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がんこ京都亀岡楽々荘(その2)

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書院造りの和館は田中源太郎が迎賓館として使っていた建物です。平屋建てで、屋根は庇屋根を廻して二重になっています。当初は主人室、夫人室として使用されていたとかで、二つの室内意匠を変えています。床の間の違い棚は2段と3段の変化に富んだ意匠で、使われている材料も良質。高い技術と技能が駆使された近代和風建築として国の登録有形文化財に指定された、木造平屋建て。

がんこ京都亀岡楽々荘日本館
元保津川観光ホテル楽々荘日本館
旧田中源太郎邸日本館
1898(明治31)年ころ
設計・施工 : 清水組か
京都府亀岡市北町44
撮影 : 2018.6.15
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ここも中を案内してもらいました。
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洋館と和館の前に広がる650坪の枯池泉回遊式庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設されています。庭園は京都府登録の名勝です。

がんこ京都亀岡楽々荘庭園
元保津川観光ホテル楽々荘庭園
旧田中源太郎邸庭園
1898(明治31)年ころ
京都府登録文化財(名勝)
作庭 : 七代目小川治兵衛(植治)
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庭は広く大きな池があるようですが、奥には行けませんでした。
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この写真はネットから借用しています。ホテル時代の撮影と思われます。


次回は楽々荘洋館です。

by gipsypapa | 2018-11-30 08:50 | 建築 | Trackback | Comments(2)

がんこ京都亀岡楽々荘(その1)

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がんこお屋敷シリーズ.。最初は「和歌山六三園」でした。第2弾は京都の亀岡市です。「がんこ京都亀岡楽々荘」は京都鉄道会社(現在のJR嵯峨野線)の創設者で衆議院議員、貴族院議員を務めた田中源太郎が自分の生家を改築したものでした。

戦後、「保津川観光ホテル楽々荘」なり、長くホテルとレストランとして営業されていました。今年(2018年)3月にがんこフードサービスが借り受けて「がんこ京都亀岡楽々荘」として改装開業したばかりの時期でした。

建物は明治31年頃に建てられ、煉瓦造りの洋館は本邸として、書院造りの和館は迎賓館として使われていました。洋館と和館の前に広がる650坪の枯池泉回遊式庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設されていいます。

玄関棟は洋館の南西側にあり、廊下を介して和館に通じています。式台を備えた本格的な和風の玄関で、入母屋造りの妻を小さくするなど、バランスに配慮した設計です。国の登録有形文化財の木造平屋建て。

がんこ京都亀岡楽々荘玄関
元保津川観光ホテル楽々荘玄関
旧田中源太郎邸玄関
1898(明治31)年ころ
設計・施工 : 清水組か
京都府亀岡市北町44
撮影 : 2018.6.15
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JR亀岡駅から大通りを西に500メートルほど進むと煉瓦塀が見えてきます。
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庭園入り口の門がありますが、閉まっています。入り口はさらに進んで左折した反対側でした。
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緩やかに曲がった道をさらに進みます。
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ショーウィンドウが見えてきました。入り口の門です。
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入母屋作りの玄関。正面に大木が立って見えません。
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入ると式台。
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入り口は突き当たり右です。
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この辺は新しそうです。ホテルの時代に増設されたのかも知れません。
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玄関棟につながった大広間のある和館。これは登録有形文化財の日本館ではありません。
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食後に中を案内してもらいました。
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結構古そうですが、詳細を聞くのを忘れました。
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団体客用でしょうか。この日は使われていませんでした。
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ガラス越しに見えるのは洋館。
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もう一部屋あります。
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洋館の設計は清水組で間違いありませんが、この玄関棟と日本館(和館)については分かりませんでした。
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その2棟の文化財建築は次回以降に続きます。

by gipsypapa | 2018-11-29 09:22 | 建築 | Trackback | Comments(4)

曽根崎お初天神通り

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前にもアップしたことがある大阪キタのお初天神通り。お初天神通りは御堂筋の東側を南北に通る商店街。2~3ヶ月に一回、元会社の同僚たちと飲む店があります。今は普通の商店は数少なく、アーケードの飲食店街と言ってもよいでしょう。

