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萩の菊屋横丁

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菊屋横丁は萩市の春若町から南古萩町に至る全長0.5 kmの細道の通称です。旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていたそうで、現在でも町筋はそのままに残って往時の面影をとどめています。

参勤交代が通った御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、横丁には、それぞれの名が残されているとか。菊屋横丁は菊屋家住宅の脇を通る横丁であることから名づけられました。白いなまこ壁の美しいこの通りは「日本の道百選」の一つに選ばれています。

菊屋横丁
江戸後期 / 明治期
山口県萩市呉服町~南古萩町
撮影 : 2018.2.27
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菊屋家住宅にもアップした図。菊屋横丁は一番下の通りで、左が北なので菊屋の西側を通っています。
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北の端に建つ蔵のような建物は、前回紹介した重要文化財、菊屋家住宅の主屋のようです。江戸初期のもの。
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白い土蔵が並んでいます。どれがどれかは分かりませんが、図面から見ると主屋、米蔵と養蚕場が通りに面しているようです。
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萩の散策はこれで終わり。ツアー最後の訪問地、錦帯橋に向かいます。

by gipsypapa | 2018-09-30 08:21 | | Trackback | Comments(2)

萩の菊屋家住宅

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萩藩の御用商人で、徳川幕府巡見使の宿として本陣として使われた菊屋家住宅。主屋はかなり改造されているそうですが、全国でも最古に属する大型の町家として貴重なもの。屋敷地は広大で、一部が一般公開されています。主屋・本蔵・金蔵・釜場・米蔵の5棟が国の重要文化財。

菊屋家住宅主屋
江戸初期
設計・施工 : 不明
山口県萩市呉服町1-1
撮影 : 2018.2.27
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ストリートビューから。通りに面した長屋門です。
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ガイドの説明はありましたが、ツアーは中に入らず素通り。
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江戸中期の町家で重要文化財。見逃すわけには行きません。添乗員に断って単独行動です。
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中門から入りました。入場料は500円でした。
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中に入ると左側に御成門があります。幕府や藩の御上使はここから入ったようです。
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藩の御用商人と務めた豪商。年貢米を相場が高いときに上方へ売り、その手数料を稼ぐ、今の商社のようなものだったとか。
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全体図がネットにありました。私が見学したのは左半分のエリアだったようです。
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最初は書院から。
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この建物は文化財指定されていません。
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ネット情報では幕府の使いや藩の役宅に使われたそうなので、江戸期の建物でしょうが、古さは感じません。
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少なくとも何度か改修されているのでしょう。
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よく手入れされた日本庭園が菊屋家の見所。
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先ほどの全体図の右半分に、もっと広い庭があります。特別公開のときしか見れないようです。
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こちらは主屋です。これは江戸初期に建てられたもの。
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商家なので帳場も残っています。
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電話は5番。中には明治30年から使われた電話機があります。
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壁には柱時計。伊藤博文が初めての洋行したときのアメリカ土産とあります。今もちゃんと動いていました。
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各部屋には民具や古書、掛け軸、屏風など約500点が展示されています。
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by gipsypapa | 2018-09-29 09:20 | 建築 | Trackback | Comments(2)

旧萩藩校明倫館 有備館

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萩・明倫学舎の隣にあるのは有備館。有備館は旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張したもので、藩士の練武の修行場です。また他国からの剣槍術の修業者との試合場、すなわち「他国修業者引請剣槍術場」でもあったとか。

建物は南北に長く、内部の北側半分は板の間で39畳の剣術場、南側半分は土間で54畳の槍術場、各その西側を藩主の上覧場とし、中間に藩主臨場などの場合に使う控室があります。木造平屋建て入母屋造桟瓦葺き。

旧萩藩校明倫館 有備館
江戸後期
史跡
山口県萩市大字江向448
撮影 : 2018.2.27
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ツアーの案内を抜け出して来ました。左手前から萩・明倫学舎の二号館、奥に三号館と四号館。
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その右側にあります。
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黒光りする床板の剣術場。
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槍術場は、右半分が畳の間で、槍術場の藩主上覧場。左半分は畳の間より低い土間になっています。
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時間切れです。ツアーの集合時間が迫り、落ち着いて見れませんでした。

by gipsypapa | 2018-09-28 10:24 | 建築 | Trackback | Comments(2)

