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博物館明治村 帝国ホテル中央玄関

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 この建物は、20世紀建築界の巨匠、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトによって設計され、大正12年(1923)4年間の大工事の後に完成した帝国ホテルの中央玄関部である。

皇居を正面にして建てられた帝国ホテルは総面積34,000㎡余の大建築で、中心軸上に玄関、大食堂、劇場などの公共部分が列ねられ、左右に客室棟が配されていた。全体計画から個々の客室に到るまで、きわめて多様な秀れた空間構成がなされ、それまでの建築空間が主として平面的なつながりであったものを、立体的な構成へと発展させた世界的に重要な作品である。

 この中央玄関は、建物の特色をよく遺しており、軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調し、またその帯が奥へ幾段にも重なって、内部空間の複雑さを予想させる。大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、レンガには櫛目を入れて、柔らかで華麗な外観を現出している。

 レンガ型枠鉄筋コンクリート造とも言える構造であり、複雑な架構に鉄筋コンクリートの造形性が生かされた作品である。移築に当たっては、風化の著しい大谷石に代えてプレキャストコンクリートなどの新建材も使った。

 メインロビー中央には三階までの吹き抜きがある。中央玄関内の全ての空間は、この吹き抜きの廻りに展開し、その個々の空間は、床の高さ、天井の高さがそれぞれに異なっており、大階段、左右の廻り階段を昇る毎に、劇的な視界が開かれる。

 建物内外は、彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾されている。特に左右ラウンジ前の大谷石の壁泉、吹き抜きの「光の籠柱」と大谷石の柱、食堂前の「孔雀の羽」と呼ばれる大谷石の大きなブラケットは、見る者を圧倒する。

 吹き抜かれた大空間の中を光が上下左右に錯綜し、廻りの彫刻に微妙な陰影を与え、ロビーの雰囲気を盛りあげている。


博物館明治村 帝国ホテル中央玄関
1923(大正12)年
登録有形文化財
設計 : フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)
施工 : 大倉土木
旧所在地 : 東京都千代田区内幸町
犬山市内山5-67博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22 & 2012.3.10
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 大正時代のものとは思えない斬新な意匠。これだけの魅力的な建物は、現代でも最先端といってもいいような素晴らしさ。さすがに「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるフランク・ロイド・ライトです。

 帝国ホテルの設計には、後にライトの後継者となり、数多くの素晴らしい建物を日本に残した、若き遠藤新、アントニン・レーモンド、田上義也、土浦亀城らが様々な形で参加しており、いわゆるライト系といわれる優れた建築家を生み出すきっかけとなりました。当時の日本建築界は長くコンドルの流れをくむ古典様式主義が主流でしたので、ライトのプレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)という斬新な形状美は、若い建築家たちには驚きととも受け入れられ、強く心をつかんだに違いありません。

 この建物は明治村でも最大の見どころ。正門から順番に見ていくと最後に到達する位置にあります。内部には喫茶室があり、歩き疲れた足を休めるのにお勧めです。

 約3か月間に渡って紹介してきた明治村シリーズは、今回で終わります。
by gipsypapa | 2012-12-04 13:24 | 建築 | Trackback | Comments(4)

博物館明治村 名鉄岩倉変電所(岩倉ホール)

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 明治20年(1887)に東京で日本最初の電気事業が開始された。当初は需要の多い地域毎に火力発電所を設置し、低圧直流の電気を発電供給する方法であったが、小規模の発電所が市内各所に点在し、その技術的な統一が困難になってきたため、高圧交流式の大火力発電所が建設されるようになった。これに伴い、それまでの小発電所は変電所に振り替えられていった。

 電気事業の進展は電車という新しい交通機関を可能にした。京都市電に遅れること3年、名古屋電気鉄道により明治31年(1898)日本で2番目の市内電車が名古屋市内に走るが、同社はその後も尾張地区に路線を伸ばし、大正元年(1912)には犬山線を開通させた。その時、この岩倉変電所が建てられた。

 内部に高価で大きな変電用機械を入れるため、背の高いレンガ造建物になっており、屋根には天然スレートを葺いている。出入口や竪長の大きな窓は半円アーチとし、色の濃い焼過ぎレンガを上下四段の帯として入れている。建物四隅にバットレス(控壁)を付けているが、この建物のように小屋組がトラスの場合はバットレスを付けないのが通例である。移築に当たり、構造躯体を鉄筋コンクリートに改め、外装にはレンガタイルを張った。

 岩倉発電所の背面は、他の三面と趣きを異にし、レンガ積の様々な手法で装飾を施している。半円アーチ、円弧アーチ、柱型、凹みなど設計者の楽しみのあとがうかがわれる。

小屋組は木造キングポストトラスで、小屋裏あらわしになっている。しかし、建物活用の目的で、テント布を梁下に張っている。竪長の窓には上ゲ下ゲの建具が建て込まれ、上部に半円形の欄間がつけられている。


