タグ:福岡 ( 116 ) タグの人気記事

石蔵酒造 博多百年蔵

c0112559_8565023.jpg
 御笠川の東側にある造り酒屋の石蔵酒造(いしくらしゅぞう)。

 その歴史は石蔵酒造のHPでは、黒田家の播州播磨時代からの御用商人であった「石蔵屋」が関ヶ原の戦いでの功績により、黒田官兵衛・長政親子が筑前福岡藩主の命を受けた際に帯同して博多入りし、博多商人としての歴史が始まったそうです。江戸時代の石蔵屋は、主に博多~壱岐・対馬間の廻船問屋を営んでいましたが、江戸時代後期になり酒造業にも参入したとか。

 145年に亘ってその歴史を受け継いできた博多百年蔵。白壁土蔵にレンガの煙突をもつ佇まいは、街の景観のランドマークになっています。現在の酒蔵は石蔵屋の第2酒造場として、明治3年に建造されたもので、博多百年蔵といわれています。事務所兼主屋は大正期、西倉と旧精米所は昭和初期の築でいずれも国の登録有形文化財です。現在は造り酒屋をしながら、ウェディングや食事処、貸しホールなども手広い事業を手掛けています。

 2011(平成23)年10月8日に漏電による火災があり、新聞記事を見た記憶があるので、どうなっているか心配しましたが、小屋組みが焼け残っていたとかで、それらを生かしながら、翌年の始めには再建、再生したそうです。実際に、内装は新しい気はしましたが、違和感はなく良い雰囲気でした。

石蔵酒造 博多百年蔵
1870(明治3)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
福岡市博多区堅粕1-30-1
撮影 : 2015.1.19
c0112559_99552.jpg
 細長い敷地です。この辺は西倉と精米所でしょう。
c0112559_910271.jpg
c0112559_9104585.jpg
c0112559_9105660.jpg
 主屋が見えてきました。
c0112559_9115293.jpg
c0112559_9121356.jpg
c0112559_9122636.jpg
c0112559_9123462.jpg
c0112559_9124813.jpg
c0112559_9125760.jpg
c0112559_9131161.jpg
c0112559_9132231.jpg
 明治の建物の主倉。
c0112559_9141323.jpg
c0112559_9142449.jpg
c0112559_9143933.jpg
c0112559_9145069.jpg
c0112559_915393.jpg
c0112559_9151488.jpg
c0112559_9152450.jpg
c0112559_9153575.jpg
c0112559_9154436.jpg
c0112559_9155490.jpg
c0112559_916722.jpg
c0112559_9161810.jpg
c0112559_9162921.jpg
 小瓶をお土産に買いました。
c0112559_917723.jpg
 博多編はこれで終わります。
by gipsypapa | 2015-08-03 09:18 | 建築 | Trackback | Comments(16)

福岡市博多の「みやけうどん」

c0112559_8484988.jpg
 商人の街、呉服町にあるうどん屋の「みやけうどん」。存在は知っていましたが、今回、お寺巡りの途中に初めて行きました。

 全国的には博多ラーメンが有名で、うどんはあまり知られていませんが、もう一つの博多の味なのです。先にアップした承天寺に「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑があるように、歴史は古く、福岡のソウルフードです。

 みやけうどんの創業は1954(昭和29)年。親子2代にわたって変わらない味を伝えています。建物は大正時代に建てられたそうで、民家を改造したようです。木のカウンターや足が床に固定された椅子など、どれも年季が入っていて味わい深いです。木造2階建て。

みやけうどん
大正期
設計・施工 : 不明
福岡市博多区上呉服町10-24
撮影 : 2015.1.19
c0112559_850442.jpg
c0112559_8514653.jpg
c0112559_8515898.jpg
 奥の左に調理場とカウンター席。右側にテーブル席があります。
c0112559_8524035.jpg
c0112559_8524931.jpg
 このテーブルで食べました。ちなみにすり鉢が見えますが、ネギの刻みが入っています。食べ放題です。
c0112559_8365286.jpg

c0112559_8533053.jpg
 この絵は誰?デューク・エリントン?ハンク・モーブレイ?
c0112559_8564791.jpg
 山笠のポスター。博多です。
c0112559_857643.jpg
c0112559_8572696.jpg
c0112559_8573864.jpg
 三宅さん。2代目です。

