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粉河の十禅律院

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十禅律院(じゅうぜんりついん)は粉河寺の本堂から北東に進んだところに建つ天台宗安楽律院派の仏教寺院。本尊は阿弥陀如来です。元来は平安時代の正暦元年(990年)石崇上人によって創建された、粉河寺の塔頭(たっちゅう)十禅院でした。

江戸時代後期に紀州藩10代藩主の徳川治宝(とくがわ はるとみ 1771-1853)が天台宗の寺院に改宗して、十禅律院として創建したそうです。

十禅律院
江戸末期(文政年間)
和歌山県指定有形文化財
設計・施工 : 不明
和歌山県紀の川市粉河2849
撮影 : 2018.3.27
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粉河寺の東側を歩いていて、一風変わった門を発見したので、行ってみることに。
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築地門。いわゆる竜宮造り門で、 1825(文政8)年建立です。 和歌山県指定有形文化財。
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「宝鐸墜」の題字は徳川治宝直筆だそう。読み方がわかりません。後に東大寺の覚峯が建立した宝鐸院の堂塔を飾る宝鐸を地中に発見した場所らしいです。
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ここでも桜が満開。
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本堂前の庭園。面白い形に剪定されています。
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本堂は 1829(文政12)年建立の総欅造りで屋根は入母屋造り。和歌山県指定有形文化財です。
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「薦福殿」の題字は徳川治宝直筆。「せんふくでん」?
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本堂の両側の腰には透かし彫りがあります。
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隣にあるのは護摩堂です。宝形造りで 1818(文政元)年建立の和歌山県指定有形文化財。
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宝珠は粉河の鋳物師、峰屋正勝の作だそうです。
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築地門と本堂の間に庫裏があります。江戸後期に立てられた和歌山県有形文化財。
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拝観入口の看板があったので、何の気なしに入ることに。
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拝観料は200円でした。
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着座の間。徳川治宝が座った座敷です。
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掛け軸の「薦福殿」も徳川治宝直筆。
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庫裏ですが、徳川家の別邸みたいなものだったのでしょうね。
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座敷を見たあとは通路を通って本堂へ。
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徳川なので三つ葉葵。
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通路の釣鐘が下がっているところは花頭丸といい、通路の屋根から突き出ています。これは後で。
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本堂中央の須弥壇には本尊の阿弥陀三尊。
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再び庫裏へ戻って、庭が一望できる縁側へ。
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洗心庭という座視式日本庭園で枯山水の庭。
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左に本堂と釣鐘があった花頭丸が見えます。
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和歌山県と大阪府の境にある和泉山脈の山々を借景しているそうですが、今は手前に竹やぶが茂ってほとんど見えません。
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庫裏に入らないと見ることが出来ない美しい日本庭園でした。危なく見逃すところでした。
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庭から見た庫裏。ネットの写真を借用しています。
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動画で案内しておられる女性は、私たちが訪ねたときと同じ。寺の成り立ちから、檀家がないそうで、建物や庭園の維持管理が大変らしいです。このまま引き継いでいって欲しい素晴らしいお寺でした。

by gipsypapa | 2018-10-22 09:33 | 建築 | Trackback | Comments(0)

粉河産土神社

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本堂のさらに上にある粉河産土神社(うぶすなじんじゃ)。粉河寺の鎮守社であり1200年を超える縁起を誇る古社で、「たのもしの宮」と呼ばれています。

粉河産土神社本殿
江戸中期
紀の川市指定文化財
設計・施工 : 不明
和歌山県紀の川市粉河2788
撮影 : 2018.3.27
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本殿は第一殿と第二殿と同寸法 同形式で並列になっているそうですが、手前の第二殿しか見えません。
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鮮やかな色使いの春日造りの社殿です。
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本殿は江戸中期の建立で紀の川市指定文化財。
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境内には他にもいくつかの社殿が並んでいます。まず、天福神社。
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護国神社
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永代神社は五社を祀っています。
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粉河白山神社。明治39年に白山比咩神社より勧進。
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粉河稲荷神社。稲荷神社は全国共通でいろ鮮やかです。
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そしてお狐。
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カエルの親子は珍しい。
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狛カエル?カエルより小さい牛もいますが・・・
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なぜか孔雀がいました。

by gipsypapa | 2018-10-21 08:35 | 建築 | Trackback | Comments(2)

