タグ:寺社 ( 114 ) タグの人気記事

名古屋の那古野神社

c0112559_08222472.jpg
名古屋東照宮の東に隣接する那古野神社(なごやじんじゃ)です。創建は醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)といわれています。現在の中区丸の内にありましたが、廃藩置県により明治9年に現在地に移されたとか。

この神社も1945(昭和20)年の空襲で焼失したのため戦後再建されたものです。また境内にあった神楽殿は戦災を免れたましたが、これも1992年(平成4年)に火災で焼失して再建されました。

那古野神社
1946(昭和20)年以降
設計・施工 : 不明
愛知県名古屋市中区丸の内2-3-17
撮影 : 2017.11.7
c0112559_08230740.jpg
c0112559_08233336.jpg
向こうに見えるのは名古屋東照宮の福寿稲荷社です。
c0112559_08240606.jpg
神楽殿は古く見えますが、平成になって再建されたもの。
c0112559_08244611.jpg
c0112559_08250573.jpg
c0112559_08252694.jpg
本堂は戦災で消失したため戦後に再建されました。
c0112559_08262236.jpg
c0112559_08264952.jpg
本堂前の狛獅子。
c0112559_08274075.jpg
c0112559_08280528.jpg
神楽殿前にもう一対。
c0112559_08285352.jpg

by gipsypapa | 2018-07-26 08:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)

名古屋東照宮

c0112559_07574968.jpg
紀州東照宮を見てきたので、同じ徳川御三家の尾張名古屋でも東照宮を訪ねました。名古屋城の南を東西に走る外堀通りにあります。

名古屋東照宮は尾張藩初代藩主の徳川義直が1619(元和5)年に三之丸に建立。創建当時の境内は3600坪もあり、社殿などに極彩色が使われた華麗なもので、三之丸東照宮と呼ばれていました。東照宮としては最も豪華だったそうです。

しかし、ここも名古屋城と同じように1945(昭和20)年5月空襲で焼失してしまいました。そのため1954(昭和29)年に市内の建中寺から義直の正室春姫の御霊屋(みたまや)を移築して社殿としたそうです。この御霊屋は1651(慶安4)年に万松寺境内に建てられ、1914(大正3)年に建中寺へ移築されたものでした。

名古屋東照宮(三之丸東照宮)
1651(慶安4年)/ 1954(昭和29)年移設
愛知県重要文化財
設計・施工 : 不明
愛知県名古屋市中区中区丸の内2-3-37
撮影 : 2017.11.7
c0112559_07582881.jpg
c0112559_07585557.jpg
道幅が広い外堀通には入り口がありません。
c0112559_07593020.jpg
細い道を南に下ったところに鳥居があります。
c0112559_08000491.jpg
鳥居は銅板のようなもので覆われていますね。
c0112559_08005091.jpg
鳥居をくぐって左折すると正面に見えるのは唐門です。
c0112559_08013937.jpg
c0112559_08020201.jpg
唐門の向こう側に本殿。唐門の格子の隙間から撮影できます。
c0112559_08024512.jpg
c0112559_08030695.jpg
c0112559_08032542.jpg
c0112559_08034694.jpg
c0112559_08040518.jpg
c0112559_08042725.jpg
c0112559_08044895.jpg
c0112559_08050916.jpg
c0112559_08053172.jpg
c0112559_08055281.jpg
末社の福神社。正面にあるのは鏡ですね。
c0112559_08070079.jpg
こちらは福寿稲荷社。
c0112559_08073435.jpg
c0112559_08075795.jpg

by gipsypapa | 2018-07-25 08:08 | 建築 | Trackback | Comments(2)

和歌山県護国神社

c0112559_08044310.jpg
和歌山城公園の南側の一角、追廻門を入った右側に護国神社があります。明治戊辰の役以来に国難に殉じた和歌山県出身の戦没者36,670柱の英霊を祀っています。昭和62年に元々あった社殿が焼失したため、平成になって再建されました。鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

和歌山県護国神社社殿
1990(平成2)年
設計・施工 : 不明
和歌山県和歌山市一番丁3
撮影 : 2017.10.17
c0112559_08053513.jpg
石の鳥居は昭和初期のもの。
c0112559_08060944.jpg
c0112559_08063097.jpg
c0112559_08065593.jpg
狛犬も昭和初期に作られたとか。
c0112559_08073776.jpg
c0112559_08082107.jpg
c0112559_08090926.jpg
c0112559_08093068.jpg
c0112559_08095740.jpg
参道は例の青石が敷き詰められています。いい感じです。

by gipsypapa | 2018-07-12 08:10 | 建築 | Trackback | Comments(4)

