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名古屋城本丸御殿

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かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物でしたが、1945((昭和20)年5月の空襲により天守閣とともに焼失してしまいました。

江戸時代の文献のほか、多くの写真、実測図を元に工期を3期10年で総事業費約150億円をかけて復元され、今年、2018年6月8日から完全公開されています。

優美な外観とともに、室内は狩野貞信や狩野探幽など日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちの山水花鳥などの題材で床の間絵、襖絵などが描かれ、当時の絢爛豪華な雰囲気を再現していました。木造平屋建ての書院造り。

名古屋城本丸御殿
2017(平成29)年
設計・施工 : 不明
愛知県名古屋市中区本丸1-1
撮影 : 2017.11.7
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訪ねたのは昨年11月初旬。完全公開前でしたが、既に一部が公開されていました。
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竹林豹虎図。
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狩野派の絵師により描かれた障壁画の一部で、全部で1,047面が重要文化財に指定されているそうです。
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本丸御殿は戦災で失われましたが、取り外すことができた襖絵や天井板絵などは焼失を免れ、今も保管されているとか。
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我々が見ることができるのは顕微鏡やコンピュータ、史料などで研究・分析を元に模写したものです。
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したがってどれもが新しすぎる印象。
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深みを増すにはまだまだ時間がかかりますね。
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この豪華な本丸御殿の再現も、河村たかし市長の肝いりなんでしょうね。
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ネットの写真を借用しています。大天守の手前にあるのが本丸御殿です。

by gipsypapa | 2018-07-20 08:38 | 建築 | Trackback | Comments(4)

名城公園 名古屋城

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和歌山から帰って半月後に用があって名古屋に行きました。和歌山城を見たばかりで、もう一つの徳川御三家の城も見たくなったのです。ここは久しぶりです。

名古屋城は1609(慶長14)年に徳川家康が九男の義直のために、天下普請(てんかぶしん)で築城した城です。徳川御三家の一つ、尾張徳川家の17代続く居城でした。天下普請とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のことです。

大小天守と櫓、門、御殿などの一部は昭和戦前期まで残存していましたが1945(昭和20)年年の名古屋大空襲で大部分を焼失しました。戦後に天守などの外観が復元され、城跡を名城公園として整備し、国の特別史跡に指定されています。大天守に上げられた金鯱(きんこ・きんしゃち))は、城自体はもとより名古屋の街の象徴になっています。

名城公園 名古屋城
特別史跡
愛知県名古屋市中区本丸1−1
撮影 : 2017.11.7
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名古屋市役所側にある東口から入園しました。
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城の北西に伸びる外堀は昔のまま水をたたえています。
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外堀に向かった「南蛮たたき鉄砲狭間」。二之丸御殿北御庭の北端の石垣の上に東西に長く伸びた練塀の遺構です。
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砂と砂利に石灰、油などを混ぜて強固に固めた「南蛮たたき」といわる方法で造られたもの。
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内堀です。今は水がありません。
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名古屋城の普請を取り仕切った加藤清正の像。江戸幕府の外様大名として普請の命を受けました。熊本城も彼。城造りの名人です。
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天守に向かいますが、位置関係をGoogleで。
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表二の門。門柱、冠木とも鉄板張り。袖塀は土塀で鉄砲狭間を開いて要害としての堅固さを示しています。 1619(元和5)年に建造された国の重要文化財
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こちらは不明門。本丸御殿の大奥へ通ずる秘門で、常に厳重に鍵が施錠されていたとか。別名を「あかずの門」。空襲で消失したため、1978(昭和53)年に原形の通りに再建したもの。
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名古屋城天守
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右が大天守、左は小天守。天守は地元商店街の尽力や全国から寄付をうけて1959年(昭和34年)に再建され、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなりました。5重7階の鉄筋コンクリート造り。ところがこの天守を木造に建て替えることが決まっているというのです。

名古屋城天守
1959(昭和34)年
施工 : 間組
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小天守。
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ネットにあった鯱の写真。
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最初に木造に建て替えると新聞で見たときは驚きましたが、河村たかし市長の肝いりとかで、着々と進んでいるようでした。
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このときはまだ入場できましたが、名古屋市の情報では「2018(平成30)年 5月7日 - 工事に先立ち天守閣の入場を禁止する。 11月 - 現天守閣の解体を開始する予定。」とあります。
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公園内に木工工場があり見学しました。スケジュールどおりに進んでいると思っていたわけです。

