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大内宿の子安観音堂

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大内宿北の端に子安観音への階段があります。狭い階段を上がっていくと小さいですが趣のある社がありました。江戸時代中期の延享3年に正法寺の住職が勧請した子安観音像を本尊として祀っています。特に大内宿の女性から篤く信仰され、子宝や安産、子育てに御利益があるそうです。

堂は寄棟、茅葺き、平入で正面1間向拝付。茅葺屋根に雑草が生えているのが珍しいです。境内を右手に進むと、高台から茅葺屋根の家々が並ぶ大内宿の全景を望むことのできます。木造平屋建て。

子安観音堂
江戸時代
福島県南会津郡下郷町大内
撮影 : 2017.10.2
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これ以降はネットにあった写真を借用しています。
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最初の写真もそうですが、茅葺屋根に雑草が生い茂っているのが面白いです。

by gipsypapa | 2018-06-25 09:04 | 建築 | Trackback | Comments(0)

大内宿町並み展示館

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大内宿には阿部家(美濃屋)や佐藤家(玉屋)など、内部を見学できるところがありますが、時間が限られていたので、中を見学したのはここだけです。大内宿町並み展示館は大内宿の本陣跡に復元された宿駅時代の本陣です。当時の風習を伝える写真や生活用具が展示されています。

大内宿町並み展示館
1984(昭和59)年
設計・施工 : 不明
福島県南会津郡下郷町大内山本8
撮影 : 2017.10.2
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建物の裏側に数少ない公衆トイレがあり、ここを借りました。その横に古ぼけたポストがポツンと。間違って投函する人がいるんでしょうね。
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入館料は250円でした。
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大内宿の本陣は、会津若松と日光今市を結ぶ下野街道(南山通り・会津西街道)の拠点のひとつとして江戸時代初期に建てられました。
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会津藩の初代藩主・保科正之、二代藩主・正経が江戸参勤のためにこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っています。
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この時の行列の総人数は約600人で、宿場内はたいへんなにぎわいであったといわれています。
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大内宿は、戊辰戦争の戦場にもなったことから、本陣に関する記録、図面等が散失し発見されていません。このため現在ある建物は、同じ街道の糸沢宿、川島宿の本陣を参考に復元したそうです。
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囲炉裏の煙が立ち込めています。少しやりすぎでは。
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隙間から宿場の様子が見えます。
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by gipsypapa | 2018-06-24 08:55 | 建築 | Trackback | Comments(2)

大内宿

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大内宿(おおうちじゅく)は江戸時代における会津西街道の「半農半宿」の宿場でした。南会津の山中にあり、明治期の鉄道開通によって宿場ではなくなりましたが、茅葺き寄棟屋根の民家が全長約450mの街道沿いに建ち並ぶ集落がよく保存され、地名として現在も受け継がれています。1981年(昭和56年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、福島県を代表する観光地の一つになっています。

現在はほとんどの民家がお土産店や蕎麦屋などの店になり、農業から観光産業へと変わっています。

大内宿
江戸初期~末期
重要伝統的建造物群保存地区
福島県南会津郡下郷町大内山本
撮影 : 2017.10.2
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福島県道329号の小野川沿いを北上。
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宿場の南端に到着。
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北に向かって歩きます。
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阿部家(美濃屋)
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阿部家は屋号「美濃屋」を掲げ会津西街道の宿場町である大内宿の名主を歴任した家柄です。明治時代初期にはイギリス人女性紀行家イザベラバードが宿泊した事でも知られているとか。会津中湯川人形などを販売する土産物店。

阿部家住宅(美濃屋)
慶応年間(1865~1868)
南会津郡下郷町大内字山本2
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本家玉屋
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築400年以上というから江戸時代初期、後白河天皇の第三王子高倉以仁王が草鞋(わらじ)を脱いだとされる歴史,伝承のある店です。

本家玉屋(佐藤家住宅)
江戸初期
南会津郡下郷町大内字山本3
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以下の写真は食べログから借用しています。
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祝言そば(ネギそば)。大内宿の名物です。
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ねぎをお箸代わりにして食べるそうです。
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絶景スポット。子安観音堂の上にある高台からの眺めが素晴らしい。
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by gipsypapa | 2018-06-22 09:28 | 建築 | Trackback | Comments(0)

