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横濵關帝廟と媽祖廟

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 関帝廟(かんていびょう)は、三国志で有名な関帝(関羽 字は雲長)を祀る廟。関羽は、信義や義侠心に厚い武将として名高く、中国の民衆によって様々な伝承や信仰が産まれ、また後の王朝によって神格化されていきました。その関羽を祭ったほこらが関帝廟の始まりで、世界中に華僑が散らばっていったときに、商売が繁盛を祈願して、その各地の居住区に関帝廟を立てました。そのため世界中の中華街などに関帝廟があります。

 日本では]函館市、横浜市、和歌山県那智勝浦町、京都福知山市、神戸市、大阪市、北天神、長崎市崇福寺、長崎市興福寺、沖縄那覇市などにあります。

 横浜の關帝廟は国内最大規模ですが、現在の建物は4代目になります。1986年(昭和61年)元旦の火災で廟は焼失しましたが、奇跡的にご本尊關羽と観音媽、地母娘娘の諸神明像は難を逃れました。

 その後、横濵關帝廟再建委員会が組織され、募金を集めて再建されたのは、1990(平成2)年です。 廟の設計は横浜華人の建築士が担当し、堂屋・堂宇の装飾、構築部分は可能な限り本国より寄せ、大陸・台湾の匠が技をふるたそうです。

横濵關帝廟
1990(平成2)年
設計 : 横浜華人の建築士
施工 : 清水建築
横浜市中区山下町140
撮影 : 2006.4.30 & 2012.12.8
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横濱媽祖廟
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 中華街にあるもうひとつの寺院。
 横濱媽祖廟【よこはままそびょう】は、北宋時代(960年-1127年)に、神通力を使い、雲に乗って島を巡回し、お札の力で悪や災いを退け、人々の病を癒したと言われる、媽祖をまつる道教寺院です。航海の安全を護る海の神として、また 、自然災害や疫病、戦争、盗賊から人々を護る女神として、現在でも中国大陸や台湾はもとより華僑が住む世界各地で信仰されています。

この寺院は最近建てられたもので、私が最初に訪ねたのはできたばかりの時だったようです。

横濱媽祖廟【よこはままそびょう】
2006(平成18)年
横浜市中区山下町136
撮影 : 2006.4.30 & 2012.12.8
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 これで今回の横浜編を終わります。
 なお、明日からしばらく旅行のためお休みを頂き、来週末に再開します。
by gipsypapa | 2013-10-06 16:09 | 建築 | Trackback | Comments(2)

日本キリスト教団横浜海岸教会

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 開港資料館を東側に出ると開港広場の一角に横浜海岸教会の尖塔が見えます。

 1871(明治4)年に石造の小会堂が建てられた、日本のプロテスタント教会発祥の地です。1875(明治8)年には大会堂が建設されて横浜海岸教会と改称されました。両会堂は1923(大正12)年の関東大震災で焼失したため現会堂が再建されました。 塔屋には1875年(明治8年)に鋳造された鐘があるそうです。

 まっ白な壁に上部にローソクの炎をかたどる縦長の窓が整然と並び、ゴシック様式のとがった三角屋根の鐘塔が印象的な教会です。礼拝堂はプロテスタントらしくシンプルで清潔なイメージ。柱のない天井の支持構造はヴォールトではなく△形となっているのが珍しい。

 設計は東京美術学校を出て宮内省内匠寮(ないしょうりょう)に入り、帝室博物館の実施設計にあたった雪野元吉。宮内省内匠寮の技師が何故このような教会の設計を手がけたのかは謎です。横浜市認定歴史的建造物の鉄筋コンクリート造り、3階建て。

日本キリスト教団横浜海岸教会
1933(昭和8)年
横浜市認定歴史的建造物
設計 : 雪野元吉
施工 : 宮内工務店
横浜市中区日本大通8
撮影 : 2012.12.9
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 キャンドル形の階段手すり。
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 フランク・ロイド・ライトのような幾何学形の天井。
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 窓もキャンドル形です。
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by gipsypapa | 2013-09-27 13:12 | 建築 | Trackback | Comments(2)

大洲協同基督教会

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 大洲観光案内所前の広場に白亜の教会があります。なじみのない名前ですが、プロテスタントの一つ、アライアンスキリスト教団の教会で、日本では中国・四国地方に多いそうです。

 かなり新しい会堂に見えます。ファサードに柱を張り出し、赤い屋根の尖塔を、壁を突き抜けるように立てるモダンな教会です。鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

大洲協同基督教会
築年 : 不明
設計・施工 : 不明
大洲市大洲651-2
撮影 : 2012.10.21
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by gipsypapa | 2013-08-12 10:21 | 建築 | Trackback | Comments(2)

