![]() 長野訪問の最終日でした。午後の列車で変える予定ですが、それまでは散策。長野市に来たからには善光寺詣りは欠かせません。丁度10年ぶりで2回目の訪問になります。前回は駅前から徒歩で往復しましたが、この日は寒く、雪模様。ということでバスで行くことにしました。 10年前の訪問時にも、既にデジカメで、何枚も撮影したのですが、当時のこのブログは洋風建築だけを取り上げていたのでアップしていませんでした。 善光寺(ぜんこうじ)は山号は「定額山」(じょうがくさん)で、無宗派の単立寺院。日本で仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺だったことから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられているそうです。江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになり、現在も多くの参拝客が訪れる長野市の名所です。 定額山 善光寺 長野県長野市元善町491 撮影 : 2017.12.17 ![]() ![]() バス停から仁王門に向かう通りは石貼りの敷石です。これについては後述します。 ![]() 参道の右側には宿坊が並んでいます。 ![]() 善光寺にはこの一角だけではなく、全部で39の宿坊があり、それぞれに御堂があって、住職がいるそうです。 ![]() ![]() ![]() それぞれが歴史がある宿坊です。ただ個々の詳細は分かりません。 ![]() ![]() ネットで見る限り1泊2食付で9,000円とリーズナブル。 ![]() ![]() ![]() ちなみに高野山の宿坊はその2倍くらいが相場です。 ![]() ![]() とはいえ、料理は精進料理ですよね。ムムム、心が騒がないかな。 ![]() 建物好きとしては一度泊まるのもいいかもしれませんが。 善光寺 仁王門 ![]() 北に進む石段があり、その石段を上ったところにある仁王門。善光寺の参拝者を迎える最初の門です。宝暦2年(1752)に建立されましたが、弘化4年(1847)の善光寺大地震で焼失。その後、元治元年(1864)年に再建されましたが、明治24年(1891)の火災でまたも焼失してしまいました。現在のものは大正7年(1918)に再建されたものです。 善光寺 仁王門 1918(大正7)年 設計・施工 : 不明 ![]() ![]() ![]() ![]() 仁王門から三門まで続く仲見世通りは、郷土の銘産、民芸品などの土産物店や旅館などが立ち並び、多くの参拝客で賑わっています。善光寺の境内入り口から本堂までは、碁盤の目のように整えられた石畳(敷石)が敷き詰められています。 敷石は今の本堂の完成後8年目に完成。敷石は長野市の文化財に指定されていて、全部で7777枚あったるそうですが、ネット情報では現在では6千枚強だとか。石畳は境内入り口から山門までは、幅5.4メートル、長さ約395メートルあります。また、山門から本堂までは幅7.2メートル、長さは63メートルです。 善光寺参道 1714年(正徳4)年 長野市史跡 設計・施工 : 不明 ![]() 多くの土産物店。 ![]() ![]() 旅館や・・・ ![]() 右奥に見えるのは世尊院 釈迦堂。1700年以降(江戸時代中期)再建の重要文化財でした。 ![]() 知らずに遠景だけ。見逃したのでネットの写真を借用します。 ![]() 重要文化財の釈迦涅槃像があるそうです。これもネットから。 善光寺 三門(山門) ![]() 仲見世どおりを北へ進み、石段を上がったところに山門があります。山門は寛延3年(1750)に建立されました。桁行き約20.4メートル、梁行き約8メートル、高さ約18メートルの入母屋造りの大楼門です。建物や屋根の老朽化が進んでいました。そこで、2002年より平成の大修理が行われ、2007年12月に5年の歳月を経て建立時の姿が復活しました。 善光寺三門(山門) 1750(寛延3)年 / 2007(平成19)年再建 重要文化財 設計・施工 : 不明 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂に向かって手前右側にあるのが鐘楼です。江戸末期の嘉永6年再建された檜皮葺の建物で、南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。ちなみに梵鐘は寛文七年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています。大晦日の「行く年来る年」で取り上げられたり、長野オリンピックの開会を告げた鐘として知られています。 