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琵琶湖竹生島の宝厳寺

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滋賀県の長浜市へ一泊旅行しました。何度か行ったことはあったのですが、当時はまだ建物にそんなに興味がなかったので、見ていないところが多かったのです。朝、自宅を出発して、高槻からJR新快速を利用すると1時間半強でJR長浜駅に着くので便利です。午前中に着いたので、まず琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)へ。

竹生島は、琵琶湖の北部にある島で、琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されています。人がいる場所は宝厳寺(ほうごんじ)がある、島の南側の一部に限られていて、定期船が発着する港と、すぐ近くにある数店の土産物店と寺社に集中しています。宝厳寺は真言宗豊山派の寺院で、山号を巌金山(がんこんさん)といいます。本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基(創立者)は神亀元年(724年)聖武天皇の頃で、行基によるとされています。西国三十三所観音霊場の第30番札所です。

慶長七年(1602年)に、太閤秀吉の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させたものが現存し、唐門は国宝です。最初の全景写真はウィキペディアから借用しています。

巌金山 宝厳寺
滋賀県長浜市早崎町1664-1
撮影 : 2016.11.18
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長浜からの定期船は1日5往復が運行。長浜港から竹生島までは30分。乗船料は往復で 3,070円でした。
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船を下りると、すぐのところにある拝観受付所で拝観料400円を払います。宝厳寺本堂までは、「祈りの階段」と呼ばれる165段の石段が続きます。
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鳥居から右に行けば都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、つまり竹生島神社にいけますが、これは後に。
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西国三十三所の記帳所は本堂横に脚長で建っています。


宝厳寺本堂
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宝厳寺本堂は船着き場からの石段を真っ直ぐに上りきった高台に建つ、寺内最大の建物です。本尊弁才天像で、1942年に平安時代様式で新築されたものです。鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

宝厳寺本堂
1942(昭和17)年
設計・施工 : 不明
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弁天様の顔を描いた幸せ願いダルマがいっぱい。全部手作りだそうで、中に願い事を書いた紙を入れ、奉納するとか。奉納料は500円です。
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ひっそり立つ石造五重塔は鎌倉時代のもので、国の重要文化財です。
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東側にも石段があり、そこを下ると、唐門があるはず。

宝厳寺唐門
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残念ながら平成25年6月1日から平成30年3月31日まで、事業期間70ヶ月の改修作業中で、足場が組まれシートで覆われていて見えません。しかたなく、外観写真はウィキペディアから借用しました。

この門は京都東山の豊国廟の唐門または大阪城の極楽門を移築したと伝わるもので、慶長8年(1603)に建立されました。妻や桟唐戸およびその両脇などに大胆な意匠の彫刻をはめ込み極彩色をほどこしています。建物全体は黒漆塗を主とし飾金具や極彩色の彫刻などで飾った華麗な門で、豪華絢爛な桃山時代の建築を代表する唐門として国宝に指定されています。

宝厳寺唐門
1603(慶長8年)
国宝
設計・施工 : 不明
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唐門の妻にが濃密な装飾彫刻がありますが、シートの下です。よってこれもウィキペディアから借用しました。大虹梁上の蟇股(牡丹文)と松に尾長鳥の彫刻です。
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門扉の彫刻。
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内部は見ることができます。門をくぐった突き当たりですが、これは次の観音堂の壁と思われます。
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各種の彫刻がありますが、まだ桃山時代。
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あまり洗練されているとはいえません。
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宝厳寺観音堂
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観音堂は唐門と同じときに移築されたもので、唐門の背面は観音堂に繋がっています。観音堂には本尊の秘仏千手観音立像(鎌倉時代)が安置されています。入母屋造檜皮葺きで、傾城地に建てられた、床下に長い柱を立てて支える懸造(かけづくり)だそうですが、外観は屋根と、唐門の後ろが少し見えるだけで、掛造りの部分は木が生い茂って、ほとんど見えません。

写真はネットにあった数少ない側面を写したもの。左は唐門でつながっているのがわかります。また内部も奥は改修中で入ることができませんでした。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺観音堂
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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手前の掛造りは次の船廊下のもの。その向こうに見えるのが観音堂です。
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この辺が観音堂の下です。
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このときはこの突き当りまでしか行けませんでした。
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奥までいけた当時と思われる写真をネットから借用しています。

