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柳川の旧戸島家住宅

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 朝食前の散歩です。城内地区の西端、鬼童町の一角に、旧柳川藩士の隠宅として建てられた数寄屋風の意匠を持つ葦葺屋根の侍屋敷「戸島氏邸・庭園」があります。堀割から水を引き入れた池を中心とした庭園に建っています。

 朝が早いのでまだ門が開いていません。ネット情報を見ると庭といい建物といい、できれば見ておきたかったところです。庭園は国指定名勝、建物は福岡県指定文化財の木造平屋建て。

旧戸島家住宅
1828(文政10)年
福岡県指定文化財
設計・施工 : 不明
柳川市鬼童町49-3
撮影 : 2014.5.14
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 垣根が邪魔をして屋根しか見えませんでした。よってウィキペディアにある写真を借用します。 ↓
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戸島家住宅の隣の民家
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 すぐ隣にも古そうな民家があります。和風の住宅ですが、九州では珍しい赤い鉄板葺きの屋根が特徴です。ネット上では情報が見当たりません。木造平屋建て。

戸島家住宅の隣の民家
築年 : 不明
設計・施工 : 不明
柳川市鬼童町43
撮影 : 2014.5.14
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 この細い堀から戸島家へ水が引き入れられているのでしょうか。
by gipsypapa | 2014-09-21 09:09 | 建築 | Trackback | Comments(2)

御花 松濤館

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 現在、西洋館や和館はイベントや見学のために使われていて、宿泊設備ではありません。宿泊は4階建ての松濤館というカフェや食事処がある建物を使います。

 1984(昭和59)年竣工の現代的な建物で、ゆったりとした客室は和室と洋室の両方が選べるようになっています。食事は集景亭で有明海の郷土料理です。鉄筋コンクリート造り、4階建て。

御花 松濤館
1984(昭和59)年
設計・施工 : 不明
柳川市新外町1
撮影 : 2014.5.14 & 15
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 HPにあった写真。松濤館の屋上から見ています。
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 一人ではもったいない、というより寂しい、ツインルーム。
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 部屋に置いてあった本。「なんとかなるわよ―お姫さま、そして女将へ 立花文子自伝」。柳川立花伯爵家の一人娘として生まれ、テニス日本チャンピオンに耀き、三男三女を育て…。戦後は料亭・旅館「御花」の女将として逞しく時代を生き抜いた、最後のお姫さまが語る明治、大正、昭和、平成。
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 「柳川の殿(トン)さんとよばれて…―旧柳河藩第十六代当主立花和雄私史」。いずれもアマゾンで売っていました。ただし古本です。
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 夕食は集景亭で。まず前菜。真ん中は「ムツゴロウ」、左は「しゃっぱ」、標準語では「シャコ」です。見えませんが小鉢の3種のうちの一つは「わけ」、イソギンチャクでした。
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 刺身の盛り合わせが出た後には「クチゾコ(口底)」、いわゆる「したびらめ」のから揚げです。有明地方では靴の底に似ているため、「クツゾコ」と呼ばれたのが変化したそうです。
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 メインディッシュはもちろん名物の「うなぎのセイロ蒸し」。前回食べたのはウン十年前。なんとなく味が濃くなっているような気がしました。いや、自分の味覚が年のせいで変わっているのかもしれません。
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 池の反対側にも現代的な建物があります。レストラン対月館という、外来の観光客や団体を対象とした食事処です。
by gipsypapa | 2014-09-20 09:41 | | Trackback | Comments(2)

立花家資料館(御花殿の倉資料館)

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 柳川藩の藩祖、立花宗茂以来、400年に渡って受け継がれた収蔵品、約5千点を収蔵するとともに、、一部を資料館に展示しています。江戸時代の武家文化を今に再現する貴重な文化遺産を見ることができます。

 1951(昭和26)年に「御花歴史資料館」が発足し、大名道具の展示公開を行っていました。1994(平成6)年には新たな施設として建て替え、「立花家資料館」として一般公開しているそうです。

 なまこ壁の長大な蔵造りなので、古そうに見えますが、建物的には意外に新しいわけです。土蔵造り、平屋建て。

立花家資料館(御花殿の倉資料館)
1994(平成6)年
設計・施工 : 不明
柳川市新外町1
撮影 : 2014.5.14 & 15
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 金箔押桃形兜がここにも展示されていました。
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by gipsypapa | 2014-09-19 09:09 | | Trackback | Comments(2)

