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宮津の一色稲荷社

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 宮津駅前から大通を西へ進んだところにある一色稲荷(いっしきいなり)。江戸初期に細川忠興(ほそかわ ただおき)により謀殺された丹後守護、一色五郎(実名は不明)の墓であると伝えられているそうです。

 一色氏の当主で細川藤孝の娘むこの亊と思われ、その復讐戦に挑んだ一色義清が果たせずに自刃した地でもあるようです。一色氏の鎮魂のために建てられた神社です。木造平屋建て。

一色稲荷社
詳細不明
宮津市鶴賀2084付近
撮影 : 2014.10.28
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by gipsypapa | 2015-05-15 07:53 | 建築 | Trackback | Comments(2)

城崎から天橋立へ

翌朝は城崎温泉を発って、次の宿泊地の宮津市に向かいました。朝から小雨模様でしたので、雨が降っていたら直行、止んだら途中下車して天橋立を歩く予定でした。
撮影:2014.10.27
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 城崎温泉駅はJR山陰本線の駅。ここから南下して豊岡駅へ。
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 豊岡で北近畿タンゴ鉄道(KTR)に乗り換えて、宮津方面へ向かいます。
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 観光列車「あかまつ」「くろまつ」「あおまつ」が走っているそうです。
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 乗ったのは西舞鶴行の普通列車です。ローカル色がいっぱいですが、車内はがらがらでした。
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 車中では雨が降っていましたが、天橋立駅に着くころには雨も止んでいたので下車しました。天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州で日本三景の一つです。
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 まず駅前の食堂で腹ごしらえです。
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 まず廻旋橋へ。 天橋立の大橋立と小橋立を結び、橋の中央部分が90度回転する可動橋です。1923年に人力で動く橋が完成し、1957年から現在の電動式になったそうです。
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 着いた時にはほとんど閉まりかけでしたので、開いているウィキペディアの写真を借用します。
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 観光船の船着場です。
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 知恵の輪灯篭。元々近くを往来する船の安全を祈って建立されたそうです。
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 もう一つ大橋立を渡ります。
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 すぐ左にあるのは「はしだて茶屋」。
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 あとは松林の一本道。天橋立を歩いて渡って片道1時間弱かかりました。
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 途中にいろいろな見どころがありました。なぜか軍艦春日の大砲もあります。
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 天橋立神社(橋立明神)。
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 環境省選定の名水百選に選ばれている磯清水。
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 砂嘴にある井戸で両側が海であるにもかかわらず、口に含んでも塩味を感じない不思議な名水として古くから珍重されているそうです。ただし湧き水なので飲まないように注意する立て札が立っていました。
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 これが砂浜です。白砂青松といわれた天橋立ですが、白砂ではないです。天気が悪いだけではありません。
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 テレビで見たことがあります。近年は砂州の侵食が顕著になり、縮小・消滅の危機にあるとかで、砂浜の維持のために砂を補給しました。その砂に雑草などの種子が混ざっていて、草が生えてきたのです。
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 南から渡って北側に到着。また歩いて南の駅を目指し戻りました。
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 天気も悪いし砂浜もイマイチでした。ウィキペディアの写真を借用します。これくらいきれいだったらいいのに。
by gipsypapa | 2015-04-22 09:50 | | Trackback | Comments(2)

城崎温泉 木造3階建ての宿

 城崎温泉には他にも昭和初期に建てられた木造3階ての旅館があります。1925(大正14)年の北但馬地震で町は全焼したので、西村屋や三木屋を含めて、老舗はすべてその2年後の1927(昭和2)年までに再建されたものです。温泉地らしい佇まいを醸し出しているこれらをまとめて紹介します。
撮影 : 2014.10.26

つたや旅館
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 幕末に桂小五郎が潜居していた老舗旅館です。またその桂小五郎の取材のため、司馬遼太郎がここに泊り、「竜馬がゆく」の中の「希望」のくだりを書いたそうです。随筆「わが城崎」の原稿を残していて、館内に展示されているとか。木造3階建て。

つたや旅館
1927(昭和2)年 / 1994(平成6)年改築
設計・施工 : 不明
豊岡市城崎町湯島485
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 美しい内部写真はつたや旅館のHPから借用しています。↓
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山本屋
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 大谿川(おおたにがわ)沿いの「一の湯」の隣にある山本屋は城崎温泉の中でも最も歴史が古い旅館です。木造3階建て。

