2018年 04月 27日 ( 1 )

北口本宮冨士浅間神社

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ようやく私の意向が通ってここに来ました。北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、富士登山の入り口の一つ、吉田口の起点になる神社。全国にある浅間神社の一社です。富士山-信仰の対象と芸術の源泉の構成資産のひとつである「富士山域」の一部として世界文化遺産に登録されています。

北口本宮冨士浅間神社
室町時代以降
重要文化財
設計・施工 : 不明
山梨県富士吉田市上吉田 5558
撮影 : 2017.8.28
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道路に面する一の鳥居。
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昔ながらの長い参道を進みます。
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両側には見事な巨木が並びます。杜という感じがぴったりです。
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角行(かくぎょう)の立行石(たちぎょういし)。江戸時代に流行った「富士講」の開祖「角行が、富士山を遥拝しながら、真冬に裸で爪立ちして30日の荒行をしたという場所だとか。
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長い直線の参道の突き当たりに二の鳥居。
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鳥居の前に清流。禊川(みそぎがわ)というそうです。
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随神門
1733(享保18)年
重要文化財

これ以降の斜体の解説は富士吉田市教育委員会のHPから引用しています。

永正17年(1520)の銘のある随神像が存在することなどから、村上光清らにより新たに再建されたものと推定されます。彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物で、屋根裏天井により演出される広がりのある空間と太い柱は参詣者に豪壮な雰囲気を与え、当社の入口を飾るに相応しい門です。
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神楽殿
1737(元分元)年
重要文化財

本殿の正面に位置し、本殿に向かって神楽を奉納することになります。元文元年(1737)に村上光清を中心とした富士講中による境内建物大修理の一環で建立されたものです。富士山御師により継承されてきた太々神楽が奉納される舞台であり、現在でも神社の祭礼には地元の神楽講により太々神楽が奉納されています。
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手水舎
1745(延享2)年
重要文化財

本殿、東宮、西宮と並ぶ彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石と四本の柱など、村上光清らによる大修理に相応しい作りです。水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士信仰の霊場である富士八海の一つ、泉水から引き込んだ霊水が、現在も絶え間なく溢れ出ています。
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龍頭が多数。すごい彫刻です。
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社務所
1741(寛保元)年
重要文化財

唐破風の玄関が神社建築らしさを表すことを除いて、素朴な建物です。一部改造はありますが、間取りは市内に所在する御師住宅と類似しており、この流れの建物と考えられます。文献では「斎浄所」、「清浄所」、「御供所」等とあり、時代によって区々の呼称が用いられていました。現在は、社務所となっています。
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境内を散策します。
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拝殿および幣殿
1615(元和元)年
重要文化財 

本殿の前面に付属する建物として、元和元年(1615)に鳥居成次によって本殿とともに造営されました。慶安2年(1649)には秋元冨朝によって本殿とともに修復が加えられ、享保19年(1734)から寛延4年(1751)まで村上光清を中心とした富士講中によって修復がなされ、今日にその姿を残しています。
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濃密な装飾彫刻がありました。
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本殿
1615(元和元)年
重要文化財 

本殿は元和元年(1615)都留郡の領主鳥居土佐守成次によって建立されました。桁行一間、梁間二間の入母屋造りの建物を身舎とし、その前面に唐破風造りの向拝一間をつけています。桃山時代の装飾的技法とともに、すぐれた意匠が表現されています。本社は富士山吉田口登山道の起点で、富士山信仰と密接な関係を持ちながら発展しました。
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文化遺産オンラインにある本殿内部の写真。
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東宮本殿
1561(永禄4)年
重要文化財

本社本殿の東に北面し、富士権現とも呼ばれてきました。貞応2年(1223)北条義時が浅間本社として創建したと伝えられ、現在の社殿は永禄4年(1561)武田信玄が川中島の戦いの戦勝を祈願して、浅間本社として新たに造営したものです。桁行一間、梁間一間の身舎の前面に一間の向拝をつけた一間社流造の形式です。
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西宮本殿
1594(文禄3)年
重要文化財
本社本殿の西に北面して建っています。現在の社殿は、文禄3年(1594)都留郡の領主浅野左衛門佐氏重が本社として建立したものです。桁行一間、梁間二間の身舎の前面に一間の向拝をつけた一間社流造りの形式となっています。唐草文の彫刻や飾金具など、その装飾意匠は、桃山時代の特色をよく表現しています。
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西宮本殿の裏側は富士登山道の吉田口になっています。


by gipsypapa | 2018-04-27 09:17 | 建築 | Trackback | Comments(4)