田辺市の鬪雞神社

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これまで和歌山をアップしてきたので、5年前の積み残しをやります。和歌山といっても和歌山市ではなく田辺市です。まずは鬪雞神社。訪ねたときから重要文化財の社殿なのは知っていましたが、当時は和風建築は取り上げていなかったので、積み残しになっていました。

鬪雞神社(とうけいじんじゃ)は,熊野参詣道の大辺路沿いにある神社で,元暦元年(1184)に紅白の鶏を闘わせて源平合戦を占った故事から、かつては「鶏合権現」といわれ、地元では権現さんとして親しまれています。

社殿群は東より西へ西殿、本殿、上殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並ぶ構成になっています。その社殿形式や配置は熊野本宮の伝統形式をよく伝えていて、紀南地方における近世社寺建築の展開を理解する上で,高い価値を有しているとして、6棟が国の重要文化財に指定されています。また鬪雞神社は、2016年10月に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。

鬪雞神社
江戸中期
重要文化財
設計・施工 : 不明
和歌山県田辺市東陽1-11
撮影 : 2013.11.27
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本殿は1661(寛文元)年建立の重要文化財。
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拝殿。詳細不明です。先ほどの本殿は柵の向こう側にあって、近づけませんでした。参拝はここから。
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湛増と弁慶の像。弁慶は知る人ぞ知る、ここ田辺の人。湛増・弁慶の父子が鶏合せで源平合戦を占ったとか。
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ウィキペディアの写真です。手前から中御殿1748(延享5)年・上御殿江戸時代前期・本殿1661(寛文元)年・西御殿1737(元文2)年。
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手前から中御殿1748(延享5)年・下御殿江戸時代・1748(延享5)年・八百萬殿1748(延享5)年。
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ネットにあった闘鶏の像。これは気づきませんでした。
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文化遺産オンラインの本堂の写真。

by gipsypapa | 2018-10-24 08:55 | 建築
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