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北国街道 安藤家

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旧開知学校前の道路を北に進むと北国街道(ほっこくかいどう)です。安藤家は、室町時代からこの長浜に移り住んだ旧家で、賤ヶ岳合戦(1583年)では秀吉に協力したとか。秀吉は町衆の中から長浜の自治を委ねる「十人衆」を選び、安藤家はその一つとして、町衆文化の一翼を担い、江戸時代は三年寄の一家として、長浜町の発展に尽力したそうです。

現在の建物は明治38年から大正4年にかけて建てられたもので、虫籠窓、紅殻格子などが施された造りは、長浜を代表する近代和風建築の一つです。

安藤家のもう一つの見どころが、庭園です。「古翠園(こういえん)」と名付けられた庭園は、長浜で多くの庭園を手掛けた庭師、布施宇吉(植宇)によるもの。巨石をあしらった池泉回遊式の庭です。

北国街道 安藤家
1915(大正4)年
設計・施工 : 不明
作庭 : 布施宇吉(植宇)
滋賀県長浜市元浜町8-24
撮影 : 2016.11.18
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玄関から覗いただけですが、書院の小蘭亭(しょうらんてい)の美術は北大路魯山人(きたおうじ ろさんじん)の代表作とかで、この像は北大路魯山人でしょうか。
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HPから。
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古翠園の写真はネットにあったものを借用しています。
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これもネットにあった小蘭亭の写真。安藤家離れの「小蘭亭」にある天井絵・篆刻 額・篆刻扉・襖・障子などは魯山人の作品です。
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これと以下の内部写真は画像検索で出てきた「のぶちんのトラベろぐ」という見所が多いブログから借用しました。
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このときは他にも見たい建物が多くあったので、パスしてのですが、もしチャンスがあれば、中や庭を見たいです。ちなみに入館料は400円です。

by gipsypapa | 2017-08-01 08:59 | 建築 | Trackback | Comments(2)

長浜旧開知学校

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先日、松本市の旧開智学校をアップしたばかりです。こちらは長浜旧開知学校。「開智」と「開知」、微妙に字が違う理由はわかりませんが、いずれも明治初めに開校した学校施設なのは同じです。

明治7年(1874)に町民の寄付によって神戸町(現在の元浜町の一部)に建てられました。現在の長浜小学校の前身だったそうですが、建造以降は幼稚園、高等女学校などに使われ、昭和12(1937)年に現在地に移築。その後は色々な目的に使われましたが、近年改修し、現在は地元の会議室や展示場になっています。

なお、地図上では尾張屋ビルになっているようです。松本旧開智学校を小ぶりにしたような外観ですがこちらは3階建て。同様に八角塔屋を載せた、外装モルタル塗り,腰石積、隅石付の擬洋風建築です。ちなみに松本開智学校は明治9年、つまり2年後の築なので、この長浜開知学校の方が古いのです。国の登録有形文化財の木造3階建て、塔屋付き。

長浜旧開知学校
1874(明治7)年 / 1937(昭和12)年移築
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
滋賀県長浜市元浜町2-3
撮影 : 2016.11.18
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隅石です。
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2階、3階に上るのは階段です。当たり前ですが。
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3階の会議室。
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3階から八角塔屋には、螺旋階段で登ることができます。
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棟札がありました。昭和12年。移築したときのものですね。
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八角塔屋から市内を見渡すことができます。
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塔屋からの眺め。北側に、一風変わったビルがあります。その左には北国街道が南北に通っています。
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松本旧開智学校に比べると、ずいぶん小型ですが、貴重な文化遺産なのは同じです。民間の建物になっているようですが、市がもっと関与したほうがよさそうです。

by gipsypapa | 2017-07-31 07:20 | 建築 | Trackback | Comments(2)

長浜市の中島屋食堂

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JR長浜駅から町の中心部に向かうとすぐに目を引くレトロな食堂があります。明治30年に居酒屋として創業し、昭和初期から大衆食堂を営んでいる中島屋食堂です。麺類・丼物・寿司をはじめとした一般的なものから、鮎の姿煮や鰣(ハス)の南蛮など湖北の珍しい湖魚を使った郷土料理もあるそうです。店内ところ狭しと展示されている戦前戦後の看板や昭和のスター写真など、レトロな雰囲気が楽しめます。木造平屋建て。

