大内氏館跡 池泉庭園

c0112559_08062622.jpg
龍福寺のすぐ東の一角に大内氏の第9代当主、大内弘世(おおうちひろよ)が築いた居館、大内氏館跡があります。弘世は京に似て山に囲まれた盆地である山口を選び、ここに京の街を模した街造りをしたそうです。

大内氏歴代の当主はここで政務をとり、第16代当主大内義隆が、天文20年(1551年)に家臣、陶晴賢の謀反にあって自害し、館が焼失するまでの約200年間にわたって西日本の政治、経済の中心地でした。

大きな池がある庭園は、1400年代末につくられ、大内氏が滅亡する1500年代中頃まで使われたと考えられています。中央部にひょうたん池がある池泉式の庭園で、水は庭園東側の水路から導入しています。そういう意味では池水庭園ですね。

平成4年から発掘調査で発見され、平成23年に16世紀前半の形に復元整備されました。周囲には、庭を鑑賞する建物だったと思われる基礎石や石組井戸なども復元して展示されています。

大内氏館跡 池泉庭園
室町時代 / 2011(平成23)年復元
史跡
作庭 : 不明
山口市大殿大路119
撮影 : 2019.10.15
c0112559_08071891.jpg
c0112559_08075020.jpg
c0112559_08082049.jpg
c0112559_08083810.jpg
やはり室町時代らしい、中島がある素朴な景観です。
c0112559_08091159.jpg
c0112559_08093166.jpg
池のたもとにソテツが植樹されていますが、これは1488年当時の史料にも出ているそうです。
c0112559_08100576.jpg
当時から国際交流も盛んだった証拠でしょう。
c0112559_08104827.jpg
c0112559_08110994.jpg
c0112559_08112921.jpg
c0112559_08114786.jpg
c0112559_08120301.jpg
c0112559_08121766.jpg
北東にある導水路。
c0112559_08144450.jpg
c0112559_08125770.jpg
c0112559_08150572.jpg
c0112559_08153289.jpg
c0112559_08154800.jpg
グーグルの航空写真。龍福寺と池水庭園の位置関係がわかります。



by gipsypapa | 2019-12-02 08:18 | | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : https://gipsypapa.exblog.jp/tb/30613623
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by j-garden-hirasato at 2019-12-03 06:24
室町時代のお庭ということですか。
復元されたモノなので、
当時が、この姿のままだったとは思いませんが、
こんな地方でも、お庭が造られていたのですね。
やはり、庭を造営するということは、
権力者の証ということなんですね。
Commented by gipsypapa at 2019-12-03 09:22
j-garden-hirasato さん
大内家の場合は特別かも知れません。
長く領主だったせいか
だんだん華美になったようです。
特に最後の頃は京都への憧れが強く
街づくりは京に習ったそうです。
<< 山口ふるさと伝承総合センター ... 瑞雲山 龍福寺 >>