山本屋
1927(昭和2)年 / 1991(平成3)年改築
設計・施工 : 不明
豊岡市城崎町湯島643
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  右に見える白い建物は別館で、1965(昭和40)年の築。
内部写真は食べログなどから借用しています。↓
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但馬屋
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 こちらは大正時代の末に建築された但馬屋。外観は黒を基調として、町屋造りをイメージしたもので、城崎温泉ではやや変わった外観をしています。つい最近の改築で内部はかなりモダンになっているようです。木造3階建て。

但馬屋
1925(大正15)年 / 2002(平成14)年改築
設計・施工 : 不明
豊岡市城崎町湯島453
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 以下の写真も但馬屋のHPから。
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旅舎 三奇亭 やまとや
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 これも江戸時代からの宿で,創業200年近くになるです。木造3階建て。

旅舎 三奇亭 やまとや
1927(昭和2)年 / 2006(平成18)年改築
設計・施工 : 不明
豊岡市城崎町湯島427
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 内部写真は例のごとくやまとやのHPから借用しました。↓
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by gipsypapa | 2015-04-19 10:39 | 建築 | Trackback | Comments(2)

玄武洞公園

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 城崎温泉にはJR新大阪駅からバスに乗ってきました。昼過ぎに着いたので早すぎます。駅前で昼食をとって、旅館に荷物をあずけ、レンタサイクルでJRでは1駅南に位置する玄武洞まで行くことにしました。

 玄武洞(げんぶどう)は、兵庫県豊岡市赤石の円山川東岸にある洞窟・絶壁で、国の天然記念物に指定され、山陰海岸国立公園に含まれています。玄武洞のほか、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞の洞窟が玄武洞公園として整備されています。

 説明書きによると約160万年前の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、玄武岩溶岩の厚い層が形成され、その後、河川による侵食により玄武岩塊がむき出しとなったもの。

 玄武岩はマグマが冷却される際に体積が小さくなるために割れ目(節理)ができます。切り出しやすいので、人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残ったそうです。つまり洞窟は天然のものではなく、坑道・採掘跡地です。ここで切り出された玄武岩は周辺地域で漬物石や石材として使われていて、現在でも城崎温泉の大谿川護岸や豊岡の石積みなどで見ることができるそうです。

玄武洞公園
天然記念物
豊岡市赤石1362付近
撮影 : 2014.10.26
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玄武洞
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青龍洞
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白虎洞
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南朱雀洞
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北朱雀洞
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 眼下に円山川(まるやまがわ)が流れています。
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by gipsypapa | 2015-04-14 08:43 | | Trackback | Comments(6)

城崎温泉の外湯めぐり

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 城崎温泉の外湯は、さとの湯、一の湯、御所の湯、まんだら湯、地蔵湯、柳湯、鴻の湯の七湯です。加盟旅館の宿泊者は無料で利用できますが、外来客はそれぞれ600~800円の入湯料を払うか、1200円の入り放題のいずれかになります。

 温泉郷にある7ヶ所の外湯では浴衣の模様で旅館がわかるので、退出時にはその旅館の下駄を差し出す下足番がいました。

 これらの外湯は建物的には新しいものばかりですが、前代の一の湯とまんだら湯の設計者は、歌舞伎座、鳩山邸、明治生命館などを手掛けた、岡田信一郎だったようです。今の建物は建て替えられたものですが、オリジナルの意匠を継承しているようです。

城崎温泉の外湯めぐり
豊岡市城崎町
撮影 : 2014.10.26-27

では、それぞれの外湯を紹介します。説明文は城崎観光協会のHPから引用しました。

駅舎温泉 さとの湯
豊岡市城崎町今津290−36
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ふれあいの湯
1,400年前より温泉が湧き続ける城崎では古くから心身を癒す風土が育まれ受け継がれています。そんな城崎らしさに現代性をプラスして誕生したのが「さとの湯」。
エキゾティックな雰囲気が漂いハーブの香りや滝の音に満ちた不思議な空間です。
悠々と流れる円山川や自然を眺めながら、ごゆっくりお過ごしください。
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一の湯
豊岡市城崎町湯島415−1
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合格祈願・交通安全、開運招福の湯
江戸中期温泉医学の創始者後藤艮山の高弟香川修徳がその著「薬選」の中で当時新湯といったこの湯を、天下一と推賞したことから名づけられた。横の小庭の「海内第一泉」の碑は近代温泉学の権威、藤浪博士の書である。桃山様式の歌舞伎座を思わせる建物で町の中央に位し、名実共に城崎温泉の象徴といってよい。
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御所の湯
豊岡市城崎町湯島448
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火伏防災・良縁成就、 美人の湯
南北朝時代の歴史物語「増鏡」に文永四年(1267年)後堀河天皇の御姉安嘉門院が入湯された記事がある、御所の湯の名はこれに由来する。江戸時代、西隣に陣屋がおかれ「殿の湯」または「鍵の湯」と呼ばれた湯があったが、明治になって、御所の湯に合せられた。京都御所を彷彿とさせる現在の建物は平成17年7月に四所神社となりに新築移転した。
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まんだら湯
豊岡市城崎町湯島565
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商売繁盛・五穀豊穣、一生一願の湯
養老元年(717年)温泉寺開祖道智上人の曼陀羅一千日祈願によって湧き出たのでこの名がある。その後八百年を経た頃、にわかに沸きあがって熱湯となったが、折よく来あわせた京都の僧日真上人が曼陀羅を書いて泉底に沈め、修法の結果数日にして適温に復したという。
前庭の碑はこの由来を書いたものである。 屋根は仏縁にちなんで御堂を模し、入口は唐破風、山すその緑に包まれて清楚な趣をもっている。

