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名古屋城 御深井丸展示館

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御深井丸(おふけまる)は本丸の北西に位置し、本丸の後衛を担う郭があったところです。本丸とは不明御門で連絡し、本丸北側の御塩蔵構(おしおぐらがまえ)や西之丸とも狭い通路でつながっていたそうです。

この一角は観光客が少ない場所で、ひっそりしていますが、そこに平屋建ての御深井丸展示館があります。内部は郷土の人形や玩具を展示しているところで、外壁沿いにはベンチがあり、飲み物の自動販売機もある休憩所を兼ねた建物です。木造平屋建て。

名古屋城 御深井丸展示館
詳細 : 不明
愛知県名古屋市中区本丸1
撮影 : 2017.11.7
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天守閣北側の御深井丸には四つの茶席があります。普段は一般公開はされてなく、事務所に申し込めば、お茶会や結婚式などに利用できるとか。これ以降の写真はネットにあったものを借用しています。
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書院(金城苑)。愛知県文化財専門委員だった森川勘一郎の意匠で造営されたそうです。
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猿面望嶽茶席(さるめんぼうがくちゃせき)。茶道の大宗匠だった古田織部(ふるたおりべ)の指図により、清洲城の古材により建築したものだとか。戦災焼失し、1949(昭和24)年に再建されました。
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織部堂。古田織部を顕彰するため1955(昭和30)年に建立されたもの。
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又隠茶席(ゆういんちゃせき)。千宗旦(千利休の孫)が造営した「又隠の席」を模したもので、安永年間に建てられたものを城内に移築したそうです。

by gipsypapa | 2018-07-22 08:29 | 建築 | Trackback | Comments(1)

名古屋城本丸御殿

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かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物でしたが、1945((昭和20)年5月の空襲により天守閣とともに焼失してしまいました。

江戸時代の文献のほか、多くの写真、実測図を元に工期を3期10年で総事業費約150億円をかけて復元され、今年、2018年6月8日から完全公開されています。

優美な外観とともに、室内は狩野貞信や狩野探幽など日本画史上最大の画派「狩野派」の絵師たちの山水花鳥などの題材で床の間絵、襖絵などが描かれ、当時の絢爛豪華な雰囲気を再現していました。木造平屋建ての書院造り。

名古屋城本丸御殿
2017(平成29)年
設計・施工 : 不明
愛知県名古屋市中区本丸1-1
撮影 : 2017.11.7
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訪ねたのは昨年11月初旬。完全公開前でしたが、既に一部が公開されていました。
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竹林豹虎図。
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狩野派の絵師により描かれた障壁画の一部で、全部で1,047面が重要文化財に指定されているそうです。
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本丸御殿は戦災で失われましたが、取り外すことができた襖絵や天井板絵などは焼失を免れ、今も保管されているとか。
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我々が見ることができるのは顕微鏡やコンピュータ、史料などで研究・分析を元に模写したものです。
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したがってどれもが新しすぎる印象。
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深みを増すにはまだまだ時間がかかりますね。
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この豪華な本丸御殿の再現も、河村たかし市長の肝いりなんでしょうね。
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ネットの写真を借用しています。大天守の手前にあるのが本丸御殿です。

by gipsypapa | 2018-07-20 08:38 | 建築 | Trackback | Comments(3)

名城公園 名古屋城

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和歌山から帰って半月後に用があって名古屋に行きました。和歌山城を見たばかりで、もう一つの徳川御三家の城も見たくなったのです。ここは久しぶりです。

名古屋城は1609(慶長14)年に徳川家康が九男の義直のために、天下普請(てんかぶしん)で築城した城です。徳川御三家の一つ、尾張徳川家の17代続く居城でした。天下普請とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のことです。

大小天守と櫓、門、御殿などの一部は昭和戦前期まで残存していましたが1945(昭和20)年年の名古屋大空襲で大部分を焼失しました。戦後に天守などの外観が復元され、城跡を名城公園として整備し、国の特別史跡に指定されています。大天守に上げられた金鯱(きんこ・きんしゃち))は、城自体はもとより名古屋の街の象徴になっています。

名城公園 名古屋城
特別史跡
愛知県名古屋市中区本丸1−1
撮影 : 2017.11.7
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名古屋市役所側にある東口から入園しました。
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城の北西に伸びる外堀は昔のまま水をたたえています。
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外堀に向かった「南蛮たたき鉄砲狭間」。二之丸御殿北御庭の北端の石垣の上に東西に長く伸びた練塀の遺構です。
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砂と砂利に石灰、油などを混ぜて強固に固めた「南蛮たたき」といわる方法で造られたもの。
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内堀です。今は水がありません。
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名古屋城の普請を取り仕切った加藤清正の像。江戸幕府の外様大名として普請の命を受けました。熊本城も彼。城造りの名人です。
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天守に向かいますが、位置関係をGoogleで。
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表二の門。門柱、冠木とも鉄板張り。袖塀は土塀で鉄砲狭間を開いて要害としての堅固さを示しています。 1619(元和5)年に建造された国の重要文化財
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こちらは不明門。本丸御殿の大奥へ通ずる秘門で、常に厳重に鍵が施錠されていたとか。別名を「あかずの門」。空襲で消失したため、1978(昭和53)年に原形の通りに再建したもの。
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名古屋城天守
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右が大天守、左は小天守。天守は地元商店街の尽力や全国から寄付をうけて1959年(昭和34年)に再建され、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなりました。5重7階の鉄筋コンクリート造り。ところがこの天守を木造に建て替えることが決まっているというのです。