善光寺 鐘楼 1853(嘉永6)年 設計・施工 : 不明 善光寺 本堂 ![]() 国宝に指定されている本堂は江戸中期の宝永4年(1707年)の竣工。設計は幕府の大棟梁甲良氏3代甲良宗賀が担当しました。間口に比して奥行の深い、大型の仏堂で、一見2階建のように見えますが、建築形式的には一重裳階付(いちじゅうもこしつき)とか。つまり天井が高い吹き抜け構造になっています。屋根は檜皮葺きで、屋根形式は撞木造(しゅもくづくり)という特異なものだそうです。 善光寺本堂 1707(宝永4)年 国宝 設計 : 甲良宗賀(幕府大棟梁甲良氏3代) 施工 : 不明 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 一回りしました。来たときから降っていた雪が強くなってきました。寒い! ![]() 本堂の裏側に牛が2頭。善子さんと光子さんだそうです。「牛に引かれて善光寺まいり」なのでここにいるわけです。 ![]() これです。写真はネットから借用しています。 善光寺 三重塔 ![]() 本堂の北西に建つ三重塔。正式には日本忠霊殿といいます。戊辰戦争から第二次世界大戦で亡くなった 240万余柱の英霊を祀っているそうです。建物には、善光寺資料館が併設されており、奉納絵馬や、本堂に安置されていた仏像などを拝観できるとか。昭和45年に建立された三重塔形のコンクリート製の建物で、初層には裳階があります。高さは44.5m。 善光寺 日本忠霊殿(三重塔) 1970(昭和45)年 設計・施工 : 不明 ![]() ![]() 江戸中期の宝暦9年(1759年)に建立された宝形造りのお堂です。国の重要文化財に指定されています。経年劣化のため改修工事が行われていたそうですが、私が訪ねた3ヶ月前に修復を終え、9年ぶりに内部の一般公開を再開したばかりでした。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し廻すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。 経蔵 1759(宝暦9)年 重要文化財 設計・施工 : 不明 ![]() ![]() ![]() ![]() 中にあるのが八角の輪蔵。 ![]() 実際に押して廻していますね。功徳がありそうです。 ![]() ![]() 善光寺大勧進は、天台宗の大本山で、善光寺山内にある25ヶ院の本坊になっています。 大勧進 詳細不明 ![]() ▲
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| 2018-08-31 09:33
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![]() 小布施駅へ戻ってきました。長野駅から特急ゆけむりで20分、長野電鉄小布施駅は、栗と北斎の町小布施の玄関口です。 1923年(大正12年)に 開業した駅舎です。観光地の駅らしく、ながでん電車の広場に古い列車を展示したり、藤平第二発電所の水車と水圧鉄管をホームに置いたり工夫されていました。 長野電鉄 小布施駅 1923(大正12)年 設計・施工 : 不明 長野県上高井郡小布施町大字小布施1497-2 撮影 : 2017.12.16 ![]() 駅舎は全体的には開業した大正時代の姿をとどめているようです。 ![]() ホームからは雄大な北信五岳(飯綱山、戸隠山、黒姫山、斑尾山、妙高山)の山並みを望めます。この写真は車窓から。 ![]() ![]() 出発が遅かったので着いたのはすでに午後4時前。 ![]() ![]() ![]() 駅に帰ってきたのは午後5時15分頃。1時間半の短い滞在でした。 ![]() ![]() 既に暗くなっています。 ![]() ![]() 1番線隣にある「ながでん電車の広場」には、以前長野電鉄を走った古い車両が展示・保存されています。 ![]() 現在展示されているのは2000系D編成の3両。 ![]() 藤平第二発電所にあった水車と水圧鉄管がホームに展示されています。 ![]() 機械工学的にはペルトン型水車です。柄杓(ひしゃく)が水を入れて回ります。 ![]() 短い散策でしたが、長野駅へ戻ります。小布施はもう一度訪ねたいところです。 ![]() これはウィキペディアの写真です。
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| 2018-08-30 08:31