宝厳寺渡廊(船廊下)
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観音堂と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、社名は竹生島神社の本殿を結ぶ屋根付きの廊下です。豊臣秀吉の御座船の用材を用いて建てたという伝承から「船廊下」といわれています。廊下は檜皮葺きで、いわゆる懸造りです。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺渡廊
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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脚長の懸造り。
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都久夫須麻神社(竹生島神社)
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船廊下を進むと都久夫須麻神社の本殿前に出ます。ウィキペディアによると、明治新政府は神仏分離令を出したときに宝厳寺を廃寺にして神社とし、「都久夫須麻神社」と称するよう命じたそうです。しかし、全国の崇敬者の強い要望により宝厳寺の廃寺は免れて寺院と神社の両方が並存することになったとか。

明治7年(1874年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883年)に両者の財産が区別され、以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の法人となっているそうですが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっています。

本殿は唐門や観音堂と同様に、伏見城または豊国廟から移築したと伝えられています。装飾性の豊かな桃山建築ですが、建物中心部の身舎(もや)と周辺部の庇とは本来別個の建物で、建立年代の異なる2つの建物を合体して1棟としたものだそうです。

本殿は永禄元年(1558年)に火災で焼失し、永禄10年(1567年)に再建され、これが現存する庇と向拝の部分にあたり、身舎部分は慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改造したもので、他から移築されたものとか。国宝に指定された木造平屋建て。

都久夫須麻神社(竹生島神社)本殿
1567(永禄10)年 / 1602(慶長7)年
国宝
設計・施工 : 不明
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この装飾彫刻のアップはウィキペディアから借用しています。
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本殿の全景です。

八大龍神拝所

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琵琶湖を望む断崖上にあり、ここから皿の形の土器を湖に向かって投げ、 投げた「かわらけ」が鳥居をくぐると願いが叶うと言われています。
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ということで、かわらけ代2枚300円を払って投げてみましたが、全然だめでした。願い叶わないそうです。(涙)

宝厳寺本坊
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ネット情報がないので、いわれのある建物ではないのは分かっていますが、気になった建物です。唐破風の玄関とそれにつながった2階建ての長大な建物。
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崖の上に建っています。
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宿坊のように見えますが、なかなかの近代建築でした。
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船着場に戻って、
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長浜港へ戻りました。

by gipsypapa | 2017-07-28 08:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松本市の四柱神社

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NTT大名町ビルの北側にある四柱神社(よはしらじんじゃ)。四柱とは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の四人の神のことだそうで、地元では、すべての願い事が叶う「願い事むすびの神」として親しまれています。

1879(明治12)年、現在地に社殿を造営しましたが、1888(明治21)年の松本大火で社殿が焼失し、1924(大正13)年に再建したものです。木造平屋建て。

四柱神社
1924(大正13)年
設計・施工 : 不明
長野県松本市大手3-3-20
撮影 : 2016.7.11
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御幸橋(みゆきばし)1879(明治12)年。松本城の総堀に架けられた眼鏡橋で、明治天皇の信濃地方巡幸のときに、最初に渡られたことから名づけられました。
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神社の傍にカエルがいくつか飾ってあります。松本市なわて通り商店街を舞台に、商店主・地元の学生・市民が協力して運営するかえるをテーマにしたお祭りがあるとか。毎年全国からたくさんのかえる作家さんの連なる「かえる市場」やかえるに関する様々な催し・学生が運営する楽しい遊びコーナーなどが開催されるそうです。
by gipsypapa | 2017-07-16 07:56 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松本神社

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松本城の北側にある松本神社。前身は縁結びおよび郷土発展の神として信仰を集めた暘谷(ようこく)大神社で、松本城主松平康長と松姫の子の虎松(孫六郎永兼)を祀る社でした。その後、いくつかの神社を合祀し、1953(昭和28)年に名称を松本神社と改めたとか。地元では「ごしゃ(五社)」と呼ばれているそうです。木造平屋建て。

松本神社本殿
1726(享保11)年
設計・施工 : 不明
長野県松本市丸の内10-37
撮影 : 2016.7.11
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ウィキペディアにあった本殿と・・・
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鳥居の写真。後ろに松本城が見えています。

by gipsypapa | 2017-07-04 08:14 | 建築 | Trackback | Comments(2)