博物館明治村 名鉄岩倉変電所(岩倉ホール)
1912(明治45)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 愛知県岩倉市下本町
犬山市内山5-66博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22 & 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-12-03 13:02 | 建築 | Trackback | Comments(0)

博物館明治村 高田小熊写真館

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 銀板写真と呼ばれる写真術が日本に渡来したのは幕末1840年代のことである。続いて1850年代の末頃湿板写真が導入され、明治中期には乾板写真に移行し、さらに今日のフィルムへと変遷をとげた。

 明治時代においては、写真術は高度な理化学の知識と長年月の修練を要し、誰にでも簡単にできるというものではなかった。このため写真師は文明開化の花形職業として高い収入と大きな名声を得ていたのである。

 この建物は、昔から豪雪地として知られ、日本のスキー発祥の地である越後高田の街なかに、明治41年(1908)頃建てられた洋風木造二階建の簡素な写真館である。階下には応接間、暗室のほか作業室兼用の居室があり、二階に写場(スタジオ)が設けられていた。創建以後、時世の変化に応じて増築や模様替えが重ねられていたため、移築に際しては創建時の姿に復原することに努め、背面及び内部の後補部分は取り去った。しかし、正面の突出部分は改造後の姿をそのまま復原した。 大工棟梁によって地方に建てられた明治末大正初期の写真館の俤が偲ばれる。

 当時、写真師が写場を設営するにあたり最も苦労したのは、人工照明がないため、外光を写場にいかに効果的に取り入れるかであった。そのため屋根やカーテン、反射板等に様々な工夫が凝らされ、この写真館でも北側の屋根を全面ガラス張にし、独特の白黒天幕を用いて光景を調節できるようにしている。又、写真師は写真館の外観とともに、「書割」と呼ばれるバックや小道具にも力を注ぎ、専門の絵師にバックを描かせたり、高価な舶来の小道具を購入する等、その豪華さを競い合った。


博物館明治村 高田小熊写真館
1908(明治41)年ころ
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 新潟県上越市本町
犬山市内山5-65博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22 & 2012.3.10
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 明治初期の湿板写真は、ガラス板の上に乳剤を塗り、それが乾かないうちに写したため、この名がある。写したガラス板のネガは黒いビロードにのせてポジ像に見せ、これを桐箱に入れて客に渡した。 撮影には長時間の露出を要するため、「首おさえ」や「胴おさえ」を使って体を固定した。
by gipsypapa | 2012-11-30 12:57 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 菊の世酒蔵

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 この建物は、西洋館の多い明治村の中では珍しく和風瓦葺の蔵であって、梁間九間(約16m)桁行十八間(約33m)、外壁に厚い土壁を塗り廻した二階建部分と、幅二間(約3.6m)の吹き放ちの庇部分からなる。明治28年(1895)愛知県の刈谷にあった菊廣瀬酒造の仕込み蔵として建てられたが、もとは明治の初め刈谷から程遠くない三河湾近くの新川(碧南市)に穀物蔵として造られたものを移したという。

 明治村は、昭和44年(1969)この建物を解体保存していたが、十数年を経た昭和58年(1983)12月に移築公開した。移築に当たり、広い蔵の内部を明治村の収蔵庫兼展示場に利用するため、鉄筋コンクリートで新たに地下室を設けるとともに、内部構造の一部を変更した。南半分は旧来の蔵造として遺したが、北半分は鉄筋コンクリート造に置き換え、下見板を張り廻して外観の様式を整えた。

 尚、蔵造部分の一階には、酒蔵に因んで、酒造りに関する多数の資料を展示しており、入口の杉玉もその一例である。

 大屋根を支える小屋組は、古い民家の形式である。梁間を三等分し、中央の部分を本屋、両側を下屋といい、本屋は背の高い二本の独立柱を立て大梁を架けて鳥居形とし、上に和小屋を組む。下屋は外壁の側柱から登り梁を本屋桁に掛け渡している。


博物館明治村 菊の世酒蔵
1868(明治初)年ころ
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 愛知県刈谷市銀座
犬山市内山5-64博物館明治村内
撮影 : 2012.3.10
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 酒造りは、雪国や山村の農民、漁民ら出稼者で組織される「蔵人」にまかされる。蔵人の引率者が「杜氏」、その補佐が「頭」と呼ばれる。その下に、酒造りの大切な工程麹づくりの責任者「大師」(麹師などともいう)、醗酵のための酵母菌をふやす作業の責任者「廻り」が続く。また、道具の管理、酒しぼり、蒸米など役割に応じて責任者が決められ、それら責任者の下に「上人・中人・下人」らの職人がいた。この菊の世酒蔵内には、酒造りの道具が工程順に置かれ、当時の酒造りの様子が偲ばれる。
by gipsypapa | 2012-11-29 14:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 宮津裁判所法廷

