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北国街道 浄琳寺

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安藤家から北国街道を黒壁スクエアに向かって北上すると、右側に千鳥破風の屋根を載せた望楼が見えてきます。浄琳寺(じょうりんじ)の太鼓櫓とも太閤楼とよばれるものです。

浄琳寺は真宗大谷派の寺院で、もとは天台宗。開基は道光です。街道に門がありますが、寺の内部は非公開なので、いつも閉まっているそうです。立看板には1798年に今の地に移り、寺子屋を開き子弟を教育したとか。市の湖北町伊部にあった小谷城落城後に、その智の尊勝寺から移転したそうです。長浜の歴史と景観を代表する貴重な建物です。木造平屋建て、望楼付き。

慈雲山 浄琳寺
1789 (寛政10)年
滋賀県長浜市元浜町7-6
撮影 : 2016.11.18
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ここに入り口があるのですが、町家みたいで、お寺には見えません。
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ここで長浜の北国街道を歩いてみます。
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街灯の写真はネットから借用しています。
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長浜は北国街道(ほっこくかいどう)の宿場町として、さらには琵琶湖水運の拠点として古くから栄えました。
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北国街道は、中山道の鳥居本宿(彦根市)を起点として、近江と北陸を結ぶ重要な街道です。
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古くから商家や旅籠、町役人衆の豪邸が軒を連ね、大名行列や文人墨客が往来しました。
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なぜかTHE ALFEE の坂崎幸之助の写真が。
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長浜出身というわけではないようです。和ガラスと写真機のコレクション展?ふ~ん。
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夕食に店に行く途中もここを通りました。
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さすがに夜は人通りもまばらです。
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by gipsypapa | 2017-08-02 08:23 | 建築 | Trackback | Comments(2)

長浜市の中島屋食堂

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JR長浜駅から町の中心部に向かうとすぐに目を引くレトロな食堂があります。明治30年に居酒屋として創業し、昭和初期から大衆食堂を営んでいる中島屋食堂です。麺類・丼物・寿司をはじめとした一般的なものから、鮎の姿煮や鰣(ハス)の南蛮など湖北の珍しい湖魚を使った郷土料理もあるそうです。店内ところ狭しと展示されている戦前戦後の看板や昭和のスター写真など、レトロな雰囲気が楽しめます。木造平屋建て。

中島屋食堂
詳細 : 不明
滋賀県長浜市北船町3-3
撮影 : 2016.11.18
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前を通ったときが、たまたま食事時じゃなかったので、興味があったのに中には入りませんでした。以下に食べログの写真を借用します。
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建物自体も古そうですが、詳細は分かりませんでした。

by gipsypapa | 2017-07-29 08:17 | 建築 | Trackback | Comments(2)

琵琶湖竹生島の宝厳寺

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滋賀県の長浜市へ一泊旅行しました。何度か行ったことはあったのですが、当時はまだ建物にそんなに興味がなかったので、見ていないところが多かったのです。朝、自宅を出発して、高槻からJR新快速を利用すると1時間半強でJR長浜駅に着くので便利です。午前中に着いたので、まず琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)へ。

竹生島は、琵琶湖の北部にある島で、琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されています。人がいる場所は宝厳寺(ほうごんじ)がある、島の南側の一部に限られていて、定期船が発着する港と、すぐ近くにある数店の土産物店と寺社に集中しています。宝厳寺は真言宗豊山派の寺院で、山号を巌金山(がんこんさん)といいます。本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基(創立者)は神亀元年(724年)聖武天皇の頃で、行基によるとされています。西国三十三所観音霊場の第30番札所です。

慶長七年(1602年)に、太閤秀吉の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させたものが現存し、唐門は国宝です。最初の全景写真はウィキペディアから借用しています。

巌金山 宝厳寺
滋賀県長浜市早崎町1664-1
撮影 : 2016.11.18
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長浜からの定期船は1日5往復が運行。長浜港から竹生島までは30分。乗船料は往復で 3,070円でした。
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船を下りると、すぐのところにある拝観受付所で拝観料400円を払います。宝厳寺本堂までは、「祈りの階段」と呼ばれる165段の石段が続きます。
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鳥居から右に行けば都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、つまり竹生島神社にいけますが、これは後に。
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西国三十三所の記帳所は本堂横に脚長で建っています。


宝厳寺本堂
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宝厳寺本堂は船着き場からの石段を真っ直ぐに上りきった高台に建つ、寺内最大の建物です。本尊弁才天像で、1942年に平安時代様式で新築されたものです。鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

