島原半島の南まで来ました。原城跡(はらじょうあと)は天草四郎を総大将として数万人のキリシタンや農民が立てこもった「島原・天草一揆」の舞台となった城跡。国指定史跡とともに、今年、2018年6月30日に世界遺産登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産です。 原城は別名を日暮城といい、1496(明応5)年に、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれました。有馬氏が日向国延岡城に転封となった後の、1616(元和2)年に松倉重政が日野江城に入城しましたが、一国一城令の影響もあり不便な日野江城を放棄し島原城を築城しました。この際に原城も廃城となり、石垣や構築物も転用されました。 その後、江戸時代初期起こった日本の歴史上最大規模の一揆、島原の乱(1637年12月11日 寛永14年- 1638年4月12日寛永15年)のときに天草四郎を戴いた一揆軍が立てこもったのが、この廃城でした。 原城跡 世界文化資産 国指定史跡 長崎県南島原市南有馬町 撮影 : 2018.10.3 ②原城跡 原城本丸跡の少し手前に位置する空掘跡。島原の乱で籠城していた際には防衛用として使われた場所です。 戦に出ない女性や子どもなどが隠れていたといわれています。 乱のあと破却された石垣。 梯郭式平山城という形式だそうです。 本丸跡の高台へ登る階段です。 天草四郎の墓碑。もちろん後世に作られたもの。 人工的な建造物が少ない中、それらしい十字架のある塔が立っています。 天草ではおなじみの同じポーズをした天草四郎。 有明海が見渡せます。 佐分利九之丞親子の墓。反乱軍ではなく、鎮圧のために鳥取藩士88名の筆頭として参戦し、戦死したそうです。 原城を下ったところに温泉があります。真砂という温泉保養宿泊施設で昼食でした。 原城温泉 真砂 長崎県南島原市南有馬町丁133 具雑煮という郷土料理。名前から田舎っぽいものを予想していましたが、立派な会席料理でした。 食後に真砂の裏の浜辺を散策。
by gipsypapa
| 2019-01-17 08:10
| 旅
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