萩・明倫学舎

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「萩・明倫学舎」は、かつて明倫小学校の校舎として使われていた木造校舎を改修整備して誕生した観光スポットです。旧明倫小学校は明倫館(めいりんかん)の跡地に建っています。明倫小学校の木造校舎は2014(平成26)年まで使用され、2017(平成29)年に敷地一帯が明治維新150年記念事業として設置された萩市の観光拠点施設「萩・明倫学舎」となっています。

旧明倫小学校は鴟尾(しび)を載せた本館棟をはじめとする4棟の木造校舎が並んでいます。隣接する史跡有備館に合わせた意匠で,外壁は1階部分は押しぶち下見板張り,2階部分は白漆喰塗り。屋根のフランス瓦や連続する窓の意匠が特徴的です。木造学校建築の好例として国の登録有形文化財に指定された、木造2階建て。

萩・明倫学舎
旧明倫小学校本館
1935(昭和10)年
史跡
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
山口県萩市江向602
撮影 : 2018.2.27
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明倫館は、長州藩の藩校で、水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つといわれました。創建以来、藩の人材育成の中枢を担い、多くの人材を輩出されたそうです。
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南門です。閉まっていました。
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車寄せの玄関があるのは登録有形文化財の本館。
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案内の都合により本館の次にある2号館から見学。
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2号館には「明治日本の産業革命遺産」を紹介する「世界遺産ビジターセンター」と幕末維新期の歴史・科学技術史の貴重な実物資料を展示する「幕末ミュージアム」があります。
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2階の廊下から見えるのは3号館。
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3号館とその向こうの4号館は使われていません。
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幕末から明治維新にかけて使われた近代化遺産が展示されています。
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貴重なもののコレクションが多く、個人的に興味深かったです。
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明治維新前後の武器や兵器類の収集も見事です。
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長州五傑(ちょうしゅうごけつ)は、江戸時代末期(幕末)の1863年に長州藩から清国経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名の長州藩士を指します。
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3号館の1階部分です。
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本館へ移動。
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特別な展示品はなく、登録有形文化財である本館の特徴的な建築構造を紹介が紹介されています。
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先ほどまでいた二号館。
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天井裏の屋根支持構造を見ることが出来ます。
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両端に載っているのが鴟尾(しび)。「 屋根の大棟の両端を飾るもので,沓形 (くつがた) ともいう。」だとか。
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by gipsypapa | 2018-09-26 09:35 | 建築 | Trackback | Comments(2)

吉田松陰幽囚の旧宅

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吉田松陰は、伊豆国下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕えられ、ついで萩に送られて野山獄に入れられますが、安政2年(1855)に釈放されて父親の杉百合之助預けとなり、この実家に入りました。

松陰はここの幽囚室に謹慎して読書と著述に専念。家族からの薦めもあり、幽囚室で近親者や近隣の子弟たちに孟子や武教全書を講じましたそうです。

建物は部屋が10以上あるほか、板間・物置・土間を有するかなり大きい建物。幽囚室は東側にある3畳半の一室です。国の史跡に指定された木造瓦葺き平屋建て。

吉田松陰幽囚の旧宅
旧杉百合之助邸
江戸後期
史跡
設計・施工 : 不明
山口県萩市椿東1537
撮影 : 2018.2.27
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ここで幽閉された後、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄され・・・
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結局、安政6年(1859年)に斬首刑に処されました。
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享年30(満29歳没)という若さでした。
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吉田松陰は今で言う学校の先生だったわけで、特に何をなしたということがないのに神社まで建てて祀るのは不思議です。それだけ長州藩が明治維新に関して重要な役割を果たした証拠でしょう。
by gipsypapa | 2018-09-24 08:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松下村塾

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松下村塾(しょうかそんじゅく)は、萩市の松陰神社の境内に現存する江戸時代末期にあった私塾です。吉田松陰が指導した塾で、短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られています。

建物は木造瓦葺き平屋建ての小舎で、当初からあった八畳と、十畳半の部分があります。十畳半は塾生が増えて手狭になったため、後から塾生の中谷正亮が設計し、松陰と塾生の共同作業で増築したものだとか。1889(明治22)年に境二郎が往時の塾舎の保存を提案。品川弥二郎、山田顕義らが賛同して寄付金を募り、塾舎を屋根の漆喰塗りや壁の塗り直しなど補修を行ったそうです。国の史跡に指定された木造平屋建て。