宝厳寺本堂
1942(昭和17)年
設計・施工 : 不明
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弁天様の顔を描いた幸せ願いダルマがいっぱい。全部手作りだそうで、中に願い事を書いた紙を入れ、奉納するとか。奉納料は500円です。
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ひっそり立つ石造五重塔は鎌倉時代のもので、国の重要文化財です。
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東側にも石段があり、そこを下ると、唐門があるはず。

宝厳寺唐門
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残念ながら平成25年6月1日から平成30年3月31日まで、事業期間70ヶ月の改修作業中で、足場が組まれシートで覆われていて見えません。しかたなく、外観写真はウィキペディアから借用しました。

この門は京都東山の豊国廟の唐門または大阪城の極楽門を移築したと伝わるもので、慶長8年(1603)に建立されました。妻や桟唐戸およびその両脇などに大胆な意匠の彫刻をはめ込み極彩色をほどこしています。建物全体は黒漆塗を主とし飾金具や極彩色の彫刻などで飾った華麗な門で、豪華絢爛な桃山時代の建築を代表する唐門として国宝に指定されています。

宝厳寺唐門
1603(慶長8年)
国宝
設計・施工 : 不明
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唐門の妻にが濃密な装飾彫刻がありますが、シートの下です。よってこれもウィキペディアから借用しました。大虹梁上の蟇股(牡丹文)と松に尾長鳥の彫刻です。
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門扉の彫刻。
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内部は見ることができます。門をくぐった突き当たりですが、これは次の観音堂の壁と思われます。
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各種の彫刻がありますが、まだ桃山時代。
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あまり洗練されているとはいえません。
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宝厳寺観音堂
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観音堂は唐門と同じときに移築されたもので、唐門の背面は観音堂に繋がっています。観音堂には本尊の秘仏千手観音立像(鎌倉時代)が安置されています。入母屋造檜皮葺きで、傾城地に建てられた、床下に長い柱を立てて支える懸造(かけづくり)だそうですが、外観は屋根と、唐門の後ろが少し見えるだけで、掛造りの部分は木が生い茂って、ほとんど見えません。

写真はネットにあった数少ない側面を写したもの。左は唐門でつながっているのがわかります。また内部も奥は改修中で入ることができませんでした。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺観音堂
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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手前の掛造りは次の船廊下のもの。その向こうに見えるのが観音堂です。
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この辺が観音堂の下です。
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このときはこの突き当りまでしか行けませんでした。
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奥までいけた当時と思われる写真をネットから借用しています。

宝厳寺渡廊(船廊下)
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観音堂と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、社名は竹生島神社の本殿を結ぶ屋根付きの廊下です。豊臣秀吉の御座船の用材を用いて建てたという伝承から「船廊下」といわれています。廊下は檜皮葺きで、いわゆる懸造りです。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺渡廊
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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脚長の懸造り。
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都久夫須麻神社(竹生島神社)
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船廊下を進むと都久夫須麻神社の本殿前に出ます。ウィキペディアによると、明治新政府は神仏分離令を出したときに宝厳寺を廃寺にして神社とし、「都久夫須麻神社」と称するよう命じたそうです。しかし、全国の崇敬者の強い要望により宝厳寺の廃寺は免れて寺院と神社の両方が並存することになったとか。

明治7年(1874年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883年)に両者の財産が区別され、以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の法人となっているそうですが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっています。

本殿は唐門や観音堂と同様に、伏見城または豊国廟から移築したと伝えられています。装飾性の豊かな桃山建築ですが、建物中心部の身舎(もや)と周辺部の庇とは本来別個の建物で、建立年代の異なる2つの建物を合体して1棟としたものだそうです。

本殿は永禄元年(1558年)に火災で焼失し、永禄10年(1567年)に再建され、これが現存する庇と向拝の部分にあたり、身舎部分は慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改造したもので、他から移築されたものとか。国宝に指定された木造平屋建て。

都久夫須麻神社(竹生島神社)本殿
1567(永禄10)年 / 1602(慶長7)年
国宝
設計・施工 : 不明
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この装飾彫刻のアップはウィキペディアから借用しています。
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本殿の全景です。

八大龍神拝所

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琵琶湖を望む断崖上にあり、ここから皿の形の土器を湖に向かって投げ、 投げた「かわらけ」が鳥居をくぐると願いが叶うと言われています。
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ということで、かわらけ代2枚300円を払って投げてみましたが、全然だめでした。願い叶わないそうです。(涙)