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 古来日本では裁判所を行政官庁から独立させる思想はなく、むしろ行政官庁が同時に裁判所でもあることが原則となっていたが、明治元年(1868)の政体書の中で、太政官の権力を立法・行政・司法の三権に分離し、司法権を掌る刑法官を設けたのを端緒として、司法権の独立へと向かうことになった。明治4年(1871)司法省が置かれ、同8年最上級審として大審院が、翌9年には各地に4つの上等裁判所と23の地方裁判所が創設された。

 そののち幾度かの改編を重ねて整備が進み、明治23年(1890)の裁判所構成法により司法制度はその確立をみた。制度の改良と時を同じくして法律も整備され、明治15年にはフランス法系の治罪法が定められ、同23年には治罪法を改正して刑事訴訟法が制定された。このような司法制度確立期の明治19年に宮津裁判所は建てられ、この法廷はその一部である。

 控訴裁判所などの上級審が洋風レンガ造で造られたのに対し、和洋折衷の木造で建てられた。立式を採用した法廷内部や、窓、出入口などに洋風の影響を見ることができるが、明治村の中の他の多くの和洋折衷建物がペンキ塗であるのに対し、この建物は素地のままであり、和風の意識が強いことを表している。

 宮津裁判所全体の形は左右対称のH型で、中央に二階建の管理棟、左右両翼に法廷棟が配されていた。管理棟には、玄関、応接所、正庁、会議室などがあり、法廷棟には法廷のほか予審廷、検事調所があった。明治村に移築されているのは、右翼の刑事法廷棟である。

 法廷を復元するに当たり、明治村では人形を用いて当時の法廷風景の再現を図った。高い壇上に裁判官と検事、書記が座を占め、弁護士、被告人は下段に置かれている。法廷への入口も分けられており、裁判官達は廊下づたいに、弁護士、被告人は外の廻廊から入るよう定められていた。


博物館明治村 宮津裁判所法廷
1886(明治19)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 京都府宮津市本町
犬山市内山5-63博物館明治村内
撮影 : 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-11-28 13:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 金沢監獄中央看守所・監房

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 金沢監獄では、広い敷地の北半分が管理のための建物群で占められ、南半分に舎房が置かれた。ここでも洋式舎房が採用されており、八角形の中央看守所を中心に、左右及び正面奥と左右斜め奥に五つの舎房が放射状に配され、右の舎房から順に第一、第二…第五舎房と名付けられた。

 移築復原に当たっては、先の正門と中央看守所、第五舎房の一部だけが遺されたが、当時の洋式監獄の形を十分にうかがうことができる。

 木造桟瓦葺で外壁に洋風下見板を張り、中央看守所の窓には上ゲ下ゲ硝子戸を建て込んでいる。外見上は普通の西洋館の外壁と変わらないが、実は三重壁になっており、内外が厳重に区切られている。建築技法だけに限って考えると、近代の防音、断熱の先駆的な実例とも言える。看守所上部の見張り櫓へは小屋裏を抜けて昇るようになっており、その高さは地上高12mに達する。

広い廊下の左右に独居房の重い扉が整然と並ぶ第五舎房の内部。扉の上には換気用の小窓が開けられ、衛生面に留意したことがうかがわれる。小屋組も合理的に設計されており、大梁の廊下部分は鉄筋に置き換えて組まれている。長い廊下の見通しを良くするための配慮であろう。

差渡し14mの広い中央看守所の中央には看視室が置かれ、ここから各舎房の廊下が一目で見渡せるようになっている。現在ここに置かれている看視室は金沢監獄のものではなく、網走監獄で使われていたものである。


博物館明治村 金沢監獄中央看守所・監房
1907(明治40)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 石川県金沢市小立野
犬山市内山5-62博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22 & 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-11-27 14:11 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 前橋監獄雑居房

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 「監獄則並図式」(1872)に沿って、前橋監獄でも十字放射型配置の舎房が造られた。しかし、構造は和洋折衷の面白いもので、洋小屋に越屋根を載せているが、房廻りの構造は江戸時代以来の日本の牢屋の形式をそのまま伝えている。太く堅い栗材を密に建て並べ、貫を通して鳥籠状に囲い、床や天井も堅固に組まれている。

 飲食から排便に至るまで同じ狭い房内で行われるため、とかく不衛生になりがちな監獄であるが、ここでは房廻り、廊下とも全て吹きさらしになっているため、風通しが大変良く、その面での心配は少ない。

 移築に当たり、左右合わせて21房あったものを切り縮め、9房と洗い場を復原している。
 素通しの房廻りとは言え、入口の周囲には板がはめ込まれ、中からは錠に手が届かないようになっている。その反面、扉には小さな窓が開けられ、扉の背後に隠れることを防ぐための配慮もなされている。