ここから博多のうどんについて
c0112559_8591775.jpg
 福岡市に生まれ育った者にとってはラーメンとうどんはなじみ深いものです。自分が若かった時代には、特にお昼に外出した時に、このどちらかを食べるのが一般的でした。ラーメンはどちらかというと男性、うどんは女性客が多いのは店の雰囲気からくるものでしょう。

 各地のうどんを食べましたが、博多うどんは他にはない特徴があります。その一つは麺です。太めの柔らかい、コシの弱い麺を使います。

 全国的に有名な讃岐うどんはその腰の強さが売りなのですが、博多うどんは正反対。腰がなく、ほとんど噛まずにすすりこむのです。歴史的に商人の街博多では、時間がない商人たちが素早く食べられるように、ゆで置きの柔らかい麺のうどんが主流になったといわれています。また、軽食として食べられていたため、消化の良い柔らかい麺が好まれたという説もあるとか。

 とはいえ、つゆは熱いので急いで食べられるわけでもなく、後付の説でしょう。ただ九州のうどん粉は、他の地方の小麦と比べてタンパク質が少なく、コシが出にくいというのは説得力があります。

 もう一つの特徴は出汁です。つゆは透明で、煮干、サバ節、鰹節、アゴ(トビウオ)、昆布などを使ってだしをとり、塩と薄口しょうゆを入れて仕上げます。この味が他の土地にはなく、なんとも美味しい。

 関東の黒い醤油の香りが強いつゆは、蕎麦にはぴったりですが、うどんには色といい、味といいマッチしません。関東の麺はそれほど腰があるわけではありませんが、博多よりは硬めです。

 大阪は讃岐うどんの進出で、本来の大阪うどんは少なくなった感がありますが、麺の硬さは東京と似ています。出汁はカツオベースの塩と薄口しょうゆの上品な味ですね。

 讃岐うどんは、麺に注力していますし、麺自体は美味しいのですが、つゆは力強さに欠ける薄味。ということから釜揚げやぶっかけなど、つけ出汁が多くなってしまいます。私が高松に行ったときは、肉うどんを食べることが多いです。これは出汁が弱すぎるので、肉の甘辛さを加味したら丁度良い加減になるからです。

 その意味で博多うどんは理想的なうどん、というのは故郷ひいきのしすぎかも。実は私の妻は香川県生まれ。当然、讃岐うどんしか認めていません。博多でうどん屋に入っても蕎麦を頼みます。このうどん県人の心の狭さはなんとかなりませんかね。(笑)
c0112559_914327.jpg
 博多うどんの特徴的なトッピングにはエビ天や・・
c0112559_924129.jpg
 ゴボウ天、いわゆるかき揚げ状のものがあり、店によってゴボウやエビの大きさ切り方が違います。食べているうちにかき揚げのつなぎがつゆに溶け出して、絶妙の味になります。
c0112559_933221.jpg
 さつま揚げ風の丸天もポピュラーです。
c0112559_953115.jpg
 うどんは量が多くないので、うどんだけでは不足する人は、お昼はこのほかにご飯ものを付けるのが一般的。稲荷ずしや・・・
c0112559_964980.jpg
 「かしわおにぎり」。鶏肉、ゴボウ、ニンジンなどが入った炊き込みご飯を握ったものがポピュラーです。

 私の時代は、「因幡うどん」、「英ちゃんうどん」や「大福うどん」とかでよく食べました。これらは今も営業していて、市内に数軒の店を出しているようです。
c0112559_98198.jpg

また最も古く有名な「かろのうろん」が中州川端にあります。「角の饂飩」がなまったものです。普段は行かない地区にあるので、子供の時以来、最近久しぶりに入りました。典型的な博多うどんで、店もレトロな雰囲気でよかったのですが、残念ながら店内は撮影禁止でした。ところが食べログで見ると内部もうどんも写真が満載。どうなっているんでしょう?