宝厳寺本坊
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ネット情報がないので、いわれのある建物ではないのは分かっていますが、気になった建物です。唐破風の玄関とそれにつながった2階建ての長大な建物。
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崖の上に建っています。
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宿坊のように見えますが、なかなかの近代建築でした。
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船着場に戻って、
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長浜港へ戻りました。

by gipsypapa | 2017-07-28 08:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松本市の中町通り

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松本城を出ると、もうお昼過ぎ。そろそろ大阪へ帰る時間が近づいてきました。最後に歴史がある町並みが残る中町通りを散策して、昼ごはんを食べることにしました。中町通りは昔から、主に酒造業や呉服などの問屋が集まって繁盛した通りです。しかし江戸末期や明治時代に大火に見舞われ主要な施設や町家が多数失われたとか。

特に明治21年1月、極楽寺から出火した火は本町、中町周辺の町人町をほとんどを焼きつくし、約1500戸を消失したと言われています。この大火を機会に、多くの商家が再建にあたって、土蔵造りの建物を建てたとかで、当時の土蔵造りの家屋が今も残っており、独特な雰囲気をの町並みになっています。

松本市 中町通り
長野県松本市中央2 & 3
撮影 : 2016.7.12

紹介するほとんどの建物は、明治期の築と思われますが、詳しい情報があるものは、限られています。歩いていて気になった建物を紹介します。


カレーの店 デリー
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カレーの店 デリー
明治後期
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央2-4-13
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内部の写真は食べログ借用しています。
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伊原漆器店
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1907(明治40)創業の漆器専門店。木曽漆器をはじめ、山中、会津、越前漆器を主に扱っています。建物は明治40年以前からあったみたいです。

伊原漆器店
明治後期
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央2-10-16
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唐獅子とボタンの花の看板がユニークです。
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店内の写真は「地球 津々浦々 旅ブログ。」から借用しました。


食い飲み屋 BUN
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その横に建つのは築100年以上というので、やはり明治後期の蔵造りで、内装もレトロです。

食い飲み屋 BUN
明治後期
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央2-10-15
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内部の写真は食べログ借用しています。
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中町 蔵シック館(1号館)
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中町・蔵シック館(正式名称:松本市中町蔵の会館)は、中町に隣接する宮村町にあった造り酒屋「大禮(たいれい)酒造」の母屋・土蔵・離れの3棟を現地に移築し、平成8年に開館した松本市の施設です。この建物は土蔵です。明治21年の極楽寺の大火の直後に建てられたといわれています。

中町 蔵シック館(1号館)
1888(明治21)年
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央2-9-15
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土蔵は喫茶室としても利用されています。内部写真は食べログから。
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中町 蔵シック館(2号館)
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ちらは母屋です。これも明治21年に建てられた、典型的な町家建築です。母屋は無料で見学ができ、貸し展示施設にもなっています。

中町 蔵シック館(2号館)
1888(明治21)年
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央2-9-15
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無料休憩所を兼ねているので気楽に入りましたが、なかなか興味深いところでした。
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中町 蔵シック館(3号館)
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母屋の奥に離れがあります。こちらは1923(大正12)年に増築されたものです。離れは貸し会議室として活用されています。中町 蔵シック館は、蔵のある町づくりを推進している中町地区の中核施設になっています。

中町 蔵シック館(3号館)
1923(大正12)年
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央2-9-15
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サムサラ(SAMUSARA)
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蔵作りの町家。雑貨・インテリアの店で、世界各国から集められた手工芸品を販売しています。詳細は不明ですが、見る限り明治後期の築でしょう。

サムサラ(SAMUSARA)
明治後期
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央3丁目3−18
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内部写真は「地球 津々浦々 旅ブログ。」その他から借用しています。
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ミドリ薬品
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蔵や町家風の建物が並ぶ中町通りで、周囲とは雰囲気の違う粋な外観で目を引くミドリ薬品。いわゆる「看板建築」で、ネット情報では建てられたのは80年以上前とあるので、昭和10年頃に立てられたと思います。

ミドリ薬品
昭和初期
設計・施工 : 不明
長野県松本市中央3-3-15
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凸凹堂 松本
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各地の観光地で時々見かける凸凹堂。天然石やアクセサリーのショップです。

凸凹堂 松本
詳細 : 不明
長野県松本市中央3-5-8
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HPの写真です。
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この後、食事をして大阪に帰りました。松本編はこれで終わります。次回からは滋賀県の長浜市です。

by gipsypapa | 2017-07-26 11:32 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松本城

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松本市の二日目は、朝から県(あがた)の学校建築を訪ねたあと、見逃すわけにはいかない松本城へ行きました。松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現在の天守閣は江戸時代初期、大坂夏の陣のころに築城されたものです。

