高瀬川二条苑は、1611(慶長16)年に、高瀬川の開削者である豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)が源流に建設した別邸跡にある日本庭園。高瀬川源流庭苑とも呼ばれ、小堀遠州(1579-1647)が江戸時代初期に作庭した茶庭が残っています。 明治時代になって、第二無鄰庵を整備するときに7代目小川治兵衛(植治)が改修し、現在の姿になっているそうです。 がんこ高瀬川二条苑 高瀬川源流庭園 江戸時代初期 / 明治期 作庭 : 小堀遠州+七代目小川治兵衛(植治) 京都市中京区東生洲町484-6 撮影 : 2019.4.30 今まで見てきた「がんこお屋敷シリーズ」では、京都亀岡 楽々荘以外は食事をしなくても、手前から庭園に入ることができましたが、ここは建物の中の廊下からしか行けません。 以下の解説は「がんこ高瀬川二条苑」でもらったパンフレットから。 京の人々に古くから親しまれ愛されてきた高瀬川の流れは、豪商 角倉了以の別邸跡「がんこ高瀬川二条苑」を通り、木屋町通りをくぐって再び姿を現します。 おおよそ400年前の慶長16年、了以によってつくられた当庭苑は、その後、明治の元勲山県有朋の別邸「第二無鄰庵」に。 北側に茶室。昔もここにあったようです。 その前の周辺が小堀遠州が作庭したと思います。 小堀遠州は江戸前期の茶人・武将。茶道のほか作事奉行として建築・造園に才を発揮し、二条城、南禅寺、仙洞御所などの名勝を手掛けた人です。 吾妻屋風燈籠は- 日本最大の燈籠だとか。 一段下がった高瀬川源流の周辺は、明治時代、第二無鄰庵を整備するときに7代目小川治兵衛(植治)が改修した部分でしょう。 一枚岩の滝と名づけられています。 訪問者、白鷺でしょうね。 ここが正真正銘の源流です。 これ以降は13年前に撮った写真。蛸薬師通の元立誠小学校の前にある角倉了以翁顕彰碑です。 四条近くの高瀬川沿いにありました。
by gipsypapa
| 2019-06-08 08:48
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