744(寛保4)年の造営時からのもの。神饌所の「神饌」とは、神様にお供えするためのお神酒や食事のこと。つまり、神饌所とは、神様へのお供え物を準備するための建物だとか。国の重要文化財。

神饌所 2棟
1744(延享元)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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西神饌所とその向こうに見えているのは摂社の門神社(もんじんのやしろ)です。東西2棟あり、東側は宇治神(うじのかみ)、西側は久多見神(くたみのかみ)を祀っています。この2柱の神様は、本殿と本殿の周囲の「おにわ(お庭)」を守護する神様たちです。国の重要文化財。

ちなみに摂社は末社と同様に、本社の主祭神と関連のある神様をお祀りした本社境内の神社。格式(社格)は「本社>摂社>末社」です。この写真はネットから。

摂社 門神社 2棟
1744(延享元)年か
重要文化財
設計・施工 : 不明
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八足門の東側に建つ観祭楼(かんさいろう)は、途中から二階建てになっていて、その二階には2つの畳敷きの部屋があるそうです。朝廷や幕府の要人、または藩の重臣などが訪れた際に南側の境内を見ることができます。国の重要文化財。

観祭楼および廻廊
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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玉垣の外を歩いています。先ほど紹介した東側の門神社が見えています。
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向こうから、天前社(あまさきのやしろ)、御向社(みむかいのやしろ)、本堂の千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が見えています。このときは知りませんでしたが、後に大阪の住吉大社を参拝したときに知りました。
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二本の木をX状に交叉させたものが千木です。屋根の頂点部に水平の木を何本か置かれたものが鰹木です。千木の端の部分が、水平になっている神殿の御祭神は女神で、垂直になっている神殿の御祭神は男神であると一般にいわれています。また鰹木の本数が男神の場合は奇数、女神の場合は偶数になっているとも。ただし、それらは絶対的なものではなく、例外も多いとか。
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出雲大社は祭神が大国主大神、つまり男神なで、この法則に合っています。
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天前社と御向社はいずれも摂社で、同系の社です。天前社は蚶貝比賣命(キサガイヒメノミコト)と蛤貝比賣命(ウムガイヒメノミコト)を、御向社は須勢理比売命(スセリヒメノミコト)を祀っています。国の重要文化財。

摂社 天前社と御向社
1744(延享元)年か
重要文化財
設計・施工 : 不明
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大国主大神を祀っている本殿が見えてきました。別名「天下無双の大廈(二つと同じものが無い壮大な神殿)」と称えられる本殿は、大社造りで。高さが8丈(およそ24m)という、神社としては破格の大きさです。

神代の時代の創建といわれ、長いの歴史の中でなんどもの造営遷宮と修造遷宮を繰り返し、今にその姿を引き継いでいます。現在の本殿は延享元年(1744)に御造営されたもので、国宝に指定されています。

本殿
1744(延享元)年
国宝
設計・施工 : 不明
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本殿の南側に見えるのは、海の神様の多紀理比売命(タキリヒメ)を祀る筑紫社(つくしのやしろ)。なお多紀理比売命は以前宗像大社で紹介した宗像三女神の中の1柱です。国の重要文化財。

筑紫社
1744(延享元)年か
重要文化財
設計・施工 : 不明
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玉垣の外からでは遠近感がわかりにくいのですが、向こうが筑紫社で、手前はもっと内側に建つ西神饌所です。

by gipsypapa | 2019-05-15 08:51 | 建築 | Trackback | Comments(2)

出雲大社(その2)

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出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」)は、祭神が大国主大神の式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社です。境内は玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。今回は玉垣と瑞垣の間を廻ります。

出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
撮影 : 2019.3.23
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銅製の「馬と牛の像」は、瑞垣の出入口にあたる銅鳥居をくぐった左脇にあります。神様の乗り物である「牛」と「馬」は「神牛(しんぎゅう)」と「神馬(しんめ)」です。
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南から銅鳥居をくぐると正面に拝殿があります。室町時代創建の古い拝殿は火事で焼失。現在の拝殿は、1959(昭和34)年に竣功したものです。通常は参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われるそうです。

本殿の修造の際に主祭神「大国主大神」の御神体を一時的に奉安しておく仮の本殿にもなることから「御仮殿(おかりでん)」とも呼ばれます。

拝殿
1959(昭和34)年
設計・施工 : 不明
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出雲大社の神楽殿にも同様の「大しめ縄」がありますが、拝殿の大しめ縄は、神楽殿の注連縄(長さ13m、太さ8m)に比べると半分程の長さです。