風猛山 粉河寺(その2)

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境内の中ほどまで来ました。階段を登ると中門があり、さらに階段を登った高台に重要文化財の本堂や千手堂を初めとした大小の歴史ある伽藍が建ち、本堂前の斜面は巨石を並べた日本庭園があり、国の名勝になっています。

風猛山 粉河寺
江戸中期
和歌山県紀の川市粉河2787
撮影 : 2018.3.27
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中門(重要文化財)。天保3年(1832年)に完成した入母屋造り、本瓦葺きの楼門です。表裏の左右に四天王像が安置されています。
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四天王とは、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天らしいです。
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「風猛山」の扁額は紀州十代藩主徳川治宝の筆だそうです。
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中門を通って本堂に登る石段の両側にある粉河寺庭園。 国指定の名勝です。
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斜面なので土留め石垣を兼ねた石組み枯山水です。
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紀州青石(緑泥片岩)や、琴浦の紫石、龍門石などの紀州の名石の石組みの間にツツジなどの植栽を組み合わせた勇壮な庭。
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桃山時代の上田宗箇(うえだそうこ)、別名、上田重安の作庭じゃないかといわれています。
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石段の右側は石が少なく、軽妙な趣です。ストリートビューから。
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石段を上がったところから。ネットの写真を借用しています。
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本堂。粉河寺庭園の間の石段を上がったところにある粉河寺最大のお堂で、享保5年(1720年)上棟。国の重要文化財です。
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礼拝のための礼堂(らいどう)と本尊千手観音を安置する正堂(しょうどう)を前後に並べた形式です。
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左が礼堂。入母屋造単層で、前半分は吹き放しで、参詣者用の空間に。右の正堂は入母屋造重層で大規模な社殿。前方は礼堂に組み込まれた複雑な形状です。
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軒下は装飾彫刻が取り囲んでいます。
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千手堂は宝形造りの小さなお堂で、本堂の左に建っています。 宝暦10年(1760年)建立の国の重要文化財。
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行者堂
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これはネットの写真を借用しています。
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六角堂は享保5(1720)の建立。西国三十三ヶ所御本尊を祀っているそうです。
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鐘楼
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薬師堂
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このあと、近くの鎮守社やお寺を巡りました。

by gipsypapa | 2018-10-19 09:16 | 建築 | Trackback | Comments(2)

風猛山 粉河寺(その1)

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和歌山の二日目は朝から粉河寺(こかわでら)へ。和歌山城では8分咲きだった桜は、ここではほぼ満開。天気もよく暖かい日でした。

粉河寺は、和歌山県紀の川市粉河にある寺院で、西国三十三所第三番札所。山号は風猛山(ふうもうざん)で、宗派は天台宗系の粉河観音宗総本山です。本尊は、千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとか。

戦国時代には僧侶たちは寺と領地を守るために武装化して僧兵となり、寺の周囲に城を築いて守り、同じ紀ノ川流域に勢力があった根来寺や高野山と同様に寺社の強力な武装集団になっていました。しかし、戦国時代の終盤には織田信長や豊臣秀吉に攻められて1585年(天正13年)には炎上し焼失。江戸時代になって、紀州藩の庇護と寄進により再興したそうです。

広大な境内には江戸時代中期に建立された重要文化財の本堂、大門、中門、千手堂を初めとした大小の歴史ある伽藍が建ち、本堂前の斜面は巨石を並べた日本庭園があり、国の名勝になっています。