日本聖公会岸和田復活教会

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 閑静な住宅街に教会があります。煉瓦塀の向こうには牧師館のような、庭が美しい住宅があり、向こうに十字架のある青い尖塔が見えます。さらに横の坂道を府道39号線に向かって東に下ると、もう一つ赤いとんがり屋根の小さな聖堂。

 ネット情報では、大正期の聖堂の旧部材を利用して、1942(昭和17)年に現在地に移転したとあります。多分、前半の住宅のような建物がそうだと思いますが、どちらの建物が大正期のものだったのか、結局はっきりとはしませんでした。いずれも木造平屋建て。

日本聖公会岸和田復活教会
1921(大正10)年
設計・施工 : 不明
岸和田市岸城町3-4
撮影 ; 2012.5.5
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 坂を下ると、美しい洋風の庭園があって・・・
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 鮮やかな赤いとんがり屋根の小さな聖堂がありました。
by gipsypapa | 2013-05-22 14:26 | 建築 | Trackback | Comments(2)

日本基督教団倉敷教会

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 もう一つの西村伊作の作品、日本基督教団倉敷教会教会堂。倉敷教会は、大原孫三郎らが役員となり、1906(明治39)年に設立されました。

 教会堂は切妻造りスレート葺で、東南隅に塔屋を付設。3階建てのファサードを通りに向け、背後に2階建ての礼拝堂があります。左右非対称の建物配置に石積みのスロープが二階にある礼拝堂の入口へと導く構造で、驚くほどに印象的な外観をしています。

 1階部分と塔屋の外壁を木骨コンクリートの石貼りにして、塔屋や4つ並んだ礼拝堂の窓の張出部に鋭角の切妻屋根を見せます。重厚な石貼りと白い木造部分の外壁に、軽快な印象のある尖塔アーチ窓の組み合わせが独特の調和をもたらしていて、当時の教会建築のとは一線を画した斬新な意匠です。

 別際太陽「日本の教会をたずねて」にこの教会が紹介されています。国の登録有形文化財の木造、一部木骨コンクリート造り、2/3階建て、塔屋付。

日本基督教団倉敷教会
1923(大正12)年
登録有形文化財
設計 : 西村伊作
施工 : 藤木工務店
倉敷市鶴形1-5-15
撮影 : 2011.12.4
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 向って右側にある4階建ては1971(昭和46)年築の倉敷キリスト会館。
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 西村伊作は多彩な芸術家で教育家でもあるため、建築作品は多くはありませんが、倉敷市郊外と生まれ故郷の和歌山県新宮市にそれぞれ3棟、兵庫と東京に各1棟の住宅建築。那智勝浦に日本基督教団紀南教会、東京に文化学院本館などが現存しています。いつか機会があれば訪ねてみたいです。

 さらにもう一つ、藤木工務店について。
倉敷シリーズでは一連の薬師寺主計や西村伊作設計の建物の施工を担当しているので何度も出てきました。調べてみるとこの会社は1920(大正9)年の創業で、ホームページの実績表を見ると、渡辺節、関根要太郎、長野宇平治、小川安一郎、笹川槙一、長谷部竹腰建築事務所など、そうそうたる建築家の作品を数多く手がけた、現在も現役の工務店です。HPにある同社の歴史は建築ファンには一読の価値があります。  
by gipsypapa | 2013-01-25 14:03 | 建築 | Trackback | Comments(2)

豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂

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 豊橋市のもう一つのお目当て、豊橋ハリストス正教会。豊橋市公会堂から吉田城跡である豊橋公園の横の道を行ってすぐのところにあります。

 この日は快晴。まぶしいほどに真っ白な下見板張の外壁に銅板葺の屋根。玄関上部に尖頭屋根とクーポラを戴く八角形平面の鐘塔を持つ、典型的なハリストス正教会です。平面形状が、西から東へ、玄関、啓蒙所、聖所、至聖所を一直線に並ぶのは、ハリストス正教会聖堂に共通する形式だとか。細部は開口部上部の台形と山形の破風。玄関ポーチの柱は幾何学的立体の組合せたくびれ柱の独特な意匠です。

 設計は明治・大正期の建築家であり、ハリストス正教会副輔祭で、主に日本正教会の聖堂の設計と建築を行ったモイセイ河村伊蔵(かわむら いぞう、モイセイ」は聖名1860 - 1940)。他に函館ハリストス正教会聖堂、白河ハリストス正教会聖堂、釧路ハリストス正教会の旧聖堂(現存せず)などの設計・建築監督を手がけました。国の重要文化財と愛知県指定文化財の木造平屋建て、正面八角鐘楼付、銅板葺、聖障付き。

豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂
1913(大正2)年
重要文化財
愛知県指定文化財
設計 : 河村伊蔵
施工 : 中神組
豊橋市八町通3-15
撮影 : 2011.9.23
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by gipsypapa | 2012-12-11 13:51 | 建築 | Trackback(1) | Comments(2)

