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高槻市 筒井池公園の桜

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近所の散歩コースの一つ、筒井池公園は「高槻まちかど遺産」に設定された桜スポットです。今年も開花時期が近づいてきました。一足早く昨年の3月末の写真をアップします。

筒井池公園
大阪府高槻市5-17
撮影 : 2018.3.30
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小さな池の真ん中に島があります。
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見事な枝垂桜。
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移動して近くの三輪神社(みわじんじゃ)へ。ここもほぼ満開。

三輪神社
大阪府高槻市富田町4-14-14
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國乃長の酒蔵にも咲いていました。
壽酒造
大阪府高槻市富田町3-26-12




くれぐれも、今年ではなく、去年の3月30日ですので。
次回からは早春の鹿児島ツアーをアップします。

by gipsypapa | 2019-03-25 08:21 | その他 | Trackback | Comments(0)

枚方市の神社 意賀美神社

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意賀美神社(おかみじんじゃ)は高龗神(たかおかみのかみ)を主祭神とし、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大山咋神(おおやまくいのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)を配祀(主祭神にそえて、その神と縁故のある他の神をまつること)しています。

素盞嗚尊は須加神社の、また大山咋神、大国主神は日吉神社の祭神で、明治時代に合祀されたそうです。1934(昭和9)年の室戸台風で社殿や社務所が大破したため、翌年、万年寺山の須賀神社があった場所に再建されました。

意賀美神社
1935(昭和10)年
設計・施工 : 不明
大阪府枚方市枚方上之町1−12
撮影: 2006.3.25
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意賀美神社の梅林は少し登ったところにあり枚方八景の一つで、 万年寺山の緑陰といわれています。
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梅の花は丁度見ごろでした。
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by gipsypapa | 2019-03-24 13:35 | 建築 | Trackback | Comments(2)

枚方市の神社 百濟王神社

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百濟王神社(くだらおうじんじゃ)は660(斉明天皇6)年に滅亡した百済の王子の祖霊を祭る神社です。百済滅亡後、日本に残留した百済王族の善光(禅広)は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜り、当地には氏寺として百済寺、氏神として百済王神社が造営されそうです。

数度の火災により百済寺・百済王神社は次第に衰退しましたが、後に奈良の興福寺の支配下に入り、再興が図られたそうです。現在の本殿は、興福寺と関係が深い春日大社の本殿を移築したもの。一方、拝殿は2002(平成14)年に新しく建てられたものです。

百済王神社
詳細不明
大阪府枚方市中宮西之町1-68
撮影: 2006.3.25
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拝殿は新しく、鉄筋コンクリート造りのようです。
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一方、背後にある本殿は古そうです。
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ネット情報では新しい拝殿が出来たときに、旧拝殿は南東側へ移されたとあり、これがそれのようです。
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境内にはある稲荷神社。
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by gipsypapa | 2019-03-21 08:36 | 建築 | Trackback | Comments(2)

枚方市の寺院 大隆寺

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大隆寺は法華宗(本門流)本能寺・本興寺の末寺です。同じ枚方の順興寺とその寺内町が元亀元年(1570)に信長によって焼き払われたのち、一向宗対策として織田信長の要請で日承聖人が天正2年(1575)に開基したそうです。

法華山 大隆寺
詳細不明
大阪府枚方市枚方元町1-31
撮影: 2006.3.25
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by gipsypapa | 2019-03-20 09:27 | 建築 | Trackback | Comments(0)

枚方市の寺院 願生坊

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前回アップした東浄念寺が「西御坊」と呼ばれるのに対し、願生坊(がんしょうぼう)は「東御坊」と呼ばれていました。願生坊は浄土真宗大谷派の寺院で、永正11年(1514)に蓮如上人の13男である実如が建立した順興寺が元になっています。枚方宿はその順興寺(後の願生坊)の寺内町として栄えました。元亀年間の兵火で焼失し、慶長16年(1611)に12世教如が再興。東本願寺の別院とされた後、願生坊と改称されたそうです。

香雲台 願生坊
1661(慶長16)年か
詳細 : 不明
大阪府枚方市枚方元町6-61
撮影: 2006.3.25
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by gipsypapa | 2019-03-19 10:19 | 建築 | Trackback | Comments(0)