和歌浦天満宮の末社巡り

c0112559_08014030.jpg
和歌浦天満宮の本殿の東側にいくつかの末社があります。そのうち本殿東側後方の覆屋(ふくどう、おおいどう)の中に三つの小さな神社が並んでいます。左から多賀神社、天照皇太神宮・豊受大神宮、白山比賣神社で、最初の二つは国の重要文化財に指定されています。建立年代についての資料はないそうですが、様式・手法からみて天満宮の再興時のものと考えられています。

和歌浦天満宮 末社多賀神社本殿、天照皇太神宮・豊受大神宮本殿
1606(慶長11)年
重要文化財
棟梁・彫工 : 平内吉政、正信か
和歌山市和歌浦西2-1-24
撮影 : 2017.10.16
c0112559_08030851.jpg
c0112559_08034428.jpg
左から多賀神社本殿。一間社春日造り、檜皮葺きです。
c0112559_08042407.jpg
天照皇太神宮(てんしょうだいじんぐう)・豊受大神宮(とようけのおおみかみ)本殿。二つの神様を祀っているので、二間社流造りです。檜皮葺き。
c0112559_08050361.jpg
ここまでが国の重要文化財です。
c0112559_08053550.jpg
一番右は地味な白山比賣神社(しらやまひめじんじゃ)。
c0112559_08061790.jpg
細部の写真です。色鮮やかな多賀神社の蟇股(かえるまた)や庇の象鼻。
c0112559_08065673.jpg
c0112559_08071579.jpg
c0112559_08073918.jpg
c0112559_08080178.jpg
この部分が蟇股。
c0112559_08084257.jpg
天照皇太神宮・豊受大神宮も華やかな装飾が施されています。
c0112559_08092303.jpg
c0112559_08094619.jpg
c0112559_08101709.jpg
和歌浦天満宮の本殿が向こうに見えています。
c0112559_08111373.jpg
もう一つ覆屋がありました。
c0112559_08120679.jpg
なんの変哲もない小さな社が並んでいます。
c0112559_08124201.jpg
春日神社や八幡神社など名の知れた神社の名前が見えました。
c0112559_08131958.jpg
c0112559_08134491.jpg
この一角には他にもいくつか末社があります。
c0112559_08143683.jpg
c0112559_08145747.jpg
c0112559_08151822.jpg
c0112559_08154108.jpg

by gipsypapa | 2018-07-06 08:15 | 建築 | Trackback | Comments(4)

和歌浦天満宮

c0112559_08043873.jpg
紀州東照宮の西側の天神山にある和歌浦天満宮です。学問の神様である菅原道真が祀られ、大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれています。

紀伊国和歌山藩初代藩主だった浅野幸長が慶長9年(1604年)〜同11年(1606年)にかけて天神山の中腹を開墾して社地を造成し、本殿、唐門、拝殿、楼門、東西廻廊などを再建しました。これが現存する天満神社です。

施工は紀州根来出身の平内(へいのうち)吉政、政信の親子。後に政信は江戸幕府の作事方大棟梁になった当代屈指の工匠だそうです。楼門は一間楼門として最大規模の重要文化財。本殿も重要文化財で、内外部ともに美しい極彩色が施されています。

