旧京都市立有済小学校太鼓望楼

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 三条から南へ少し下る若松通りに近づくと望楼が見えます。明治初期に建てられた木造2階建の下京第七番学区小学有済(ゆうさい)講堂の大棟中央にあったものです。戦後、鉄筋コンクリート造りの新校舎完成とともに移設されました。

 火の見櫓として、半鐘を鳴らして火事を知らせるとともに、太鼓をたたいて番組(町組)内の人々に時刻を知らせたので、この望火楼は後に太鼓望楼と呼ばれたとか。その役割を終えた後も、太鼓場と呼ばれていました。

 明治期に各小学校にあった望楼は明治末までにその姿を消し、現在ではこの学校だけに残っています。木造で宝形造りの望楼部を高く立て,庇を付けた下部を袴腰風の縦板張で囲う2層構成になっています。国の登録有形文化財の木造2層望楼。

旧京都市立有済小学校太鼓望楼
1876(明治9)年 / 1952(昭和27)年移築
登録有形文化財
設計・施工 :不明
京都市東山区大黒町169
撮影 : 2014.6.13
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 登録有形文化財のプレートがあります。
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 2004(平成16)年3月に閉校となり、1952(昭和27)年に建てられた旧校舎は京都市教育委員会が一部を使用しています。
by gipsypapa | 2014-12-13 09:38 | 建築
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