今城塚古墳(いましろ 大王の杜)

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今回は蔵出しです。8年前に撮った写真をアップします。

太田茶臼山古墳が宮内庁によって継体天皇の陵に治定されていると書きました。そこから東側の高槻市にもう一つ今城塚古墳(いましろづかこふん)があり、禁煙はこちらが継体天皇の真の陵とする説が有力です。古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳で、三島古墳群に属しています。

三島古墳群は淀川右岸地域、北摂山地の山腹部から丘陵部にかけて広がり、古墳だけでも大小500基以上を数え、太田茶臼山古墳もその一つです。

今城塚古墳は墳丘の長さ190メートル、二重の濠がめぐっていて、内濠、外濠を含めた陵域は340メートル×350メートルの釣鐘状。淀川流域では最大規模の墳墓で、国の史跡に指定されています。

今城塚古墳(いましろ 大王の杜)
6世紀前半
史跡
大阪府高槻市郡家新町48-8
撮影 : 2013.11.2
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太田茶臼山古墳(左 茨木市)と今城塚古墳(右 高槻市)の直線距離は1.5キロ位しかありません。それぞれ前方後円墳ですが、向きが違います。
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ここも航空写真です。濠の右半分は埋められています。
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今城塚古墳公園と近くにある古代歴史館を含めて「いましろ 大王の杜」と呼んで高槻市が管理しています。
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この規模なら少なくとも天皇家ゆかりの古墳なのですが、宮内庁が管理していないのは、何かの手違いとしか思えません
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その代わり、市民が自由に入ることができる公園になり、また発掘調査がスムーズに行われたわけです。
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墳丘には何もありません。普通の林です。
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高槻市のHPから。「平成9年度から10か年にわたる今城塚古墳の発掘調査で、古墳の築造技術に関する情報や、当時のカミ祀りの様子がうかがえる列島最大の埴輪群、遠く九州から船で運び込まれた石棺など、多くの重要な発見があり、驚くべき事実が次々に明らかになってきました。 これほど壮大な大王墓を、長年かけて調査した例は全国でも初めてです。」
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埴輪(ハニワ)のレプリカが並んでいます。これも高槻市のHPから。「祭祀場は、柵形埴輪で東西4つに区切られ、それぞれに形象埴輪を配置していました。 亡き大王を悼み、新しい大王が即位する儀式の様子を表していると考えられます。埴輪は日本最大の家形埴輪(高さ 170センチメートル)をはじめとして、どれも大きく、ていねいに作られており、武人や巫女などは一瞬の所作をとらえて造形的にもすぐれています。」
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埴輪の近接写真はネットから借用しています。
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近所の土室(はむろ)に大規模な埴輪工場跡があり、この古墳や太田茶臼山古墳の埴輪はそこで造られたそうです。その工場跡は後日訪問したので、近々アップする予定です。
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古墳の北側に隣接する今城塚古代歴史館。内部写真はネットにあったものを借用しています。
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三島古墳群の概要をはじめ今城塚古墳の発掘調査で判明した、古墳づくりのさまざまな工夫を実物大のジオラマ模型や映像も用いながら解説しています。
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三島古墳群については別項で。
# by gipsypapa | 2021-05-28 08:27 | 建築

太田茶臼山古墳(継体天皇 三嶋藍野陵)

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4月下旬。この日の目的地は太田茶臼山古墳でした。宮内庁によって三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)として第26代継体天皇の陵に定められています。

継体天皇(450? - 531年)は『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)、『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)と記されているそうです。

太田茶臼山古墳は、出土埴輪から古墳時代中期の5世紀中葉頃の築造と推定されています。ただし、築造年代が継体天皇の没年(531年、つまり6世紀中)に合致せず、所在地も史書の記述と食い違うことから、現在では真の継体陵は今城塚古墳(高槻市郡家新町)とする説が有力視されています。

太田茶臼山古墳(継体天皇 三嶋藍野陵)
5世紀中
大阪府茨木市太田3-10
撮影 : 2013.11.18 & 2021.4.21
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この手の古墳は地上から眺めてもちょっとした森にしか見えません。世界遺産の百舌鳥・古市古墳群も、観光地にするのに色々考えているようです。ここも航空写真で全貌が分かります。

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南側から最初の写真にある拝所の陵域に向かう入り口があります。
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その脇を通って陵へ。
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木々の向こうに濠が見えています。
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これと次の写真はネットから借用しています。
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ここを訪ねたのは2回目。これ以降は8年前に撮った写真です。
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陵の東にこんもりした形の丘がありました。くすのき公園です。実はこれは陪塚(ばいちょう)といわれる、主人の墓に伴う従者の小さな墓のことだそうです。周囲に何ヶ所かあるようで、写真の塚C号陪塚です。
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# by gipsypapa | 2021-05-27 08:06 | 建築