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大瀬崎灯台展望所

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二日目は下五島を観光スポットやお目当ての教会を訪ねながら北上しました。大瀬崎灯台展望所は「九州本土で最後に夕陽が沈むところ」、九州本土最西端に位置し、東シナ海に面しています。ここには展望台と展望デッキがあり、美しい海を眼下に望むことができます。
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大瀬埼灯台
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大瀬崎の断崖に建てられた灯台です。『日本の灯台50選』の一つになっています。断崖の標高80m地点に岩石を切り落として基盤として建てられています。現在は灯塔がコンクリート造りに建替えられていますが、元の灯塔は明治初期にR・プラトンが設計したといわれています。

大瀬埼灯台
1879(明治12)年 / 1961(昭和46)年灯塔建替(コンクリート造)
設計 : R・プラトン(旧灯台)
施工 : 不明長崎県五島市玉之浦町玉之浦
撮影 : 2015.11.3
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by gipsypapa | 2017-04-05 08:42 | 建築 | Trackback(1) | Comments(2)

チキウ(地球)岬

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室蘭市の南端の太平洋に面したチキウ岬です。ネット情報では「チキウ」はアイヌ語の「チケウェ」に由来し、「秘するところ」あるいは「削れたもの」を意味するそうです。一般的には地球岬(ちきゅうみさき)として知られています。

チキウ岬灯台は大正期に建造された白い八角形の灯台で、「日本の灯台50選」「土木学会選奨土木遺産」に選定されています。鉄筋コンクリート造り。

チキウ(地球)岬灯台
1920(大正9)年
土木学会選奨土木遺産
設計・施工 : 航路標識管理所
北海道室蘭市母恋南町4
撮影 : 2015.8.22
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これ、トイレです。
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地球岬なのでこんなモニュメントがあります。よく見ると電話ボックスです。
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一番高い地点には鐘も。
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「地球岬の絶景」は室蘭八景になっており、100メートルくらい断崖絶壁が連なっています。
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白亜の灯台というのがぴったり。
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海の反対側はかなり険しい。
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駐車場近くの土産物屋には地球岬名物「毒まんじゅう」を売っています。
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6個入りで普通のまんじゅうですが、1個だけが激辛だとか。ロシアンルーレットですね。


by gipsypapa | 2017-03-25 08:33 | 建築 | Trackback | Comments(2)

美保関灯台(美保関灯台ビュッフェ)

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美保関灯台(みほのせきとうだい)は、島根半島東端の地蔵崎にある山陰最古の石造灯台です。「世界灯台100選」および「日本の灯台50選」に選ばれている日本を代表する灯台の一つで、灯台としては初の登録有形文化財に登録されました。

明治31年に、フランス人技師の設計により、片江の石工寺本常太郎によって施工されて、初点灯しました。当初は地蔵崎灯台と呼ばれていました。併設された灯台の旧吏員退息所主屋、倉庫、便所と石塀も登録有形文化財で、美保関灯台ビュッフェとして営業して、観光スポットになっています。石造平屋建て。

美保関灯台(美保関灯台ビュッフェ)
1898(明治31)年 / 1972(昭和47)年改修
登録有形文化財、近代化産業遺産
設計 : フランス人技師
施工 : 寺本常太郎(石工)
島根県松江市美保関町美保関1338-17
撮影 : 2015.4.30
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夏場はコミュニティバスが運行しているようですが、4月は便がありません。美保館から歩いていけない距離ではありませんが、登り坂なので旅館の車で送ってもらいました。ちなみに、帰りは海を眺めながら徒歩で下りました。
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灯台は石造り。底部直径は5.7mの円形灯塔で、総高は14mです。
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石塀は折れ曲がって総延長87m。
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表面を平滑に仕上げた砂岩の石垣の上に、江戸切仕上げの砂岩の塀を乗せた2段構造になっています。西・南面には、大小様々な江戸切仕上げの砂岩を組み合わせた門柱。
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美保関灯台ビュッフェ食堂になっているのは美保関灯台旧吏員退息所主屋。つまり燈台守の宿舎です。
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江戸切仕上げの砂岩を布積した壁面に欠円アーチ形連続窓を設けた寄棟造り、鉄板葺き、平入りの石造平屋建てです。
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てっ、定休日!
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東南隅に配された車寄せは、破風に逓信省章と唐草文様をあしらう装飾の多い意匠。
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このあたりが美保関灯台旧吏員退息所倉庫でしょうか。現在はビュッフェの厨房になっています。
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地蔵崎からの眺め。
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たまたまこの日は木曜日でビュッフェの定休日でした。ということで中に入れませんでした。以下はネットにあった内部写真です。
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美保関の海の幸を地魚料理の店で、洋風だけでなく和風のメニューもあるそうです。
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古いかどうかはわかりませんが、灯具が展示されています。
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鳥取から島根の旅はこれで終わります。次は北海道です。