枚方市の寺院 浄念寺

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枚方宿の旧京街道周辺の寺院や神社をいくつか訪ねました。まずは浄念寺から。浄念寺は浄土真宗の寺院で、寺伝によれば本願寺8世蓮如上人の河内地方巡化に同行した岩見入道浄念が1495年(明応4年)に開創されたとか。本尊は阿弥陀仏。安阿弥の作で室町期のものと伝えられています。

松風山 浄念寺(枚方西御坊)
1795(寛政7)年
設計・施工 : 不明
大阪府枚方市三矢町7-21
撮影: 2006.3.25
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ネットにあった写真を借用しています。
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線路を挟んで南側にある東本願寺派の願生坊が「東御坊」と呼ばれたのに対し、浄念寺は「西御坊」と呼ばれていました。願生坊は次回にアップします。

by gipsypapa | 2019-03-18 08:57 | 建築 | Trackback | Comments(2)

枚方市の塩熊商店

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枚方(ひらかた)の旧京街道に塩熊(しおくま)商店があります。享保年間(1720年代)創業のの老舗で、赤穂の塩を販売したのが始まりだそうです。町家風の建物は、明治31年(1898)に建てられたもので、一部はお休み処や塩熊ギャラリーになっていて、くらわんか茶碗や藍染製品の展示販売や小物等を販売しています。

塩熊商店
1898(明治31)年
設計・施工 : 不明
大阪府枚方市三矢町3-21 撮影: 2006.3.25
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この写真はネットから。
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2階の天井が低い厨子2階で、漆喰塗りに虫籠窓は町家の典型。
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塩の写真はネットから借用しています。
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by gipsypapa | 2019-03-16 10:16 | 建築 | Trackback | Comments(2)

枚方宿鍵屋資料館

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江戸時代の枚方(ひらかた)は、東海道の延長になる“京街道”の宿場町であり、また伏見と大坂を結ぶ淀川舟運の中継港でもありました。旧枚方宿の町並みは、枚方市の歴史街道モデル事業地域に指定されていて、「市立枚方宿鍵屋資料館」は枚方宿の歴史と町並みを伝える資料館です。

資料館は平成9年(1997)まで料理旅館を営んでいた「鍵屋」の建物が使われています。京街道に面していた「鍵屋」は、江戸時代はで、幕末になると淀川 三十石船の「船待ち宿」としても繁盛しましたそうです。近代以降は、枚方きっての料理旅館として、長く枚方周辺の人々に宴席の場を提供してきたとか。

敷地内には、「主屋」と「別棟」の2つの建物があります。江戸後期の町家建築の構造を残した「主屋」は、枚方市有形文化財。一方、「別棟」は昭和初期に建築されたもので、1階には枚方宿関係の史資料や発掘遺物、民俗資料、模型を展示しています。

市立枚方宿鍵屋資料館
旧料理旅館鍵屋(鍵屋太兵衛邸)
主屋 : 1811(文化8)年
別棟 : 1928(昭和3)年
設計・施工 : 不明
大阪府枚方市堤町10-27
撮影: 2006.3.25
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これと次の写真はネットから借用しています。
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別棟2階の大広間は彫刻欄間や格天井など、料亭だった頃の風情を感じることが出来ます。
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ここでは、歴史講座や伝統芸能の公演、ものづくり教室などのイベントが催されるそうです。
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旧枚方宿は「くらわんか舟」の立ち寄り宿でした。「くらわんか舟」は江戸時代に淀川を往来する大型船(過書船)に対して飲食物を売っていた主に枚方地方の小舟のことです。
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過書船は、大坂天満橋の八軒家船着場から京都の南、伏見豊後橋まで、淀川を昼夜兼行で往来していました。旅船は30石が普通であったので、三十石船ともいわれた乗り合い船。途中の船着き場には岡場所が多く下船者が多いため、「途中下船は切符無効」の賃銀制度が設けられ、とくに枚方宿は一番の盛り場でした。
by gipsypapa | 2019-03-15 08:49 | 建築 | Trackback | Comments(0)

枚方市の歴史街道を歩く

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大阪府の枚方(ひらかた)市は大阪市と京都市のほぼ中間。淀川の東側にあり、私が住む高槻市とは淀川を挟んだ位置になります。江戸時代の枚方は、東海道のに続く“京街道”の宿場町であり、また伏見と大坂を結ぶ淀川舟運の中継港でもありました。