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![]() 短い小布施の散策。早くも日が落ちて薄暗くなってきました。駅へ向かう道路から立派な茅葺き屋根の民家らしきものが見えました。新潟の古民家を移築し2015年4月にオープンした「カフェ ド 珈茅 (Cafe de kochi)」でした。 カフェなので、メニューは主に、サンドイッチやコーヒー、また野菜スープなどの軽食だそうです。通りかかった日は定休日らしく、閉まっていましたが、ネットの写真を見る限り落ち着いた店内で静かに過ごせそうです。 カフェ ド 珈茅 詳細不明 長野県上高井郡小布施町小布施787 撮影 : 2017.12.16 ![]() ![]() 道路から見える藁葺き屋根。小布施の町並みでは見かけない農家のような民家です。 ![]() 新潟にあった民家を移設したとか。なるほど。 ![]() この日は閉まっているようでした。定休日でしょうか。 ![]() 道路からのアプローチは板張り。向こうに見える建物は初回に紹介した「プチホテル ア・ラ・小布施」です。 ![]() ![]() これ以降の写真はネットにあったものを借用しています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2018-08-29 08:17
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![]() もう一つ高井鴻山が12代目だった市村家が、江戸時代の宝暦5年(1755)に創業した造り酒屋です。屋号は「桝一」。栗菓子の「小布施堂」や和風レストラン「蔵部」と同じ市村家の経営する桝一市村酒造場の直売店です。 桝一市村酒造場 詳細不明 長野県上高井郡小布施町小布施807 撮影 : 2017.12.16 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() これ以降はネットにあった写真を借用しています。 ![]() 店内にはテッパ(手盃)台と呼ばれるカウンターがあるそうです。 ![]() テッパとはこの地方の方言で、量り売り直飲のこととか。 ![]() □一は「桝一」のロゴ。 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2018-08-28 08:35
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![]() 蔵部(くらぶ)は高井鴻山の市村家が営む桝一市村酒造場の酒蔵の一部を改装して作った和食レストランです。江戸時代から酒蔵で働く蔵人たちが寄り合い、冬の期間に寝泊まりをしながら酒を造り、休息たりし、食事をする「寄り付き場」であったことから「寄り付き料理 蔵部」という店名にしたそうです。 地元信州で取れた岩魚(イワナ)や山女魚(ヤマメ)などの川魚をはじめ、信州の肉、地のきのこや野菜、豆などの郷土色豊かなメニューがあるそうです。建物はあきらかに江戸後期から明治初期の築に見えますが、詳細は分かりませんでした。 寄り付き料理 蔵部 詳細不明 長野県上高井郡小布施町小布施807 撮影 : 2017.12.16 ![]() 立派な長屋門があるお屋敷です。 ![]() 北斎館へ向かう道路沿いに蔵が並んでいます。 ![]() ![]() このうちのどれかがレストランになっていると思われます。 ![]() ![]() 小布施らしい歴史を感じる佇まいでした。 ![]() これ以降の内部と料理の写真は食べログから借用しています。 ![]() トックリは「桝一」のロゴです。 ![]() ![]() ![]() ![]() なかなかよさそうなレストラン。チャンスがあれば行ってみたいです。
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| 2018-08-27 08:44
| 建築
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![]() 高井鴻山(たかい こうざん)は本名を市村健といい、江戸時代に小布施で財を成した豪農商。この屋敷は葛飾北斎が晩年に滞在したところで、佐久間象山、久坂玄瑞、藤本鉄石などの文人墨客が多く訪れたそうです。高井鴻山記念館は小布施町教育委員会が運営する、高井鴻山の足跡を伝える記念館です。 高井鴻山は小布施にある、小布施堂や桝一市村酒造場を経営する市村家 12代当主でした。当時の面影を色濃く残す建物とともに、鴻山が数多く残した書画の作品を展示しています。 高井鴻山記念館 江戸末期 設計・施工 : 不明 長野県上高井郡小布施町小布施805-1 撮影 : 2017.12.16 ![]() 裏口が栗の小径にあります。 ![]() ![]() 中を見たかったのですが、すでに夕暮れ間近。時間切れです。 ![]() ![]() 正門は裏口の反対側にあるようです。この写真以降はネットにあったものを借用しています。 ![]() ![]() ▲
