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友泉亭公園(その2)

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友泉亭公園(ゆうせんていこうえん)は福岡藩第6代藩主・黒田継高(くろだ つぐたか)が江戸時代中期に別荘として建てた「友泉亭」とその周辺を、池泉廻遊式の日本庭園として整備したもの。

戦前には麻生家、安川家と並ぶ筑豊炭鉱王御三家の一つで、最大の算出量を誇った貝島家の貝島炭鉱創業者である貝島太助の三男、貝島健次の別荘として使われたところです。ネット情報では、貝島時代の1936(昭和11)年に庭園が完成したとあります。昭和56年に再整備して開園しました。福岡市指定名勝。

友泉亭公園
元黒田継高別荘 / 旧貝島健次別邸
1757(宝暦7)年 / 1936(昭和11)年 / 1956(昭和31)年
福岡市指定名勝
設計・施工・作庭 : 不明
福岡市城南区友泉亭1-46
撮影 : 2019.8.20
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外に出てマップの右側にある築山の周辺から散策しました。
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「如水庵」は福岡藩祖の黒田如水にちなんだ茶室です。黒田如水は大河ドラマの軍師官兵衛ですね。
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藤棚があり、
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小川の両側に荒々しい石組み。
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この上が水源です。
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池の手前に滝。この庭園の見所の一つです。
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流れをたどって池のほとりに出ました。
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次回は池を一周します。
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ネットから。写真提供:福岡市



by gipsypapa | 2019-09-18 08:13 | | Trackback | Comments(0)

福岡市の平尾山荘

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平尾山荘は福岡出身の幕末の女流歌人で、勤王家として知られた野村望東尼(のむら もとに 1806~1867)の閑居地(世俗を逃れて心静かに暮らすこと)でした。現在の草庵は明治時代末期に復元された、福岡市市指定の史跡です。

平尾山荘
1909(明治42)年復元
設計・施工 : 不明
福岡市中央区平尾5-2-28
撮影 : 2019.8.19
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道路を挟んだところを含めて、山荘公園になっています。
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グーグルマップでは「少祠(しょうし)の石碑」と表示されていますが、詳細不明でした。
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公園の中心には野村望東尼の像。
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シンプルな茅葺屋根の家です。
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裏に古い井戸が残っています。
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玄関は開いていて、自由に入ることができます。上がり口で記帳。
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「望姫島」と書かれた額。誰の書わかりませんが、江戸末期に幕府により勤皇派の望東尼が姫島(糸島郡志摩町)に流されたことだと思います。なお望東尼を救い出したのが高杉晋作だとか。
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山荘の隣にある管理棟に掲示してあった望東尼の和歌の短冊です。



by gipsypapa | 2019-09-16 08:04 | 建築 | Trackback | Comments(2)

福岡市文化交流公園 松風園(その2)

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松風園は、かつて福岡を代表するデパートだった「福岡玉屋」創業者の田中丸善八の邸宅「松風荘」と茶室「松風庵」の跡地に2007年にオープンした公園で、建てられた当時の日本庭園や茶室がそのまま残されています。庭に下りて散策しました。

福岡市文化交流公園 松風園
旧田中丸善八邸松風荘 / 松風庵
昭和初期
設計・施工 : 笛吹嘉一郎
福岡市中央区平尾3-28
撮影 : 2019.8.19
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ホールに戻って庭に出ます。
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真ん中の石を富士山に見立てた野点広場。
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野点広場。もう少しよいネイミングがありそうですが。
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松風庵の広間を望んでいます。
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この向こうが茶庭。いわゆる露地庭です。
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織部灯篭があります。
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松風庵の小間。
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東の端にある腰掛け待合と・・・
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四阿(あずまや)です。
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野点広場に戻ったら、撮影隊がいました。
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結婚式披露宴の前撮りでしょう。実はこの翌日も別の庭でも前撮りの一行を見ました。
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きれいな新婦でした。お幸せに。
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ネットから。写真提供:福岡市。




by gipsypapa | 2019-09-14 08:30 | 建築 | Trackback | Comments(2)

