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揚輝荘 伴華楼(その2)

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伴華楼の一階は洋室が並び2階は一部が洋室になっていて、それに和室が続く構造。内装は木口の寄木細工の市松模様床など随所に木材を使用しながら、漆喰の梁に古典様式も取り入れた格調高く、高級感のある造りです。

10年前は一階のテラスから眺めるだけでしたが、この日は水曜日。ガイドの案内で内部も見ることが出来ました。

揚輝荘 伴華楼
旧伊藤次郎左衞門祐民別荘
1929(昭和4)年
名古屋市登録有形文化財
設計 : 鈴木禎次
施工 : 竹中工務店
名古屋市千種区法王町2-5-12
撮影 : 2020.2.5
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二階へ上がると最初は洋室の小部屋です。
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二階へ上がると最初は洋室の小部屋です。
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聴松閣でも見た瓦を埋め込んだ暖炉。
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庭園を見下ろす南側に廊下。
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上質な純和風建築です。
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徳川園にあった住宅を移設したそうですが、1階の洋館とどうやって組み合わせたのか。
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日が当たると市松模様が廊下に現れるようになっています。
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by gipsypapa | 2020-03-23 08:29 | 建築 | Trackback | Comments(6)

揚輝荘 伴華楼(その1)

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揚輝荘の北園は10年前に訪ねたときも無料で一般開放されていました。ここの見どころは伴華楼(ばんがろう)。尾張徳川家から移築した茶室のある和室に洋間が増築され、「バンガロー」をもじって伴華楼と呼ばれました。

明治33年(1900)竣工の尾張徳川家名古屋別邸(現在の徳川園)の一部を移築、その際に洋館と地階を増築したそうです。洋室部分は建物腰部に別荘らしさを強調するような石積みを多用し、洋室2階にスレート張りにも見える椹(サワラ)板のうろこ壁を見せ、市松模様の煙突を切妻面の中央に配して、もとの和室と調和させながらも、モダンな印象を与えています。

設計はすでにこのブログで、いくつかの作品を紹介した、名古屋の近代建築の巨匠、鈴木禎次。名古屋市登録有形文化財の木造地上3階、地下1階建て。

揚輝荘 伴華楼
旧伊藤次郎左衞門祐民別荘
1929(昭和4)年
名古屋市登録有形文化財
設計 : 鈴木禎次
施工 : 竹中工務店
名古屋市千種区法王町2-5-12
撮影 : 2020.2.5
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五色の玉石を使ったパーゴラ。住宅の軒先や庭に設ける、つる性の植物を絡ませる木材などで組んだ棚のこととか。
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洋館部にある市松模様の煙突が特徴です。
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徳川家名古屋別邸の名残を残す2階の和館。
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一階はテラスです。
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ここでも五色の玉石。石の使い方が山小屋風で名前の通りバンガローです。
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うろこ壁は椹(サワラ)板だそうです。
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住宅部分から庭園へ出るところに「信長塀」。熱田神宮で見たものと同じ造り。
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塀の外から印象的な洋風の妻面を見ています。
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by gipsypapa | 2020-03-22 08:34 | 建築 | Trackback | Comments(0)

揚輝荘南園 聴松閣(その2)

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揚輝荘の聴松閣(ちょうしょうかく)は昭和12年に新築された迎賓館で、和風の屋根にハーフティンバー様式の外観。石積み柱の玄関ポーチや自然木を真壁風にあしらった外壁など、多様な意匠や様式を取り入れた山荘風の建物です。近年公開された内部を巡ります。