大宰府、北野、大阪などの有名な天満宮はいずれも町の中にありますが、ここ和歌浦天満宮は珍しく高台に建っています。

和歌浦天満宮
楼門 : 1605(慶長10)年
本殿 : 1606(慶長11)年
重要文化財
棟梁・彫工 : 平内吉政、正信
和歌山市和歌浦西2-1-24
撮影 : 2017.10.16
c0112559_08052227.jpg
c0112559_08064132.jpg
c0112559_08072010.jpg
ここでも青石(緑泥岩片)がふんだんに使われています。独特の色合いで落ち着いた雰囲気をかもし出しています。
c0112559_08084322.jpg
ユニークな一対の狛牛が出迎え。
c0112559_08100466.jpg
天満宮といえば梅と牛。道真公は丑年生まれ。
c0112559_08110163.jpg
「使いの牛」で、ご祭神菅原道真公のお使いなのです。
c0112559_08115050.jpg
c0112559_08121689.jpg
牛の傍に石組みの庭があります。
c0112559_08133166.jpg
c0112559_08141421.jpg
正面の石段は50段あり男坂といわれる急な階段です。
c0112559_08151620.jpg
登りきったところに聳え立つのが、全国でも最大規模を誇る雄大な楼門(重要文化財)。
c0112559_08155627.jpg
c0112559_08162229.jpg
石灯籠に梅。
c0112559_08172668.jpg
c0112559_08175690.jpg
c0112559_08183507.jpg
楼門につながるのは東西廻廊。
c0112559_08202131.jpg
c0112559_08204833.jpg
c0112559_08211094.jpg
廻廊に干支の絵が並んでいました。
c0112559_08214852.jpg
c0112559_08220745.jpg
c0112559_08222811.jpg
c0112559_08232643.jpg
正面に見えるのは唐門で、その奥に拝殿と本殿があります。
c0112559_08240985.jpg
延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府に向かう途中、海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊。
c0112559_08245570.jpg
その時、ここから和歌の浦を望み、2首の歌を詠んだそうです。
c0112559_08255610.jpg
その後、村上天皇の康保年間(964 - 968年)に参議、橘直幹が大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄り、この地に神殿を建て道真の神霊を勧進して祀ったのが始まりとされています。
c0112559_08263949.jpg
c0112559_08270401.jpg
唐門からお参りして・・・
c0112559_08274161.jpg
瑞垣の隙間から見た拝殿の華やかな装飾。
c0112559_08281998.jpg
c0112559_08284196.jpg
「寺社の装飾彫刻 近畿編」という本には本殿など、多くの彫刻が掲載されていますが、その一部を見ることができました。
c0112559_08291698.jpg
c0112559_08294048.jpg
c0112559_08301027.jpg
c0112559_08303846.jpg
弱まってきたとはいえ、まだ雨が降っていました。ネットにあったお天気の日の写真です。
c0112559_08320754.jpg
Google Map の航空写真。次回は本殿の右側に散在する末社を訪ねます。

by gipsypapa | 2018-07-05 08:32 | 建築 | Trackback | Comments(4)

紀州東照宮

c0112559_07582706.jpg
見たい建物がいくつかある和歌山市。和歌山県は行ったことがあるのは南紀くらいですが、県庁所在地の和歌山市は初めてでした。市内のホテルに1泊してお目当ての地を巡るつもりでしたが、あいにくの雨。とはいえホテルのキャンセル料がもったいないので強行しました。

お目当ての一つ、紀州東照宮は江戸幕府初代将軍の徳川家康を神格化した東照大権現と紀州藩の初代藩主徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀っています。家康を祀った東照宮は、北は北海道から南は九州の長崎県まで、数多くあり、その一つです。

社殿の豪華な装飾から、紀州の日光ともいわれているとか。拝殿・石の間・本殿、唐門、東西瑞垣、楼門、東西回廊が国の重要文化財に指定されています。

紀州東照宮
1621(元和7)年
重要文化財
棟梁 : 中村讃岐守宗次
彫工 : 左甚五郎(伝)
和歌山市和歌浦西2-120
撮影 : 2017.10.16
c0112559_07592667.jpg
参道の手前に東照宮会館の建物。その前が広い駐車場になっています。
c0112559_08000869.jpg
石の鳥居をくぐって参道へ。
c0112559_08010771.jpg
参道と石段の両側には、紀州藩代々の家臣団が寄進した石灯籠が並んでいます。
c0112559_08020789.jpg
小雨が降っているので、わざわざ東照宮をお参りする人はいません。最後まで札所の巫女さん以外には誰も合いませんですた。
c0112559_08030010.jpg
鬱蒼とした木々に囲まれた参道は青石が敷き詰められ、両側は低い石垣で区切られています。
c0112559_08040172.jpg
紀州特産の「青石」は緑色に近いため緑泥片岩とも呼ばれ、古くから紀州では石垣、門柱、庭石、石碑、石畳など広く用いられています。実際にこのあとも何度も見かけた、印象的な石でした。
c0112559_08053019.jpg
c0112559_08055574.jpg
c0112559_08061847.jpg
c0112559_08064117.jpg
参道途中に稲荷神社。
c0112559_08072702.jpg
c0112559_08075365.jpg
c0112559_08081727.jpg
c0112559_08084139.jpg
参道の突き当たりに急勾配の108段の石段があります。通称「侍坂」。
c0112559_08091770.jpg
登ったところ朱塗りの楼門が建ち、その両脇に東西廻廊がつながっています。
c0112559_08095890.jpg
c0112559_08103940.jpg
c0112559_08105989.jpg
このときは雨が強くなっています。
c0112559_08113334.jpg
c0112559_08115415.jpg
c0112559_08121400.jpg
傘をさしながら片手撮り。まともな写真は撮れません。
c0112559_08132548.jpg
c0112559_08135006.jpg
c0112559_08141246.jpg
見えているのは唐門。その向こうに拝殿・本殿があり、いずれも重要文化財に指定されています。
c0112559_08144934.jpg
c0112559_08151412.jpg
c0112559_08153913.jpg
c0112559_08161295.jpg
唐門につながる東西瑞垣(みずがき)も重要文化財。
c0112559_08173620.jpg
右奥にあるのは神輿蔵(みこしぐら)です。
c0112559_08182713.jpg
唐門の手前に不思議なものがありました。何の説明書もありません。ネット情報では先がとんがっているのは砲弾で日露戦争時代のもの。周りの小さなキャラクターは権現猿だそうです。
c0112559_08190556.jpg
石垣にも青石が使われています。
c0112559_08194012.jpg
瑞垣の横面。
c0112559_08201689.jpg
左の社務所で本堂の参観を申し込むと、隣の神饌所(しんせんしょ)左の勝手口から入ります。
c0112559_08212456.jpg
神饌所の玄関の間。この背後を通って拝殿へ。巫女さん(多分)が案内してくれますが、残念ながら拝殿も本殿も撮影禁止です。
c0112559_08225058.jpg
ということでこれ以降はネットにあった写真を借用します。まずは拝殿の妻面。
c0112559_08233600.jpg
c0112559_08240122.jpg
c0112559_08242467.jpg
本殿は日光東照宮と同じような豪華な装飾がいっぱい。自分の写真で紹介できないのが残念。
c0112559_08245773.jpg
左甚五郎の作と伝わる彫刻です。