松下村塾
江戸後期 / 1889(明治22)年補修
史跡
設計 : 中谷正亮(増築)
施工 : 松陰、塾生(増築)
山口県萩市椿東1537
撮影 : 2018.2.27
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by gipsypapa | 2018-09-23 08:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松蔭神社

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松陰神社は、吉田松陰(幼名 杉寅次郎)を祭神としている神社です。門人の伊藤博文、野村靖などが中心となった運動により、明治40年(1907)創建されました。

現在の社殿は昭和30年(1955)に竣功したもの。御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められているそうです。境内には吉田松陰歴史館があり、松下村塾や吉田松陰幽囚ノ旧宅などの松陰ゆかりの史跡などが点在しています。

松蔭神社
1955(昭和30)年
設計・施工 : 不明
山口県萩市椿東1537
撮影 : 2018.2.27
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数年前のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は松蔭の妹、文(ふみ)が主役のドラマでした。

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当時はこの神社は観光客で賑わったそうです。

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歴史館の前には「明治維新胎動之地」と彫られた石碑があります。これは、昭和43年(1968)に明治維新100年を記念して建立されたもので、揮毫は故佐藤栄作元首相。
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by gipsypapa | 2018-09-22 08:55 | 建築 | Trackback | Comments(2)

萩城城下町周辺を歩く

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ツアーの3日目。最終日はまず萩の町の観光でした。萩は関ヶ原の戦いで西軍の総大将だったことから、周防国と長門国の2ヶ国に減封された毛利輝元が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた萩城、別名・指月城(しづきじょう)とともに出来た城下町です。

約400年前に形成された城下町のたたずまいが今日まで継承されており、いまも「江戸時代の古地図がそのまま使えるまち」となっているそうです。また、幕末には吉田松陰、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文など維新の志士たちを数多く輩出し、彼らの生誕地や旧宅など国の史跡に指定された遺構が各所に残っています。

萩城城下町
史跡
山口県萩市
撮影 : 2018.2.26 & 27
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武家屋敷などの遺構が随所に残っています。
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有名な萩焼の窯元。
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萩城跡の堀と石垣。ネットの写真です。
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Google Earth から。萩城は左上の半島にありました。あまり認識していませんでしたが、萩は港町なのですね。練り物、特に蒲鉾は名産品で高級品。お土産にお勧めです。

旧久保田家住宅
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旧久保田家住宅は江戸時代後期に建築された町屋で、初代庄七が呉服商を開き、二代目の庄次郎からは酒造業をしていました。参勤交代の際、大名行列が往来した旧御成道に面しています。

近々アップする予定の菊屋家住宅の正面に位置し、現在も母屋、土蔵、離れが残りっています。明治時代には名士の宿所としても利用されていたとか。幕末から明治前期にかけての建物として、当時の建築技術や酒造業で繁栄した状況も良く伝えており、史跡萩城城下町の歴史を代表する重要な建物です。

旧久保田家住宅
江戸後期
設計・施工 : 不明
山口県萩市呉服町1-31
撮影 : 2018.2.27
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入りたかったけど時間がありません。

木戸孝允旧宅
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木戸孝允が生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした生家が残っています。木戸孝允は萩藩医の長男として生まれ、維新後に“桂小五郎”と名乗って尊皇攘夷運動に参加した人物。坂本竜馬と共に薩長同盟のきっかけを作った幕末の傑物で、西郷隆盛、大久保利道と並び「維新の三傑」といわれました。

当時としては珍しい木造瓦葺の2階建ての家で、患者用と来客用の2つの玄関があり、孝允誕生の部屋や庭園など、よく旧態を残し、当時の藩医の生活様式を伺うことができることから、国の史跡に指定されています。

木戸孝允旧宅
江戸後期
史跡
山口県萩市呉服町2
撮影 : 2018.2.27
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円政寺
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円政寺(えんせいじ)は1254(建長6)年に現在の山口市円政寺町に創建された寺院で、1870(明治3)年に現在地に移転しましたた。境内には金毘羅社という神社が同居していて、その本殿や拝殿は江戸中期の1745(延享2)年の建立で、萩市の指定有形文化財です。

月輪山 円政寺金毘羅社
1745(延享2)年
萩市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
山口県萩市南古萩町6
撮影 : 2018.2.27
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これ以降はネットから借用しています。
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青木周弼旧宅
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幕末の長州藩医で、13代藩主・毛利敬親の侍医を務めた青木周弼(あおきしゅうすけ)の住んでいた屋敷です。医師としてだけでは無く、蘭学医としても全国でも屈指の人物だったとか。