by gipsypapa | 2017-03-21 08:45 | 建築 | Trackback | Comments(2)

能取岬灯台

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 網走監獄を見て廻ったあと、まだ日暮れまで時間があったので、空港でもらったパンフレットにあった能取岬(のとろみさき)まで行ってみました。

 能取岬は網走国定公園に含まれ、アイヌ語の「ノッ・オロ」(岬のところ)に由来するとか。岬は標高40m程度の高台にあり、断崖絶壁がせり出して、オホーツク海を一望に見渡せるロケーションにあります。冬には一帯に流氷が着岸し、高台の上からは流氷を遠くまで見渡せることから流氷の名所ともなっているそうですが、今は夏。とはいえ、かつては美岬とも呼ばれ、岬の周囲は馬や牛の放牧された網走市営の美岬牧場が広がり、能取岬灯台が建つ美しい風景が広がっていました。

 岬に建つ灯台は高さ約21mで、1917(大正6)年に初点灯されました。白黒の帯に塗り分けられた八角形のコンクリート造り。

能取岬灯台
1917(大正6)年
設計・施工 : 不明
網走市美岬
撮影 : 2012.8.27
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 こちらは能取岬にあるオホーツクの塔というモニュメント。
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 見渡す限り緑の草原。
by gipsypapa | 2013-07-05 13:17 | 建築 | Trackback | Comments(2)

四国村 旧クダコ島燈台退息所

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 クダコ島燈台は愛媛県松山市の沖、クダコ水道にあります。明治35年(1902)7月に着工、翌年3月に竣工、初点燈。クダコ島は周囲1.8kmの小さな島で、この退息所は隣の周囲13.5kmの怒和島(ぬわじま)にあったそうです。毎日船で通ったのでしょうか。戦後、燈台の無人化にともない、この退息所が不要になったため、平成10年に四国村に移築復原されました。

 なおクダコというのは中世の頃、この島を拠点にしていた水軍の呼び名で、鎌倉から戦国時代の水軍だった忽那(つくな)家文書に「久田子衆」や「九多児衆」と書かれているそうです。

 建物は本館と別館の2棟があります。本館は寄棟造、桟瓦葺。内部は左右二つに分かれ、二家族用として、畳敷き押入付き和風の部屋が配してあります。この退息所は明治後期の建築のため、灯台守も日本人に変わったようで、部屋も和風の要素が強くなっています。洋式燈台初期のものとは違い、日本人灯台守用の官舎の標準といわれ、日本の燈台建築の変遷を知るうえで貴重です。別棟ともに国の登録有形文化財の煉瓦造り、モルタル仕上げの平屋建て。

四国村 旧クダコ島燈台退息所
 1903(明治36)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
高松市屋島中町91 四国村
撮影 : 2012.2.25
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 南側には本館と棟を直交させて建つ小ぶりな別棟。寄棟造、桟瓦葺で、ほぼ中央部に防火壁を立ち上げて、手前が風呂場、後方は倉庫です。国の登録有形文化財
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 これは日時計。花崗石製で、八角平面の二重礎盤に徳利状の円竿を建て、饅頭状の台が載っています。高さは1.15m。灯台吏員退息所の必要不可欠な施設のひとつとか。 こちらも国の登録有形文化財
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 なお、文化遺産オンラインのデータでは鉄筋コンクリート造りで、他のサイトでもそうなっているのが多いのですが、四国村の解説では、煉瓦造りのモルタル仕上げとあります。