御花 和館

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 立花邸の見どころは、洋館と長い廊下でつながれた和館部分にもあります。大広間、御居間,家政局から成る和館部は西洋館よりも一足先に建てられました。

 印象的な大広間は接客に使われた、18畳、18畳,12畳の続き間の大きな部屋。中の間の畳や敷居を外すと能舞台になるそうです。材料はすべて木曽檜で、床の間は京都の唐紙を使っているとか。また御居間は8畳と6畳の部屋が続き、居住部分でした。

 河上建築事務所の「旧立花家住宅の概要と沿革」というネット情報では「大工は大廣間と西洋館が博多中対馬小路の讃井傳吉、御居間が地元の久冨元一、家政局ほかが地元の江頭徳太郎である。また久冨元一が和館の設計にかかわった可能性があるが、個人で設計したとはかんがえにくい。」とのこと。

 大広間と御居間は松濤園(しょうとうえん)と名付けられた広大な庭園に臨んでいます。明治初期の作庭で御花畠時代の様子を今に伝え、庭園の半分を池泉が占めます。昔は池上の仮設の舞台で能が披露されるなど、典雅な文化が楽しまれたそうです。池の水は掘割を引きいれたもので、有明海の潮の満ち引きに従って景色も表情を変えるとか。

 松島(宮城県)の風景を模して造られたといわれ、園内にはその名のとおり約280本のクロマツがあり、1978(昭和53)年に国の名勝に指定されました。和館は木造平屋 / 2階建て。

御花 和館
旧柳川藩主立花伯爵邸 
1909(明治42)年ころ
設計 : 久富元一か
施工 : 讃井傳吉、久富元一、江頭徳太郎
柳川市新外町1
撮影 : 2014.5.14 & 15
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 大広間の外観。
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 大広間から渡り廊下のむこうが「御居間」。ここは中を見ることができませんでした。
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 ここは多分「家政局」です。
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 和館に架けられている金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)。桃山時代から江戸時代初期に使われた兜で、桃の実をかたどっていることから付けられた名前だそうです。
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 能舞台にもなるという大広間。普段は畳敷きですが、この日は洋式の丸テーブルが並んでいました。週末に結婚式の大披露宴があるのでしょうね。
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 以下は国の名勝の松濤園(しょうとうえん)。
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by gipsypapa | 2014-09-18 09:10 | 建築 | Trackback | Comments(2)

御花 西洋館

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 瓦屋根の和風建築が立ち並ぶ街並みにひときわ目を引く白亜の洋館。有名な料亭旅館で、文化財でもある御花。念願が叶い初めて泊まりました。柳川を代表する観光スポットで、柳川名物「うなぎのセイロ蒸し」をはじめとする有明海の珍味を本格会席料理として、宿泊客以外でも楽しむことができます。

 御花は、この西洋館以外に、さらに古い「和館」、宿泊棟である鉄筋4階建ての「松濤館」、観光客用の鉄筋2階建て食事処「対月館」と資料館である「殿の倉」からなっています。

 柳川藩主の立花家が元禄時代に御花畠といわれたこの地に別荘を建てて以来、柳川の人々が御花と呼んだそうです。明治5年に柳川城が焼失して以来、御花は立花家の本宅として使用されました。現在の洋館と和館は第14代目当主の立花寛治(ともはる)公の時代に普請されたものです。

 外観はフレンチ・ルネッサンス様式で、中央上部のペディメントや窓・柱頭などの細部意匠に、その影響が見られます。玄関ホールには3連アーチで柱はイオニア式木柱と凝った意匠で、内部も2階の謁見室は暖炉周りや天井の漆喰も丁寧な造作がなされています。

 設計者は河上建築事務所の「旧立花家住宅の概要と沿革」というネット情報、および「日本近代建築大全」という本で「福岡県技手を務めていた西原吉次郎である。工事中に愛知県に移動になったため、同じ県庁で働いていた亀田丈平が後を引き受けた。」とあり、これらのデータを採用しました。しかし他にネット情報では設計が亀田共次郎、施工は中島文吉というのもいくつかあります。文化財指定がされていないのが不思議な木造2階建て。