高千穂神社

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高千穂は古事記や日本書紀そして風土記に、天孫降臨の地としてその名前が出てくる地です。高千穂神社はその地に鎮座する神社で、約1900で年前の垂仁天皇時代に創建されたそうです。主に農産業・厄祓・縁結びの神として有名で広く信仰を集めています。

高千穂郷八十八社の総社で主祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神(じっしゃだいみょうじん)。高千穂皇神は日向三代と配偶神の総称で、十社大明神は三毛入野命(みけいりののみこと)をはじめとする10柱を祀っているとか。

神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。本殿建築の棟梁と彫刻は豊後鶴崎の牧義右衛門です。木造平屋建て。

高千穂神社本殿
1778(安永7)年
重要文化財
棟梁・彫工 : 牧義右衛門
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037
撮影 : 2016.3.15
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参道にある玉乗り狛獅子。これは重要文化財ではありません。
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2本の杉の幹がくっいた「夫婦杉」。この周りを夫婦、恋人、友達と手をつないで3回まわると縁結び、家内安全、子孫繁栄の3つの願いがかなうと言われています。樹齢800年以上だとか。
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石階を上ったら正面にある拝殿。
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拝殿の裏側にあるのが重要文化財の本殿です。この写真はネットから借用しました。
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本殿は文化遺産オンラインの記事によると、「欅(かやき)材を用いた丁寧なつくりで装飾細部も充実し,意匠的な完成度も高く,九州地方南部を代表する大規模な本殿建築である。また,縁に小規模な社殿を附属した独特の形式や,当地方の伝説や祭礼に関連した彫物など,地方色も顕著に有しており,高い価値がある。」
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本殿の東側面(脇障子というとか)に三毛入野命(ミケヌノミコト)の彫像があります。
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高千穂神社の祭神である三毛入野命が、荒ぶる神である「鬼八(きはち)」を退治したという伝説をもとにつくられた脇障子だそうです。
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自分で撮った写真は、身長不足から、足元が写っていません。ということで高千穂町観光協会のHPの写真です。鬼八くんがごめんなさいしています。
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これは鳳凰でしょう。彫師は豊後鶴崎の棟梁牧義右衛門。写真に撮れなかった西の脇障子の彫刻は「堂宮彫材写真美術館」というHPで見ることができます。
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こちらは神楽殿。
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建物自体は新しいようです。
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この大広間で夜神楽が観光客向けに、年間を通じて毎夜行われているそうです。
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お昼なので、夜神楽は見れません。
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こらが重要文化財の鉄造狛犬。ネットにあった写真です。実物はどこにあったのか?
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参道脇にある大きな建物は社務所でしょうか。
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by gipsypapa | 2017-06-13 08:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)

高千穂の天岩戸神社

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ツアー3日目は、阿蘇を後にし、宮崎県北部の高千穂町を観光しました。宮崎県とはいえ、阿蘇山系の一部で、神話の里として知られる土地です。今回の九州横断ツアーに参加した理由は、個人では行きにくい、ここ高千穂がコースに入っていたからでした。

最初に訪ねた天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は神社本庁の別表神社で、岩戸川を挟んで東本宮と西本宮があります。今回行ったのは西本宮だけです。天岩戸は日本神話に登場する岩の洞窟で、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになり、世界が真っ暗になったという、岩戸隠れ伝説の舞台です。