c0112559_08252938.jpg
c0112559_08255839.jpg
c0112559_08263114.jpg
天気が良い日の楼門がネットにありました。鮮やかです。
c0112559_08272336.jpg
c0112559_08274438.jpg
最後はGoogle Map の航空写真。

by gipsypapa | 2018-07-04 08:28 | 建築 | Trackback | Comments(4)

鶴ヶ城稲荷神社

c0112559_08282024.jpg
鶴ヶ城公園内にある『鶴ヶ城稲荷神社』は、約600年前に城が建造された頃から、守護神として祀られていたと伝えられていて、御祭神は宇迦之魂命(ウカノミタマノミコト)で、京都の有名な伏見稲荷大社の主祭神でもあります。

名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で穀物の神だとか。食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神として日本で広く親しまれている神様の一つ「稲荷大神」を祀っている神社です。

鶴ヶ城稲荷神社
詳細不明
福島県会津若松市追手町1-1
撮影 : 2017.10.2
c0112559_08293953.jpg
「稲荷大神」は一つの神様ではなく、5柱の総称で、ここの御祭神の宇迦之魂命はその中の1柱で、稲の神様だそうです。
c0112559_08304711.jpg
稲荷神社に狐は一般的ですが、ここの『狛狐』は独特な存在感。子狐もいます。
c0112559_08315775.jpg
c0112559_08325347.jpg
その上にもまた一対の狐がいます。ちなみに狐は神ではなく、稲荷のお使い役。
c0112559_08343125.jpg
c0112559_08345629.jpg
c0112559_08353936.jpg
c0112559_08360719.jpg
小さな拝殿の・・・・
c0112559_08364471.jpg
前にも親子の狐。
c0112559_08373234.jpg
c0112559_08375458.jpg
右奥が本堂です。
c0112559_08383284.jpg
c0112559_08385709.jpg
これでツアーの訪問地はすべて廻りました。

by gipsypapa | 2018-07-01 08:40 | 建築 | Trackback | Comments(6)

大内宿の正法寺

c0112559_08174896.jpg
宿場の突き当たりにある正法寺。創建は室町時代後期の1576(天正3)年の古寺で、長く大内宿住民の菩提寺として阿弥陀如来を祀っています。戊辰戦争の際に官軍はここを兵糧役場兼救護所として利用し、大内宿の佐藤新八郎家住宅を本陣としたそうです。

本堂は寄棟、鉄板葺の平入で、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げです。向拝木鼻には獅子と獏、欄間には波と観音菩薩と思われる彫刻が施されています。ここから参道を進むと子安観音堂があり、さらにその奥の展望所から大内宿が一望出来ます。木造平屋建て。

