![]() 土浦は1926(昭和2)年に帰国して、大倉土木(現・大成建設)に勤めながら住宅の設計を手掛けました。初期の作品(山懸邸や山本邸があるそうです)ではライトの影響が強かったようですが、このころはモダニズムに移行しています。ホワイトキューブに大きなガラス窓を穿った、いわゆるバウハウススタイルと呼ばれたそうです。主な作品は、銀座トクダビル(1932)、西郷会館(1952)、銀座シネパトス(1952)など。 この時代に脚光を浴びだした、白い四角形のインターナショナルスタイルを木造で表現し、洗練された外観になっています。実験住宅といわれたのは、断熱材として「もみ殻」を外壁に充填したり、吹き抜けや中二階などを採用して小さいながらゆったりとした空間をもった、最小限住宅の先駆けと評価されたからでしょう。とはいえ、窓の庇や飛び出したベランダの形状などはライトの影響が残っていると感じました。東京都指定有形文化財の木造2階建て、地下1階。 土浦家住宅 (旧土浦亀城邸)1935(昭和10)年 東京都指定有形文化財 設計 : 土浦亀城 施工 : 秋山組 東京都品川区上大崎2-6-14 撮影 : 2008.10.12 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
by gipsypapa
| 2009-01-13 14:10
| 建築
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Comments(6)
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土浦邸は、私も先日久しぶりに行ってまいりました。
4~5年振りの訪問だったので入口を忘れまい、この近辺ウロチョロするはめになってしまいましたが(汗) あと土浦さん設計の銀座の映画館、ちょっと懐かしい感じのする昭和レトロな場所で、こちらもお勧めです。
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「バウハウス」というのは聞いたことがありますが、
何のことやらです(お恥ずかしい)。 昭和の初期で、 こんな角々したデザインがあったんですね。 当時としては、 そうとう斬新なデザインだったんではないでしょうか。
sy-f_ha-ys さん、
私も住所から地図を印刷して持っていったのですが、通りに面していないので、しばらく探しました。 先日、日本橋から兜町を歩きましたが、銀座はまだです。 銀座シネパトスもいつか訪ねてみます。
j-garden-hirasato さん、
いえいえ、私も「バウハウス」というのはドイツ発祥のスタイルくらいしか 知識がなく、あまりわからないのです。 しかし、この建物は当時としては大変モダンだったのは間違いないですね。
まだ、土浦亀城氏が御存命だったころ、
藤森先生を始めとした方々の土浦氏への取材の様子を 記した本をいくつか読んだことあります。 御夫人と一緒に写る姿は90歳を超える年とは思えないほど しっかりされてましたね。
べーさん、
ご無沙汰しています。 関東を続けていて、なかなか関西へ戻れません。 土浦亀城さんは100歳近くまで長生きされたようなので、 藤森先生との接点があったのですね。 コメントありがとうございました。
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