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| 2018-08-25 08:28
| 建築
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![]() 小布施は栗の名産地。“栗の小径”は北斎館から北へ、高井鴻山記念館方面へ向かう小道です。名産の栗の間伐材が路に敷き詰められていて、小布施では逃せない観光スポット。静寂で趣がある一角でした。 小布施町「栗の小径」 長野県上高井郡小布施町小布施470付近 撮影 : 2017.12.16 ![]() 北斎館から北へ向かう小径の中央にシートが敷いてありました。 ![]() シートの両側には確かに年輪が見えます。 ![]() ![]() ![]() 次回にアップする高井鴻山記念館を過ぎたころからシートが消えました。 ![]() ![]() 他では見れない見事な栗の小径。 ![]() 途中にオープンガーデンの看板。 ![]() 普通の住宅の庭を一般に無料で公開しています。 ![]() このようなオープンガーデンが小布施には数箇所あるようです。 ![]() バス通りに出ました。栗の小径は「日本庭園的生活」というブログで知り、行きたかったところです。 ![]() この写真はネットにあった写真を借用しています。夏の風景ですね。栗の木(多分)が茂っています。
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| 2018-08-24 08:43
| 旅
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![]() 小布施町は江戸時代の画家・浮世絵師の葛飾北斎が晩年の80代に、豪農商の高井鴻山に呼ばれて滞在したところ。北斎館は1976(昭和51)年に建てられ、開館40周年を記念してリニューアル工事を行い、2015(平成27)年に新装オープンしました。葛飾北斎の肉筆画・画稿・書簡など50点と、北斎筆の天井絵で知られる上町・東町の祭り屋台2台を展示しています。木造平屋建て。 信州小布施 北斎館 1976(昭和51)年 / 2015(平成27)年改装 設計 : 忠長建築設計事務所 施工 : 不明 長野県上高井郡小布施町大字小布施485 撮影 : 201712.16 ![]() ![]() ![]() ![]() 入館料は800円でした。 ![]() ![]() 展示室内は撮影禁止ですが、通路に開示されているレプリカの撮影は問題ありません。 ![]() 和モダンな意匠の建物です。 ![]() ![]() ![]() もらったパンフレットです。 ![]() ![]() ![]() これ以降はネットにあった写真を借用しています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 絢爛豪華な飾り屋台。龍と鳳凰、男浪・女浪の怒涛図が美しいのですが、これも撮影禁止で細部を紹介出来ないのが残念。
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by gipsypapa
| 2018-08-23 08:29
| 建築
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![]() 須坂を訪ねた翌日です。今回の目的だった長野市内での昼食会が終了。2時過ぎからもう一か所、行きたかった小布施町(おぶせまち)へ。再び長野電鉄に乗ってもっと北へ向かいました。 小布施町は、長野県の北東に位置する町。千曲川の東岸にあり、交通と経済の要所として江戸時代に栄えた町です。町中に当時の面影を残す歴史的遺産が数多く残っています。町内には12の美術館・博物館があるとか。葛飾北斎をはじめとする歴史を活かした町づくりが人気を呼び、今や北信濃地域有数の観光地として知られるようになりました。 昨日訪ねた須坂同様に歴史的はたたずまいの街並みですが、小布施は土産物屋やレストラン、食事処やカフェが多く、外国人観光客の姿も見られ、活気がありました。 小布施町 長野県上高井郡小布施町大字小布施 撮影 : 2017.12.16 富田酒造店 ![]() 小布施駅から観光の中心の北斎館を目指している途中に大きな土蔵があります。酒蔵でした。端には2階建ての純和風の店舗。古そうですが建物の詳細は分かりませんでした。 富田酒造店 上高井郡小布施町大字小布施横町1096 ![]() ![]() ![]() 小布施は栗の町。