お初天神通りは「曽根崎心中」発祥の露天神社、通称「お初天神」への参拝道にあり、大小約100店舗のお店が軒を並べる大阪の北・梅田界隈の庶民的な商店街です。

曽根崎お初天神通り
大阪市北区曽根崎2
撮影 : 2018.7.7 & 10.25
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平日の真昼間なので、人通りは少ないです。
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一方、夜は歩きにくいくらい込み合うこともあります。
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若い頃よく行ったビアホールのニューミュンヘン。老朽化した建物を改修するため休業中。
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友人たちと行きつけの「たよし曽根崎店」。
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初めて左横の路地を見ました。
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戦後すぐに建てられたと思いますが、結構大きいです。
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ドラム缶はたよしの左横の居酒屋がテーブル代わりに使っていますね。
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以前にもアップした昭和レトロな「たよし」の店内。
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再び商店街へ。
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たよしの向かいにある「九州だんじ」。九州男児の私としては気になるところ。右の「とんこつラーメン しぇからしか」もよさそうですが、飲み仲間が興味を示さないので、入ったことはありません。
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庶民的な居酒屋だけでなく、こういうお洒落な店もありますが、敷居が高いです。
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たよしから商店街を南に進んで直交する路地に行ってみました。
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昭和レトロな店がいくつか並んでいますね。
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また商店街へ。それらしくないのですが、やはりお初天神の参道なのです。
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周辺に来たら必ず立ち寄るお初天神。正式には露天神社(つゆのてんじんしゃ)といいます。
露天神社大阪市北区曽根崎2-5-4
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お初天神の西側はお初天神通りですが、東側にも細い路地があり、独特な雰囲気があって好きなところです。
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アジアン居酒屋 Nari屋(ナリヤ)
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「夕霧そば」の行灯。
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瓢亭という店。ずいぶん前になりますが更科系の蕎麦が美味しかった記憶があります。
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この内部と次の蕎麦の写真は食べログから借用しています。
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そのほかにも間口の狭い店はぎっしり。
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by gipsypapa | 2018-11-28 08:47 | | Trackback | Comments(4)

北新地の蜆楽通り

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飲み友達と何度か行った居酒屋がある「蜆楽(けんらく)通り」です。大阪の歓楽街の一つ、北新地の本通りと永楽通りをつなぐ細い路地です。

北新地には、昔は蜆川(しじみがわ)が流れ、その両岸にお茶屋が軒を連ねて、お客や芸者をのせた船が往来し、華やかな花街の賑わいを見せていたそうです。しかし明治四十年の「北の大火」と呼ばれる大火事で、蜆川は焼け跡のがれき捨場となたため、全体が埋めたてらてしまいました。

その蜆川に架かっていた「曾根崎橋」から通じる一本の生活路地が、かつての面影を今に伝える「蜆楽(けんらく)通り」として生まれ変わりました。路地にはキタのえべっさん「曾根崎恵美寿」が奉られています。北新地の新たな名所として、夜は賑わっています。

蜆楽通り
大阪市北区曽根崎新地1-6-7
撮影 : 2018.6.8 & 8.10
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新地本通りから行くには「かに道楽」が目当て。向かって左の路地です。
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「益者三楽」の看板が下がっています。「礼儀と音楽をほどよく楽しむこと」「人の美点について褒めること」「立派な友人が多いこと」の三つの有益な楽しみのことで、孔子の言葉だとか。飲むときの心がけですね。
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最初に行ったときは雨。石畳がいい感じに濡れています。
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狭い路地にはバーや居酒屋、料理屋がぎっしり。客層は若い人が多かったです。
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昔の新地は社用族しかいませんでしたが、今は行きやすい値段設定になって、若者が多くなったのでしょう。
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曾根崎恵美寿。Brand New ですね。
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2ヵ月後に行ったときは提灯の光の色がオレンジ色から青色に変わっていました。
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北新地の通りです。これは本通りの北側を平行している永楽通り。着物姿がそれらしい。
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こちらはその南側の新地本通り。賑やかな通りです。
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これ以降はネットにあった写真を借用しています。
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夜の新地本通り。
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客待ちタクシーの列はおなじみの風景。追い越し不可能なので、夜遅くなると、電話で呼ばれてから通りに入ります。昔はサラリーマンでも会社支給のタクシー券が当たり前。飲み終わりかけに店の人に呼んでもらうのがしきたりでした。
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最後は永楽通り。本通りより人が少ないです。この写真にも着物のお姉さんが歩いていますね。


by gipsypapa | 2018-11-27 08:37 | | Trackback | Comments(2)