福岡市文化交流公園 松風園(その1)

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松風園(しょうふうえん)は、かつて福岡を代表するデパートだった「福岡玉屋」創業者の田中丸善八の邸宅と茶室「松風荘」の跡地に、2007年にオープンした公園で、当時の日本庭園や茶室がそのまま活かされています。

松風園は茶室「松風庵」に和室(広間、小間)、本館の「松風荘」に和室(8畳)2間があります。京都の著名な数寄屋大工の笛吹嘉一郎によって建てられたそうです。

周囲は露地と野点広場、四阿(あずまや)が見所。庭園はツツジの植栽や大カエデなど、緑一杯の枯山水です。福岡市が整備して管理しています。

福岡市文化交流公園 松風園
旧田中丸善八邸松風荘 / 松風庵
昭和初期
設計・施工 : 笛吹嘉一郎
福岡市中央区平尾3-28
撮影 : 2019.8.19
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石垣の横にある入り口です。
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石段を上りますが、入り口のすぐ横にエレベーターもありました。
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上りきった正面が受付。
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入ったところがホールと呼ばれるところで、ここから庭園の野点広場を俯瞰できます。また庭に出るのもここから。
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福岡市は生まれ育ったところ。今は様変わりしましたが玉屋デパートは中心地の一つの中洲川端にあった老舗百貨店。
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子供の頃の福岡には、大丸、岩田屋、玉屋という3大デパートと、井筒屋と渕上百貨店がありました。
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今も大丸、岩田屋は場所と形を変えてありますが、玉屋、井筒屋と渕上は市内にはありません。その代わり三越と阪急が進出しています。
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個人的ですが、実は松風園の住人、玉屋の社長だった田中丸氏の孫が中学校の同級生でした。
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ホールから靴を脱いで中へ。
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茶室でよく見る下地窓。
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庭を俯瞰できる松風庵の広間。
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大カエデの緑が美しい。
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「イロハモミジ」といわれ、樹齢100余年だとか。
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次回は外に出て、庭を散策します。



by gipsypapa | 2019-09-13 09:02 | | Trackback | Comments(2)

福岡市のS家住宅

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今日から福岡編。まずは実家です。毎年、正月過ぎとお盆に帰省するのですが、今年は色々あってお盆だけにしました。しかしながら台風10号のために、予定していた日は新幹線が全面運休になり、ずらして帰ることに。そのため、今回はお盆の行事がなく、ゆっくり外出することができたのは幸運でした。

今年は新緑の季節になってから、庭を見に行く機会が増えました。その続きで、福岡でもいくつか見に行くつもりです。その前に、一応、我が実家にも小さな枯山水の庭があるので、アップします。この庭は私の祖父が昭和初期に家屋を建てたときに作ったものです。

S家住宅
1934(昭和9)年
設計 : 自家設計+大工棟梁
施工 : 大工棟梁
福岡市西区
撮影 : 2019.8.19&20
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アプローチのイヌマキ(犬槇)の生垣は鹿児島県の知覧武家屋敷で見たのと同じ。西日本では一般的です。
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玄関の前庭。
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竹垣の向こうに本庭があります。この竹垣はフェイクです。
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露地庭の飛び石。雑草を抜かないといけませんね。
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応接間の南側の枯山水の庭。祖父の時代に造園したものです。誰に頼んで造ったのか、今となってはわかりません。
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枯れ池側から。
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屋内の写真は最近は撮ったことがなく、10年以上前のものです。一応、書院造り。
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波打ちガラス。何枚かは割れて、今のガラスに変っていますが、ほとんどは昔のまま。
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枯山水の庭と反対の北側はまるで熱帯雨林。子供のころからありますが、ここまで繁殖してなかったような。
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バショウ(芭蕉)です。ジャパニーズ バナナといわれますがバナナではありません。
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実がなっていますが、食べられません。
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この後、気になっていた福岡市内の庭園巡りをします。



by gipsypapa | 2019-09-10 07:24 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松江の明々庵