名物の栗菓子を販売する小布施堂です。食事処もあるそうです。解体移築した長野市の商家の土蔵3棟があり、内部は洋式だとか。 小布施堂本店 上高井郡小布施町小布施808 ![]() ![]() これ以降の店内や食べ物の写真は食べログなど、ネットにあったものを借用しています。 ![]() ![]() ![]() ここも「栗ようかん」や「栗かのこ」などの栗菓子を販売。民芸風の建物ですが1988(昭和63)年築の比較的新しいもの。 竹風堂小布施本店 上高井郡小布施町小布施973 ![]() ![]() ![]() ![]() 北斎館前の広場に来ました。小布施町の観光の中心地で、北斎館と大型バス駐車場、お土産店などが並ぶ区域。 桜井甘精堂北斎亭 ![]() 北斎館の隣にある白壁づくりの和風の建物は北斎亭です。和食と栗菓子のお店で、川魚など田舎の味をつめこんだ「お重」「栗わっぱ」がお勧めだそうです。 桜井甘精堂北斎亭 上高井郡小布施町大字小布施上町810-3 ![]() ![]() ![]() ![]() ここも栗菓子と食事処の店。同じような店が何軒もあります。 栗庵風味堂 上高井郡小布施町大字小布施上町810-3 ![]() ![]() ![]() 北斎館前の広場にある上町(かんまち)の火の見櫓。 ![]() ![]() 庭のある和風の民家をカフェやホテルにしているところがあちこちにあります。このホテルは、まわりの風景にぴったりの趣。古くから残る土蔵を改修したものです。 プチホテル ア・ラ・小布施 上高井郡小布施町大字小布施789−1 ![]() ![]() ![]() 短い小布施の散策を終えて、駅に向かう途中で見かけた店です。落ち着いた茅葺屋根と庭園、小布施散策の休憩スポットで、かんてんを使った健康食品を販売するお店だそうです。 かんてんぱぱショップ 小布施店 上高井郡小布施町小布施中町1117 ![]() ![]() 甘味処が多かったです。信州といえば蕎麦ですが、なぜか蕎麦屋は見かけませんでした。次回から個別の見所をいくつか紹介します。
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| 2018-08-22 08:35
| 建築
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![]() 旧上高井郡役所は、大正6年(1917年)に建築された、長野県内に唯一残る郡役所の建物です。その後も名称を変えながら、役所や保険所として利用されたそうです。現在は須坂市の管理により耐震補強されて、市民の交流と各種歴史資料の収集・展示を行う施設になっています。 左右対称の正面は両端の壁面をわずかに前に突き出し、中央にペディジメント(切妻破風)を配した意匠は、明治から大正前期の公共建築によく用いられたバロック様式の本格的な木造洋風建築です。縦長の上げ下げ窓を持つ薄緑色の外壁はドイツ下見という板張りの工法だとか。正面玄関の車寄せ上にはテラスを備えた木造2階建て。 旧上高井郡役所 1917(大正6)年 設計・施工 : 不明 長野県須坂市常盤町812−2 撮影 : 2017.12.15 ![]() ![]() ![]() 車寄せのある玄関ポーチの上にはテラスがありますが、2階からテラスに出る扉はありません。単なる飾りです。 ![]() ![]() 想像以上に奥行きがあります。 ![]() ![]() ![]() 玄関ポーチは3本の細い柱を組み合わせて支える構造。 ![]() 玄関ドアは閉まっていましたが、自由に出入りできます。無料です。 ![]() 入った右に牛のこて絵が飾ってありました。 ![]() レトロな牛乳屋の看板でした。 ![]() 1階の小部屋は市民交流室。会議などに使われているようです。 ![]() この背後にいくつもの部屋があるはずですが、事務所にも使われているようなので、遠慮しました。 ![]() ![]() 2階へ上がります。 ![]() ![]() 2階には多目的ホールという大広間があります。 ![]() ![]() 昔は議場だったのかも。 ![]() ![]() 天井の蛍光灯の配置が気になったので、スイッチを押しました。 ![]() 蛍光灯なので当初からあったわけではないでしょうが、幾何学的でセンスがいいです。 ![]() ![]() ![]() 夕暮れが近づいてきました。このあと長野市内に戻ります。
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by gipsypapa
| 2018-08-21 08:23
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