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半田市のT’s Cafe (旧中埜家住宅)

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 半田市訪問のもうひとつの目的地。市街地の中の高台に建つ、国の重要文化財に指定された洋風住宅建築です。これもミツカンの中埜家ゆかりで、 第10代中埜半六の別荘として明治末期に建てられました。戦後は学校施設・桐華学園本館として使われましたが、現在は紅茶専門のT’s Cafeになっています。あらかじめ昼食をここで取るように時間調整して行きました。

 この住宅も鈴木禎次の設計。2階部分はハーフティンバー様式。レンガの煙突と1、2階にベランダを持ち、屋根は天然スレート葺。基礎は石と煉瓦積。寄棟造の大屋根と切妻屋根が複雑に組み合わされ変化に富む構造。1978(昭和53)年に大改修されたそうです。いかにも明治の西洋館らしい、重要文化財の木造2階建て。

T’s Cafe
旧中埜家住宅
1911(明治44)年
重要文化財
設計 : 鈴木禎次+志水正太郎
施工 : 志水建築
棟梁 : 小森雷吉
半田市天王町1-30
撮影 : 2008.7.12
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ハーフティンバー様式やコロニアル風のベランダを持つ典型的な西洋館。外観も見事ですが、内部も。
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 西側にある玄関を入ると暖炉のあるロビー。奥は中廊下になっていて、南側には客間、居間、食堂、寝室があり、現在は喫茶スペースです。北側は入れませんが、書生室、女中室、台所があるとか。
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2階には和洋3室があるそうです。
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T’s Café は紅茶だけでなく、カレー、ピラフ、スパゲッティなどの軽食もありますので、半田市散策で一休みするのに最適です。

  私事ですが、明日から3日間、長崎へ旅行します。雨模様らしくちょっと心配ですが、またレトロな建物を撮ってきま~す。
by gipsypapa | 2009-05-16 22:04 | 建築 | Trackback | Comments(4)

ミツカングループ本社(中埜酢店)

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 鍋物の季節になるとお世話になる「ミツカン味ぽん」。聞いただけでコマーシャルソングが出てくるほど有名ですが、そのミツカングループの本社と中央研究所は半田市にあります。建物は中埜銀行本店として建てられました。中埜家の同属銀行として設立された中埜銀行は1901年(明治34年)に創業を開始し、その後合併を繰り返し、東海銀行になったあとUFJ銀行になりました。

 建物は愛知県の建物ではおなじみの鈴木禎次の設計で、アールのあるファサードと入口をコーナーに配し、1階部分を銀行らしく疑似石張りにしたモダンな建物。大正時代の地方都市にこれだけ立派な銀行を構えた中埜グループの勢いを感じます。鉄筋コンクリート造3階建て。

株式会社ミツカングループ本社 / 中央研究所
旧中埜銀行本店 1925(大正14)年
設計 : 鈴木禎次
施工 : 志水建築業務店
半田市中村町2-6
撮影 : 2008.7.12
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  ミツカンの前身、中埜酢店は1804(文化元)年に初代中野又左衛門が酒粕から酢を作る方法を考案したことからはじまりました。正面上部にあるミツカンのロゴマークである三本線は、中埜家の家紋が由来で、酢の命でもある「味」「利き」「香り」の意味があり、下の丸は「天下一円」を意味しているそうです。
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 私は中には入りませんでしたが、建物の東にはミツカンの博物館「酢の里」があります。一帯には運河沿いに長大な醸造倉が建ち並んでいて、醸造と海運の町だった半田の繁栄を今に伝えています。
by gipsypapa | 2009-05-15 10:26 | 建築 | Trackback(1) | Comments(2)

半田市の国盛「酒の文化館」

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 半田赤レンガ建物(丸三麦酒の醸造所)は、四代目中埜又左衛門と盛田善平によって始まったことを書きました。中埜(なかの)家は半田市の名家で、酒造りから大量に出る酒粕を原料にして食酢の醸造を始めたのが、中埜酢店(現ミツカン)の創業者である初代中野又左衛門でした。(中埜家の本家。4代目から「中野」を「中埜」に。初代中埜又左衛門はその分家。)