揚輝荘
聴松閣旧伊藤次郎左衞門祐民別荘
1937(昭和12)年
名古屋市登録有形文化財
設計 : 小林 三造(竹中工務店)
施工 : 竹中工務店
名古屋市千種区法王町2-15
撮影 : 2020.2.5
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1階から。入館料は300円でした。ちなみにこの次に訪ねる北園は無料です。
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突き当たりは食堂。
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その一角にあるベイウィンドウのサンルーム。
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暖炉の周りの壁には寺院などの古代瓦を埋め込んでいます。
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松坂屋の前身「いとう呉服店」の商標ロゴを模した透かし彫り。
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2階へ。
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玄関ポーチの上の張り出し。
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張り出しは書斎です。天井は舟底天井で、
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床は市松模様です。市松模様には伊藤祐民の思い入れがあったようで、北園の伴華楼でも見ました。
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広い廊下ホール。
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応接室。丸窓やソファーは一等船室をイメージしたもの。松坂屋初代社長の伊藤祐民が影響を受けた、インドやヨーロッパへの旅の思い出か。
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来客用の寝室B.中国風の装飾です。
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最後に行ったのは地下階。見所が多いところです。
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地階ホールには壁にインドのアジャンタ石窟の壁画を模した絵が一杯。
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釈迦誕生のシーンを書いたものだとか。
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1938年にインド人留学生が描いたそうです。
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地下階の更に下に下りる階段。北園まで繋がる全長170mの地下トンネルがあったわけです。今は途中にマンションが建って行き止まりになっています。
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奥に舞踏場だった広間があります。
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東には半円形舞台も。右の小さい扉は切戸口と言うもので、能や狂言で使われる、演者が背をかがめて登場するそうです。
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窓際にはソファ。
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地下での舞踏会。秘密めいていますね。
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暖炉の上にはカンボジアのアンコールワットの踊り子のレリーフ。こて絵でしょう。
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暖炉の左に目的不明の小部屋があり、タイル張りの中央にインドの女神像があります。
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ソファの上のガラス窓はガラス彫刻でヒマラヤ連峰を描いているとか。
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窓を開けたら、向こうの壁にもタイル貼り。



by gipsypapa | 2020-03-20 09:01 | 建築 | Trackback | Comments(0)

旧毛利家本邸

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旧毛利家本邸は、明治になってから、英雲荘に居住していた毛利家の第29代当主で公爵の毛利元昭(もとあきら)が建てた邸宅。明治25年に建設が開始され、途中日清、日露戦争により、長く工事が中断しましたが、大正5年にようやく完成しました。防府平野に張り出した多々良山の南麓にあり、南側に庭園、北側に本館ほか複数の棟があります。

コンクリート造りや鉄骨造りが混在し、機能的に考えられた配置計画など近代的な建築手法を取り入れた和風住宅の精華を示すものとして、ほとんどの棟が国の重要文化財に指定されています。

そのうち本館は、木造2階建て、材木は木曽檜、屋久杉や台湾のケヤキなど、当時の一級品を使用。中庭を囲む形で、玄関、応接、客間、事務室があり、その東側に主人や家族が生活する部屋を別の中庭を囲む形で配置しています。

北側には、台所、使用人の部屋があるとか。設計者の原竹三郎は、住宅設計も手掛けた海軍技手で、毛利家本邸の臨時建築事務所の技師として赴任し、その後は毛利家属の建築技師として主に山口県内で活躍したそうです。

旧毛利家本邸 本館
1916(大正5)年
重要文化財
設計 : 原竹三郎
施工 : 直営
山口県防府市多々良1-15-1
撮影 : 2019.10.14
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表門は本門と呼ばれ、国の重要文化財です。
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表門まで道路から遠かったのですが、くぐってからも長くゆるやかな道。左側の山裾には、土手と数千株のつつじが植えられています。
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道の右側には梛川(なぎがわ)という渓流が流れています。
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梛川に架かる石橋。
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更に登ると本邸表玄関前の広場に着きます。
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右側に庭門(中雀門)。ちなみに庭園は400円、本館につながる博物館は700円、共通なら1,000円でした。
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庭側から本館を見ています。庭は次回に。
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庭を巡った後、本館に入りました。入ってわかったのですが、本館に入るのは自由みたいです。確認したわけではありませんが。
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ほとんどの本館の内部は無料で見ることができるような。唯一、チケットの提示を要求されたのは博物館入り口だけでした。
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客間の1階部分は、旧大名家邸宅にふさわしい書院造り。
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檜柾目、飾り金具、金粉を用いた壁紙など贅を尽くした意匠で仕上げられています。
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中庭の中央には巨石。
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これはもう一つの中庭。
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窓越しに見えているのが毛利氏庭園です。
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2階へ。
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庭園が眼下に。
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一階には浴場があります。
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この矢印の先が博物館。撮影禁止でした。また個人的には特に興味を引くものはなかったです。

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by gipsypapa | 2019-11-18 08:28 | 建築 | Trackback | Comments(2)