 実際に見た感じでも鉄筋コンクリートとは思えず、かつ時代的にも1903(明治36)年は、まだ普及していないはずですから、煉瓦造りとしました。確かに表面がモルタル仕上げなので、コンクリートが使われたのは間違いないでしょうが、鉄筋は入ってないでしょう。無筋コンクリートの可能性はあります。

 ちなみに調べてみると、日本で初めて鉄筋コンクリート構造物が出来たのは田邊朔朗がメラン式アーチ桁橋を琵琶湖疏水に採用した1903年、まさにこの建物の築年だそうです。
by gipsypapa | 2013-02-22 13:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)

四国村 旧大久野島灯台

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 大久野島灯台(おおくのしまとうだい)は広島県竹原市の沖合いにある、大久野島の南端に1893(明治26)年に建てられた灯台です。点灯は翌年の明治27年5月。約100年間照らし続けたのち、1992(平成4)年に建替えとなり、それに伴って四国村に移築されました。

 比較的小さな灯台で、基礎は3.8mの円形、高さ5.1m、直径3.1m。塔部は初期の灯台に多く見られる花崗岩の切石の積み重ねで、その上に乗る鋳鉄製の塔器は高さ2.4m。地上から頂部までは8.53mになります。

四国村 旧大久野島灯台
1893(明治26)年
設計・施工 : 不明
高松市屋島中町91 四国村
撮影 : 2012.2.25
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by gipsypapa | 2013-02-19 13:20 | 建築 | Trackback | Comments(4)

博物館明治村 品川灯台

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 安政5年(1858)欧米の列強5ヶ国と結ばれた通商条約に従って各地に港が開かれたが、列強国の関税率等に対する要求はさらに厳しくなり、慶応2年(1866)日本は改税約書を受け入れることになった。その第11条で開港場に出入する外国船のために燈台や航路標識を設けることが取り決められた。

 江戸幕府、ついで明治政府は燈台建設のための技術援助をフランス、イギリスに依頼、東京湾沿岸の観音崎、野島崎、城ヶ島、品川の4つの洋式燈台がヴェルニーを首長とするフランス人技術者の手によって建設された。

 この燈台は品川沖の第ニ台場の西端に建てられ、明治3年(1870)3月5日に点燈された。石油による光で100燭光、光源の高さは地上から19尺(約5.8m)海面上52尺(約16m)、光の届く距離は約18kmと記録されている。

 品川台場は、江戸防備のため江川太郎左衛門の計画に基づき幕末に急造された人工島で、当初は大砲を備えていた。観音崎など他の燈台がなくなった現在、現存最古の洋式燈台として貴重な遺構である。

 避雷針先端までの高さ約9m、円筒形レンガ造で、基礎、入口廻り、螺旋階段、デッキの支え等に石材を組み入れている。燈室の枠は砲金製、屋根は銅板製である。金属部、ガラスはいずれもフランス製であるが、レンガは建設当時フランスの技術者が工事を進めていた横須賀製鉄所のレンガを使用している。創建時には塔身の廻りに半円形の前室があったが、記録が詳らかでないため、塔身だけを復原している。


博物館明治村 品川灯台
1870(明治3)年
重要文化財
設計 : レオンス・ヴェルニー
施工 : 不明
旧所在地 : 東京都港区品川
犬山市内山3-29博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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台場鼻潮流信号機
旧所在地 山口県下関市竹子島 設置年 明治42年(1909)

 潮の流れが激しい場所に船舶航行の安全のために設けられた信号機で腕木式信号機ともいわれる。この信号機は潮流の方向や速さを予測し船舶に伝えるものである。この竹子島の信号機の場合は黒い四角板が上70度の場合は東流中央期、上30度は東流初又は末期、赤い丸板が上70度の場合は西流中央期、上30度は西流初又は末期を表していた。なお、夜間は灯台の閃光の間隔、色によって表していた。
by gipsypapa | 2012-10-10 13:46 | 建築 | Trackback | Comments(2)