2018年 07月 18日 ( 1 )

名城公園 名古屋城

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和歌山から帰って半月後に用があって名古屋に行きました。和歌山城を見たばかりで、もう一つの徳川御三家の城も見たくなったのです。ここは久しぶりです。

名古屋城は1609(慶長14)年に徳川家康が九男の義直のために、天下普請(てんかぶしん)で築城した城です。徳川御三家の一つ、尾張徳川家の17代続く居城でした。天下普請とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のことです。

大小天守と櫓、門、御殿などの一部は昭和戦前期まで残存していましたが1945(昭和20)年年の名古屋大空襲で大部分を焼失しました。戦後に天守などの外観が復元され、城跡を名城公園として整備し、国の特別史跡に指定されています。大天守に上げられた金鯱(きんこ・きんしゃち))は、城自体はもとより名古屋の街の象徴になっています。

名城公園 名古屋城
特別史跡
愛知県名古屋市中区本丸1−1
撮影 : 2017.11.7
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名古屋市役所側にある東口から入園しました。
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城の北西に伸びる外堀は昔のまま水をたたえています。
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外堀に向かった「南蛮たたき鉄砲狭間」。二之丸御殿北御庭の北端の石垣の上に東西に長く伸びた練塀の遺構です。
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砂と砂利に石灰、油などを混ぜて強固に固めた「南蛮たたき」といわる方法で造られたもの。
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内堀です。今は水がありません。
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名古屋城の普請を取り仕切った加藤清正の像。江戸幕府の外様大名として普請の命を受けました。熊本城も彼。城造りの名人です。
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天守に向かいますが、位置関係をGoogleで。
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表二の門。門柱、冠木とも鉄板張り。袖塀は土塀で鉄砲狭間を開いて要害としての堅固さを示しています。 1619(元和5)年に建造された国の重要文化財
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こちらは不明門。本丸御殿の大奥へ通ずる秘門で、常に厳重に鍵が施錠されていたとか。別名を「あかずの門」。空襲で消失したため、1978(昭和53)年に原形の通りに再建したもの。
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名古屋城天守
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右が大天守、左は小天守。天守は地元商店街の尽力や全国から寄付をうけて1959年(昭和34年)に再建され、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなりました。5重7階の鉄筋コンクリート造り。ところがこの天守を木造に建て替えることが決まっているというのです。

名古屋城天守
1959(昭和34)年
施工 : 間組
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小天守。
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ネットにあった鯱の写真。
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最初に木造に建て替えると新聞で見たときは驚きましたが、河村たかし市長の肝いりとかで、着々と進んでいるようでした。
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このときはまだ入場できましたが、名古屋市の情報では「2018(平成30)年 5月7日 - 工事に先立ち天守閣の入場を禁止する。 11月 - 現天守閣の解体を開始する予定。」とあります。
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公園内に木工工場があり見学しました。スケジュールどおりに進んでいると思っていたわけです。

ところが先日(2018.7.2)岐阜の養老町へ旅行したときに読んだ中日新聞のトップ記事では「河村たかし名古屋市長が旗を振る名古屋城の木造天守復元が予定通りに進むのか、不透明になってきた。天守の土台となる石垣の保守や修復をめぐり、専門家と意見が対立しているからだ。このままでは、許認可権を握る国が木造天守復元計画を認めないのではないかとの見方が強まっている。」

市には「石垣部会」と「天守閣部会」の二つの有識者会議があり、「石垣部会」が江戸時代から残る石垣こそ、名古屋城の本質的価値であり天守復元工事は石垣を傷める恐れがあると主張。
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文化庁も鉄筋コンクリート造りの現在の天守も文化財的な価値が高いという見解を示しているとか。行く末が分からなくなってるようです。城内と石垣の外側にはエレベータがそれぞれ設置されており、車椅子でも5階まで上がることができるバリアフリー構造となっています。
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木造天守か石垣か?
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確かに素晴らしい石垣です。

隅櫓
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天守は指定されていませんが、戦災を免れた桃山時代の櫓(やぐら)が国の重要文化財に指定されています。

西南隅櫓・東南隅櫓・西北隅櫓
1612(慶長17)年頃
重要文化財

西南隅櫓(せいなんすみやぐら)。柱の軸組みのみを残して屋根や壁、床などすべて取外す半解体修理が行われ、2014(平成26)年に完了しました。
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東南隅櫓(とうなんすみやぐら)。西南隅櫓と同規模で外観も同じですが、唐破風を下層ではなく上層屋根の東面に付けているのが違っています。
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これも最近半解体修理されました。
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西北隅櫓(せいほくすみやぐら)。こちらは近くで見ることが出来ました。三重櫓で初層の屋根には、北面と西面に入母屋破風。軒下に石落を設け、東面と南面には千鳥破風(ちどりはふ)になっています。
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残る一つの東北隅櫓は昭和20年に焼失して現存していません。
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南側の正門近くに広場に展示してある金鯱(きんしゃち)のレプリカ。
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名古屋おもてなし武将隊。織田信長、徳川家康、前田利家などの武将がお付きを従えてパーフォーマンス。このときは加藤清正とお付きの足軽「なつ」でした。


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ネットの写真です名古屋は近年、急速に高層ビル群が建てられ、城は都会に埋もれたようになりました。さて、木造天守の行く末は?

by gipsypapa | 2018-07-18 08:57 | 建築 | Trackback | Comments(2)