英雲荘(三田尻御茶屋)庭園

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「三田尻御茶屋」(英雲荘)は江戸時代初期、萩藩2代藩主・毛利綱広により造られた長州藩の公館、お屋敷。「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」として国指定史跡です。

座敷から眺められる回遊式庭園は江戸時代中期に造られたものを復元したものです。なぜか情報が限られています。ネット情報では池泉回遊式とあり、実際に池がある写真もありますが、池には水がありませんでした。昨年、工事が終わったばかりのようなので、このあと水を張るのかも知れません。

英雲荘(三田尻御茶屋)庭園
江戸時代中期 / 2018(平成30)年復元
作庭 : 不明 / 羽嶋松翠園(復元工事)
山口県防府市お茶屋町10-21
撮影 : 2019.10.14
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池泉だそうですが、今は枯れています。
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手水鉢と水琴窟です。
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踏み石に臼が使われていますね。
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ここも水はありません。
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ネットにある池に水を張った写真です。いずれも2018年の撮影。
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水はあった方がいいけど、どうなったのか?
次回は毛利家がここから移った本邸へ行きます。



by gipsypapa | 2019-11-17 08:19 | | Trackback | Comments(2)

英雲荘(三田尻御茶屋) 

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ツアー以外は行ったことがなかった山口県に2泊3日のたびでした。初日は防府、2泊目は湯田温泉です。まずは初日の防府市から。行き先は決めていましたが、何しろ交通の便が悪いのです。バスがありますが、本数が少ない。なので、駅の観光案内所でレンタサイクルを借りて廻ることに。

「三田尻御茶屋」(英雲荘)は江戸時代初期、萩藩2代藩主・毛利綱広(もうりつなひろ)によって、参勤交代や領内巡視の際の宿泊用に建設された長州藩の公館です。「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」として国指定史跡になっています。

7代藩主毛利重就(もうりしげたか)が隠居後の天明2年(1782年)に移り住んだことから、重就の法名にちなみ英雲荘と命名されたとか。幕末には京都の政変の難を逃れた三条実美などの七卿をはじめ、志士たちが出入りする歴史の舞台となったそうです。

明治時代となり毛利家が藩主の任を解かれた後はこの屋敷も邸宅の一つとなり、ここから北へ約2kmの地に「毛利本邸」が完成するまではここに住みました。その後昭和年代に防府市に寄贈され、平成に入ってから大改修を経て公開されました。

英雲荘(三田尻御茶屋) 
1654(承応3)年 / 明治時代 / 大正時代
設計・施工 : 不明
山口県防府市お茶屋町10-21
撮影 : 2019.10.14
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玄関棟は江戸初期に建てられ、大正時代に改造されたもの。
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受付や展示室がある、名前から想像する以上に規模が大きな建物です。
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中央の2階建てが大観楼棟(だいかんろうとう)。右が玄関棟で、左は奥座敷です。
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大観楼棟は江戸末期の1851(嘉永4)年に建てられた、これも大きな建物です。
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中庭があります。
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丸窓から見えているのは奥座敷。
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2階へ。
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庭が見えています。庭は次々回にアップします。
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玄関棟の屋根。
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再び1階へ。奥座敷棟です。文字通り玄関から入って一番奥。
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明治31年に建てられ、毛利家当主や家族の居住区だったようです。
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by gipsypapa | 2019-11-14 09:25 | 建築 | Trackback | Comments(2)

吉城園(その1)主屋と池の庭

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最近は京都や大阪のお庭巡りが続いたので、久しぶり奈良へ行くことにしました。最初に訪ねた吉城園(よしきえん)は国名勝の「依水園」と隣接している庭園で、依水園の一部と同様に、かつては興福寺の塔頭寺院「摩尼珠院(まにしゅいん)」があった場所とされています。

明治に民間の所有となり、大正8年に現在の庭園や主屋「旧正法院家住宅」、そして茅葺屋根が特徴の離れ茶室が造られたそうです。その後、奈良県の所有となり一般公開されています。主屋と離れ茶室は奈良県の有形文化財。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室があります。

吉城園 池の庭
旧正法院家住宅
1919(大正8)年
奈良県有形文化財
設計・施工・作庭 : 不明
奈良市登大路町60-1
撮影 : 2019.9.11
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依水園と隣り合わせ。入園料は250円でした。
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「池の庭」と呼ばれる一帯です。
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主屋は大正8年に建てられた奈良県の有形文化財。
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典型的な池水回遊式でした。
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池を一回り。
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築山の上にある四阿。
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池の庭を俯瞰するベストポイントです。
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by gipsypapa | 2019-10-11 08:11 | 建築 | Trackback | Comments(0)