風猛山 粉河寺
江戸中期
和歌山県紀の川市粉河2787
撮影 : 2018.3.27
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入り口の大門。宝永4年(1707年)建立の入母屋造り、本瓦葺きの楼門(2階建て門)です。仏師春日作と伝える金剛力士像を安置しています。国の重要文化財です。
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大門の隣にある善光寺。粉河寺の境内の一部になっています。
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不動堂。大門をくぐった最初のお堂。弘法大師爪刻(つめぼり)不動尊が安置されています。
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羅漢堂
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本坊。住職の住む僧坊です。
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出現池。本尊千手観音の化身、童男大士(どうなんたいし)が柳の枝を手に白馬に乗って、この池から出てきたと伝えられています。
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童男堂。延宝7年(1679年)の建立の和歌山県指定文化財で、千手千眼観世音菩薩の化身といわれる童男大士を祀っています。
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仏足跡(ぶっそくせき)は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。
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念仏堂(光明殿)は 江戸時代後期築の総欅造り。「出現池」に隣接して建っています。
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露座(ろざ)仏は粉河寺阿弥陀如来像で、粉河町指定文化財。
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文久2(1862)年作の鋳銅仏像で、粉河鋳物師の増井盛信が鐫字(文字の刻印)したものだそうです。
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太子堂。聖徳太子を祀っています。
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無縁塔。無縁の墓を集めた塔。

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手水舎。
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盥漱盤(かんそうばん)は銅製で蓮の葉蓮の葉をかたどっています。1775年製作の紀ノ川市指定文化財で、粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝の作。
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中門が見えてきました。ここから階段を登って本堂へ向かいます。

by gipsypapa | 2018-10-18 09:16 | 建築 | Trackback | Comments(0)

岩国市の錦雲閣

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錦雲閣 (きんうんかく) は、旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香神社の絵馬堂。1885(明治18)年に旧岩国藩主吉川家の居館跡が吉香公園として開放されたときに、旧藩時代の矢倉に似せて造られました。

入母屋造り、桟瓦葺きの楼閣風建築で、階下は土間敷で,外周は入口を除き腰を板壁として内側に腰掛縁を設け、階上は板敷で高欄付切目縁を廻しています。国の登録有形文化財の木造2階建て。

錦雲閣
1885(明治18)年
設計・施工 : 不明
山口県岩国市横山2-8
撮影 : 2018.2.27
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これ以降はネットにあった写真を借用しています。
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by gipsypapa | 2018-10-07 09:20 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松蔭神社

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松陰神社は、吉田松陰(幼名 杉寅次郎)を祭神としている神社です。門人の伊藤博文、野村靖などが中心となった運動により、明治40年(1907)創建されました。

現在の社殿は昭和30年(1955)に竣功したもの。御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められているそうです。境内には吉田松陰歴史館があり、松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅などの松陰ゆかりの史跡などが点在しています。

松蔭神社
1955(昭和30)年
設計・施工 : 不明
山口県萩市椿東1537
撮影 : 2018.2.27
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数年前のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は松蔭の妹、文(ふみ)が主役のドラマでした。

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当時はこの神社は観光客で賑わったそうです。

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歴史館の前には「明治維新胎動之地」と彫られた石碑があります。これは、昭和43年(1968)に明治維新100年を記念して建立されたもので、揮毫は故佐藤栄作元首相。
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by gipsypapa | 2018-09-22 08:55 | 建築 | Trackback | Comments(2)

元乃隅稲成神社と龍宮の潮吹き

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ツアーの2日目です。この日は盛りだくさん。まずは日本海側に移動しました。元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)は、長門市油谷津黄にある神社です。

比較的新しく建立された神社で、地元の網元であった岡村斉の枕元に白狐が現れ「吾をこの地に鎮祭せよ。」というお告げがあったことを元に、太皷谷稲成神社(島根県津和野町)から分霊されたとのこと。