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松江城山公園の北東、武家屋敷の裏側の高台にある明々庵(めいめいあん)。茶人としても知られる松江藩7代藩主、松平不昧(ふまい)によって、1779(安永8)年に家老の有沢弌善の邸内に建てた茶室を主とする古庵です。

ネット情報では、一時、東京の松平伯邸に移されていたそうで、その後松平家から郷国の出雲に返され、昭和3年に菅田庵(かんでんあん)のある有澤山荘の向月亭(こうげつてい)に隣接した萩の台に建てられていたとか。

第二次世界大戦後は管理が行き届かず、荒廃していたのを、昭和41年、不昧公150年祭を機に現在の赤山に移されました。木造、入母屋造り、茅葺き平屋建て。

明々庵
1779(安永8)年 / 1966(昭和41)年移設
設計・施工 : 不明
島根県松江市北堀町278
撮影 : 2019.3.22
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坂道の途中に標識と看板があるので、わかりやすい。
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さらに細い石段を上ります。
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登りついたら枯山水の小さな庭に迎えられます。
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正面の瓦葺きは百草亭といわれる建物でしょう。
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城見台といわれ、松江城ビューポイントの一つです。
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庭の右側にアプローチがあり、左の百草亭の受付奥に茶室「明々庵」がありますが・・・
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時間がなくここまで。
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なので、以下はネットの写真を借用しています。
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by gipsypapa | 2019-05-10 08:05 | 建築 | Trackback | Comments(2)

知覧麓武家屋敷 高城庵

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旧高城家住宅に隣接する高城庵(たきあん)は、武家屋敷内にあり、昭和初期に建てられた店主の生家を当時のままの姿で利用しています。薩摩知覧の郷土料理を藩政時代からのお膳で食べられる食事処で、隣の旧高城家住宅は、団体予約客向けに使っているそうです。木造2階建て。

知覧麓武家屋敷 高城庵
1930(昭和5)年
設計・施工 : 不明
鹿児島県南九州市知覧町郡6329
撮影 : 2019.3.11
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旧高城家住宅とは門が別にあるので、兄弟か、近い親戚の家だったのでしょうか。
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左端の文字は「酒乱」?それとも「酒すし」?「酒乱」だったら知覧の親父ギャグか、と思ったら後でわかりました。
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薩摩知覧の郷土料理を食べられる食事処です。
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ランチはツアーで予約していたので、入りませんでした。
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ということでこれ以降の写真はHP他のネットから借用しています。
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HPでは予約する必要がありそうでした。
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ネットにありました。やはり「酒ずし」でした。
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地酒を使った寿司で、具材はタケノコ、シイタケ、カマボコ、さつま揚げ、錦糸卵、きびなご、山椒などを散らしたもの。
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手でさいたキビナゴの刺身は鹿児島ではポピュラーです。
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『酒ずし』を作る時に使う桶。直径30cmくらいで、ごはん5合程度が入るそうです。




by gipsypapa | 2019-04-16 08:30 | 建築 | Trackback | Comments(1)

知覧麓武家屋敷 旧高城家住宅

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武家屋敷通りにあるもう一つの知覧型二ッ家の高城(たき)家住宅。建物は明治以前に建てられた武家住宅で、「男玄関」と「女玄関」の二つがあるのが特徴です。

他の知覧型二ッ家と同様に、「おもて」と「なかえ」の二つ屋根の間に小棟を置いた形式で、知覧だけに見られる建築様式です。昭和に入って「なかえ」が取り壊されてしまったそうですが、1994(平成6)年に復元されました。

知覧麓武家屋敷 旧高城家住宅
江戸末期 / 1994(平成6)年一部復元
鹿児島県南九州市知覧町郡6329
撮影 : 2019.3.11
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他の知覧二ッ家と同様に「おもて」と「なかえ」の二つの屋根の間に小棟を置く、知覧だけにみられる建物です。
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「男玄関」と「女玄関」の二つがあるのが特徴。こちらが「男玄関」です。主人と長男のみが出入りします。
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「女玄関」は、文字通りの女性が出入りしますが、男でも次男以下はここを使うとか。今では考えらない男尊女卑の名残です。
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マキの木のくぐり門を通れば・・・
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主屋の前には庭があります。
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この井戸は古そう。
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by gipsypapa | 2019-04-15 08:23 | 建築 | Trackback | Comments(2)