友泉亭公園(その2)

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友泉亭公園(ゆうせんていこうえん)は福岡藩第6代藩主・黒田継高(くろだ つぐたか)が江戸時代中期に別荘として建てた「友泉亭」とその周辺を、池泉廻遊式の日本庭園として整備したもの。

戦前には麻生家、安川家と並ぶ筑豊炭鉱王御三家の一つで、最大の算出量を誇った貝島家の貝島炭鉱創業者である貝島太助の三男、貝島健次の別荘として使われたところです。ネット情報では、貝島時代の1936(昭和11)年に庭園が完成したとあります。昭和56年に再整備して開園しました。福岡市指定名勝。

友泉亭公園
元黒田継高別荘 / 旧貝島健次別邸
1757(宝暦7)年 / 1936(昭和11)年 / 1956(昭和31)年
福岡市指定名勝
設計・施工・作庭 : 不明
福岡市城南区友泉亭1-46
撮影 : 2019.8.20
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外に出てマップの右側にある築山の周辺から散策しました。
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「如水庵」は福岡藩祖の黒田如水にちなんだ茶室です。黒田如水は大河ドラマの軍師官兵衛ですね。
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藤棚があり、
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小川の両側に荒々しい石組み。
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この上が水源です。
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池の手前に滝。この庭園の見所の一つです。
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流れをたどって池のほとりに出ました。
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次回は池を一周します。
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ネットから。写真提供:福岡市



by gipsypapa | 2019-09-18 08:13 | | Trackback | Comments(0)

福岡市の平尾山荘

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平尾山荘は福岡出身の幕末の女流歌人で、勤王家として知られた野村望東尼(のむら もとに 1806~1867)の閑居地(世俗を逃れて心静かに暮らすこと)でした。現在の草庵は明治時代末期に復元された、福岡市市指定の史跡です。

平尾山荘
1909(明治42)年復元
設計・施工 : 不明
福岡市中央区平尾5-2-28
撮影 : 2019.8.19
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道路を挟んだところを含めて、山荘公園になっています。
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グーグルマップでは「少祠(しょうし)の石碑」と表示されていますが、詳細不明でした。
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公園の中心には野村望東尼の像。
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シンプルな茅葺屋根の家です。
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裏に古い井戸が残っています。
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玄関は開いていて、自由に入ることができます。上がり口で記帳。
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「望姫島」と書かれた額。誰の書わかりませんが、江戸末期に幕府により勤皇派の望東尼が姫島(糸島郡志摩町)に流されたことだと思います。なお望東尼を救い出したのが高杉晋作だとか。
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山荘の隣にある管理棟に掲示してあった望東尼の和歌の短冊です。



by gipsypapa | 2019-09-16 08:04 | 建築 | Trackback | Comments(2)

福岡市文化交流公園 松風園(その2)

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松風園は、かつて福岡を代表するデパートだった「福岡玉屋」創業者の田中丸善八の邸宅「松風荘」と茶室「松風庵」の跡地に2007年にオープンした公園で、建てられた当時の日本庭園や茶室がそのまま残されています。庭に下りて散策しました。

福岡市文化交流公園 松風園
旧田中丸善八邸松風荘 / 松風庵
昭和初期
設計・施工 : 笛吹嘉一郎
福岡市中央区平尾3-28
撮影 : 2019.8.19
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ホールに戻って庭に出ます。
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真ん中の石を富士山に見立てた野点広場。
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野点広場。もう少しよいネイミングがありそうですが。
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松風庵の広間を望んでいます。
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この向こうが茶庭。いわゆる露地庭です。
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織部灯篭があります。
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松風庵の小間。
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東の端にある腰掛け待合と・・・
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四阿(あずまや)です。
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野点広場に戻ったら、撮影隊がいました。
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結婚式披露宴の前撮りでしょう。実はこの翌日も別の庭でも前撮りの一行を見ました。
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きれいな新婦でした。お幸せに。
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ネットから。写真提供:福岡市。




by gipsypapa | 2019-09-14 08:30 | 建築 | Trackback | Comments(2)