123基の朱色の鳥居が約100メートル並ぶ景観が印象的で、アメリカのニュース専門放送局CNNが平成27年3月に発表した「日本の最も美しい場所31選」に選ばれたことから注目されたらしいです。

2016(平成28)年の産経ニュースでは「平成25年に年間2万人だった参拝客は、26年に3万人、CNNで取り上げられた27年は7万5千人、そして今年は30万人まで伸びる見通しだ。」とあり、近年はこの地域のツアーでは必ず訪れる、山口県有数の観光スポットになりました。

元乃隅稲成神社
1955(昭和30)年
山口県長門市油谷津黄498
撮影 : 2018.2.26
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駐車場は神社本殿の近くの高台にあります。
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日本には約4万社の「稲荷神社」がありますが、「稲成」という漢字が使われているのは少ないそうです。
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太皷谷稲成神社から分霊されたため、ここは「稲成」です。
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一旦下りて、下側から登ることにしました。
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大きな鳥居をくぐります。
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昭和62年から10年間かけて奉納されたそうです。
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既に隙間なく立っています。これ以上は無理。
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全部の鳥居に奉納者の名前が書かれています。
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海際は切り立った崖です。右上に本殿の鳥居が見えます。
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高台の本殿前に到着。
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神社高台に建つ大鳥居の上には賽銭箱があり、下から賽銭箱にお金を投げ入れると願いが叶うとか。
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近くにある小さな祠。
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神社の下から海を見下ろした先に「津黄龍宮の潮吹き」があります。
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断崖下の海蝕洞に荒波が打ち付け、海水が中の空気と一緒に吹き上がる現象が見られる場所。
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肉眼では何度か見ることが出来ましたが、撮影には失敗この方向からは無理でした。
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ということで、これ以下はネットの写真を借用しています。
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by gipsypapa | 2018-09-13 07:57 | 建築 | Trackback | Comments(2)

厳島神社末社豊国神社 五重塔

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千畳閣の隣に建つ五重塔は、室町時代中期の建立です。建築様式は「和様を基調とするが、四隅の軒の強い反り、柱の粽(ちまき)、尾垂木の先端を三角形状に削る点など、細部に禅宗様の要素がみられる。」とあります。禅宗様(ぜんしゅうよう)は唐様ともいわれ、当時の中国建築の様式を取り入れたものです。

総高29.3メートル(塔本体は27.6メートル)の鮮やかな朱塗りの五重塔。過去3回の改修が行われましたが、室町期の創建当初の姿を留めている数少ない建造物です。

ネット情報では、日本にある五重塔の数は現存するものの総数で「22基」と伝えられており、厳島神社の五重塔は22基の五重塔の内の7番目に古い歴史をもつそうで、国の重要文化財に指定されています。

豊国神社 五重塔
1407(応永14)年 / 1951(昭和36)年改修
重要文化財
設計・施工 : 不明
広島県廿日市市宮島町1-1
撮影 : 2018.2.25
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向こうに見えるのは厳島神社多宝塔です。戦国時代の大永3年(1523)創建と伝えられます。国の重要文化財。

宮島の観光はこれで終わり。再びバスに乗って広島県へ移動します。

by gipsypapa | 2018-09-11 08:28 | 建築 | Trackback | Comments(2)

厳島神社末社豊国神社 千畳閣

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千畳閣(せんじょうかく)は嚴島神社末社豊国神社(とよくにじんじゃ)本殿の通称です。桃山時代の1587(天正15)年に、豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のため毎月一度千部経を読誦するための大経堂をの建立を政僧として有名な安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)に命じたもの。

宮島では最も大きな建物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。

明治初年の神仏分離で本尊の釈迦如来座像は大願寺に遷され、嚴島神社の末社として豊臣秀吉霊神を祀る神社になりました。その後、大正7年(1918年)に宝山神社の祭神の加藤清正霊神を合祀しました。国の重要文化財に指定されています。