裏磐梯の五色沼

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宮城県の松島から南下して福島県に移動。3泊目、最後の宿は五色沼の近くにある裏磐梯ロイヤルホテルでした。
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裏磐梯ロイヤルホテル
福島県耶麻郡北塩原村大字檜原字剣ヶ峯1093-309
撮影 : 2017.10.1 & 2
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先ほどネットを検索したら、名前が「アクティブリゾート裏磐梯」に変わっていました。
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翌朝はまず五色沼へ。五色沼は正確には「五色沼湖沼群」といい、毘沙門沼・赤沼・みどろ沼・竜沼・弁天沼・るり沼・青沼・柳沼などの数多くの湖沼の総称です。

五色沼福島県耶麻郡北塩原村桧原
撮影 : 2017.10.2
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訪ねたのはホテルの近くにある五色沼湖沼群では一番大きな毘沙門湖だけです。
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沼によって、エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズブルー、エメラルドブルー、パステルブルーと色が違う不思議な場所で「神秘の湖沼」といわれています。
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山が二つ見えます。磐梯山のはずです。
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この日の朝も曇り空。うたい文句の水の色は感じません。
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特に青沼は自然が作り出したものとは思えない綺麗な色だそう。ネットにあった写真です。天気がいい日に行ってみたいものです。
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福島県を南下して会津若松市へ向かいます。
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このあたりも10月初めですが、すでに実りの秋でした。
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巨大な阿弥陀如来の像が見えます。後ろ向きです。

by gipsypapa | 2018-06-21 08:30 | | Trackback | Comments(4)

松島の五大堂

お礼
6月18日に発生した震度6弱の大阪北部地震は我が家の近所が震源地でした。非常に強い揺れを感じましたが、幸い短い間だったことから、食器が割れたり、棚の物が落ちたりしただけで、怪我はなく家族全員は無事でした。ライフラインも問題ありません。複数の知人や親戚の方々から電話やメールを頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。家の中の片付けも終わりましたので、ブログを再開します。
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五大堂は日本三景の一つ松島の景観上で重要な建物で、海岸に近い小島に建っています。伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとか。

その後、円仁(慈覚大師)が延福寺(瑞巌寺の前身)を創建したときに仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に東方降三世明王、西方大威徳明王、南方軍荼利明王、北方金剛夜叉明王の五大明王像を安置したため、五大堂と呼ばれるようになったそうです。離れた場場所にありますが、瑞巌寺に属する仏堂なので、山号はありません。

現在の堂は、慶長9年(1604年)、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建しもの。東北地方最古の桃山建築といわれ、国の重要文化財に指定されています。木造平屋建て。

瑞巌寺五大堂
1604(慶長9)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
宮城県宮城郡松島町松島字町内111
撮影 : 2017.10.1
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小高い丘のような小島にあります。
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すかし橋。 五大堂のある小島に架けられた橋。橋げたの隙間から海が見え、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために造られたそうです。
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堂の近くにあるもう一つのすかし橋。
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参道の途中から松島湾を見下ろしています。観光船が見えます。
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向こうに見える長い橋は福浦島とつながる福浦橋です。
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五大堂に到着。
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木鼻は龍でしょうか。
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4面の軒下に装飾彫刻が見えました。
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干支の彫刻です。十二支あるはずですが・・・
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十一支しかありません。「巳」を撮り忘れたようです。

by gipsypapa | 2018-06-20 08:34 | 建築 | Trackback | Comments(6)

松島の天麟院

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天麟院は瑞巌寺から西へ歩くと円通院の次にある寺院。瑞巌寺の塔頭のひとつで、山号は瑞雲峰です。伊達政宗の正室・愛姫(めごひめ)との間に生まれた娘、五郎八姫(いろはひめ)の菩提寺で、 陽徳院、円通院と並んで松島の三霊廟に数えられているそうです。

瑞雲峰 天麟院
詳細不明
宮城県宮城郡松島町松島町内51
撮影 : 2017.10.1
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新しそうな本堂です。
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本堂の前に不思議な乗り物が止まっていました。「松島さかな市場」?生臭そうですが・
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足元に子供がいる観音像。
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子育水子地蔵尊の社があります。
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中には子供が好きそうな玩具などか供えられていました。
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by gipsypapa | 2018-06-17 09:46 | 建築 | Trackback | Comments(4)

松島の円通院

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円通院(えんつういん。旧字体:圓通院)は瑞巌寺の西隣にある臨済宗妙心寺派の寺院で、伊達政宗の孫にあたるる伊達光宗の菩提寺として、1647(正保4)年に瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿(さんけいでん)が建立され開山されました。円通院は三慧殿や大悲亭(本堂)という歴史的な建造物以外にも、変化に富んだ庭園が見所でした。