圓城山 正法寺
江戸時代
設計・施工 : 不明
福島県南会津郡下郷町大内山本51
撮影 : 2017.10.2 
c0112559_08230541.jpg
c0112559_08241485.jpg
c0112559_08252438.jpg
c0112559_08254221.jpg
c0112559_08260250.jpg
欄間の装飾彫刻。真ん中は人の顔ですよね。
c0112559_08291445.jpg
かなり現代的です。観音菩薩でしょうか。
c0112559_08300973.jpg
c0112559_08310126.jpg
獏と獅子の木鼻。
c0112559_08321465.jpg
これ以降の2枚はネットにあった写真を借用しています。
c0112559_08325437.jpg

by gipsypapa | 2018-06-26 08:33 | 建築 | Trackback | Comments(4)

大内宿の子安観音堂

c0112559_09003222.jpg
大内宿北の端に子安観音への階段があります。狭い階段を上がっていくと小さいですが趣のある社がありました。江戸時代中期の延享3年に正法寺の住職が勧請した子安観音像を本尊として祀っています。特に大内宿の女性から篤く信仰され、子宝や安産、子育てに御利益があるそうです。

堂は寄棟、茅葺き、平入で正面1間向拝付。茅葺屋根に雑草が生えているのが珍しいです。境内を右手に進むと、高台から茅葺屋根の家々が並ぶ大内宿の全景を望むことのできます。木造平屋建て。

子安観音堂
江戸時代
福島県南会津郡下郷町大内
撮影 : 2017.10.2
c0112559_09013683.jpg
c0112559_09015675.jpg
これ以降はネットにあった写真を借用しています。
c0112559_09023191.jpg
c0112559_09025340.jpg
c0112559_09032288.jpg
最初の写真もそうですが、茅葺屋根に雑草が生い茂っているのが面白いです。

by gipsypapa | 2018-06-25 09:04 | 建築 | Trackback | Comments(4)

松島の五大堂

お礼
6月18日に発生した震度6弱の大阪北部地震は我が家の近所が震源地でした。非常に強い揺れを感じましたが、幸い短い間だったことから、食器が割れたり、棚の物が落ちたりしただけで、怪我はなく家族全員は無事でした。ライフラインも問題ありません。複数の知人や親戚の方々から電話やメールを頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。家の中の片付けも終わりましたので、ブログを再開します。
c0112559_08113704.jpg
五大堂は日本三景の一つ松島の景観上で重要な建物で、海岸に近い小島に建っています。伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとか。

その後、円仁(慈覚大師)が延福寺(瑞巌寺の前身)を創建したときに仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に東方降三世明王、西方大威徳明王、南方軍荼利明王、北方金剛夜叉明王の五大明王像を安置したため、五大堂と呼ばれるようになったそうです。離れた場場所にありますが、瑞巌寺に属する仏堂なので、山号はありません。

現在の堂は、慶長9年(1604年)、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建しもの。東北地方最古の桃山建築といわれ、国の重要文化財に指定されています。木造平屋建て。

瑞巌寺五大堂
1604(慶長9)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
宮城県宮城郡松島町松島字町内111
撮影 : 2017.10.1
c0112559_08121942.jpg
小高い丘のような小島にあります。
c0112559_08135521.jpg

c0112559_08145989.jpg
すかし橋。 五大堂のある小島に架けられた橋。橋げたの隙間から海が見え、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために造られたそうです。
c0112559_08171171.jpg
c0112559_08180111.jpg
c0112559_08184283.jpg
堂の近くにあるもう一つのすかし橋。
c0112559_08195234.jpg
c0112559_08201922.jpg
c0112559_08212946.jpg
参道の途中から松島湾を見下ろしています。観光船が見えます。
c0112559_08222711.jpg
向こうに見える長い橋は福浦島とつながる福浦橋です。
c0112559_08230378.jpg
五大堂に到着。
c0112559_08234445.jpg
c0112559_08241264.jpg
c0112559_08243646.jpg
c0112559_08251584.jpg
c0112559_08253530.jpg
c0112559_08255851.jpg
c0112559_08261953.jpg
木鼻は龍でしょうか。
c0112559_08272833.jpg
c0112559_08282761.jpg
4面の軒下に装飾彫刻が見えました。
c0112559_08291475.jpg
c0112559_08293570.jpg
干支の彫刻です。十二支あるはずですが・・・
c0112559_08303939.jpg
c0112559_08305703.jpg
c0112559_08311438.jpg
c0112559_08313117.jpg
c0112559_08315187.jpg
c0112559_08321279.jpg
c0112559_08322966.jpg
c0112559_08325195.jpg
c0112559_08331062.jpg
c0112559_08340514.jpg
十一支しかありません。「巳」を撮り忘れたようです。

by gipsypapa | 2018-06-20 08:34 | 建築 | Trackback | Comments(6)