豊国神社本殿(千畳閣)
1587(天正15)年
設計・施工 : 不明
広島県廿日市市宮島町1-1
撮影 : 2018.2.25
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最初の写真はウィキペディアから借用しています。これは厳島神社の参道から見たところ。
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厳島門前町を左折して路地を進むとトンネルの手前に
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石段があり、ここを登っていきます。
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大規模な経堂の割りに境内が狭いので全容を撮ることができません。
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参拝はここから。受付があり入館料は100円でした。
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方位盤が下がっていました。
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堂内には歌舞伎役者一行の名や川柳などが、いたるところに掲示されたりしています。
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これらは江戸時代に遺構らしく、当時はここが交流の場・納涼の場として人々に親しまれていたそうです。
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高台にあるのに吹きさらしです。
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造りかけで放置され、今まで誰も完成させようとは思わなかったわけです。
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主に江戸時代に掲げられたと思われる飾り物はいたるところに。
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豊国神社は豊臣秀吉公の死後に神として崇められるようになった際の神号(しんごう)「豊国大明神」に因んだものです。
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豊国神社はゆかりの各地にあります。徳川家康を祀る東照宮と同じ趣旨の神社ですね。
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宮島土産の大きなしゃもじ(杓文字)がいくつも飾ってありました。
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江戸時代に、近くにある光明院の僧、誓信が「厳島・弁財天」が手に持つ「琵琶(びわ)」と形状が似た「しゃもじ」を御山の神木で作り、それを宮島参拝のお土産として売り出すことを島民に薦めたことが始まりだとか
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厳島大明神の小さな社殿。
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千畳閣の名前の通りの空間。
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畳857枚分の広さだそうです。
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次は隣にある五重塔へ行きます。

by gipsypapa | 2018-09-10 08:39 | 建築 | Trackback | Comments(2)

亀居山 放光院大願寺

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厳島神社を出たところに山門が見えてきます。大願寺(だいがんじ)は高野山真言宗の寺院です。本尊は薬師如来で、山号は亀居山、院号は放光院。開基は不明で、鎌倉時代の建仁年間(1201~1203年)に了海(りょうかい)により再興されたと伝えられています。

大願寺は 室町時代は厳島神社の修理造営権を握っていて、建築に必要な鍛冶や番匠(大工)檜皮師などの職人団 を率いていたとかで、福岡の箱崎八幡宮や大分の宇佐八幡宮の修理造営もしたとか。幕末に勝海舟と桂小五郎が長州の乱終結の会談をしたのがこの大願寺でした。

現在、残っている建物は江戸時代、元禄時代に建立された山門と本堂のみです。当時はこの山門の周囲に多くの伽藍があったそうです。最初の写真はウィキペディアから借用しています。

亀居山 放光院大願寺
本堂、山門 : 元禄年間(1688―1704年)
設計・施工 : 不明
広島県廿日市市宮島町3
撮影 : 2018.2.25
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山門。江戸時代にはこの山門の周りも塀でめぐらされていた大寺院だったとか。
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境内に池に囲まれた祠があります。
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弁財天の使いとされる厳島龍神が祀られています。
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九本松。明治時代に伊藤博文が何度も厳島を訪ね、その際に植えたそうです。ネットでは8本しかないとの書き込み。確かに。
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護摩堂。2006年に明治初頭の神仏分離令で損失した護摩堂を約140年ぶりに再建したもの。
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総白檀の厳島大仏(不動明王)が祀られています。
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元禄時代に建立された本堂。
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ここに祀られている厳島弁財天は、江ノ島、竹生島とともに日本三大弁財天といわれています。
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明治以降、全国の弁財天社の多くが厳島神社と名を改め、厳島神社を総本山としています。
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本堂前に鎮座。「なで仏」と書いてあります。
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by gipsypapa | 2018-09-09 08:42 | 建築 | Trackback | Comments(2)