白華山 圓通院
宮城県宮城郡松島町松島町内67
撮影 : 2017.10.1
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山門は開山と同時に建てられたと考えられいる、萱葺き一間一戸の薬医門です。本堂と共に松島町指定文化財。
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山門をくぐって奥へ。
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山門から境内に入ると左側に石庭「雲外天地の庭」があります。
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「天の庭」は松島湾に実在する七福神の島を仏の庭として表し、「地の庭」は命を意味した「三宝の庭」だとか。
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松島湾は白砂で、周囲の山々はコケで表し、「天」と「地」には天水橋が架っています。
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■三慧殿
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境内の一番奥にある三慧殿(さんけいでん)は別名御霊屋(おたまや)とも呼ばれています。建物は宝形造りで、周囲に高欄付の縁を巡らす、東北地方では数少ない 格式ある方三間霊屋の遺構です。霊屋建築としては宮城県下最古とされ、3世紀半もの間秘蔵とされたという、国の重要文化財です。木造平屋建て。

三慧殿
1647(正保4)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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よく見えませんが、三慧殿の厨子には、馬に跨った光宗像と慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰ったバラや、フィレンツェを象徴する水仙、トランプの図柄などが描かれキリシタン文化の影響を受けています。江戸時代初期に海外との交流を図った伊達政宗の影響がここに残っているわけです。
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三慧殿から本堂方面へ戻る参道の左側に石窟が並んでいます。
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ネットではあまり取り上げられてはいませんが、興味深かったです。
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遠州の庭。中門をくぐると本堂の前に心字の池で構成された庭があります。
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この庭は伊達藩江戸屋敷にあった小堀遠州作の庭を移設したといわれているそうです。
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この前後の写真はネットにあったものを借用しています。
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三慧殿禅林 瞑想の庭。杉林の自然庭園です。
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バラの庭 「白華峰西洋の庭」。支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったバラなどをモチーフにしたそうです。みのはしたので写真はネットから借用しました。

■大悲亭(本堂)
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本堂の大悲亭は光宗公の江戸納涼の亭として使われていた建物を移築したもので、寺院としては寄棟造りの萱葺き屋根が珍しいのですが、禅寺らしい落ち着いた雰囲気といえます。松島町指定文化財の木造平屋建て。

大悲亭(本堂)
1647(正保4)年
松島町指定文化財
設計・施工 : 不明
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本堂の横に瓦葺きの建物があります。詳細は不明ですが、ここで数珠作りが体験できるようです。

by gipsypapa | 2018-06-15 08:57 | 建築 | Trackback | Comments(4)

松島の青龍山 瑞巌寺

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ツアー3日目は中尊寺を出て、午前中に日本三景のひとつ宮城県の松島へ到着しました。2011(平成23)年の東日本大震災の津波で、東北の太平洋岸は甚大な被害を被りましたが、ここ松島町は奥まった湾で手前に多くの小島がるため、被害が少なかった地域です。このツアーでは唯一、昼食がない日で、自由時間も長めだったので、お昼を済ませて、周辺の見所を回りました。

まずは民謡「斎太郎節(さいたらぶし)」で歌われる瑞巌寺へ。瑞巌寺の山号を含めた詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷したとか。

現在ある建物は、1609(慶長14)年に伊達政宗公が造営したもの。桃山様式の粋をつくし、5年の歳月をかけて完成させたものです。ネット情報では、建築にあたって、諸国から名工130人を集めたほか、建材も熊野山中から取り寄せるなど、奥州の覇者としての意気込みが伝わります。造営の縄張には政宗自ら縄頭を執ったとか。

青龍山 瑞巌寺(松島青龍山瑞巌円福禅寺)
宮城県宮城郡松島町松島町内91
撮影 : 2017.10.1
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町並みから北に向かい参道へ。
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料金所の手前に立つ延命地蔵。古くないように見えますが、説明板では1863(文久3)年の鋳造です。
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両脇に鬱蒼とした杉木立が続く参道を進むと・・・・
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総門があります。本堂などと同時期に伊達政宗によって建立された薬医門。
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■本堂(方丈)
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桃山時代建立の書院造りで東・南・西三方に上縁・下縁を巡らした入母屋造本瓦葺き。中孔雀の間、仏間、上段の間、上々段の間など10室の部屋で構成されています。京都・根来の大工衆が技を競ったそうです。国宝に指定されている木造平屋建て。

