今回は蔵出しです。8年前に撮った写真をアップします。 太田茶臼山古墳が宮内庁によって継体天皇の陵に治定されていると書きました。そこから東側の高槻市にもう一つ今城塚古墳(いましろづかこふん)があり、禁煙はこちらが継体天皇の真の陵とする説が有力です。古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳で、三島古墳群に属しています。 三島古墳群は淀川右岸地域、北摂山地の山腹部から丘陵部にかけて広がり、古墳だけでも大小500基以上を数え、太田茶臼山古墳もその一つです。 今城塚古墳は墳丘の長さ190メートル、二重の濠がめぐっていて、内濠、外濠を含めた陵域は340メートル×350メートルの釣鐘状。淀川流域では最大規模の墳墓で、国の史跡に指定されています。 今城塚古墳(いましろ 大王の杜) 6世紀前半 史跡 大阪府高槻市郡家新町48-8 撮影 : 2013.11.2 墳丘には何もありません。普通の林です。 高槻市のHPから。「平成9年度から10か年にわたる今城塚古墳の発掘調査で、古墳の築造技術に関する情報や、当時のカミ祀りの様子がうかがえる列島最大の埴輪群、遠く九州から船で運び込まれた石棺など、多くの重要な発見があり、驚くべき事実が次々に明らかになってきました。 これほど壮大な大王墓を、長年かけて調査した例は全国でも初めてです。」 #
by gipsypapa
| 2021-05-28 08:27
| 建築
4月下旬。この日の目的地は太田茶臼山古墳でした。宮内庁によって三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)として第26代継体天皇の陵に定められています。 継体天皇(450? - 531年)は『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)、『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)と記されているそうです。 太田茶臼山古墳は、出土埴輪から古墳時代中期の5世紀中葉頃の築造と推定されています。ただし、築造年代が継体天皇の没年(531年、つまり6世紀中)に合致せず、所在地も史書の記述と食い違うことから、現在では真の継体陵は今城塚古墳(高槻市郡家新町)とする説が有力視されています。 太田茶臼山古墳(継体天皇 三嶋藍野陵) 5世紀中 大阪府茨木市太田3-10 撮影 : 2013.11.18 & 2021.4.21 #
by gipsypapa
| 2021-05-27 08:06
| 建築
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