名古屋城天守
1959(昭和34)年
施工 : 間組
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小天守。
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ネットにあった鯱の写真。
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最初に木造に建て替えると新聞で見たときは驚きましたが、河村たかし市長の肝いりとかで、着々と進んでいるようでした。
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このときはまだ入場できましたが、名古屋市の情報では「2018(平成30)年 5月7日 - 工事に先立ち天守閣の入場を禁止する。 11月 - 現天守閣の解体を開始する予定。」とあります。
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公園内に木工工場があり見学しました。スケジュールどおりに進んでいると思っていたわけです。

ところが先日(2018.7.2)岐阜の養老町へ旅行したときに読んだ中日新聞のトップ記事では「河村たかし名古屋市長が旗を振る名古屋城の木造天守復元が予定通りに進むのか、不透明になってきた。天守の土台となる石垣の保守や修復をめぐり、専門家と意見が対立しているからだ。このままでは、許認可権を握る国が木造天守復元計画を認めないのではないかとの見方が強まっている。」

市には「石垣部会」と「天守閣部会」の二つの有識者会議があり、「石垣部会」が江戸時代から残る石垣こそ、名古屋城の本質的価値であり天守復元工事は石垣を傷める恐れがあると主張。
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文化庁も鉄筋コンクリート造りの現在の天守も文化財的な価値が高いという見解を示しているとか。行く末が分からなくなってるようです。城内と石垣の外側にはエレベータがそれぞれ設置されており、車椅子でも5階まで上がることができるバリアフリー構造となっています。
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木造天守か石垣か?
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確かに素晴らしい石垣です。

隅櫓
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天守は指定されていませんが、戦災を免れた桃山時代の櫓(やぐら)が国の重要文化財に指定されています。

西南隅櫓・東南隅櫓・西北隅櫓
1612(慶長17)年頃
重要文化財

西南隅櫓(せいなんすみやぐら)。柱の軸組みのみを残して屋根や壁、床などすべて取外す半解体修理が行われ、2014(平成26)年に完了しました。
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東南隅櫓(とうなんすみやぐら)。西南隅櫓と同規模で外観も同じですが、唐破風を下層ではなく上層屋根の東面に付けているのが違っています。
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これも最近半解体修理されました。
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西北隅櫓(せいほくすみやぐら)。こちらは近くで見ることが出来ました。三重櫓で初層の屋根には、北面と西面に入母屋破風。軒下に石落を設け、東面と南面には千鳥破風(ちどりはふ)になっています。
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残る一つの東北隅櫓は昭和20年に焼失して現存していません。
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南側の正門近くに広場に展示してある金鯱(きんしゃち)のレプリカ。
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名古屋おもてなし武将隊。織田信長、徳川家康、前田利家などの武将がお付きを従えてパーフォーマンス。このときは加藤清正とお付きの足軽「なつ」でした。


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ネットの写真です名古屋は近年、急速に高層ビル群が建てられ、城は都会に埋もれたようになりました。さて、木造天守の行く末は?

by gipsypapa | 2018-07-18 08:57 | 建築 | Trackback | Comments(2)

和歌山県庁

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和歌山城公園に南側を西に進むと県庁があります。昭和初期に建てられ、和歌山大空襲で破壊を免れ残った建物です。タイル貼の外壁に二連アーチ窓を並べ、頂部や玄関ポーチをテラコッタの装飾で飾り、様式主義からモダニズムに移行する時代をよく表現しています。

設計は和歌山県技師の増田八郎で、顧問には「内田ゴシック」といわれる一連の東京大学の建物を設計した内田祥三が委嘱されました。この建物も「内田ゴシック」の影響を受けているようです。国の登録有形文化財の地上4階の鉄筋コンクリート造り、地下1階。

和歌山県庁舎
1937(昭和12)年
設計 : 増田八郎(県技師)+内田祥三(顧問)
施工 : 清水組
和歌山市小松原通1-1
撮影 : 2017.10.17
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飾り柱の先端を三角形にした意匠は東京大学の建物で多く見かけた「内田ゴシック」
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入ったところに受付があったので、見学を申し入れたら、あっさりと「ああ、レリーフですね。」とOK。
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レリーフの意味は中に入って分かりました。
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和歌山県庁本館には、郷土の芸術家、保田龍門が製作したレリーフの大作2枚が飾られています。
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「丹生都比売命(にうつひめのみこと)」。古事記に登場する神で、天照大神の妹君です。
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もう一つレリーフがあります。
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「高倉下命」。古事記・日本書記に登場する神です。
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by gipsypapa | 2018-07-16 08:15 | 建築 | Trackback | Comments(2)