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八足門横の「御守所(授与所)」。
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八足門(やつあしもん)の詳細は次回に。
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八足門の前に大きな円の中に更に3つのピンク色の円が描かれています。これは平成12年から13年の間に行われた出雲大社境内遺跡の発掘調査で、杉の大木3本を1組で括りつけた巨大な1本の柱が発見されました。その柱がこの八足門前の床の下に埋まっていたということを示しています。
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さすがに出雲大社。名だたる皇族方の御神饌を頂いています。
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古そうな水舎の前を通って。
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観祭楼(かんさいろう)及び廻廊.。これも次回に。
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東西の十九社(じゅうくしゃ)は、本殿が位置する瑞垣の外側にあり、2社とも東端と西端に建っています。「十九社」の名前の由来は、東西の各、十九社が「19枚の扉」があるお社だから。流造(ながれづくり)と呼ばれる建築様式です。

日本全国の八百万の神々(やおよろずのかみがみ)が、地上の主でもある大国主大神との間で「神議(かみばかり)」と呼ばれる会議をするために出雲大社にお越しになりますが,期間中、八百万の神々はこの社にご宿泊されるそうです。国の重要文化財。

末社十九社本殿
東十九社 : 1748(延亨5)年 再建
西十九社 : 1744(延亨元)年 再建
重要文化財
設計・施工 : 不明
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釜社(かまのやしろ)の御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子神で、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。食物を司る神様です。国の重要文化財。

末社釜社本殿
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明

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境内の北東置奥にある文庫(ふみぐら)は出雲大社では珍しい方形造り、越屋根付の木造平屋建て。屋根が二重になっていて、一見2階建てに見えますが、越屋根という屋根で、平屋建て。つまり換気を意識した屋根が高い平屋です。

文庫
創建不明
設計・施工 : 不明


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北の端にある摂社素鵞社(そがのやしろ)は須佐之男命を祀っており、次回紹介する本殿と同様に大社造りの社殿です。殿舎の周囲には縁が回って、切妻造りの社殿の前面に同じく切妻の向拝が出入口となって据えられています。国の重要文化財。

摂社素鵞社(そがのやしろ)本殿
1667(寛文7)年 / 1744(延享元)年移設
重要文化財
設計・施工 : 不明
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出雲大社は因幡の白兎の舞台。白兎があちこちにいますが、これは本堂前にいました。
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北西の端に建つ彰古館(しょうこかん)は、他の建造物とは違ってあきらかに近代建築の雰囲気を感じます。純和風、左右対象ですが、窓の形状や配置には洋風の影響もあるようです。国の登録有形文化財の木造2階建て。

彰古館
1914(大正3年)
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
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西側へ来ました。宝庫(ほうこ)宝物を収蔵する蔵。江戸時代中期建立の小さな建物ですが、屋根は切妻造で、正面階段の上に張り出した庇付きの檜皮葺(ひわだぶき)です。国の重要文化財。

宝庫
1667(寛文7)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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2棟が並ぶ氏社(うじのやしろ)です。宝庫と同時期の建立で、北側は天照大御神の第2子である、「天穂日命(あめのほひのみこと)」を、南側はその子孫で17代にあたる「宮向宿彌(みやむきのすくね)」が祀られています。国の重要文化財。

摂社本殿 2棟
1667(寛文7)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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神祜殿(しんこでん)のそばにある昔の本殿の想像図。強烈な高床です。この本殿の足の一本がが八足門の前の円にあったのです。
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神祜殿は建築家菊竹清訓氏の設計により1981(昭和56)年に竣功した宝物殿で、ユニークな意匠で建築ファンに有名でしたが、取り壊されて最近建て替えられました。「神祜」とは「神の助け」、「神から幸を授かる」という意味があるそうです。

神祜殿
2015(平成27)年 / 2017(平成29)年改修
設計 : 菊竹清訓
施工 : 不明

by gipsypapa | 2019-05-14 08:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

出雲大社(その1)

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ツアー2日目はまず出雲大社の参拝です。出雲大社(正式な読み方は「いずもおおやしろ」)は縁結びの神・福の神として有名です。『古事記』にその創建が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。

主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」で、『古事記』に記される国譲り神話には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まりといわれています。

境内は玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されています。ちなみに玉垣も瑞垣(みずがき)も一般には神社の周りの垣根ででが出雲大社では区別するために使い分けられているようです。荒垣はそのうち、隙間が多い垣根です。まずは一番外側の荒垣外から。