日本で今も天守の建物を残す城は12しかないとかで、そのうち五重の天守は松本城と姫路城だけだそうです。現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城で、城跡は国の史跡に指定されています。

松本城天守
1615(慶長20)年ころ
国宝
設計・施工 : 不明
長野県松本市丸の内4番1号
撮影 : 2016.7.12
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現存している天主のある城は、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城、 の12城だそうです。
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その中でも国宝に指定されているのが松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の5城で、残りの7城は重要文化財に指定されています。
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天主のほかにも、乾小天守(いぬいこてんしゅ)、渡櫓(わたりやぐら)、 辰巳附櫓(たつみつけやぐら)、月見櫓(つきみやぐら)が国宝です。
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松本の観光の中心です。
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観覧料は610円でした。
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全景がウィキペディアにあったので、借用します。

by gipsypapa | 2017-07-25 08:27 | 建築 | Trackback | Comments(4)

松本市の「あがたの森公園」


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松本市の二日目です。この日は、まず東部の学研都市である県(あがた)を訪れました。大正8年に植えられたヒマラヤスギの並木に囲まれた「あがたの森公園」。池を中心とした日本庭園や重要文化財の旧制松本高校の校舎がシンボルです。教育文化の歴史と香りを伝える公園で、松本市民の憩いの場となっています。

あがたの森公園
長野県松本市県3-2102-15
撮影 : 2016.7.12
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向こうに見えているのは旧制松本高校の本館裏側です。
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池のある日本庭園。
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洋風の庭園は公園の南側と、旧制松本高校の中庭にもあります。
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西側の公園入り口です。旧制松本高校の写真は次回から。

by gipsypapa | 2017-07-19 07:52 | | Trackback | Comments(0)

鳴門公園から大鳴門橋を眺望

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徳島市と鳴門市を駆け足で回り、まだまだ見てないレトロ建築がいくつもありましたが、今回はこれまで。最後に鳴門公園に行って鳴門海峡と大橋を見ることにしました。鳴門公園は瀬戸内海国立公園の一部の山上にあり、鳴門海峡や大鳴門橋の眺望が素晴らしいことで観光客が多いところです。

鳴門公園
鳴門市鳴門町土佐泊浦福池
撮影 : 2016.3.29
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大鳴門橋架橋記念館エディという、タンクのような建物がありましたがパス。
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展望台へ向かいます。エスカヒル鳴門という全長68mのエスカレーターです。写真はネットから借用しています。
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急勾配で長いエスカレーターです。
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終点は鳴門山展望台。
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鳴門海峡の大鳴門橋が眼下に。天気はいいのですが、少しもやっていました。黄沙かも。大鳴門橋は1985(昭和60)年に完工した、中央支間長876mの吊橋です。
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再びエスカレーターで下って、大鳴門橋の橋桁の下を通る「渦の道」へ。渦が見れるかどうか。入り口に表示があり、その日の時間ごとの渦の大きさがわかるようになっています。
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行ってみると、ちょうど発生しない時間帯でした。残念ですが、せっかく来たし、橋からの眺めも見たかったので入ることに。渦の有無に関わらず(笑)入場料は510円です
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510円というのは不思議な値段設定。500円に消費税なら540円だし。どうでもいいですけど。
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大潮の際には渦の直径は最大で30mに達するといわれ、渦の大きさは世界でも最大規模らしいです。
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床にガラス張りの開口部がいくつかあり、真下の海面を見ることができます。
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予想通り渦はありません。
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少しくらい気配でも・・・と期待しましたが、まったく見えません。
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悔しいので、壁に貼ってあった渦の写真を撮りました。
渦の道のHPにダイナミックな動画があります。ぜひどうぞ。
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そしてネットにあった写真も。
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これもネットから。観光船からですね。迫力があります。見たかったです。
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一旦、市内に戻ったあと、高速バスに乗り大阪へ戻ります。
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市内から高速にある乗り場へは「すろっぴー」というスロープカーでアクセスすることができます。
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鳴門市観光情報センターにあると「すろっぴ〜乗り場」から90秒で高速鳴門バスストップに着きます。無料でした。これで徳島県を終わります。

次回からは長野県松本市です。

by gipsypapa | 2017-06-29 08:51 | | Trackback | Comments(2)

徳島中央公園

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徳島市にはまだ見たい建物がありましたが、そろそろ夕方。その日の宿は鳴門市なので、JRで移動します。再び徳島駅に戻るついでに徳島中央公園を経由しました。