博物館明治村 前橋監獄雑居房
1887(明治21)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 群馬県前橋市南町
犬山市内山5-61博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22 & 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-11-26 14:53 | 建築 | Trackback | Comments(0)

博物館明治村 東京駅警備巡査派出所

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 明治41年(1908)、それまで品川を起点としていた東海道線を皇居正面の丸の内まで延長し、新しい中央停車場を建設する工事が開始された。その大工事は大正3年(1914)竣工、東京駅と命名され開業したが、その折駅前広場を整備する中で、この派出所が建設された。

 駅本屋との調和をはかるため、駅本屋のデザインを十二分に意識した設計がなされている。隅切り八角形の外形で、その屋上に小塔を置き、正面軒上に半円のぺディメントを、窓上には小庇を設け、腰壁に白い帯状装飾を廻らしている。構造は鉄筋コンクリート造で、化粧レンガを張って仕上げている。レンガ積ではなく鉄筋コンクリートの躯体に化粧レンガを張る工法は、当時日本で行われはじめた新しい工法であった。

 首府東京の表玄関であった東京駅では、天皇の地方巡幸や外国使節の従来など重要行事が多く、一時は12人もの巡査が詰めていたという。

 大正3年に完成した東京駅本屋は、日本建築界の第一人者、辰野金吾の設計になり、鉄骨レンガ造三階建、床を鉄筋コンクリートで造った長さ330m余の壮大な建物である。当初の計画では当時新工法として注目をあびていた鉄筋コンクリート造で全てを造ることも考えられたが、最終的には辰野博士が得意とするレンガ造で建設することに決したと言う。


博物館明治村 東京駅警備巡査派出所
1914(大正3)年ころ
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 東京都千代田区丸の内
犬山市内山5-60博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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by gipsypapa | 2012-11-22 10:14 | 建築 | Trackback | Comments(4)

博物館明治村 内閣文庫

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 内閣文庫は、明治6年(1873)赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館である。明治23年(1890)内閣制度の制定とともに内閣文庫と改称され、昭和46年国立公文書館が設立されるまで、内外の古文書研究家に広く利用された。

 その蔵書は、紅葉山文庫本、昌平坂学問所本をはじめ和漢書籍、記録など旧徳川幕府ゆかりの書籍を中心とし、さらに明治政府が集めた古文書・洋書を加えて、我が国の中世から近代までの文化、中国の明、清代の文化に関する貴重な内容である。

この建物は明治44年、皇居大手門内に新築された内閣文庫庁舎のうちの本館・事務棟である。本格的なルネッサンス様式のデザインで、明治のレンガ・石造建築の教科書的作品である。特に正面中央には高さ7m余の4本の円柱と2本の隅角柱が並び、巨大なぺディメントを受け、その姿は古代ギリシャ・ローマの新殿建築を思わせる。

 設計は明治40年に横河工務所から大蔵省臨時建築部に移籍したばかりの若い大熊喜邦の手になる。その後の大熊は官庁建築の本流に位置し、昭和11年には、現国会議事堂完成を指揮するに至った。


博物館明治村 内閣文庫
1911(明治44)年
登録有形文化財
設計 : 大熊喜邦(大蔵省臨時建築部)
施工 : 鈴木市郎(大丸組)

旧所在地 : 東京都千代田区千代田
犬山市内山5-59博物館明治村内
撮影 : 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-11-21 14:15 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 川崎銀行本店

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 川崎銀行本店は、ルネッサンス様式を基調としており、当時の銀行・会社の本店建築の中でも本格的銀行建築である。構造は鉄筋コンクリート(一部鉄骨)造、外壁は御影石積で地上3階、地下1階建、間口約38メートル、高さ約20メートルの建築であった。関東大震災以前の大正10年に起工され、6年間の工期を費やして昭和2年に竣工した。設計者の矢部又吉は、ドイツのベルリン工科大学に学び、帰国後多くの銀行建築を設計したが、この建物はその代表作といえる。

 東京の中心地、日本橋のシンボルとして永く人々に親しまれてきたこの建物は、昭和61年ビル立て替えのため惜しくも取り壊され、正面左側角の外壁部分が明治村へ移築された。日本橋に建て替えられた新ビルは、旧建物の中央玄関部分や柱のキャピタル部分などを保存再利用し、旧建物の面影を活かしたポストモダーンのデザインとなっている。あわせて参考にすべきであろう。


博物館明治村 川崎銀行本店
1927(昭和2)年
登録有形文化財
設計 : 矢部又吉
施工 : 不明
旧所在地 : 東京都中央区日本橋
犬山市内山5-57博物館明治村内
撮影 : 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-11-16 13:02 | 建築 | Trackback | Comments(4)