ところが先日(2018.7.2)岐阜の養老町へ旅行したときに読んだ中日新聞のトップ記事では「河村たかし名古屋市長が旗を振る名古屋城の木造天守復元が予定通りに進むのか、不透明になってきた。天守の土台となる石垣の保守や修復をめぐり、専門家と意見が対立しているからだ。このままでは、許認可権を握る国が木造天守復元計画を認めないのではないかとの見方が強まっている。」

市には「石垣部会」と「天守閣部会」の二つの有識者会議があり、「石垣部会」が江戸時代から残る石垣こそ、名古屋城の本質的価値であり天守復元工事は石垣を傷める恐れがあると主張。
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文化庁も鉄筋コンクリート造りの現在の天守も文化財的な価値が高いという見解を示しているとか。行く末が分からなくなってるようです。城内と石垣の外側にはエレベータがそれぞれ設置されており、車椅子でも5階まで上がることができるバリアフリー構造となっています。
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木造天守か石垣か?
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確かに素晴らしい石垣です。

隅櫓
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天守は指定されていませんが、戦災を免れた桃山時代の櫓(やぐら)が国の重要文化財に指定されています。

西南隅櫓・東南隅櫓・西北隅櫓
1612(慶長17)年頃
重要文化財

西南隅櫓(せいなんすみやぐら)。柱の軸組みのみを残して屋根や壁、床などすべて取外す半解体修理が行われ、2014(平成26)年に完了しました。
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東南隅櫓(とうなんすみやぐら)。西南隅櫓と同規模で外観も同じですが、唐破風を下層ではなく上層屋根の東面に付けているのが違っています。
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これも最近半解体修理されました。
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西北隅櫓(せいほくすみやぐら)。こちらは近くで見ることが出来ました。三重櫓で初層の屋根には、北面と西面に入母屋破風。軒下に石落を設け、東面と南面には千鳥破風(ちどりはふ)になっています。
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残る一つの東北隅櫓は昭和20年に焼失して現存していません。
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南側の正門近くに広場に展示してある金鯱(きんしゃち)のレプリカ。
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名古屋おもてなし武将隊。織田信長、徳川家康、前田利家などの武将がお付きを従えてパーフォーマンス。このときは加藤清正とお付きの足軽「なつ」でした。


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ネットの写真です名古屋は近年、急速に高層ビル群が建てられ、城は都会に埋もれたようになりました。さて、木造天守の行く末は?

by gipsypapa | 2018-07-18 08:57 | 建築 | Trackback | Comments(2)

和歌山城公園 和歌山城

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紀州東照宮と和歌浦天満宮を訪ねましたが、終日雨。他にも行きたいいところはあったのですが、その日はホテルで過ごしました。翌日は曇りながら雨は降っていなかったので、ホテルの近くの見所を廻りました。

和歌山城は徳川御三家の一つ紀州藩徳川家の居城で、城跡は国の史跡に指定されています。城は1585年(天正13年)に和歌山市の中心部にある標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、江戸時代初期に徳川頼宣よって整備されました。

国宝に指定されていた天守などの建物は第二次世界大戦終盤の1945(昭和20)年7月に空襲で焼失。遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には国の重要文化財の岡口門や土塀、さらに追廻門が現存します。現在の大小天守群とそれに続く櫓・門、大手門・一之橋は復元されたものです。

現在は、本丸と二の丸が和歌山城公園となっており、本丸南西部には和歌山縣護国神社があり、南の丸には和歌山公園動物園があります。

和歌山城公園
史跡和歌山市一番丁3-2
撮影 : 2017.10.17 & 2018.3.26
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昨日の雨で下はぬれていますが、降ってはいません。ホテルを出たところに近い一の橋を渡り大手門から公園内に入りました。無料です。
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石垣はほとんど残っているようです。時代によって積み方が違うそうで、大半が和泉砂石だとか。
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伏虎像(ふっこぞう)です。城がある虎伏山にちなんだもの。
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現在の像は二代目で造形家・角田蘇風(すみたふそう)が天守再建の翌年に制作したものです。
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愛嬌のある虎です。
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広大な二の丸庭園。初代頼宣と14代茂承以外の藩主は、ここにあった二の丸御殿に住んでいました。
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この先にある西之丸庭園(紅葉渓庭園)ほどは手をかけられていません。
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西之丸庭園を目指していますが、それは後に別タイトルで。
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公園西側の追廻門(おいまわしもん)。和歌山城の大手門の反対側、搦手側(からめてがわ=裏側)から砂の丸に入る門。門を出て、道を隔てた反対側に馬術を練習する追廻(おいまわし)があったことが名の由来になっています。歌山藩初代藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入城する際に築かれた門の一つです。戦災を逃れ江戸初期のまま残っているそうです。国ではなく和歌山市文化財。