 その歴史のある江戸時代の酒蔵が「国盛 酒の文化館」として公開され、観光名所になっています。黒塗りの壁に白い漆喰窓が当時としては斬新な意匠。230年以上前の建物が時代を超えて保存・利用されているのは素晴らしいことです。木造3階建て。

国盛「酒の文化館」
旧中埜酒造酒蔵  1772 (江戸時代・安永年間) ころ
設計・施工 : 不明
半田市東本町2-24
撮影 : 2008.7.12
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珍しい、巨大な水車のようなものが上部にありますが、これは"アミダ"というもので、道具や材料の上げ降ろしに使った装置だそうです。当時のクレーンですね。
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 「酒の文化館」の周辺にも国盛の倉庫が建っています。
 「酒の文化館」は入場無料(電話予約とありますが、飛び入りで入れてもらえました)で利き酒もできます。
by gipsypapa | 2009-05-14 11:00 | 建築 | Trackback | Comments(4)

半田赤レンガ建物:旧丸三麦酒ビール醸造工場(カブトビール工場)貯蔵庫棟

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 明治末期に建てられ、大正期に順次増築されていった貯蔵庫棟。発酵室と貯蔵室に使用されていました。増築の設計は鈴木禎次が担当したといわれています。これも登録有形文化財の切妻屋根の煉瓦造2階建。

半田赤レンガ建物
旧丸三麦酒ビール醸造工場(カブトビール工場)貯蔵庫棟
1908(明治41)年/1918(大正7)年・1921(大正10)年増築
登録有形文化財
設計 : 妻木頼黄 / 鈴木禎次(増築)
施工 : 清水組
半田市榎下町8
撮影 : 2008.7.12
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 主棟と同じくイギリス積みの煉瓦。ちなみにハーフティンバー棟だけは長手積みでした。
by gipsypapa | 2009-05-13 13:41 | 建築 | Trackback(1) | Comments(2)

半田赤レンガ建物:旧丸三麦酒ビール醸造工場(カブトビール工場)ハーフティンバー棟

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 ハーフティンバー棟は主棟と同時期に建てられた、瓶洗・瓶詰・荷造等の出荷作業に使用されたもの。木骨で補強した煉瓦構造で切妻屋根の縦長の建物。木製窓枠の高窓と2か所の両開き板扉が流れ作業と出荷用途に使われたことを想起させます。登録有形文化財の木骨煉瓦造り平屋建て。

 なお赤煉瓦倶楽部半田のホームページに今年の公開予定とカブトビール復刻版の歴史が出ていますのでご参考まで。

半田赤レンガ建物
旧丸三麦酒ビール醸造工場(カブトビール工場)ハーフティンバー棟 1898(明治31)年
登録有形文化財
設計 : 妻木頼黄
施工 : 清水組
半田市榎下町8
撮影 : 2008.7.12
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by gipsypapa | 2009-05-12 09:53 | 建築 | Trackback(1) | Comments(6)

半田赤レンガ建物:旧丸三麦酒ビール醸造工場(カブトビール工場)創建時主棟

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 昨年の夏、名古屋出張のついでに知多半島の半田市へ足を伸ばしました。お目当ての一つだった半田赤レンガ建物。カブトビールというブランドのビールを製造していた旧丸三麦酒ビール醸造工場だったものです。

半田市のホームページより。
「半田は古くから醸造業がさかんであり、今もその伝統が受け継がれ、多くの名酒を生産しています。一般的に半田の酒は日本酒を指して言いますが、実は、ビールの製造も早くから手がけていました。

 半田における本格的なビールの製造は、明治20年(1887年)に四代目中埜又左衛門と盛田善平(後に、現在の敷島製パンの前身である敷島屋製粉場も開業)によって丸三麦酒醸造所で始められました。明治22年には「丸三ビール」として3000本を初出荷しています。