地蔵湯
豊岡市城崎町湯島796
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家内安全・水子供養、衆生救いの湯
江戸時代、村民多数の入浴が見られ里人の外湯として親しまれていた。
この湯の泉源から地蔵尊が出たのでこの名があり、此来庭内に地蔵尊をまつっている。
外観は和風とうろう、六角形の広い窓は玄武洞をイメージしており、外湯中一番モダンな建物である。
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鴻の湯
豊岡市城崎町湯島610
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夫婦円満・不老長寿、しあわせを招く湯
舒明天皇の御代(1400年前) こうのとりが足の傷をいやしたことから発見されたといういわれにもとづいて名づけられた、山の湯風をとり入れた素朴な様式の建築で町の奥深く街路から離れた閑静な湯で、散策をかねた入浴に適している。

柳湯
豊岡市城崎町湯島647
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子授安産、子授けの湯
中国の名勝西湖から移植した柳の木の下から湧き出たというのでこの名がある、以前はこの裏側にあり、外傷やはれものに著効があったといわれる。

 実際に入浴したのは一の湯と御所の湯の二つです。いずれも超満員。芋の子を洗うような、というのがぴったりの込みようでした。その時は日曜日の夕刻です。一番空いていると思う日なのですが、なぜ?
 旅行者ばかりなのでしょうが、最近は宿泊費が割高な金曜日と土曜日を避け、同じ有給休暇をとるなら月曜日に、という風になったのかもしれません。それとも外国人客か?
 この日は10月なので、カニの解禁日前。それでこれなら、11月になったらもっと増えるのでしょう。いずれにしろ、予想以上の人気。結構なことです。
by gipsypapa | 2015-04-12 08:47 | | Trackback | Comments(2)

城崎の温泉街

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 秋の旅行に2泊3日で北近畿に出かけました。まずは最初の宿泊地の城崎温泉です。

 城崎温泉(きのさきおんせん)は、兵庫県豊岡市城崎町(旧城崎郡城崎町)にある温泉で、平安時代から1300年の歴史があります。昨年はある号泣兵庫県会議員が何度も訪れたことで全国的に知られた町でもあります。

 基本的に中心を流れる大谿川(おおたにがわ)沿いにある七湯の外湯めぐりが主体の温泉ですが、木造の和風旅館が連なって町並みを形成し、浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われ、古き温泉街の情緒を残しています。

城崎温泉の温泉街
豊岡市城崎町
撮影 : 2014.10.26-27
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by gipsypapa | 2015-04-11 09:14 | | Trackback | Comments(2)

京都の島原住吉神社

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 島原住吉神社(しまばらすみよしじんじゃ)は島原の鎮守社で、島原中堂寺町の住吉屋太兵衛宅に祀られていた住吉大明神が始まりだそうです。1732(享保17)年に大な境内を伴って社が建立されました。1999(平成11)年に社殿、拝殿が改修され、新たに社務所も建設されたそうです。

島原住吉神社
1732(享保17)年 / 1999(平成11)年改修
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷下之町1−6
撮影 : 2014.9.30
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 摂社の幸天満宮(さいわいてんまんぐう)です。かつては揚屋町の会所にあったのですが、1734(享保19)年に住吉神社に遷座したとあります。
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by gipsypapa | 2015-04-06 10:04 | 建築 | Trackback | Comments(2)

京都島原の輪違屋

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c0112559_865837.jpg こちらは揚屋です。輪違屋(わちがいや)は、現在も営業されている花街島原の置屋兼お茶屋で、当時を伝える貴重な文化遺産といえます。