出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
撮影 : 2019.3.23
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朝から小雨模様。南から境内へ向かいます。
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松の参道。両脇に松の木が整然と並び立つ玉砂利の参道が左右にあり、一部に敷石を整備した道が南北に走り、中央部分は松の緑地帯になっています。
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瀧徹作の大理石の彫刻「神話の杜」。3本の石で森をイメージし、神話に登場する兎、八岐大蛇、猪、鼠の姿を抽象的に表現したものだそうです。
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浄の池(きよめのいけ)が見えましたが通過。
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左側に勅使館(ちょくしかん)が見えてきます。天皇や皇族の使者である勅使の方の宿泊などに使われる貴賓館です。唐破風の玄関に銅葺き屋根の重厚な純和風の建物。設計は平安神宮や明治神宮など国家的な建築物の設計を担当し、また築地本願寺、東京大学農学部正門など、数多くの和風建築を手がけた伊東忠太(いとう ちゅうた)。

勅使館
1921(大正10)年
設計 : 伊藤忠太
施工 : 不明
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勅使館の北隣は斉館。斎館とは神職が祭典神事に先立って先籠し、潔斎する建物のことだそうです。
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斉館前の兎と大国主大神の像は、御自愛の御神像。袋を背負った大国主大神が、傷ついたうさぎに手を差し伸べています。
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荒垣の中へ入る前にここ手水舎(ちょうずや、てみずや)でお清め。
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手水舎を挟んで御自愛の御神像とは反対側にも像があります。
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大国主命と・・・・
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ムスビの御神像。大国主神の前にあり、「幸魂(さきみたま)」・「奇魂(くしみたま)」といった「魂」が現れて、その「魂」を頂く時の場面を表現しているそうです。向こうに見える建物は会所(かいしょ)です。
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会所は松並木の参道を通り抜けた銅鳥居の手前の右側のさらに奥の「杵那築(きなつき)の森」の中にあります。江戸時代に建てられた入母屋造りで、神職が神事の前の身支度や、特別高貴な参詣者への接待、連歌の催しなど、様々なことに使われたようです。国の重要文化財。

会所
1667(寛文7)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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銅鳥居は、出雲大社の4本目の鳥居となることから「四の鳥居」とも呼ばれ、「銅製の鳥居」としては、日本における最古の鳥居になります。1666年(寛文6年)に当時の出雲を統治した長州藩2代目藩主の毛利綱広(もうりつなひろ)が、木製の鳥居を青銅の鳥居に造り替えたものになります。国の重要文化財。

銅鳥居
1666(寛文6)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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銅鳥居の手前から左へ進んだところに大駐車場がありそこにツアーバスが止まっています。車止めの鳩がかわいい。
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北にある神楽殿に向かう途中に小さな社が二つ並んでいます。左が金毘羅宮と右は祓社です。
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巨大な注連縄(しめなわ)で有名な神楽殿。明治に入り、出雲大社教が設立されてからは出雲大社教の神殿としても使用され、現在では國造家大広間、並びに出雲大社・出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。昭和56年に出雲大社教が特立100年を迎えた折、現在の神楽殿として規模を拡張して建て替えられました。その大広間は270畳の広さを誇り、神社建築にはめずらしく正面破風の装飾にステンドグラスが使われています。

神楽殿
1981(昭和56)年
設計・施工 : 不明
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ここでツアー客総勢がお祓いを受けました。
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神社には珍しいステンドグラスがチラッと見えます。
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注連縄を張る向きが一般の神社とは逆になっているそうです。一般には向かって右側が太く、左側が細い向きに張られますが、出雲大社ではこれが逆向きになっています。
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大しめ縄が逆向きになっている理由は、神社神道では神様に向かって右方を上位としているそうですが、出雲大社では左方を上位としているためといわれています。出雲大社が左方を上位としている理由は、御本殿内の客座五神が祀られている場所の、上位の神様は左に祀られているからだとか。
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神楽殿の裏側にある鏡の池。
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ここまでは行きませんでした。神門通りの南端にある宇迦橋の大鳥居。ネットにあった写真です。

by gipsypapa | 2019-05-13 08:19 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松江城山公園 松江神社

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松江城山公園の松江城天守の南にある 松江神社は御祭神が松平直政(松平初代藩主)、堀尾吉晴(松江開府の祖)、松平治郷(不昧)(第七代藩主)に加えて、徳川家康という、かつての松平家ゆかりの人々を祀っています。1628(寛永5)年に、堀尾忠晴が松江城から5キロほど離れた、松江市の郊外に創建した東照宮の御神霊を合祀し、1897(明治30)年にここ松江城山二之丸に遷座、移設して、神社を松江神社と改めたそうです。