御花 西洋館
旧柳川藩主立花伯爵邸
1910(明治43)年
設計 : 西原吉次郎、亀田丈平、亀田友次郎
施工 : 讃井傳吉、久富元一、江頭徳次郎
柳川市新外町1
撮影 : 2014.5.14 & 15
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 出迎える門と門番詰所(守衛所)及び煉瓦塀も同時期の竣工で、見応えがあります。
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 守衛所にはブライダルサロンとあります。結婚式の時に利用されるようです。
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 10本の円柱で支えられた車寄せがある玄関ポーチ。上部はベランダではなく喫烟(煙)室です。
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 玄関ホールには3連アーチ。柱はイオニア式木柱で、アーチ頂部にキーストーンの装飾があります。
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 玄関ポーチの張り出し部は附属する喫烟(煙)室になっています。
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 西洋館2階の広間「謁見室」。
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 漆喰仕事が見事なランプ懸け。巨大な蝶のようです。
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by gipsypapa | 2014-09-17 09:43 | 建築 | Trackback | Comments(2)

柳川の寺社

柳川の町並み、第2弾は神社とお寺です。
撮影 : 2014.5.14 & 15

沖端水天宮
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 地元では「水天宮さん」と呼ばれている安徳天皇をお祭りする神社。5月3~5日に行われる沖端水天宮祭りには、三神丸という舟舞台が作られ夕刻より水天宮囃子が演奏されるそうです。木造平屋建て。

沖端水天宮(おきのはたすいてんぐう)
1869(明治2)年
設計・施工 : 不明
柳川市稲荷町21
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西福寺山門
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 水天宮とは堀を挟んだ位置にある西福寺。茅葺きの山門が古そうです。覗いてみましたが、寺院自体は新しいようでした。

西福寺山門
築年 : 不明
設計・施工 : 不明
柳川市沖端町31
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by gipsypapa | 2014-09-16 08:54 | 建築 | Trackback | Comments(2)

柳川の町並み

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 福岡で同窓会がありました。福岡に集まるのは久しぶりです。いつもは実家に泊まるのですが、今回は思い切って、一度泊まってみたかった、柳川の御花に泊まることにし、前日から柳川へ行きました。柳川は一度行ったことがありますが、それからウン十年経ちました。

 柳川は福岡県の南部にあり、福岡市から南に約50km、福岡市中心部の天神町にある西鉄福岡駅から、西鉄の特急電車で45分くらいの位置にあります。

 市内を掘割が縦横に流れることから東洋のベニスと呼ばれる水の都。有名な観光地であるとともに、筑後地方南西部における商業の中心地。干拓地を中心にい草、有明海で海苔の養殖なども盛んな都市です。

 町並みは大正・昭和のレトロな雰囲気をよく残していて、鰻料理、掘割を使った川下り(掘割めぐり)、旧藩主立花氏の別邸「御花」が全国的にも有名な観光地で、北原白秋や古賀正雄の生地でもあります。
撮影 : 2014.5.14 & 15
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 川下り観光は1961(昭和36)年に創業しました。市内のお堀を約70分で巡るツアーです。とはいえ、私は一人旅。柳川に着いたのが夕方で、翌日も早目に発ったので、船には乗りませんでした。もっとも昔一度乗ったことがあるのです。
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 御花の前で川下りを下りることができるようです。
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 早朝の散歩。いたるところに川下りの船が待機中です。
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 柳川は鰻(うなぎ)のセイロ蒸しが名物。多くの店が並んでいます。
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 この奥は老舗の若松屋。
柳川市沖端町26
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 うなぎ屋本店
柳川市城隅町22−4
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 うなぎ処福柳
柳川市沖端町29−1
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 民芸茶屋六騎
柳川市沖端町28
川下りの終点はこの前です。
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 いずれも控えめな「なまこ壁」です。
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 大関の琴奨菊は、ここ柳川の出身。5月場所(夏場所)なのでのぼりが立っていました。
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 川下りの観光スポットの一つである並倉。後に詳しく紹介します。
by gipsypapa | 2014-09-15 09:23 | | Trackback | Comments(2)

JR折尾駅

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 行きは戸畑から若松まで渡船で渡りましたが、帰りはJRの筑豊本線に乗って、折尾で鹿児島本線に乗り換えで小倉に向い、そこから新幹線です。この機会にレトロな駅で有名な折尾駅で下車しました。