中島屋食堂
詳細 : 不明
滋賀県長浜市北船町3-3
撮影 : 2016.11.18
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前を通ったときが、たまたま食事時じゃなかったので、興味があったのに中には入りませんでした。以下に食べログの写真を借用します。
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建物自体も古そうですが、詳細は分かりませんでした。

by gipsypapa | 2017-07-29 08:17 | 建築 | Trackback | Comments(2)

琵琶湖竹生島の宝厳寺

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滋賀県の長浜市へ一泊旅行しました。何度か行ったことはあったのですが、当時はまだ建物にそんなに興味がなかったので、見ていないところが多かったのです。朝、自宅を出発して、高槻からJR新快速を利用すると1時間半強でJR長浜駅に着くので便利です。午前中に着いたので、まず琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)へ。

竹生島は、琵琶湖の北部にある島で、琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されています。人がいる場所は宝厳寺(ほうごんじ)がある、島の南側の一部に限られていて、定期船が発着する港と、すぐ近くにある数店の土産物店と寺社に集中しています。宝厳寺は真言宗豊山派の寺院で、山号を巌金山(がんこんさん)といいます。本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基(創立者)は神亀元年(724年)聖武天皇の頃で、行基によるとされています。西国三十三所観音霊場の第30番札所です。

慶長七年(1602年)に、太閤秀吉の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させたものが現存し、唐門は国宝です。最初の全景写真はウィキペディアから借用しています。

巌金山 宝厳寺
滋賀県長浜市早崎町1664-1
撮影 : 2016.11.18
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長浜からの定期船は1日5往復が運行。長浜港から竹生島までは30分。乗船料は往復で 3,070円でした。
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船を下りると、すぐのところにある拝観受付所で拝観料400円を払います。宝厳寺本堂までは、「祈りの階段」と呼ばれる165段の石段が続きます。
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鳥居から右に行けば都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、つまり竹生島神社にいけますが、これは後に。
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西国三十三所の記帳所は本堂横に脚長で建っています。


宝厳寺本堂
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宝厳寺本堂は船着き場からの石段を真っ直ぐに上りきった高台に建つ、寺内最大の建物です。本尊弁才天像で、1942年に平安時代様式で新築されたものです。鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

宝厳寺本堂
1942(昭和17)年
設計・施工 : 不明
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弁天様の顔を描いた幸せ願いダルマがいっぱい。全部手作りだそうで、中に願い事を書いた紙を入れ、奉納するとか。奉納料は500円です。
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ひっそり立つ石造五重塔は鎌倉時代のもので、国の重要文化財です。
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東側にも石段があり、そこを下ると、唐門があるはず。

宝厳寺唐門
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残念ながら平成25年6月1日から平成30年3月31日まで、事業期間70ヶ月の改修作業中で、足場が組まれシートで覆われていて見えません。しかたなく、外観写真はウィキペディアから借用しました。

この門は京都東山の豊国廟の唐門または大阪城の極楽門を移築したと伝わるもので、慶長8年(1603)に建立されました。妻や桟唐戸およびその両脇などに大胆な意匠の彫刻をはめ込み極彩色をほどこしています。建物全体は黒漆塗を主とし飾金具や極彩色の彫刻などで飾った華麗な門で、豪華絢爛な桃山時代の建築を代表する唐門として国宝に指定されています。

宝厳寺唐門
1603(慶長8年)
国宝
設計・施工 : 不明
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唐門の妻にが濃密な装飾彫刻がありますが、シートの下です。よってこれもウィキペディアから借用しました。大虹梁上の蟇股(牡丹文)と松に尾長鳥の彫刻です。
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門扉の彫刻。
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内部は見ることができます。門をくぐった突き当たりですが、これは次の観音堂の壁と思われます。
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各種の彫刻がありますが、まだ桃山時代。
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あまり洗練されているとはいえません。
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宝厳寺観音堂
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観音堂は唐門と同じときに移築されたもので、唐門の背面は観音堂に繋がっています。観音堂には本尊の秘仏千手観音立像(鎌倉時代)が安置されています。入母屋造檜皮葺きで、傾城地に建てられた、床下に長い柱を立てて支える懸造(かけづくり)だそうですが、外観は屋根と、唐門の後ろが少し見えるだけで、掛造りの部分は木が生い茂って、ほとんど見えません。