博物館明治村 大明寺聖パウロ教会堂

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 キリスト教は天文18年(1549)、宣教師フランシスコ・ザビエルによって伝えられたが、その後、豊臣秀吉、次いで徳川家康の政権時に禁制となり、実に二百数十年を経た、明治6年(1873)に禁教が解かれた。

 この建物は明治12年(1879)頃、長崎湾の伊王島に創建された教会堂である。開国後、長崎の町に建てられた最初の教会は大浦天主堂(1865年完成)で、それから15年後のことであった。

 大明寺教会堂は、フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、地元伊王島に住んでいた大渡伊勢吉によって建てられた。若い頃、大浦天主堂の建設にも携わった伊勢吉は、当時の知識をこの教会堂に注ぎ込んだのである。

 内部こそゴシック様式だが、外観は、鐘楼を除けば、普通の農家の姿に過ぎず、いまだキリスト教禁制の影響を色濃く残している。教会堂内部は、一般的には中央身廊と左右側廊からなる三廊式である。

 明治村の聖ザビエル天主堂などの典型的なゴシック様式の教会堂では、列柱は大きなアーチでつながれ、大アーケードと呼ばれるが、この大明寺教会堂では一本おきに柱頭飾りから下の柱を取り払った姿になっている。連なる小さなアーチのそれぞれに柱を建てると堂内が大変窮屈になってしまうためで、木造だからできた離れ業といったところだろう。

 正面の土間や鐘楼は、創建後の増築である。このような地方の教会は創建の時に全てが完成しているものではなく、時代を経て少しづつ人々の手が加えられたのである。

 「コウモリ天井」とは、建築用語で「交差リブヴォールト」と言い、西洋のゴシック様式の教会建築によく見られる。柱の間に渡されたアーチ型のリブを骨として天井を支えている。この教会では木製のリブを骨として、竹小舞を球形の鳥籠のように編み上げ、両面に荒土、漆喰を塗り重ねてある。ちなみに「コウモリ」とは、骨の姿がコウモリ傘に似ているからである。

 また左右の側廊の天井は、日本風の「竿縁天井」を少し曲げて曲面にし、西洋のヴォールト天井に似せたものと思われる。


博物館明治村 大明寺聖パウロ教会堂
1879(明治12)年
登録有形文化財
設計 : ブレル神父+大渡伊勢吉
施工 : 大渡伊勢吉
旧所在地 : 長崎県西彼杵郡伊王島
犬山市内山5-56博物館明治村内
撮影 : 2012.3.10
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 1858年、フランス、ピレネー山麓の町ルルドのとある洞窟で聖母マリアが出現するという奇跡が起こった。それにあやかって世界各地の教会で「洞窟」の再現が行われた。それが、「ルルドの洞窟」である。

 通常、「ルルドの洞窟」を設ける時には、教会敷地の一部に岩山を作り、洞窟を掘るのであるが、この大明寺教会堂では室内に設けられており、それだけに、日本でも珍しい教会堂として数えられる。押入れのような凹みに小さな鳥籠状の竹小舞を編み上げ、岩の様に泥を塗りつけて仕上げてある。

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by gipsypapa | 2012-11-15 13:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 聖ザビエル天主堂

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 この白亜の教会堂は、近世初頭日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890)かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂で、フランス人神父の監督の下に、本国から取寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたものである。

 基本構造はレンガ造と木造との併用で、外周の壁をレンガ造で築き、丸い高窓の並ぶクリアストーリーの壁を木骨竹小舞の大壁構造にし、内部の柱や小屋組等を木造で組み上げており、内外の壁は漆喰を塗って仕上げている。正面入口の上には直径3.6mを超える大きな薔薇窓が付けられ、切妻の頂点には十字架が掲げられている。壁の出隅にはそれぞれ二方向のバットレスが付けられ、その上にピナクルが屹立する。

 当初は壁や窓のモールディング等はゴシック様式の異形レンガの積み込みにより作られていたが、移築に際し、建物強化のために躯体を鉄筋コンクリートに変更するのに合わせて、モールディングの部分もプレキャストコンクリートに変更するのに合わせて、モールディングの部分もプレキャストコンクリートに置き換えている。

身廊、側廊からなる三廊式で、前に玄関を張り出し、内陣の横には聖具室を配置している。大アーケード、トリフォリウム、丸窓のあるクリアストーリーの三層からなる典型的なゴシック様式で、身廊上部には交差リブヴォールトが架けられ、その頂点には木彫のボスが飾られている。

 身廊の両側に並ぶ柱は、軒まで達する太い角柱に幾本もの細い丸柱を付けた束ね柱になっているが、この柱やリブ等、天井板を除く全ての木造部分は欅で作られ、落着いた光沢を放っている。外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、色ガラスに模様を描いたもので、外に透明ガラスを重ねて保護されている。