知覧麓武家屋敷 知覧型二ツ家民家

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知覧の武家屋敷通りには名勝の七つの庭園のほかにも、見所があります。その一つは二ツ家民家。知覧武家屋敷の中でも最も独創的な建物です。二ツ家の中で、特に知覧だけにみられる二ツ家は、二つの屋根の間に小棟をおいてつなぎとした造りです。

南九州の民家は,現在でも南西諸島で見られるように,オモテ・ナカエ・ウマヤ・便所・風呂場が独立した分棟型が基本でした。オモテとナカエを連結させた建物として,棟と棟をつなぐ小棟の形状がが知覧独特であることから,知覧型二ツ家と呼ばれています。

知覧型二ツ家民家
旧有村家住宅
江戸末期 / 1982(昭和57)年移築
南九州市指定有形文化財
鹿児島県南九州市知覧町郡6232
撮影 : 2019.3.11
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建物は昭和57年に知覧町の瀬世中集落から、ここ知覧重伝建地区内に移築された農家です。
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九州南部に多い分棟型の民家ですが、屋根と屋根の間を雨樋で繋がずに小棟を直交させて繋ぐ手法は、この地域独自のもので特に「知覧型」というそうです。
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現存する知覧型二ツ家民家は伝建地区内に2棟、市内に1棟の合計3棟あるとか。
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ここにもサツキの小さな庭があります。
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隣にある休憩処『川口茶舗』。知覧は知覧茶の産地です。「げたん」や「あくまき」という半生菓子も販売しています。これ以降の写真はネットから借用しています。
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「げたん」。黒砂糖、鶏卵を主原料にした生地を焼き、黒糖をしみこませたもの。菓名は下駄の歯の意味だとか。
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手前が「あくまき」。粽(ちまき)の原型に近いお菓子。古くから薩摩ではの携行食として用いられたそう。



by gipsypapa | 2019-04-14 07:58 | 建築 | Trackback | Comments(2)

知覧麓武家屋敷 森重堅庭園

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名勝に指定されている七つの庭園の最後です。⑦森重堅(もりしげみつ)庭園は寛保年間(1741~1744)の作庭と伝えられています。山麓に位置し、知覧麓武家屋敷では唯一の池泉庭園です。園地は主屋の南西に細長く、東南隅に滝口を設け、池底は漆喰仕上げ、刈り込み背後にはスギが植栽されています。

古風を伝える土蔵の存在も併せて庭園の史的価値を高めています。森家は、亀甲城の西側麓にあり、領主に重臣として仕えた家柄で住居や土蔵は寛保初年(1741)に建てられたものです。

曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島をあらわし、対岸には洞窟を表現した穴石を用いて水の流動を象徴しています。庭園入口の右隅にある石は、庭園の要となっており、雲の上の遠山を現しています。

知覧麓武家屋敷 森重堅庭園
住居・土蔵 : 1741(寛保元)年
作庭 : 寛保年間(1741~1744)
名勝
鹿児島県南九州市知覧町郡6354
撮影 : 2019.3.11
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土蔵は白壁の切妻造2階建てで、寛保元年に建てられた古いもの。
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同じ時期に建てられた武家住宅のオモテです。主人・客用と家族用の玄関が並列し,主人・客用の玄関を入ると玄関の間、次の間、座敷が一列に並ぶ間取りだとか。知覧麓武家住宅の基本形式の一つだそうですが、実は私の実家もそういう間取りです。
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庭に面した座敷の縁側。
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知覧麓武家屋敷でただ一つの池泉庭園。
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小さいながら池の水面があると、ほっとします。
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これで名勝に指定された7軒の庭園を見ました。知覧麓武家屋敷の通りには、他にも見所がありますので、次回以降に。



by gipsypapa | 2019-04-12 08:16 | 建築 | Trackback | Comments(2)