写真はネットにあった数少ない側面を写したもの。左は唐門でつながっているのがわかります。また内部も奥は改修中で入ることができませんでした。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺観音堂
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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手前の掛造りは次の船廊下のもの。その向こうに見えるのが観音堂です。
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この辺が観音堂の下です。
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このときはこの突き当りまでしか行けませんでした。
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奥までいけた当時と思われる写真をネットから借用しています。

宝厳寺渡廊(船廊下)
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観音堂と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、社名は竹生島神社の本殿を結ぶ屋根付きの廊下です。豊臣秀吉の御座船の用材を用いて建てたという伝承から「船廊下」といわれています。廊下は檜皮葺きで、いわゆる懸造りです。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺渡廊
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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脚長の懸造り。
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都久夫須麻神社(竹生島神社)
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船廊下を進むと都久夫須麻神社の本殿前に出ます。ウィキペディアによると、明治新政府は神仏分離令を出したときに宝厳寺を廃寺にして神社とし、「都久夫須麻神社」と称するよう命じたそうです。しかし、全国の崇敬者の強い要望により宝厳寺の廃寺は免れて寺院と神社の両方が並存することになったとか。

明治7年(1874年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883年)に両者の財産が区別され、以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の法人となっているそうですが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっています。

本殿は唐門や観音堂と同様に、伏見城または豊国廟から移築したと伝えられています。装飾性の豊かな桃山建築ですが、建物中心部の身舎(もや)と周辺部の庇とは本来別個の建物で、建立年代の異なる2つの建物を合体して1棟としたものだそうです。

本殿は永禄元年(1558年)に火災で焼失し、永禄10年(1567年)に再建され、これが現存する庇と向拝の部分にあたり、身舎部分は慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改造したもので、他から移築されたものとか。国宝に指定された木造平屋建て。

都久夫須麻神社(竹生島神社)本殿
1567(永禄10)年 / 1602(慶長7)年
国宝
設計・施工 : 不明
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この装飾彫刻のアップはウィキペディアから借用しています。
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本殿の全景です。

八大龍神拝所

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琵琶湖を望む断崖上にあり、ここから皿の形の土器を湖に向かって投げ、 投げた「かわらけ」が鳥居をくぐると願いが叶うと言われています。
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ということで、かわらけ代2枚300円を払って投げてみましたが、全然だめでした。願い叶わないそうです。(涙)

宝厳寺本坊
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ネット情報がないので、いわれのある建物ではないのは分かっていますが、気になった建物です。唐破風の玄関とそれにつながった2階建ての長大な建物。
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崖の上に建っています。
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宿坊のように見えますが、なかなかの近代建築でした。
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船着場に戻って、
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長浜港へ戻りました。

by gipsypapa | 2017-07-28 08:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

旧湖東信用金庫本店

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 滋賀県の最後です。大正期の銀行建築。ヴォーリズの建物を近江鉄道沿いに訪ねた5年前の写真です。このルートに有名な豊郷小学校や旧水口図書館などがありますが、飛び飛びにあり、鉄道の便も良くないことから、このときは車でまわったわけです。この写真は車の信号待ちで見つけたので、1枚しか撮っていません。

 湖東信用金庫の本店だった建物で、写真を撮ったときの1年半ほど前に新本店ができて、閉鎖されていたとか。現存しているかどうか、ストリートビューはない地域のため、定かではありませんが、地図上ではそれらしい建物はあります。屋根は銅板葺きで、石造りに見える外壁は煉瓦にモルタルの洗い出しだそうです。煉瓦造り2階建て。

旧湖東信用金庫本店
1920(大正9)年
設計 : 不詳
施工 : 清水組
東近江市八日市金屋1-2-3
撮影 : 2006.10.28
by gipsypapa | 2011-09-11 17:09 | 建築 | Trackback | Comments(2)

瀬田のN邸

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 ずいぶん昔の写真です。瀬田の唐橋近くに非常に目立つ建物があります。一見中華風のお寺か竜宮城のようですが、れっきとした住宅なのです。c0112559_13325520.jpg

 ずいぶん昔に撮った写真なので、一応ネットで調べると「walton乾隆帝」というブログに「瀬田の唐橋 竜宮城解体」という記事を発見。この家に住んでいた人の2009年の記事で、外観だけでなく中もユニークな設計になっているそうです。従い、すでに存在しないだろうと思って、Google Mapのストリートビューで確認したところ、まだ写真は存在しています。撮影日時が分からないので何とも言えませんが、残してほしい建物です。木造2階建て。