 折尾駅は大正5年に開業した、門司港駅の次に古い駅舎で、日本初の立体交差駅です。調べると、筑豊興業鉄道の駅と別の場所にあった九州鉄道の駅が合体したものとか。
 
 白い板貼りのルネッサンス風の洋風駅舎で、駅舎の中央部分と鹿児島本線に隣接する側が2階建てで、筑豊本線の直方側が平屋建てという左右非対称です。

 雰囲気のある待合室や煉瓦貼りの通路、米国のカーネギー、メリーゴーランド製、ドイツのクルップ製のレールを用いて作られたプラットホームの上屋など、数々の改造を経ながら、随所に原型を留めたレトロな雰囲気がいっぱいです。木造2階建て。

JR折尾駅
旧九州鉄道・筑豊興業鉄道折尾駅
1916(大正5)年
設計・施工 : 不明
北九州市八幡西区堀川町1-1
撮影 : 2012.5.20
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 いかにもレトロな柱が2本立ち、1本は周りがベンチになっていました。
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 アーチ煉瓦の通路や階段の壁には煉瓦が残されています。
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 プラットフォームの上屋を曲線のレール材で支えています。
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 駅前に展示されているある石炭車。
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 ちなみに折尾駅は取り壊しの動きがあるとかで、心配です。数少なくなった都会のレトロな駅舎は貴重なものです。可能な限り原型を保持していく努力をお願いしたい。

 これで北九州を終わり、次は北海道です。
by gipsypapa | 2013-06-11 13:24 | 建築 | Trackback | Comments(2)

火野葦平旧居「河伯洞」

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 JR若松駅近くまで来ました。まだ時間があったので、市内で見かけた火野葦平(ひのあしへい)の没後50年のビラに従って旧居河伯洞(かはくどう)まで足を伸ばしました。

 実は火野葦平という名前は知っていますが、作品も映画も見たことはありません。北九州市のホームページを転記します。

 「河伯洞は、本市出身の芥川賞作家火野葦平(本名玉井勝則、明治39年=1906生)が昭和15年(1940)からその生涯を終えた同35年(1960)までの大半を過ごした建物である。二階にある書斎からは『花と龍』『革命前後』などの作品が生み出された。建物は、和風の主屋と書斎を含む洋風部分とで構成されており、庭園を含む和風部分は葦平の父玉井金五郎が構想し、洋風部分は葦平の意向を反映した造りとなっている。なお、河伯洞の名は葦平の河童好きに由来し、河童の住む家という意味で名付けられた。」

火野葦平旧居「河伯洞」
旧玉井金五郎邸
1941(昭和16)年
北九州市指定史跡
設計・施工 : 不明
北九州市若松区白山1-16-18
撮影 : 2012.5.20
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 この亀は上がりかまちを彫り込んだか、貼り付けたか、浮き上がった珍しい彫刻です。
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 ガラスの引き戸が明るい廊下。
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 「麦と兵隊」。そういう歌もあったような。さすがに生まれるかなり前のことで、名前だけは知っています。
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 全体は和館ですが、各所に洋風の部屋があります。
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 書斎です。
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by gipsypapa | 2013-06-10 13:12 | 建築 | Trackback(1) | Comments(2)

北九州市若松区の石炭会館

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 石炭の積み出し港で賑わった若松バンドに若松石炭商同業組合の事務所として明治末期に建てられたもの。現在はテナントビルで、1階にクロアッサンの「三日月屋」が入っています。

 左右対称の外観で、瓦葺きの寄棟屋根にモルタル塗りの外壁。中央に玄関ポーチを設け、まっ白な2本の円柱で支えた庇が、2階のベランダになっているのが特徴です。木造2階建て。

石炭会館
旧若松石炭商同業組合事務所
1905(明治38)年
設計・施工 : 清水組
北九州市若松区本町1-13-15
撮影 : 2012.5.20
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 こちらは石炭会館の海よりにある若松バンドの休憩所「旧ゴンゾウ小屋」。復元されたものです。

 北九州では、沖の本船で石炭荷役をする仲士のことを ”ごんぞう” と呼びました。かって明治時代、石炭積出港として隆盛を極めた若松には、そうした ”ごんぞう” のエネルギッシュな姿がありました。「旧ごんぞう小屋」は、かつて当地にあった彼らの詰め所を模して作られたレトロな休憩所。小屋内には当時の若松の姿を紹介したパネルなどが展示されており、若松の歴史にふれることができます。また周辺には洞海湾に突きだしたL字型の遊歩道、緑の広場、木製のデッキ、お洒落な外灯があり、魅力ある散策スポットとして人気を呼んでいます。
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by gipsypapa | 2013-06-09 20:40 | 建築 | Trackback | Comments(2)