 福岡を離れてうん十年。年に何度かは帰省していますが、街に出て食事という機会がなくなりました。今はうどん屋の数も多く、チェーン店もあり、ソウルフードとしてのうどんは健在、というよりさらに勢いを増しているようです。皆様も福岡に行く機会があれば、ラーメンとうどんはハシゴをしてでも食べてみてください。

 ちなみに蕎麦談義も神田藪蕎麦でやっていますので、こちらもどうぞ。
by gipsypapa | 2015-07-31 09:18 | 建築 | Trackback | Comments(6)

福岡の吉住家住宅主屋

c0112559_834199.jpg
 お寺が密集した御供所町を出て市街地を歩きました。途中に有形文化財の町家があるというので、その道を通りました。

 文化遺産オンラインによると「博多西門通りに北面する。間口五・五メートルの二階建。渡り廊下を介して台所棟を背面に付設。いずれも切妻造桟瓦葺。二階に座敷、一階に通り土間と仏間等を設ける。正面に庇を付け、二階に格子戸をたて、一階を全面ガラス戸とし、近代的な町家構えをつくる。」とあります。国の登録有形文化財の木造2階建て。

吉住家住宅主屋
1929(昭和4)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
福岡市博多区上呉服町5-161
撮影 : 2015.1.19
c0112559_836397.jpg
c0112559_836146.jpg
c0112559_8362651.jpg
c0112559_8363864.jpg
c0112559_8364749.jpg
 隣家が取り壊されたので側面が見えています。う~む、特に何もない普通の民家です。国の登録有形文化財にも色々ありますね。
by gipsypapa | 2015-07-30 08:38 | 建築 | Trackback | Comments(2)

福岡市博多の西門飢人地蔵尊

c0112559_9161513.jpg
 昨日紹介した法性寺の南側に西門飢人地蔵尊(さいもんうえにんじぞうそん)が祀られています。御本尊はお地蔵さんで、ネット情報では享保17~18年(1732~1733年)に起きた「享保の大飢饉」。春から続いた大雨・洪水に加え、害虫の大発生で作物は全滅状態となり黒田藩でも人口36万のうち、約3割の人々が餓死したそうです。

 農村部から福博地区に流れてきた行き倒れた人々も多く、その遺骸の埋葬地に石を置き、後に地蔵を建てて亡くなった方々を弔ったのがこの飢人地蔵尊のお祭りの起こりだと伝えられています。毎年8月23日・24日の両日、施餓鬼供養が盛大に行われ、幻住庵をはじめ8名の僧侶によって参詣施餓鬼会の回向が執り行われるとか。

西門飢人地蔵尊
1933(昭和8)年
設計・施工 : 不明
福岡市博多区千代2-8
撮影 : 2015.1.19
c0112559_9172443.jpg
c0112559_9173353.jpg
c0112559_9174548.jpg
c0112559_9181250.jpg
c0112559_9182681.jpg
c0112559_9183877.jpg
c0112559_9184819.jpg

by gipsypapa | 2015-07-29 09:20 | 建築 | Trackback | Comments(0)

修昌山 法性寺

c0112559_8114331.jpg
さらに東に移動して御笠川の東大橋を渡ったら千代町。そこにも日蓮宗のお寺、法性寺(ほうしょうじ)があります。

正長元年(1428年)に久遠成院日親上人が22歳のときに博多の市小路という地に開かれたお寺で、西国(九州))最初の法華経の道場として古くからの歴史があるとか。

秀吉の町割りによって蓮池町(昨日紹介した妙典寺の南隣)に再建。 しかし、明治43年(1910年)に市内電車が開通したときに(現在その敷設道部分は明治通りで、今、路面電車はなくなり、地下を市営地下鉄が走っています)ここ千代町に移転して 再々建されたそうです。小さな石庭があり、装飾彫刻が見どころでした。

修昌山 法性寺
1910(明治43)年
設計・施工 : 不明
福岡市博多区千代2-8-14
撮影 : 2015.1.19
c0112559_8115940.jpg
c0112559_81294.jpg
c0112559_8122389.jpg
c0112559_8123423.jpg
 山門をくぐったところに小さな庭があります。
c0112559_8133033.jpg
c0112559_8134375.jpg
c0112559_8135841.jpg
c0112559_814915.jpg
c0112559_8142114.jpg
c0112559_8145916.jpg
c0112559_8151266.jpg
c0112559_8152389.jpg
 コテ絵でしょうね。
c0112559_815559.jpg
c0112559_8161010.jpg
 装飾彫刻を発見。
c0112559_8164524.jpg
c0112559_8165868.jpg
 木鼻の見事な獅子。
c0112559_8173326.jpg
c0112559_817438.jpg
c0112559_8175513.jpg
c0112559_818442.jpg

by gipsypapa | 2015-07-28 08:18 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松林山 妙典寺

c0112559_913463.jpg
 善導寺から明治通りを御笠川に向かって東に行くと、橋の手前にもう一軒お寺があります。妙典寺(みょうてんじ)は日蓮宗の寺院で永徳元年(1381)、筑後柳川に創立されたとされるとか。