和歌山城追廻門
1619(元和5)年
設計・施工 : 不明
和歌山市文化財和歌山市一番丁3
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藩主の居住した二の丸御座の間の南西、陰陽道の裏鬼門にあたるため除災のために朱色に塗られたと推測されているそうです。
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創建当時の石垣が見事に残っています。
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再建された天守曲輪(くるわ)です。天守は大天守と小天守が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群が渡櫓によって連ねられた連立式と呼ばれるものです。

和歌山城天守曲輪
1958(昭和33)年
設計 : 藤岡通夫(復元指導)
施工 : 不明
和歌山市一番丁3-2
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松の丸と呼ばれる、本丸南側の石垣に沿って延びる、広くて平坦な道の中程に、石を並べた「七福の庭」があります。
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徳川頼宣が元和7年(1621年)本丸御殿に作庭したと伝えられ、大正12年(1923年)、本丸御殿跡に給水場が建設されたため、ここに移設されたそうです。
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ネットに七福神を特定した優れものの写真がありました。
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こちらは東南に位置する岡口門。築城期から浅野氏が大手を一の橋に変えるまでは大手門でした。現在の門は、徳川頼宣がに城を拡張した際に、整備したと考えられています。櫓門の形式で、延長40mの土塀(附指定)が北側に続き、12か所の銃眼を設けています。国の重要文化財。

和歌山城岡口門
1621(元和7)年
設計・施工 : 不明
和歌山市一番丁3
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これ以降は今年の3月に再訪したときの写真です。
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今年は追廻門から入りました。
撮影 : 2018.3.26
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この日は天気がよく桜の季節です。
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もうすぐ満開です。
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泊まったのは2回とも同じホテル。ホテルから城が眼下に望めます。最初の雨上がりの眺めです。
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今回は晴れ。いい眺めです。
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ライトアップが美しい。

by gipsypapa | 2018-07-09 08:55 | 建築 | Trackback | Comments(4)

鶴ヶ城(会津若松城)

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鶴ヶ城は会津若松市追手町にあった城です。同じ名前の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれ、その方がなじみ深いです。国の史跡として若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されています。

鶴ヶ城は1384(弘和4)年に造営されたのが始まりだそうです。1593(文禄元)年に蒲生氏郷が本格的な天守閣を築城し、この時に積まれた石垣が400年以上経った現在でも残されています。現在の天守は1965(昭和40)年に外観復興再建されたもので、内部は「若松城天守閣郷土博物館」として公開されています。鉄筋コンクリート造り。

鶴ヶ城(会津若松城)
1965(昭和40)年
史跡
設計・施工 : 不明
福島県会津若松市追手町1-1
撮影 : 2017.10.2
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鶴ヶ城会館からお堀端を歩きました。
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天守閣が郷土博物館になっていますが、自分たちは他のお目当てがあるので入場しませんでした。
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天守閣以外はほとんどが史跡です。
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復元物もいくつか。
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もうすぐアップする予定の「麟閣」の塀。
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この一角は干飯櫓(左側)と南走長屋で、2000(平成12)年に復元されたそうです。
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帯郭から本丸に入る正門で、門柱や扉の木の肌を出さないために、全て鉄板で覆い包んでいるので鉄門(くろがねもん)と呼ばれます。
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一周しました。

by gipsypapa | 2018-06-28 09:08 | 建築 | Trackback | Comments(4)

玉藻公園 高松城旧東之丸艮櫓

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 高松駅の近くに玉藻公園(たまもこうえん)があります。高松藩主、生駒・松平家の居城だった高松城跡を整備した公園で、国の指定史跡。園内には枯山水庭園などがあります。

 高松城は瀬戸内海の海水を堀に引き込んでいて、日本三大水城として知られ、園内には本末などはありませんが、重要文化財に指定されている艮櫓、月見櫓、水手御門、渡櫓が残っています。

 今回見たのは艮櫓(うしとらやぐら)。延宝5年(1677)に東ノ丸の北東隅に建築された建物です。櫓が所在する場所が高松城の丑寅(うしとら)だったために、こう呼ばれました。三重三階の総塗籠で、初重には二重の屋根を貫く千鳥破風が見られ、城外側の隅には袴型の石落としが設けられています。国の重要文化財。

玉藻公園
高松城旧東之丸艮櫓(うしとらやぐら)
1677(延宝5)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
高松市玉藻町2-1
撮影 : 2014.11.27
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 手前に見える線路は琴平電鉄です。
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by gipsypapa | 2015-06-23 11:05 | 建築 | Trackback | Comments(2)