瀬田のN邸
1938(昭和13)年
設計 : 野口宗治郎
施工 : 北井工務店
大津市唐橋町
撮影 : 2007.2.10
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 最後の写真はストリートビューから。まだあります。
by gipsypapa | 2011-09-09 13:35 | 建築 | Trackback | Comments(4)

旧中川煉瓦製作所ホフマン窯

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 ヴォーリズ建築の宝庫なので何度も訪れた近江八幡市。この日はヴォーリズ展を見に行ったついでに有形文化財が数件あるという旧中川煉瓦まで足を伸ばしました。

 文化遺産オンラインではホフマン窯機械場事務所縄縫工場が有形文化財指定を受けています。実際に行ってみるとホフマン窯の30m煙突が残っているだけで、あとは廃墟のようになっていました。

 ちなみにホフマン窯とはドイツ人のフリードリッヒ・ホフマンが考案したリング状の窯で輪環窯ともいい、隣接する焼成室に火を順次周回させて煉瓦を焼成するもの。鎮火のロスを防ぎ、大量のれんがを連続して焼き続けることができると言われています。現在はほとんどトンネル窯で焼かれているので、ここのは貴重な遺産です。国の登録有形文化財の煉瓦造り、煙突1基付。

旧中川煉瓦製作所ホフマン窯
1916(大正5)年ころ
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
近江八幡市船木町59
撮影 : 2009.10.18
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 煙突は見えますが、下部にあるはずの窯は草木に覆われて見えません。ちなみに写真に写っている建物はすべて新しいものです。
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 おい茂る草むらの中にあった煉瓦建築の残骸。これが旧事務所と思われます。有形文化財もこの状態です。機械場と縄縫工場は見当たりませんでした。ネット情報では「現在のところ非公開(公開に向けて準備中)」とありますが、とてもそのような気配がなく、このまま朽ち果てていくのでしょうか。
by gipsypapa | 2011-09-08 13:52 | 建築 | Trackback | Comments(6)

彦根市日夏町のT邸

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 彦根市の清崎町から日夏町に向かったのは、ヴォーリズ設計の「日夏町自治会館(日夏町民会館)」を見に行ったときです。日夏町自治会館を見て、前の道を北東に少し歩いたところで、いかにもレトロな住宅を発見。

 道路越しに妻面にあるレリーフや洋風のベイウィンドウが見えます。門が開放されていたので覗いてみると、左側にモルタル吹きつけのベージュ色のドイツ壁の建物。それに繋がる右側には白い下見板貼りの古そうな洋館があります。昔は医院だったのではないかと思う佇まい。人の気配はなく、空き家のような雰囲気です。少なくとも昭和初期以前の住宅でしょう。木造平屋建て。

日夏町のT邸
築年 : 不明
設計・施工 : 不明
彦根市日夏町
撮影 : 2009.9.13
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by gipsypapa | 2011-09-07 14:12 | 建築 | Trackback | Comments(0)

彦根市清崎町の沢酒店

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 清崎町の日本家屋が並ぶ道を北上したところに大きな土蔵のある酒屋があります。蔵が店舗になっていますが、隣にある家屋も古い建物です。屋根窓があったり、低めの屋根が複雑に重なる珍しい和風建築。「酒粕あります」の札がありました。造り酒屋だったと思われます。木造平屋建て。

沢酒店
築年 : 不明
設計・施工 : 不明
彦根市清崎町877
撮影 : 2009.9.13
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 日本家屋が並ぶ通りを北に進んだら横長の土蔵が見えてきます。
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by gipsypapa | 2011-09-06 13:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)

彦根市清崎町のM邸

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 清崎町には古い日本家屋が立ち並んでいる路地の一角がありました。人通りの数ない路地で、純和風ながら塀越しに興味深い純白の破風見せる建物の写真を撮っていると、年配の男性が自転車で通りかかって「何をしてますか?」。「古い建物が好きなので・・」と答えると、「この家は百年以上前の建物です。」と教えてもらいました。ということは明治末期の築と思われます。

清崎町のM邸
明治末期
設計・施工 : 不明
彦根市清崎町
撮影 : 2009.9.13
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 同じ通りには他にも歴史のありそうな住宅が並んでいました。
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by gipsypapa | 2011-09-05 13:29 | 建築 | Trackback | Comments(4)