説明書によると「臥龍山荘」という名の由来は大洲藩3代藩主加藤泰恒が「蓬莢山が龍の臥す姿に似ている」ことから”臥龍”と命名したとあります。しかし”臥龍”といえば、有名な三国志の諸葛亮孔明のあだ名。命名の隠れた由来かもしれないと思うのは私だけでしょうか。 現在、山荘に建つ臥龍院・不老庵・知止庵の三建築は、いずれも数寄をこらした名建築で、明治の貿易商、河内寅次郎氏が10年かけて築いたもの。 庭園は、神戸の庭師、植徳が10年がかりで築造した路地庭園で、肱川・如法寺河原の自然の景観を生かし、蓬莱山(蓬莱島)を中心として四囲の山川を取り込んだ広大な借景庭園となっています。石積み一つとってみても変化を持たせた多様な石積み、飛び石にも銘石を使い、樹木にも数百年の老樹があり、苔類にも珍種が見られるそうです。 臥龍山荘は、昭和31年9月に大洲の名勝として大洲市の文化財に指定され、さらに昭和60年2月に臥龍院、不老庵が愛媛県の有形文化財(建造物)に指定されました。個々の建物については次回から。 臥龍山荘 1901(明治34)年 大洲市指定文化財(名勝) 設計 : 河内寅次郎 施工 : 中野寅雄(棟梁)草木国太郎(大工) 大洲市大洲411-2 撮影 : 2012.10.21 手鞠石、石臼、伽藍礎石、伊予上灘産のげんだ石とその配置の妙には魅せられるものがあります。 氷室。いわゆる昔の冷蔵庫です。 珍種が多くみられ京都西芳寺にも比すべきものがあります。左の「牡丹苔」は通常であれば100年余りの歳月を要しますが、ここでは湿度も高く環境が良いので60~70年余りで生育します。 「乱れ積み」、「末広積み」、「流れ積み」と変化を持たせた石積みの中に生きた「チシャの木」が繁茂し、自然と人工の共存を感じさせる。次に石垣の中に埋め込まれた石臼に目をとられる。流れ積みの中に船に見立てた石があり、何かを語りかけられているようでもあります。
by gipsypapa
| 2013-08-15 09:47
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