高槻まちかど遺産 道標と石碑

高槻まちかど遺産にはいくつかの道標、つまり昔の道案内のための石作りの柱が建っています。それとは別に、まちかど遺産になっていない古い石碑もあるので、それもあわせて紹介します。
撮影 : 2021.1.2 & 1.13
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9 普門寺前の道標と尼崎道
富田町4丁目14
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国の名勝庭園がある普門寺の参道入り口に立つ道標。
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左右の行き先を示しています。
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いずれも結構遠い場所。尼崎は兵庫県です。昔の人はこの距離を歩くのは普通だったのですね、
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天保4年は1833年。
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29-4 山家道の道標
富田町1丁目26-6
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自宅の近所にある道標。これはそれなりに歩いていけそうな場所を示しています。「すぐ」というのは「まっすぐ」のことだそうです。アップしたことがあるスポットが3箇所。まず総持寺
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妙見山は行ったことがありません。
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善峯寺(よしみねてら)
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枚方(ひらかた)は当時は淀川を舟で渡ることになります。「くらわんか舟」が有名。
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30-3 富田東口を示す道標
富田町5丁目4-19
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大正6年(1917)に地元の人々によって建てられた道標。
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これ以降は高槻まちかど遺産ではありません。大峰山灯篭の道を挟んだところに立つ道標。右と左以外は朽ちて読めません。まちかど遺産に選ぶには不明すぎるのでしょう。
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同じく近くにある「石敢當」と刻まれた石碑。石敢當(いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう、せっかんとう)は、丁字路の突き当り等に設けられる魔よけの石碑や石標だとか。
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「蓮如上人御旧所」の石碑。蓮如(れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧で、教行寺(きょうぎょうじ)を創建した人です。
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教行寺はもとは富田道場、後に富田御坊と呼ばれたので、石碑もそうなっています。ややこしいのはこの石碑が本照寺の前の道端にあること。教行寺はここから2~300メートル南にあります。本照寺も富田御坊と呼ばれるので、知らないと混乱しますね。
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最後はJR摂津富田駅の近く、ド派手な粉もの鉄板焼き屋の前にある石碑。この常見寺はまた別に取り上げます。
by gipsypapa | 2021-02-16 07:56 | 町並み
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