 その後、急成長を遂げ、明治29年(1896年)には、東京のエビス、横浜のキリン、大阪のアサヒに対抗して、丸三麦酒株式会社が設立されました。そして、本格的ドイツビール製造に向け、ドイツゲルマニヤ機械製作所による「完全なるビール醸造器械」を買い入れ、ドイツ人醸造技師を招き、新工場が建設されました。これが半田赤レンガ建物です。新工場建設とともに銘柄も、カブトビールと改められ、明治33年のパリ万国博覧会には、金牌を受賞するほどの品質を誇っていました。その後、社名さえも「加富登麦酒株式会社」改められるなど、カブトビールは東海地方では最大のシェアを持っていました。

 カブトビールの名称の由来は、ビールは日本酒と違って喉でのむといわれていますが、喉で勢いよく飲むことを「カブル」ということから、なまって「カブトビール」になったなど諸説あるようです。また、日清戦争後でもあることから、勇ましい「兜」の商標を採用したともいわれています。」


 ここには創建時主棟、貯蔵庫棟、ハーフティンバー棟が残っていて、順次紹介します。最初は半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)創建時主棟から。

 切妻造鉄板葺で2階建の発酵室・貯蔵室に5階建の事務室・技師室が接続しています。設計はこのブログでカトリック横浜司教館旧門司税関横浜赤レンガ倉庫神奈川県歴史博物館を紹介している明治から大正期の建築家、妻木頼黄。ジョサイア・コンドルの弟子で辰野金吾の後輩でした。大蔵省で港湾、税関、煙草・塩専売などの施設建設を多く手掛けました。登録有形文化財の2/5階建てレンガ造り。

半田赤レンガ建物
旧丸三麦酒ビール醸造工場(カブトビール工場)創建時主棟 1898(明治31)年
登録有形文化財
設計 : 妻木頼黄
施工 : 清水組
半田市榎下町8
撮影 : 2008.7.12
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 普段は閉まっていますが、年に何回か一般公開され限定販売の復刻カブトビールが飲めるようです。
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 手前は同時期に建てられたハーフティンバー棟。次回紹介します。
by gipsypapa | 2009-05-11 13:49 | 建築 | Trackback | Comments(2)

鶴舞公園普選壇(御誓文記念壇)

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 鶴舞公園にはもう一つ古い建造物があります。1925(大正14)年の普通選挙法の成立を記念して、名古屋新聞社(現・中日新聞社)より寄贈された野外劇場で、初の選挙が実施された昭和3年に建てられました。

 五ケ条の御誓文の青銅版のあるステージと木製のベンチや芝生席があります。設計は早稲田大隈講堂や日比谷公会堂で知られる佐藤功一。名古屋市都市景観重要建築物の鉄筋コンクリート造、石張り。

鶴舞公園普選壇(御誓文記念壇)1928(昭和3)年
名古屋市都市景観重要建築物
設計 : 佐藤功一(顧問:坪内雄蔵)
施工 : 澤田巳一郎
名古屋市昭和区鶴舞1
撮影 : 2008.7.12
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壇上壁面には青銅版。中央は五箇条の御誓文、左がその英訳、右は建設の趣旨が書かれていました。
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演奏会なども行なわれることがあるそうですが、さすがに野外は雨のリスクがあるので、使われることは少ないようです。普段は近所の人たちが囲碁や将棋を楽しむコミュニティ広場です。この日もやってました。暑い日でしたので、皆さん日陰に固まっていますね。

 これで一旦名古屋市内を終わって、次回から知多半島の半田市へ行きます。
by gipsypapa | 2009-05-09 22:09 | 建築 | Trackback | Comments(2)