和歌山の加田家住宅塀・表門

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和歌山城公園の岡口門から出て、城の南の大通りを西に移動したところにある住宅です。敷地の西面に表門があり、その左右に延びる塀が国の登録有形文化財になっています。高さは約2メートル,総延長は31メートルの見事な桟瓦葺きの塀。下部は御影石、上部はおなじみの青石(緑泥片岩)を貼って石積風に見せた煉瓦造りの塀です。

加田家住宅塀・表門
昭和初期
設計・施工 : 不明
和歌山市薮ノ丁6
撮影 : 2017.10.17
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武家屋敷風の表門も登録有形文化財です。
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煉瓦造りの塀。地震対策は万全でしょうか?

by gipsypapa | 2018-07-15 07:54 | 建築 | Trackback | Comments(2)

和歌山県護国神社

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和歌山城公園の南側の一角、追廻門を入った右側に護国神社があります。明治戊辰の役以来に国難に殉じた和歌山県出身の戦没者36,670柱の英霊を祀っています。昭和62年に元々あった社殿が焼失したため、平成になって再建されました。鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

和歌山県護国神社社殿
1990(平成2)年
設計・施工 : 不明
和歌山県和歌山市一番丁3
撮影 : 2017.10.17
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石の鳥居は昭和初期のもの。
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狛犬も昭和初期に作られたとか。
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参道は例の青石が敷き詰められています。いい感じです。

by gipsypapa | 2018-07-12 08:10 | 建築 | Trackback | Comments(4)

和歌山城西之丸庭園 御橋廊下

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御橋廊下(おはしろうか)は藩主が居住する二之丸と紅葉渓庭園のある西之丸を行き来するための橋で、長さ27m、幅約3m。江戸時代には藩主とそのお付きの人だけが行き来できました。

瓦葺きの屋根を載せ、外から見えないように廊下のような造りになっています。斜めに架かる廊下橋として、全国的にも珍しい構造。江戸時代の図面を元に復元されました。

和歌山城西之丸庭園 御橋廊下
2006(平成18)年(復元)
設計・施工 : 不明
和歌山市一番丁3-2
撮影 : 2017.10.17 & 2018.3.26
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この堀をまたぐように架けられています。
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東側の入り口。
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通り抜けは無料。
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入り口で履物を脱いで、ポリ袋に入れて手に提げて歩きます。
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外見以上に傾いた廊下です。
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いくつか小窓があり・・・
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堀を眺めることができます。
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靴下履きなので滑りそうで歩きにくかったです。
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西の出口。
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西之丸紅葉渓庭園から。
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これは今年の3月の撮影です。

by gipsypapa | 2018-07-10 09:01 | 建築 | Trackback | Comments(4)

和歌山城公園 和歌山城

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紀州東照宮と和歌浦天満宮を訪ねましたが、終日雨。他にも行きたいいところはあったのですが、その日はホテルで過ごしました。翌日は曇りながら雨は降っていなかったので、ホテルの近くの見所を廻りました。

和歌山城は徳川御三家の一つ紀州藩徳川家の居城で、城跡は国の史跡に指定されています。城は1585年(天正13年)に和歌山市の中心部にある標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、江戸時代初期に徳川頼宣よって整備されました。

国宝に指定されていた天守などの建物は第二次世界大戦終盤の1945(昭和20)年7月に空襲で焼失。遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には国の重要文化財の岡口門や土塀、さらに追廻門が現存します。現在の大小天守群とそれに続く櫓・門、大手門・一之橋は復元されたものです。

現在は、本丸と二の丸が和歌山城公園となっており、本丸南西部には和歌山縣護国神社があり、南の丸には和歌山公園動物園があります。

和歌山城公園
史跡和歌山市一番丁3-2
撮影 : 2017.10.17 & 2018.3.26
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昨日の雨で下はぬれていますが、降ってはいません。ホテルを出たところに近い一の橋を渡り大手門から公園内に入りました。無料です。
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石垣はほとんど残っているようです。時代によって積み方が違うそうで、大半が和泉砂石だとか。
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伏虎像(ふっこぞう)です。城がある虎伏山にちなんだもの。
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現在の像は二代目で造形家・角田蘇風(すみたふそう)が天守再建の翌年に制作したものです。
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愛嬌のある虎です。
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広大な二の丸庭園。初代頼宣と14代茂承以外の藩主は、ここにあった二の丸御殿に住んでいました。
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この先にある西之丸庭園(紅葉渓庭園)ほどは手をかけられていません。