天岩戸神社 西本宮神楽殿
明治期
設計・施工 : 不明
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073-1
撮影 : 2016.3.15
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訪ねたのはマップの下側にある西本宮だけでした。
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岩戸の洞窟の外で八百万(やおよろず)の神が歌い踊る騒ぎに、不思議に思った天照大神が扉を少し開けました。その機会に扉を開け放った、力持ちの手力男命戸取(あめのたじあらおのみことととりぞう)の像が神社入り口付近に立っています。
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境内に入ると木々がうっそうと茂っていて、神秘的な雰囲気です。
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西本宮は本殿を持たない特有の造りで、1986(昭和61)年の造営だとか。お祓いを受けた後に、この裏側に周り、岩戸川の向こう側の天岩戸を見ることができますが、見学のみ。撮影禁止です。実際に見ましたが、どこが岩穴か、よくわかりませんでした。
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お祈りしているのはツアーのバスガイドさん。
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その拝殿左脇に配祀神を祀る切妻造妻入の御旅所があります。
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ネットにいい写真がありましたので借用します。向こう側が西本宮で、手前が神楽殿(かぐらでん)。
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神楽殿は明治時代に造営された旧社殿の一部が移築保存されたものだとか。
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よく見ると手の込んだ装飾彫刻があります。
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木鼻は獏(バク)でしょうね。
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入り口近くに立ち並ぶのは、社務所、斉館や微古館です。
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時間が足りずに行けませんでしたが、西本宮から徒歩10分の距離(2枚目の神社マップの左端)に、天安河原(あまのやすかわら)があります。写真はネットにあったものを借用しています。
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高千穂は半日の旅程では見切れません。またいつか、一泊+レンタカーで訪ねたいところです。

by gipsypapa | 2017-06-12 08:18 | 建築 | Trackback | Comments(2)

尾道の艮(うしとら)神社

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千光寺山を山頂駅から下って、出発点のロープウエイ山麓駅まで帰ってきました。山麓駅の横に鳥居がある艮神社(うしとらじんじゃ)は尾道最古の神社で、境内は樹齢900年と推定される大楠が茂る神聖な雰囲気です。桓武天皇の平安時代に創建されましたが、火事で消失したそうで、現在の社殿は江戸時代に造営されたものではないかと思われます。

艮神社本殿
江戸時代か?
設計・施工 : 不明
広島県尾道市長江1-3-5
撮影 : 2017.2.14
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ロープウェイ山麓駅の隣に参道の入り口があります。
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手前の石柱には天保11年と刻まれています。1840年、幕末ですね。
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写真では見えないですが、鳥居には萬治3年と刻まれています。1660年、こちらは古く江戸時代初期ですね。
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山門も古そうですが、詳細はわかりませんでした。背景にロープウェイの駅が見えています。
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階段を上ったら境内。
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境内入り口の両側に鎮座する狛犬。足かせみたいなブロックは何?
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相当古いものでしょう。風化して擦り切れたようになっています。
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こちらはその奥、本堂の手前にある狛獅子。鳥居の奥に巨岩があるのは尾道らしい。
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もう一組小さな社の前にも玉乗り狛獅子。
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本堂です。
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丑(うし)と寅(とら)の間であることから艮は「うしとら」と読まれ東北の方角を意味するそうです。
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神道における岩への信仰を磐座(いわくら)というらしいです。
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樹齢900年と推定され、広島県の天然記念物に指定されている大楠。

しばらく続いた尾道編はこれで終わります。次は九州へ。

by gipsypapa | 2017-06-01 08:26 | 建築 | Trackback | Comments(2)

萬松山 天寧寺三重塔

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千光寺から更に下ったところにある、天寧寺(てんねいじ)は室町時代の1367(貞治6)年に足利義詮が普明国師を招いて開山したもので、この塔婆(とうば)は元々は五重塔として建立されたとか。

江戸時代初期に落雷による火災で伽藍のほとんどが焼失してしまいましたが、塔だけは難を逃れたといわれます。今の塔婆は境内からはかなり離れた高い場所にあり、嘉慶2(1388)年に五重塔として建立されたものです。

しかし老朽化して痛みが激しかったことから1692(元禄5)年に上の二層を取り除き、三重塔に改修しました。国の重要文化財の木造三間三重塔婆(元五重)。

萬松山 天寧寺塔婆
1388(嘉慶2)年
設計・施工 : 不明
広島県尾道市東土堂町17-29
撮影 : 2017.2.14
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ちなみに、天寧寺は創建当時は東西三町にわたる壮大な大寺院だったそうです。
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現在は本堂などのある境内と、そこから少し山を登ったところにある三重塔とは、別の敷地に建っています。
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いわれてみれば、ずんぐりしています。なんとなくバランスが変。
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ネットの「AllAbout 旅行」に内部写真がありました。記事では「近くに寄って格子の隙間から塔の内部をのぞくと、極彩色の天井画や金色の仏像を見ることができます。」とあります。へえ、確かに格子がありますが、そこから覗けるとは知らなかった。
by gipsypapa | 2017-05-29 08:24 | 建築 | Trackback | Comments(2)