松江神社
江戸初期 / 1897(明治30)年移設
設計・施工 : 不明
島根県松江市殿町1
撮影 : 2019.3.22
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この鳥居の写真はネットから借用しました。
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手水舎は1639(寛永16)年の建造で、本殿、拝殿と同時に移設されたそうです。
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狛犬は風化しています。
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拝殿は1661(寛文元)年建造のいわゆる権現造りだそう。
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拝殿の背後に見える本殿は1628(寛永5)年の建造です。いずれも1897(明治30)年にここ移設されました。
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境内の南側に社務所のような建物があります。向こうに見える洋館は次に行く興雲閣です。


by gipsypapa | 2019-05-07 08:25 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松江城山公園 城山稲荷神社

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松江城山公園の北ノ丸付近に城山稲荷神社(じょうざんいなりじんじゃ)という興味深い神社を見つけました。江戸時代初期に出雲国松江藩初代藩主だった松平直政が勧請した神社で、本殿の彫刻や社蔵している木狐を手がけたのは、江戸後期の木彫・木工家の小林如泥(じょでい)だとか。日本三大船神事のホーランエンヤは、この神社の年神幸祭(式年祭)の祭事です。

城山稲荷神社
詳細不明
島根県松江市殿町477
撮影 : 2019.3.22
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北から松江城山公園に入って最初に見つけました。予備知識がかく、普通の神社と思ってましたが、実はすごいところでした。
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小泉八雲は境内を囲む石の狐が大好きで、よく訪れていたといいます。
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磨り減ったような狛犬に迎えられます。
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鳥居をくぐると稲荷神社らしく狛狐が並んでいます。これらは江戸中期のもの。
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石段を登ると山門。
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装飾彫刻があります。
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山門をくぐれば正面が拝殿。
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三つ葉葵は、この神社を勧請した松平直政が徳川家の系統だから。
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その奥には本殿。
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松江ホーランエンヤは12年に1度、5月に行われる、この神社の祭事。今年がその年で、5月18日に行われるそうです。
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日本三大船神事のひとつです。
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拝殿の横に廻るとまた狐。
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まだあるなと思ったら・・・・
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社の背後を取り巻く狐の驚きの数。
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恐るべし。
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本殿の裏に建つ小さな祠にも。
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いったい何匹いるんでしょう。
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珍しいものを見せてもらいました。



by gipsypapa | 2019-05-06 07:40 | 建築 | Trackback | Comments(2)

霧島神宮(その2)

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創建が6世紀と古い歴史を誇る霧島神社では高千穂山頂に向かって社殿が配置されています。現在の社殿は鹿児島藩主によって、江戸時代中期の正徳5年に復興されたもの。

本殿・弊殿・拝殿は大規模な複合社殿で、登廊下で達する一段高いところにあり、登廊下の下に勅使殿が建ち、この前方両側に、前回アップした門守神社2棟が配置されています。また登廊下の途中から西に廊下が出て、神饌所につながっています。これらはいずれも国の重要文化財です。

霧島神宮 本殿・幣殿・拝殿(合1棟)、登廊下および勅使殿
1715(正徳5)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
撮影 : 2019.3. 12
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両翼を広げた形の勅使殿。残念ながら通常は霧囲いで覆われ、拝観はできません。一般にはここから参拝します。
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右手が西長庁、左手が東長庁。その奥に登廊下があり、その先には拝殿。更に奥に幣殿、一番奥が本殿となっています。
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勅使殿には大きな唐破風を突き出す、派手で豪華な造り。
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朱塗りの柱や極彩色の美しい彫刻が一杯で、華やかです。
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木鼻は色鮮やかな獅子と象。
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大きな金ピカ菊の御紋の賽銭箱。難しくて読めませんが天明元年(1781年)8月奉納と書いてあるとか。ネットには色あせた写真がありました。最近、塗りなおしたようです。
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透塀の隙間から見た勅使殿の羽の部分、西長庁の内部。
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勅使殿の奥の登廊下は階段です。
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拝殿手前まで登ったら渡り廊下が左に延びています。
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端っこが重要文化財の「附」(つけたり)指定されている神饌所です。
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登廊下の奥は拝殿。
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このまた奥に幣殿、本殿と続きますが見ることができません。
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ネットにあった幣殿の写真。左右の龍柱は強烈な色の手の込んだ装飾彫刻です。
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さらに階段があり、その上に本殿が見えています。
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by gipsypapa | 2019-04-26 08:30 | 建築 | Trackback | Comments(2)