 創業は1688(元禄元)年。置屋「養花楼」として始まりました。1872(明治5)年からお茶屋を兼業。かつては芸妓等も抱えていましたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれています。明治初期まではここに住む太夫が揚屋まで行く道中が見られたはずです。

 現在の建物は江戸末期、安政4年に再建されたもので、1971(明治4)年にはほぼ現在の姿となったそうです。表に「観覧謝絶」の札(いわゆる「一見さんおことわり」)の札があります。京都市指定有形文化財の木造2階建て。

輪違屋
1857(安政4)年 / 1871(明治4)年改築
京都市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷中之町120-1
撮影 : 2014.9.30











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 極端に急な階段。太夫は重い着物でここを上り下りしたのでしょうか。
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 2階の「傘の間」の襖には実物の道中傘が貼りこんでありますが、撮影禁止です。↑は仕方なく入場券をスキャンしたものです。ちなみにの傘に「高」の文字が入っているのは、当主の姓が「高橋」だったということに由来するとか。
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 お庭がありますが、揚屋ではないので、坪庭といえる規模でした。
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 なぜかマリア像が彫り込まれたキリシタン灯篭がありました。
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by gipsypapa | 2015-04-03 08:23 | 建築 | Trackback | Comments(0)

京都の島原大門

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 「京の夏の旅 文化財特別公開」の最終日。一度行ってみたかった京都の花街、島原へ行きました。

 島原は1641(寛永18)年に六条三筋町から移されたわが国最初の公許の花街です。京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、嶋原、先斗町、および宮川町の6つの花街があり、これらを総称して京都の六花街と呼ぶことがあるそうで、嶋原は旧名です。

 街の周囲を塀と堀で囲み、大門を一か所に設ける当初の構成は、江戸の吉原がここに倣ったといわれ、遊里を隔離し、遊女を疎外するように作られていました。

 島原大門(しまばらおおもん)は、京都の花街である島原の東入口にあたる高麗門形式の大門で、1854年(嘉永7)年の大火で島原の東側は大半が類焼しており、このとき門も焼失したとか。大火後、門は再建されましたが、1867(慶応3)年に再び建て替えられたものです。

 1867年といえば、大政奉還の年。政争たけなわの京都でも、花街では門が建て替えられていたわけです。京都市の登録有形文化財。

島原大門
1867(慶応3)年
京都市登録有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区薬園町150
撮影 : 2014.9.30
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 前には「出口の柳」が植えられ「さらば垣」があり、今も当時の趣を伝えており島原の由緒を伝える地域の文化財として貴重です。
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 本柱上の屋根のほかに後方の控柱上にも小屋根を載せた、いわゆる高麗門という形式です。
by gipsypapa | 2015-04-01 09:17 | 建築 | Trackback | Comments(0)

上賀茂伝統的建造物群保存地区

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 梅辻家や西村家のある一角は国の伝統的建造物群保存地区になっています。上賀茂神社の境内を流れる清流「ならの小川」が境内を出ると明神川と名を変えて東に流れます。道路脇を流れる明神川に沿って,神官の屋敷である社家が建ち並んでいます。主屋とこれを囲む門,土塀,庭園が静寂な環境を造る美しい町並みです。

 室町時代からの門前集落で、明治以降に多くの社家町が京都の近郊農村的性格を徐々に強め,社家町の性格は薄らいでいったなか、ここ明神川沿いには今日も社家が旧来のまま清々しく残っていました。

上賀茂伝統的建造物群保存地区
京都市北区上賀茂北大路町39付近
撮影 : 2014.9.12
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 明神川沿いに京都らしい料亭などが並んでいます。
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御すぐき處 なり田
京都市北区上賀茂山本町35
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京料理 さくらい
京都市北区上賀茂山本町39
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いせき
 角地にある大きな屋敷は,通りに面して土塀をめぐらせています。「いせき」の看板がある井関家も代々上賀茂神社につかえていた社家だそうです。主屋は,江戸時代後期の建築と推定され,鳥居形の内玄関と式台を並べ,社家住宅としての外観を備えているとか。

いせき(井関家住宅)
江戸後期 / 明治後期
設計・施工 : 不明
京都市北区上賀茂北大路町1 ‎
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 主屋の中央には明治後期に増築された望楼風の3階建てがあり,道路からその威容を見ることができます。現在は手作りの香袋・匂い袋の店「いせき」になっています。
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 明神川の畔にある藤木社(ふじのきのやしろ)。上賀茂神社の末社で、明神川の守護神として信仰されてきました。後の大木は楠(くす)の木で、樹齢推定五百年といわれ、この地のシンボルになっています。
by gipsypapa | 2015-03-14 13:45 | | Trackback | Comments(2)