水掛不動と法善寺横丁

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今回から大阪の繁華街をいくつかアップします。大阪のいわゆるミナミで昔から有名な水掛不動尊がある法善寺。山号は天龍山で、本尊は阿弥陀如来です。1637(寛永14)年に山城国宇治郡北山村より現在地に移り、琴雲の開山により建立されたとあります。現在のお堂は戦後に再建されたものです。

法善寺横丁は寺院の周辺を東西に伸びる2本の路地。もとは境内だったことから法善寺裏、法善寺露地などと呼ばれていたそうです。

天龍山 法善寺
詳細 : 不明
大阪市中央区難波1-2-16
撮影 : 2017.11.28
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1945(昭和20)年の大阪大空襲で六堂伽藍が焼失。お不動さんだけが残っていたとか。最初の2枚の写真は本堂です。ネットの写真を借用しています。
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私が通ったときは、水掛不動の前に山伏の衣装を着た人たちが祈っていました。
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偶然でしたが、毎月28日が縁日だそうです。
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いわゆる護摩供養ですね。
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ネットにあった水掛不動尊の写真。コケで覆われています。手前のカメに入った水をヒシャクで掛けるわけですが、上の方に掛けるのは結構難しいのでテクニックが必要です。
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法善寺横丁へ。昭和初期を舞台にした小説『夫婦善哉(織田作之助作)』や歌謡曲『法善寺横町(藤島桓夫の歌)』に登場して有名になり、この呼び名が定着しました。
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最近の夜の横丁はインバウンドの若者しかいないような奇妙な風景になっています。
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織田作之助の小説、「夫婦善哉」の名前のついたぜんざいの店。明治16年創業の人気有名店です。
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これ以下はネットの写真です。中は新しいかな。
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これが名物の「ぜんざい」。お椀が二つありますが、一人前です。
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東側から石畳の路地へ。唯一、参道らしい小路ですが飲食店が並んでします。「角力茶屋(すもうぢゃや)」は昔からある店ですが、最近閉店したようです。
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東西両端にある門の「法善寺横丁」の看板。西は藤山寛美の書です。「善」の上の横棒が1本たりません。芸人は1本足りないくらいが丁度良いとのシャレだそうです。
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東は3代目桂春団治の書です。
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法善寺横丁を西へ抜けると「こいさん通り」。


by gipsypapa | 2018-11-26 08:21 | | Trackback | Comments(0)

梅田換気塔

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阪急デパートの南側、御堂筋の北詰にある三角形の緑地帯に建つのが梅田換気塔です。「ホワイティうめだ」地下街の換気設備で、梅田地区のランドマーク。

設計はこのブログで何度か取り上げた村野藤吾(むらの とうご1891 - 1984)が率いる村野・森建築事務所。和モダンな作品が多い彼らしく、ステンレスのパネルを組み合わせて貼り付けた現代的なデザインです。

梅田換気塔(吸気塔)
1963(昭和38)年
設計 : 村野・森建築事務所
施工 : 不明
大阪市北区曾根崎2-16
撮影 : 2018.3.14 & 10.25
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地下街のマップ。右端は前回の「泉の広場。左側にある「ホワイティうめだ」の三角州の上に建っています。
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別の日には阪神でパートの2階の通路から。
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以前アップした「精肉やまたけ曽根崎店」が三角州の東側にあります。
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梅田換気塔は御堂筋北詰の阪急デパート南の三角地帯にあり、車の通行が多く、横断歩道がないので、物理的に近づけないのですが、なぜかネットに三角地帯に入って撮った写真が「金原みわの珍スポット旅行社 TiN」にありました。以降、借用しています。
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貴重な写真ですね。

by gipsypapa | 2018-11-25 08:01 | 建築 | Trackback | Comments(2)