現在の本堂は天明5年(1785)、第32世本妙院日定上人の代に再建されたもので、第2次大戦時の福岡空襲からも奇跡的に難を逃れ、現在もその容貌を保っています。

松林山 妙典寺
1785(天明5)年
設計・施工 : 不明
福岡市博多区中呉服町9-12
撮影 : 2015.1.19
c0112559_925647.jpg
 庫裏の唐破風とむくり屋根の玄関には、濃密な装飾彫刻。庫裏も江戸時代と思われますが、詳細は不明です。
c0112559_933191.jpg
c0112559_93417.jpg
c0112559_935279.jpg
c0112559_94379.jpg
c0112559_942048.jpg
c0112559_94357.jpg
 奥は天明5年に建てられた本堂です。
c0112559_952343.jpg
c0112559_953385.jpg
c0112559_954481.jpg
 妙典寺のアプローチ。向うが明治通りで、地下鉄が走っています。
by gipsypapa | 2015-07-27 09:07 | 建築 | Trackback | Comments(2)

光明山 善導寺

c0112559_1475295.jpg
 御供所町から北上して呉服町に出ました。この一角は名前の通り、商業の街でした。昔は角に博多大丸デパートがありましたが、商業の中心が天神町周辺になったので、今は天神にあります。

 昔は市電が走っていた明治通りにある善導寺(ぜんどうじ)は戦国時代の創建と伝えられています。訪ねた時は山門と鐘楼だけが建っていて、本堂などがあったと思われる場所は空地になっていました。再建計画があるのかもしれません。

光明山 善導寺
詳細不明
福岡市博多区中呉服町6-24
撮影 : 2015.1.19
c0112559_1491314.jpg
 山門は間違いなく古いようです。
c0112559_1495399.jpg
c0112559_1410216.jpg
c0112559_14101187.jpg
 境内にはこの鐘楼があるだけです。工事用の軽トラックが見えます。再建工事が行われるのでしょうね。
by gipsypapa | 2015-07-26 14:12 | 建築 | Trackback | Comments(2)

恵日山 西教寺

c0112559_8201656.jpg
 聖福寺の西門を出たところにあるのは西教寺(さいきょうじ)です。開山は1544(天文13)年の浄土真宗東本願寺派の寺院で山号は恵日山(えにちさん)。

 山門は古い町の面影を残している上呉服町にあり、本堂の前に古い鐘楼があります。そのほかの建物は新しいようですが、小さな手水舎に装飾彫刻がありました。

恵日山 西教寺
詳細不明
福岡市博多区上呉服町9-4
撮影 : 2015.1.19
c0112559_821250.jpg
c0112559_8211587.jpg
c0112559_8212823.jpg
 鐘楼は古いようです。
c0112559_821595.jpg
c0112559_8221049.jpg
 特に見るべきものはないかなと思って、ふと手水舎を見ると・・・
c0112559_8231431.jpg
c0112559_8232618.jpg
 彫刻がありました。
c0112559_824679.jpg
c0112559_8241656.jpg
c0112559_8242632.jpg
 4面に手の込んだ彫刻。
c0112559_8243938.jpg
 あまり見どころがないと思った本堂にも少し細工がありました。
by gipsypapa | 2015-07-24 08:27 | 建築 | Trackback | Comments(2)

安国山 聖福寺

c0112559_84353100.jpg
 聖福寺(しょうふくじ)はる臨済宗妙心寺派の寺院です。以前、京都の建仁寺を調べているときに、日本最古の禅寺と知り、一度訪ねたかった寺院です。

 建久6年(1195年)に日本の臨済宗開祖の栄西が南宋より帰国後に、宋の人が建立した博多の百堂の跡地に寺院を創建しました。これが日本最初の本格的な禅寺であり、禅道場です。

 当初は臨済宗単独寺院でした。この後、栄西が京都に建仁寺を開山してからは建仁寺派となりました。江戸時代初期に黒田長政の命により、妙心寺派となって、現在も存続しています。室町時代には、五山十刹に数えられた名刹だそうです。

 山号は安国山(通称は安山)。境内は国の史跡に指定されていて、現存する主要建造物は江戸期に再建されたものです。境内は、山門・仏殿・本堂と一直線に並ぶ典型的な伽藍型式をよくとどめていて、江戸時代の建物が残っています。

