小樽の旧キャバレー現代

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 小樽駅からすぐの長崎屋の裏手の静屋通りある建物。明治末期に建てられたニシン漁三大網元の一つ、白鳥家の住居で、祝津に白鳥番屋兼用の住宅を持っていたため「白鳥家別邸」と呼ばれた建物です。

 戦後はキャバレーとして営業していました。ネット情報では、小樽を背景に書いた村松友視の小説「海猫屋の客」で時代遅れのキャバレーとして描かれ、一時は多くの観光客が訪れ、小樽の名所の一つだったそうです。キャバレーは1999(平成11)年閉店し、現在は空き家になっています。

 祝津にあるニシン番屋を思わせる赤い鉄板葺きのゆるやかな傾斜の屋根と、キャバレー時代に作られたと思われる洋風の門扉が当時をしのばせます。木造平屋建て。

解体撤去されたことを確認しました。2015.8

旧キャバレー現代
旧白鳥別邸
1909(明治42)年
設計・施工 : 不明
小樽市稲穂2-19-16
撮影 : 2010.8.25
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 すぐ横に赤くて古いフォルクスワーゲンが置いてありました。右の自転車も赤です。

 ところでキャバレーというのは現代の日本では死語に近い言葉です。Wikipediaから引用。「キャバレーとは、日本において1960年代から1970年代に流行した、ホステスが客をもてなす飲食店。料金は時間制で"明朗会計"、ショーを行うステージや生バンド付きのダンスホールがあり、より大衆化した1970年代以降はおさわりなど、お色気サービスを伴う店も登場した。」

 そういえば子供のころはサラリーマンになるとキャバレーに行くのは珍しくなかったと記憶しています。日活の映画のシーンでもよくでてきましたし、年長の従兄が行ったという話を聞いたことがあります。明朗会計らしいので、サラリーマンが通えたのでしょうね。

 しかし自分がその年になったときには、キャバレーというスタイルはとんど存在せず、結局行く機会には恵まれませんでした。
by gipsypapa | 2011-10-28 13:13 | 建築
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