旧枚方宿の町並みは、枚方市の歴史街道モデル事業地域に指定されています。旧枚方宿は「くらわんか舟」の立ち寄り宿でした。「くらわんか舟」は江戸時代に淀川を往来する大型船(過書船)に対して飲食物を売っていた主に枚方地方の小舟のことです。

過書船は、大坂天満橋の八軒家船着場から京都の南、伏見豊後橋まで、淀川を昼夜兼行で往来していました。旅船は30石が普通であったので、三十石船ともいわれた乗り合い船。途中の船着き場には岡場所が多く下船者が多いため、「途中下船は切符無効」の賃銀制度が設けられ、とくに枚方宿は一番の盛り場でした。
撮影: 2006.3.25 & 2019.1.1
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淀川左岸の枚方と右岸の高槻を結ぶ鉄道はなく、鉄道を使うには京都市か大阪まで行く必要があります。
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したがって交通手段は車で、枚方大橋を渡ります。この日は元旦。神社でお神酒を頂くつもりなので京阪バスで移動。
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淀川の向こうに見えるのは高槻市。堤防沿いを枚方市駅へ向かっています。
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京阪電車の枚方市駅へ到着。
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歴史街道には古そうな町家がいくつか。これ以降は13年前の写真なので、今は変わっているかもしれません。
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片山珍古堂
大阪府枚方市三矢町7-13
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これはネットから借用。
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菊人形味噌の看板。枚方市にはひらかたパークがあり、昔は秋の菊人形が遊園地の目玉でした。
北村みそ本家
大阪府枚方市岡本町10-2
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これもネットから。
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古そうな、下邨(しもむら)医院の看板。調べたら2013年に解体撤去されたそうです。
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大阪府枚方市岡本町10-11 にありました。
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木南邸。旧枚方宿問屋役人だった木南喜右衛門の家。江戸時代末期に建てられた家屋です。木南喜右衛門は屋号を田葉粉屋といい、庄屋と問屋役人で、「くらわんか舟」の鑑札を所持していました。建物は平入り、出格子、虫籠窓があり、4棟の土蔵もあります。
大阪府枚方市堤町10
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枚方で停船しようとする三十石船に鍵爪をかけて近づき、飯や汁物、酒などの飲食物を販売していた小舟が「くらわんか舟」です。
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「くらわんか」とは、「喰わないのか」「喰うことも出来ないくらい銭を持っていないのか」と乱暴に言った言葉です。
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夜昼を問わず三十石船に近づき、乗客達に「くらわんか」と声を掛け販売していたことから「くらわんか舟」という名がつきました。

by gipsypapa | 2019-03-14 09:51 | 建築 | Trackback | Comments(2)

天神橋筋六丁目北側の国分寺

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天神橋筋6丁目、天六を歩いているときに見つけた国分寺に立ち寄りました。国分寺は真言宗国分寺派大本山の真言宗の仏教寺院です。天平13年(741年)、聖武天皇の国分寺創建の発願により、長柄寺が摂津国の国分寺になったとか。

途中、大坂夏の陣の戦火にあい全焼。そのまま江戸時代の初期、約百年近くに渡って荒廃してましたが、享保3年(1718年)、中興の祖・快円律師によって復興し、後には関所道中御免の鑑札発行所としての特権を江戸幕府から与えられたとか。

その後、昭和になって室戸台風で被害を受け、昭和20年大の阪大空襲で旧書院門(現山門)を残しただけで焼失しました。現在の本堂は1965(昭和40)年に再建されたものです。

護國山 国分寺本堂
1965(昭和40)年
設計・施工 : 不明
大阪市北区国分寺1-6-18
撮影 : 2006.3.11
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1ブロック間を空けて南側には淀川天神社(よどがわてんじんしゃ)があります。天平10年(738年)行基がこの一帯を開拓した時、開拓の守護神として天穂日命(アメノホヒ)を勧請したのが起源だとされています。

天穂日命は天照大神の第2子で、子孫に野見宿禰や菅原道真、大江匡房等を出したので、今は道真の霊を祀って天満宮になっているそうです。現在の神殿は瓦葺流造で、明治43年(1910年)に中島村(現 東淀川区)の神社神殿を買い受け、建て替えたもので、もともとは享保年間(1716年-1736年)に建てられた社殿だそうです。

淀川天神社
江戸中期 / 1910(明治43)年移設
設計・施工 : 不明
大阪市北区国分寺1-4-1
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by gipsypapa | 2019-03-13 09:21 | 建築 | Trackback | Comments(2)