ホワイティうめだ 泉の広場

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大阪に戻ったので、しばらく個人的にうろうろする地元の風景をやります。大阪駅南東に広がる地下街「ホワイティうめだ」から東に向かう「イーストモール扇町」の突き当たりにあるのが「泉の広場」です。

広場にある噴水が、改修工事のため2019年度中にも撤去され、催事場に生まれ変わる見通しになった、というニュースを読売新聞で読み気になっていました。飲み会のついでがあり少し足を伸ばして訪ねてみました。地上でいえば曽根崎東通商店街と新御堂筋の交点の地下にあり、大阪では待ち合わせ場所として、よく知られています。

泉の広場は、ホワイティうめだの前身「ウメダ地下センター」開業8年目の1970年に完成。現在ある噴水は2002年完成の大理石製で3代目。大阪市の姉妹都市、イタリア・ミラノ市の彫刻家の協力を得て、映画「ローマの休日」に登場する「スペイン広場」などを参考にデザインしたそうです。

ホワイティうめだ 泉の広場
1970(昭和45)年
噴水 : 2002(平成14)年
大阪市北区小松原町梅田地下街4-2
撮影 : 2018.5.11
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泉の広場はマップ右端の⑤にあります。梅田の街には、広大な地下街が縦横無尽に広がっています。JR大阪駅や複数ある地下鉄と私鉄の梅田駅はすべてつながっていて、地下街を通ってべての駅に乗り換えができます。

また大丸、阪神や阪急デパートにも地下で行くことが出来るため、人の行き来が大変多いところです。地下街はまさに縦横無尽で広大。なじみのない旅行者は勿論、地元の人でも迷うことが多いです。

迷わないようになるには、まず地上の道路配置を頭に入れるのが一番。地下街「ホワイティうめだ」はその中かなり大きな地下街の一つで、JR大阪駅や阪神デパートから阪急デパートを経由して東にある「泉の広場」までつながっています。

「大阪駅」と「梅田駅」はほとんど同じエリアにありますが、駅の名前が異なります。さらにややこしいことに、「梅田駅」と名のつく駅が、5つもあるのです。これは、阪急、阪神など鉄道会社によって異なる路線が通っているため。
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初代の噴水は天井のシャンデリアが特徴で、待ち合わせ場所として定着。
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81年完成の2代目は、水が流れ落ちる階段状の噴水だったとか。
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いずれも見たことがあるはずですが覚えていません。
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現在の噴水は3代目。
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有名なうめだ地下のランドマークがなくなるのは、なんとももったいない。


by gipsypapa | 2018-11-24 07:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

辰野金吾設計の南天苑(その2)

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南天苑は元々は大阪の堺市にあった娯楽保養施設として建設された「潮湯」の別館で、家族向けの入浴・遊戯・休憩施設だった「家族湯」でした。

移設後は旅館として内部の部屋割りやトイレ、浴室の設置など、かなりな改修工事がなされたと思われ、和風旅館としてまったく違和感がありません。

建物内部は1,2階とも客室を中心として、1階には大広間やロビー風の談話室があります。各所に旅館らしい和の意匠をちりばめた、近代の大規模和風建築の好例であるとして国の登録有形文化財に指定された、木造2階建て。

天見温泉 南天苑
1913(大正2)年 / 1935(昭和10)年移築
設計 : 辰野片岡事務所
施工 : 不明
大阪府河内長野市天見158
撮影 : 2018.5.28 & 29
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玄関を入ると目の前に帳場があります。
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階段や廊下は手の込んだ和の意匠。
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泊まった部屋です。
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2階の竹の間。
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大きな控えの間がありました。
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夕食は1階の別の部屋で。
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和会席です。色々、同じような料理旅館に泊まりましたが、ここは3指に入る極上の食事でした。
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地元産の赤ワイン。お値段がリーズナブルなので大満足。
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1階には古物を展示している部屋と・・・
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談話室。奥にあるロビーです。
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通用口から庭に出れます。
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朝食は1階の大広間でした。
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庭を眺めながら。
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浴場の写真はネットから借用しました。
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食事が美味しかったので、また行きたくなる旅館でした。

by gipsypapa | 2018-11-22 08:37 | 建築 | Trackback | Comments(2)

辰野金吾設計の南天苑(その1)