鶴舞公園奏楽堂

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 鶴舞公園にあるもう一つの鈴木禎次の作品。同じく第10回関西府県連合共進会を記念して建てられた奏楽堂です。オリジナルは1934(昭和9)年の室戸台風のために倒壊。一度は1937(昭和12)年に復旧されましたが、全く違う形のものだったそうです。その二代目の奏楽堂も老朽化のため解体撤去され、今の奏楽堂は1997(平成9)年に創設当時の姿に復元されたレプリカです。2本の列柱8組が取り巻いたステージに銅板葺きのドームのあるルネサンス風の外観です。

鶴舞公園奏楽堂 1910(明治43)年/1997(平成9)年復元
設計 : 鈴木禎次
施工 : 不詳
名古屋市昭和区鶴舞1
撮影 : 2008.7.12
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 ハープや♪の装飾がちりばめてあります。
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 ステージの下は半地下です。周辺でイベントが開催されていましたが、関係者の控え室になっているのでしょう。
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by gipsypapa | 2009-05-08 11:37 | 建築 | Trackback | Comments(2)

鶴舞公園噴水塔

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 鶴舞公園には数件の古い建造物があります。明治末期に建造されたローマにあるような大理石の噴水塔。第10回関西府県連合共進会を記念して奏楽堂とともに建設されました。ドリス式の柱の周りに岩組の池を配した美しい景観から、公園のシンボルになっています。地下鉄工事のため一時解体され、昭和52年に築造当時の姿に復元されました。

 設計は帝国大学工科大学で辰野金吾の教えを受けたのち、名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)の建築科長を経て、建築事務所を開設して名古屋を中心に活躍した鈴木禎次。現在,彼の作品はあまり残っていませんが、中埜家別邸、共同火災保険名古屋支店、三井銀行京都支店、岡崎銀行本店、名古屋瓦斯会社工場、十六銀行大垣支店、岡崎図書館、松坂屋本店、名古屋銀行本店、愛知淑徳高等女学校、豊田喜一郎邸など多岐に亘っています。名古屋市指定有形文化財の石造り。

鶴舞公園噴水塔 1910(明治43)年 / 1977(昭和52)年復元
名古屋市指定有形文化財
設計 : 鈴木禎次
施工 : 木村善一
名古屋市昭和区鶴舞1
撮影 : 2008.7.12
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 ドリス式の8本の列柱。水は最上部の8本の突起部から落水しています。
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 池には子供の噴水も。
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 周囲の池や階段などはローマを思わせる欧風庭園です。
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 夕暮れが近い時間帯でしたが、快晴。暑い日だったので噴水は気分的に最適でした。
by gipsypapa | 2009-05-07 11:30 | 建築 | Trackback | Comments(2)

名古屋市公会堂

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 もう一つ名古屋市建築課の作品。鶴舞(つるま)公園の一角にあるこの建物は、 昭和天皇の御成婚記念事業として建設された近代的な大型のホールで、現在も現役で使われています。

 1階部分は白い人造擬石ブロック張りで、2階以上の外壁は茶褐色のスクラッチタイル貼りとした左右対称の重厚な外観です。全体にアーチ窓を採用し、正面ファサードの出入口の大胆な三連アーチが印象的です。設計は名古屋市建築課が担当し、顧問として武田五一、佐野利器、鈴木禎次らが関わったといわれています。名古屋市都市景観重要建築物の鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て、地下1階。

名古屋市公会堂 1930(昭和5)年
名古屋市都市景観重要建築物
設計 : 名古屋市建築課 (建築顧問:武田五一、佐野利器、鈴木禎次)
施工 : 大林組 、清水組、大阪鉄工所
名古屋市昭和区鶴舞1-1-3
撮影 : 2008.7.12
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 正面中央には車寄せのある大きな玄関。
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目を引く石貼りの大型3蓮アーチ。個人的にはこの周辺に武田吾一の影響を強く感じました。
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 これ以上中へは入れませんでしたが、玄関ホールだけ少し見ることができました。
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通用口の丸い庇も武田吾一の影響でしょうか。京都の1928ビル京都大学保健診療所を思い出します。
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by gipsypapa | 2009-05-06 14:38 | 建築 | Trackback | Comments(2)