徳島中央公園は旧徳島藩主蜂須賀公の居城跡に、明治39年に開設した公園です。公園の設計は本多静六と本郷高徳。二人は日比谷公園の設計も手がけ、徳島公園は日比谷公園に次ぐ、日本で2番目の西洋風公園だったとか。なお本多静六は日本の「公園の父」といわれ、数多くの公園の設計を手がけた人です。

徳島中央公園
1906(明治39)年
公園設計 : 本多静六、本郷高徳
徳島市徳島町城内1番外
撮影 : 2016.3.28
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城跡らしいお堀と石垣が残っています。
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公園内の目立つ建物は徳島城博物館。1992(平成4)年に完成し、主に徳島藩や蜂須賀家に関する歴史や美術資料を収集し、展示しているそうです。
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桜の開花時期でした。
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コスプレの一団と遭遇。
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SLもあります。1926(大正15)年製造で、実際に徳島を走っていたそうです。
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by gipsypapa | 2017-06-24 08:49 | | Trackback | Comments(2)

徳島市を観光

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急に思い立って徳島市と鳴門市の観光へ一泊旅行することにしました。徳島は個人的に四国で唯一の行ったことがない県だったのです。大阪から徳島へ行くのは、高速バスが便利でお手軽です。
撮影 : 2016.3.28
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高速バスで大阪梅田から2時間20分でJR徳島駅前に着きました。
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ちょうどお昼時です。駅の近くにあるポッポ街商店街で昼食をとりました。約50の店が並ぶ商店街です。

ポッポ街商店街
徳島市寺島本町西1-59
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店の前で老夫婦がお出迎え。お遍路さんですかね。
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名物の徳島ラーメンを食べることにしていましたが、どこがいいかはまったく不案内。老夫婦に招かれたので、最初に見かけた「けんと茶屋」へ。
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徳島ラーメンには「茶系」「黄系」「白系」の3系統があるとか。これは何系?
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駅前から南へ歩いてレトロ建築が多い、新町川のほとりまできました。人と自然のふれあい、水と光のドラマをテーマに造られた新町川水際公園です。
徳島県徳島市南内町
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対岸のボートハウスから、ひょうたん島クルーズという遊覧船が出ています。徳島市を囲む新町川や助任川(すけとうがわ)など、周囲約6km、30分で周遊する無料の遊覧船だそうです。
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川沿いを下っていくと両国橋があります。両国橋徳島市南内町1-4
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阿波踊りがデザインされています。
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by gipsypapa | 2017-06-20 08:22 | | Trackback | Comments(2)

湯布院を散策

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ツアー最終日の最後の訪問地は湯布院。自由時間で昼食をかねて散策でした。湯布院は由布岳の麓に広がる自然豊かな温泉地です。別府とともに大分県を代表する歴史ある温泉街でですが、避暑地としても有名で、最近はおしゃれな洋菓子系の店が多く、若者や外国人観光客に人気の観光地になっています。

大分県由布市湯布院町
撮影 : 2011.3.19 & 2016.3.16
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山焼きが行われている高原を湯布院へ向かいます。
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由布岳が見えてきました。
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トトロがいるショッピングモール。ウィークデイですが、若者や外人観光客でにぎわっています。
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「由布院」と「湯布院」。両方「ゆふいん」という地名の漢字です。元々あったのは「由布院町」でしたが、市町村合併により「湯平村」が合わさり、それぞれの文字をとって「湯布院町」となったそうです。
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旧湯平村を含む全エリアを表す場合は「湯布院」を使い、旧由布院町エリアのみを表す場合は「由布院」を使うんだとか。なのでJRの駅も温泉も「由布院」。観光エリア全体の地名としては「湯布院」です。JR由布院駅を出て、金鱗湖に向かう湯の坪街道は、途中に飲食店や土産屋が並んでいるのでいつも人通りが多い街道です。軽井沢の旧軽の町並みと似ています。
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湯布院の観光名所の一つ「金鱗湖(きんりんこ)」。湖底から温泉が湧き出る湖として知られています。
金鱗湖大分県由布市湯布院町川上岳本1592
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外気温が低くないと湯気は見えないようです。
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5年前(2011年)にも訪ねて一泊したことがあります。以下はそのときの写真です。
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7年前も3月中旬でした。
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街の雰囲気は変わったようですが、自分の写真の被写体も今とは何か違います。
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九州横断ツアーはこれで終わります。次回から四国です。

by gipsypapa | 2017-06-19 08:20 | | Trackback | Comments(2)