博物館明治村 聖ザビエル天主堂
1890(明治23)年
登録有形文化財
設計 : フランス人神父
施工 : 不明
旧所在地 京都市中京区河原町三條
犬山市内山5-51博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22 & 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-11-08 13:20 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 ハワイ移民集会所

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 ハワイ島の町ヒロのワイルック川のほとりに、日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会であった。その後教会の役目を終えると、周辺の日本人の集会所となり、さらにヒロの英字新聞社の倉庫として使われるに至った。その頃は屋根を取りはらわれ、二階が増築されて、姿がかなり変わっていた。

 移築当初、原形をとどめていた一階部分だけを復原したが、その後の調べで古写真が発見されたため、屋根を創建時の姿にもどし、建物周囲の柵や入口の橋などを補った。

 単純な長方形平面の教会で中は一室になっている。正面入口の上にペディメントを飾り、軒蛇腹にデンティルコース(櫛型装飾)をめぐらせ、正面妻壁の中央に三角形の屋根換気口を開けている。外壁は洋風下見板平張、屋根は波形鉄板葺である。

 この建物にある地方色としては、床が高いことが挙げられる。未だ開発の進まない土地では、治水もあまり完全ではなかったであろう。川のほとりの建物では、出水のことや日頃の湿気の心配があったと考えられる。

 この建物の傍らに掲げられている国旗はハワイ王国の国旗である。また、建物入口に取り付けられた太鼓橋は、ハワイ島のヒロ市が雨の多いところで、建物周辺は常にぬかるんでいるため、ぬかるみを歩かず室内に入ることができるように設けられたものである。建物左手の鐘は「ペペケオ耕地の鐘」といい、移民たちは毎朝4時半にこの鐘で起床し、朝6時の開始の鐘から昼の30分の休憩をはさみ夕方4時半の終了の鐘まで10時間の肉体労働に従事した辛い記憶の鐘である。建物右奥にある白い「×」印のものはさとうきびを運んだシュガートレインの「踏切」の標識である。


博物館明治村 ハワイ移民集会所
1889(明治22)年ころ
登録有形文化財
設計 : 岡部次郎牧師
施工 : 不明
旧所在地 アメリカ・ハワイ州ヒロ市
犬山市内山4-40博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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by gipsypapa | 2012-10-29 13:51 | 建築 | Trackback | Comments(3)

博物館明治村 シアトル日系福音教会

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 日本からアメリカ本土への移民は、戊辰戦争に敗れた会津若松藩士数十名が明治2年(1869)カリフォルニア州に入植、若松コロニーを開いたことに始まると言われる。この試みは失敗に終わるが、日米間の労働力の需要・供給の関係で、日系移民は明治中期からその数を増し、明治29年(1896)シアトル航路が開かれたこともあり、明治末から大正期にかけて最盛期を迎えることになる。

 一方、シアトルは1889年(明治22)町の中心部を焼き尽くす大火にみまわれたが、大改造をもって立ち直り、20世紀初頭からは漁業と林業の基地として発展していく。住宅地も周辺の山地を開発して新たに造成されていくが、この建物もその新興の住宅地の中に1907年(明治40)頃建てられたものである。

 大量生産による規格木材を使用して造られており、現代のプラットフォーム構法(2×4構法)の先駆的な実例である。屋根には地元産のそぎ板を葺き、外壁、床等は全て下地板と仕上げ板の二重張りになっている。

 当初はアメリカ人の住まいであったが、1930年代(昭和5~14)に日系移民の所有となった。アメリカに渡ってから長い苦難の年月を経て手に入れた一軒の家であったが、第二次世界大戦時、強制収容により家を追われ た。戦後は日系一世のための福音教会として使われてきたが、一世の高齢化と減少という時の流れの中でそ の役目を終え、明治村に移築された。

 玄関ホール正面に二階への階段が設けられている。細かい細工が施された階段の親柱は、プレハブ建築の通例通り、単に床の上に置かれているだけで、床下から釘止めされている。又、細かい細工も彫刻ではなく、細い木材を釘止めして作られたものである。

 玄関ホール横の会堂は、住宅として使われていた時には二つの居間に分かれていたが、間仕切扉が散逸してしまっているため復原できなかった。規格木材を釘打ちして造る2×4構法では、仕口、継手の痕跡がないため、改造個所の元の姿を推定することが難しい。


博物館明治村 シアトル日系福音教会
旧シアトル住宅
1907(明治40)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : アメリカ・ワシントン州シアトル市
犬山市内山4-38博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22 & 2012.3.10
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by gipsypapa | 2012-10-25 13:39 | 建築 | Trackback | Comments(0)