江戸末期の1859(安政6)年に建てられたもの。ほとんど手を加えられてなく当時の様子をよく残していて、立派な門や忍び返しなどに、藩医の住まいらしい趣が感じられる建物です。

青木周弼旧宅
1859(安政6)年
設計・施工 : 不明
山口県萩市南古萩町3
撮影 : 2018.2.27
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萩グランドホテル天空
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萩での宿は萩グランドホテル天空。市の中心部にあり萩市最大級の宿泊施設だとか。ビジネスからグループ旅行、団体旅行にも利用される旅館風大型ホテルで、円形の展望フロアーがランドマークになっています。

萩グランドホテル天空
山口県萩市古萩町25
撮影 : 2018.2.26 & 27
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山口県といえば「ふぐ」。夕食は「ふぐ尽くし会席」。このツアーでは一番美味しかったです。
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ネットの写真です。
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これもネットの写真です。
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翌日の昼食は萩市内でしたが、オプション。食べたのはどこだったか覚えていません。

by gipsypapa | 2018-09-21 09:57 | | Trackback | Comments(2)

秋芳洞(国定公園 秋吉台)

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秋芳洞は秋吉台の地下100-200mにある鍾乳洞で、中に約1kmの観光路があり、洞奥の琴ヶ淵より洞口まで、約1kmにわたって地下川が流れています。石灰岩が浸蝕溶解されて生じた石灰洞穴では日本最大。特に学術上の価値が高いことから国の特別天然記念物に指定されています。

秋芳洞
特別天然記念物
山口県美祢市秋芳町秋吉秋吉台
撮影 : 2018.2.26
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秋芳洞は「あきよしどう」が正式な読み方ですが、実際には「しゅうほうどう」と読まれることが多いようです。
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詳しくは忘れましたが、最上部の入り口が使えなかったため、中間部から入りました。
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上に少し上った後に、戻って下りるルートでした。
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洞内の気温は四季を通じて17℃だそうで、快適です。
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一旦上って黄金柱などを見て、また中間点まで下りてきました。これから更に下へ向かいます。
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洞内の最も広いところは200mの幅。天井は40mの高さがあり、最も高いところは80mあるとか。
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洞内では黄金柱と並ぶ見所の百枚皿。
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出口が見えてきました。
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我々にはここが出口ですが、ここから入って登って行く人もいるわけです。
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洞窟からは大量の湧き水が流れ出て川になっています。
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エメラルドグリーンが美しい。


by gipsypapa | 2018-09-20 09:29 | | Trackback | Comments(2)

国定公園 秋吉台

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島根県の津和野町から再び山口県に戻りました。秋吉台(あきよしだい)は、山口県のほぼ中央に広がる日本最大のカルスト台地です。地表には無数の石灰岩柱がお墓のように並ぶ奇景が有名な観光スポットです。

石灰岩の節理や断層に沿って溶食が進んで溝が刻まれ、岩柱が林立している地形で、地下には秋芳洞だけでなく、大正洞、景清穴、中尾洞など、大小400を超える鍾乳洞があるそうです。

ネット情報では、約3億5千万年前の古生代石炭紀に、いくつもの海底火山が噴火し、海面近くの頂上に珊瑚礁が形成されたとか。これらの珊瑚礁群は秋吉台をはじめとし、帝釈台、阿哲台、平尾台など西南日本内帯のカルスト台地のもととなったとあります。国の特別天然記念物に指定されている国定公園です。

国定公園 秋吉台
特別天然記念物
山口県美祢市秋芳町秋吉台山
撮影 : 2018.2.26
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バスの車窓から。
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厚東川によって東西二つの台地に分けられ、東側地域が狭義の秋吉台(特別天然記念物、国定公園)だそうです。
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秋吉台カルスト展望台。
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2階展望部は円形で、360度の大パノラマを見ることができます。
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台湾の野柳地質公園と姉妹公園なんですね。奇岩が並ぶのには共通点がありますが、向こうは海の浸食で出来たものです。
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秋芳洞へ通じる土産物屋の通りにあるオブジェ。この地域に伝わる「禅師河童」の像です。
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色々な食事処や土産物屋が並んでいます。
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これから秋芳洞へ向かいます。



by gipsypapa | 2018-09-18 08:28 | | Trackback | Comments(2)