霧島神宮(その1)

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えびの高原から霧島連山を下って霧島神宮へ来ました。霧島神宮は日本で初めて国立公園に指定された霧島連山にあります。創建が6世紀と古い歴史を誇る神社で、神々がこの世を作り、治めたという神話の時代に、天上界より望む「霧に煙る海に浮かぶ島」が「霧島」の名の由来とされています。

建国神話の主人公、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮。最初は高千穂峰と火常峰(御鉢)の間にある背門丘に建てられたといわれていますが、霧島山の噴火による消失と再建を繰り返し、500年以上前に現在の場所に移されました。現在の社殿は島津氏第21代当主(第4代薩摩藩主)島津吉貴が、1715年に建立・寄進したものです。

境内には重要文化財の 本殿・幣殿・拝殿(合1棟)、 登廊下、 勅使殿があり「附」(つけたり)指定された門守神社2棟と神饌所1棟があります。
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駐車場から石段を登った左側にある社務所です。上質な造りの大規模和風建築で,複雑な平面に対応した屋根を巧妙に架けて、落ち着いた社頭景観を構成しているとして、国の登録有形文化財に指定されている木造平屋建て。

霧島神社社務所
1930(昭和5)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
撮影 : 2019.3. 12
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鳥居の手前にある「さざれ石」。小さな石の意味で「君が代」の歌詞に出てきます。とは言え、一般名で「君が代」と直接関係はありません。
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三の鳥居。
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木立に囲まれた参道を進みます。
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樹齢800年、杉の御神木。
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手水舎の手水鉢と龍の吐水口は、江戸時代後期に、肥後藩と薩摩藩で活躍した石工の岩永三五郎の作品だそうです。
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授与所は二つの切妻屋根を並べる色鮮やかな大規模和風建築です。
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その前には門守神社(かどもりじんじゃ)が左右2棟あり、重要文化財の「附」(つけたり)指定されています。
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左右まったく同じです。
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授与所の裏側にある小さな池泉の公園。
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境内の少し離れた東側にも大型和風建築があります。
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神楽殿で結婚式などに使われています。建物は新しく、創建1460年を記念して2005(平成17)年秋に建立されました。
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次回は本殿周りをアップします。

by gipsypapa | 2019-04-25 08:25 | 建築 | Trackback | Comments(2)

南洲神社と南洲墓地を参拝

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薩摩半島を抜けて霧島に向かう途中に再び鹿児島市の市街地を通ります。立ち寄ったのは南洲神社と南洲墓地です。前年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の余韻が残る時期的な理由でここを訪ねることになったのでしょう。

南洲とは西郷隆盛の雅称で、南洲神社は隆盛を祀る神社として建立されました。1880(明治13)年、南洲墓地の隣に参拝所が設けられたのが始まりで、1922(大正11)年に「南洲神社」として無格社に認定されたとか。1945(昭和20)年に戦災で焼失し、1950(昭和25)年再建されました。

南洲神社
1950(昭和25)年再建
設計・施工 : 不明
鹿児島県鹿児島市上竜尾町2−1
撮影 : 2019.3.11
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参道に土産物屋があります。
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たとえば秀吉は豊国神社、家康は東照宮など、昔の武将を神格化した神社があり、その流れです。
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明治以降では松蔭神社や乃木神社がありますが、ここもその一つ。
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この写真はネットから借用しています。
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南洲墓地はその隣にあります。西南戦役で没した西郷隆盛を始めとする2千有余名の御霊を祀る墓地。
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1877(明治10)、官軍の総攻撃によって西郷隆盛以下薩軍が全滅し西南戦争が終結すると、鹿児島県令岩村通俊は官軍の許可を得て西郷隆盛らの遺体を鹿児島市内5か所に仮埋葬したそうです。
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1879(明治12)に有志によってそれらの墓を現在地にまとめて改葬し、その後、九州各地に散在していた西郷軍の遺骨も集めて計2023名が葬られる「南洲墓地」となりました。
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前日は強烈な雨でしたが、この日は快晴。駐車場から桜島がきれいに見えました。
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大きな噴煙ですが、これが普通?
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仙巌園の前を通過。今日は桜島もくっきりです。

by gipsypapa | 2019-04-19 08:11 | | Trackback | Comments(2)