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かなり前から河内長野に辰野金吾設計の旅館があるのを新聞で読んで知っていて、行きたいと思っていました。ある意味、近場なので、行けそうでいつでも行けるということで伸び伸びになっていました。今回はようやく実現した1泊旅行でした。

南天苑は大正初期に堺市の大浜公園に娯楽保養施設として建設された「潮湯」の別館で、家族向けの入浴・遊戯・休憩施設だった「家族湯」が移設されたもの。設計は辰野金吾が率いる辰野片岡建築事務所でした。

L字型平面の木造2階建て、入母屋造りの旅館建築で、内部は客室を中心とし,1階東南隅には大広間がある純和風建築です。近代の大規模和風建築の好例であるとして国の登録有形文化財に指定された、木造2階建て。

天見温泉 南天苑本館
1913(大正2)年 / 1935(昭和10)年移築
設計 : 辰野片岡事務所
施工 : 不明
大阪府河内長野市天見158
撮影 : 2018.5.28 & 29
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駅の西側すぐに旅館の入り口があります。
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玄関手前には赤い宝珠の欄干がある飾り橋。
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玄関の右から庭に行きます。
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1階の大広間。
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玄関右側に広がる小ぶりながら見事な池泉回遊式の庭。
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潮湯の本館が1934年の室戸台風で破損したため潮湯は閉鎖。1935(昭和10)年に南海電鉄が別館「潮湯家族湯」を天見温泉へ移築したものです。
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1949(昭和24)年に旅館南天苑がこの建物を使って創業。この頃から、「潮湯家族湯」の移築話は口承となり、辰野金吾氏設計説はあいまいなままだったとか。
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2002(平成14)年に明治建築研究会が調査を開始し、戦前の移築当時の資料が発見され、潮湯別館の移築であることが証明されました。
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庭の散歩も南天苑の楽しみの一つです。
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玄関と反対の裏側へ。
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ブラシの木がありました。
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小さな神社があります。
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白○神社の提灯。
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泊まったのは2階の部屋。
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裏側の少し下がった所にある小さな建物は別館。これは辰野金吾とは関係ないでしょう。
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名もない小川が流れています。
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大正時代の堺の潮湯の写真をネットから借用しています。左の洋館が本館。これは辰野金吾設計で納得ですね。右が今は南天苑に移設された家族湯です。
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Google の航空写真。L字型です。旅館の内部は次回に。

by gipsypapa | 2018-11-21 09:47 | 建築 | Trackback | Comments(0)

南海電鉄 天見駅舎

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観心寺を後にして再び河内長野駅に戻り、この日の宿泊地の天見(あまみ)へ向かいました。南海電鉄の天見駅は奥河内の名所、岩湧山や天見温泉の最寄駅です。

駅周辺は昔ながらの集落があり、国の登録有形文化財に登録されている温泉旅館の南天苑があるところ。当初の高野登山鉄道時代の単線時代からある駅で、現在は南海電気鉄道高野線の大阪府最南端の駅です。

駅舎は大正初期の建物を改修して使っているようです。駅の西側には河内長野市内最古の温泉と言われる天見温泉が湧き、古くから温泉郷として栄えていましたが、江戸初期の大火で被災し、長く温泉地としては途絶えていました。昭和8年(1934)に当時の南海鉄道が通ることになり復活したそうです。

南海電鉄 天見駅舎
1915(大正4)年
設計・施工 : 不明
大阪府河内長野市天見195-1
撮影 : 2018.5.28
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河内長野から普通電車で4つ目が天見。途中、千早口駅に止まります。観心寺で少し出てきた、楠正成の出身地が千早赤阪村で、楠木氏の詰め城だった千早城の最寄り駅です。
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天見に到着。
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ホームの脇に歴史を感じさせる井戸と手押しポンプがあります。もしかしたら汲めば温泉が出た?
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無人駅ですが、最新式のカード型改札です。。
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外観は改修されているかも知れませんが、狭い駅舎の中は古いままです。
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また、奥河内観光の岩湧山への登山口(天見コース)です。
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お目当ての南天苑はすぐそこ。「南天の里」と呼ばれるほど南天の多いところです。見えているのは南天かな。

by gipsypapa | 2018-11-18 09:22 | 建築 | Trackback | Comments(2)