安国山 聖福寺
江戸時代
国史跡
設計・施工 : 不明
福岡市博多区御供所町6-1
撮影 : 2015.1.19
c0112559_8473380.jpg
 仏 殿(ぶつでん)。 天正17年(1589年)耳峯玄熊によって中興されたそうです。
c0112559_8484752.jpg
c0112559_84747100.jpg
c0112559_8485665.jpg
 大型の建造物ですが、和風の寺院とは違った形をしています。宋の影響でしょう。
c0112559_8513486.jpg
c0112559_8514811.jpg
c0112559_852216.jpg
 両端には丸窓があります。栄西禅師が渡った南宋の寺は丸窓が多いそうで、それに倣ったと考えられています。
c0112559_8524947.jpg
c0112559_853585.jpg
c0112559_853171.jpg
 山門(さんもん)。これも山門としては大型ですが、それには理由がありました。元は以前の山門は志摩桜井神社の観音堂を移築したものだったそうですが、慶応2年(1866)に焼失しまし。現在のものは明治44年(1911)に再建されたものです。
c0112559_8593069.jpg
c0112559_8594524.jpg
c0112559_8595765.jpg
c0112559_901038.jpg
c0112559_902455.jpg
c0112559_911371.jpg
 その隣には小さな鐘楼。宝暦9年(1759)に改築されたものです。
c0112559_921848.jpg
 勅使門(ちょくしもん)。建築年は1700年初頭以前のものと推測されています。先に「楽水園」で紹介した博多塀が両側に伸びています。
c0112559_934681.jpg
 唐門。詳細は不明ですが、装飾彫刻と十六弁の菊の御紋章が印象的。
c0112559_944781.jpg
c0112559_95052.jpg
 家紋。調べると笹竜胆らしいです。源氏とゆかりの深い紋みたいですが、なぜここにあるかは不明です。
c0112559_9125444.jpg
 境内にもいくつか塔頭があります。
c0112559_9133198.jpg
c0112559_9134574.jpg
 この奥に方丈があるのですが、見えるのは庫裏だけ。
c0112559_9142049.jpg
 こんなきつい看板があったら、中へは進めません。
c0112559_9145885.jpg
c0112559_9152090.jpg
 緑が多い境内ですが、特に庭園は造られていません。もったいないと感じました。
by gipsypapa | 2015-07-23 09:17 | 建築 | Trackback | Comments(2)

節信院と幻住庵

c0112559_921430.jpg
 北上して再び御供所町へ。節信院(せっしんいん)はこのあと紹介する聖福寺の塔頭(たっちゅう)寺院です。聖福寺の裏手にひっそりと伽藍を構えています。幕末に勤皇派で、福岡藩の倒幕派の中心的な立場にあった家老・加藤司書(のりしげ)の菩提寺です。

 開基は1602年、加藤重徳による創立です。加藤重徳は荒木村重の家臣でしたが、幽閉された黒田如水(官兵衛)を助けた縁で、次男の一成が黒田家の養子となり福岡に来たそうです。節信院は代々加藤家の菩提寺になっており、末裔の加藤司書の墓があるのはこのためです。

節信院
詳細不明
福岡市博多区御供所町11-20
撮影 : 2015.1.19
c0112559_9215489.jpg
c0112559_922367.jpg
c0112559_9221271.jpg
c0112559_9222316.jpg
 さらに北上して風情のある細い路地を聖福寺に向かいます。
c0112559_9231375.jpg
c0112559_9233130.jpg
 この一角は古い博多の雰囲気をよく残しています。
c0112559_9234725.jpg
 途中にもう一つの塔頭である幻住庵の前を通りました。

幻住庵(げんじゅうあん)

解説文では「延元元年(1336)無隠元晦が馬出に開山。天保3年(1646)に博多の豪商大賀宗伯が聖福寺境内に移し、耳峰玄熊和尚を中興の祖とする。以後大賀家の菩提寺となり、大賀家歴代の墓碑が並ぶ。」とありました。残念ながら柵があって、境内には入れませんでした。

天目山 幻住庵
詳細不明
福岡市博多区御供所町7-1
c0112559_9242199.jpg
 左折して西に向かう細道へ。
c0112559_9273216.jpg
 聖福寺はすぐそこです。
by gipsypapa | 2015-07-22 09:28 | 建築 | Trackback | Comments(2)