本堂(方丈)
1909(慶長14)年ころ
国宝
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この辺で気づきましたが堂内は撮影禁止でした。
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あまり大きくない庭があります。
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■庫裡
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本堂の横にある庫裡へ。本堂と同時期の建立です。庫裡(庫裏)は禅宗寺院の社務所や台所。切妻造りの本瓦葺きで、屋根には入母屋造りの煙出しを載せ、唐草の透かし彫り等名工の腕が冴えた庫裡の傑作といわれています。国宝の木造平屋建て。

庫裡(非公開)
1909(慶長14)年ころ
国宝
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正面妻には桃山風の唐草装飾があります。
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非公開ですが玄関の控えの間だけ見ることが出来ました。
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宝物館に平安時代、創建時の鬼瓦が展示されています。
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内部が撮影禁止のためでしょう、参道になかで見た色々な部屋の襖絵の写真が並んでいました。
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ところが検索していたら「旅ぐるたび」というHPに一部ですが内部の写真を発見。以下に借用します。室中孔雀の間です。
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文王の間。
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上々段の間。
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欄間の彫刻。
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瑞巌寺を出る途中、参道に供養塔が納められている岩窟「法身窟」があります。
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by gipsypapa | 2018-06-14 09:17 | 建築 | Trackback | Comments(2)

中尊寺の伽藍(その2)

中尊寺の最後です。月見坂と呼ばれる参道を登った丘の上に諸堂が点在しています。

開山 中尊寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202地内
撮影 : 2017.10.1

鐘楼
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中尊寺の鐘楼には、1343(康永2)年に、金色堂別当頼栄の発願によって鋳造された盤渉調(ばんしきちょう)の梵鐘が納められているそうですが、建物の建立年代はわかりませんでした。鐘の損傷があり、今は鐘を撞くことはありません。 

鐘楼
詳細不明
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大日堂
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大日堂は大日如来を本尊として祀っています。中央に金色の「金剛界大日如来像」が安置されています。

大日堂
詳細不明
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大日如来像のしゃしっはネットから借用しています。

峯薬師堂
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中尊寺本堂の横にある、目にご利益があるとされるお堂です。御本尊は薬師如来像、お堂は昭和57年に改築されました。

峯薬師堂
1982(昭和57)年
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写真はネットから借用しました。
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弁慶堂
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弁慶堂は中尊寺の参道沿いの小高いところにある建物です。案内板では「この堂は通称弁慶堂という文政9年(1826)の再建である。藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀り愛宕宮と称した傍らに義経公と弁慶の木像を安置す。弁慶像は文治5年(1189)4月高館落城と共に主君のため最期まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の磬及安宅の関勧進帳に義経主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である。」とあります。

弁慶堂
旧愛宕堂
1826(文政9)年
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これ以降はネットの写真を借用しています。
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中尊寺を出て、ツアーバスは宮城県に向かいます。

by gipsypapa | 2018-06-12 09:52 | 建築 | Trackback | Comments(4)

中尊寺の伽藍(その1)

中尊寺には月見坂と呼ばれる参道を登った丘の上に諸堂が点在しています。それらを2回に分けて紹介します。

開山 中尊寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202地内
撮影 : 2017.10.1

弁財天堂
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弁財天堂は金色堂の階段を下った向い側に位置しています。水の女神といわれる弁財天を祀っている社にふさわしく、池で囲まれた小島の上に建ち、湿気を防ぐ高床式です。江戸時代中期の再建の寄棟、茅葺き。外壁は真壁造り板張りで高床式の高欄付きです。

弁財天堂
1716(正徳6)年
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内部写真がネットにありましたので借用しています。
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讃衡蔵
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讃衡蔵(さんこうぞう)は 中尊寺ほか山内寺院の文化財を収蔵し展示する施設です。もと本坊にあった本尊の木造阿弥陀如来坐像、峯薬師堂にあった木造薬師如来坐像、閼伽堂にあった木造薬師如来坐像の3体の重要文化財をはじめ、多くの文化財を収蔵展示しています。

讃衡蔵
2000(平成12)年
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内部は撮影禁止でしたが、ネットに重文3像の写真がありました。

阿弥陀堂
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弁才天堂の隣、木々の中に建っています。これも江戸時代中期の再建で、本尊は阿弥陀如来。蔵王権現を合祀し、歓喜天(秘仏)や大黒天も安置されているそうです。

阿弥陀堂
1715(正徳5)年
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釈迦堂
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これも江戸時代中期の建立で、平安末期作といわれている本尊釈迦三尊像を安置しているそうです。経年のため、痛みが進んでいるとかで、扉は閉まっていました。

釈迦堂
1719(享保4)年
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次回は残りをアップします。
by gipsypapa | 2018-06-11 10:08 | 建築 | Trackback | Comments(4)