大宝山 千光寺

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尾道の観光スポットとして有名な千光寺(せんこうじ)は山の中腹にある真言宗系の寺院です。高台の境内から尾道の市街地と瀬戸内海の尾道水道、向島が一望できるので、ここからの写真が観光案内やテレビなどで紹介されることがら、観光客が多く訪れるところです。本堂は江戸時代初期に立てられた木造平屋建てで、そのほかにもいくつか古い建造物がありますが、なぜか文化財指定はありません。

大宝山 千光寺本堂
1686(貞享3)年
設計・施工 : 不明
広島県尾道市東土堂町15-1
撮影 : 2017.2.14
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下から歩いて上ってくる人の方が多いようですが、私はロープウェイで山頂まで行ってしまってので、下ってきて裏から入りました。岩だらけです。
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梵字岩。円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれているとか。
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大師堂(だいしどう)。千光寺の建物のなかで、最もお寺らしい建物ですが、いつ建てられたかはわかりませんでした。
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そんなに古くないのかも知れません。
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鐘楼(しょうろう) 1890(明治23)年の再建。大師堂前の小門をくぐると断崖絶壁に朱塗りの鐘楼が建っています。
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本堂は江戸時代初期の1686(貞享3)年築。
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ネットの写真です。わたしが行ったときと同じように、ビニールでカバーされています。まだ寒い時期だからでしょうが、興ざめであるのは間違いないです。ちなみに同じようなカバーは福井県の永平寺でも見ました。
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護摩堂(ごまどう)1710( 宝永7)年築。他の建築物より少し高い、岩の上に建っています。
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ランドマークの玉の岩。
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烏帽子(えぼし)岩ともいわれ、天頂にのくぼみに光を放つ宝玉があったとかで、千光寺の名前の由来もここからきているそうです。
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ちなみにその玉は、盗まれたと伝えられています。
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千光寺はある意味、岩だらけの寺。いろんな奇岩が境内にあります。
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岩や巨石に対する信仰心が、ここ尾道の山に寺社が多い理由みたいです。
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本堂の下をくぐると・・・
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手前は大仙堂(だいせんどう)1994(平成7)年再建と向こう側の三十三観音堂(さんじゅうさんかんのんどう) 1743(寛保3)年。
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三十三観音堂は関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊です。
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毘沙門堂(びしゃもんどう)1774( 宝暦4)年再建。更に一段下がった位置にあります。
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ネットにあった全景写真を借用しました。ロープウェイが真上を通っています。

by gipsypapa | 2017-05-28 08:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

尾道の土堂住吉神社

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昨日(2017.5.20)のNHK「ブラタモリ」で尾道をやっていました。テレビに出てきた山側の写真はしばらくしてからアップします。

尾道の海沿いに土堂(つちどう)住吉神社の小さな社があります。この一帯は住吉浜と呼ばれるところで、1741(寛保元)年に現在地に社殿が建てられたそうです。その後に立て替えられたかどうか不明ですが、一応、そのデータを使います。木造平屋建て。

土堂住吉神社
1741(寛保元)年
設計・施工 : 不明
広島県尾道市土堂2-10-12
撮影 : 2016.3.1
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境内には古い鳥居の上部分が落ちたような物が残っています。向こうに見えるのは沖仕が力比べをした力石。
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自分で撮ったのにはいいのがありません。この写真はネットにあったものを借用しました。
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これはストリートビューです。
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通りに面した門の向こうにレトロな建物が見えます。それは次回に。

by gipsypapa | 2017-05-21 08:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

三嶋大社

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三島市といえば三嶋大社。鎌倉時代以降、伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された神社で、江戸時代初期に今日の境内基盤を整えたといわれています。

社名の「三嶋」は、伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神です。境内入り口の大鳥居前を東西に旧東海道、南に旧下田街道が通っています。

ネット情報では、この近く伊豆国の国府のあった場所で、のちに三嶋大社の門前町として発達し、いつしか地名も大社に由来して「三島」と称されるようになったとか。建造物的には三嶋大社の本殿、幣殿及び拝殿が国の重要文化財に、舞殿と神門が三島市指定有形文化財に指定されています。

三嶋大社本殿、幣殿及び拝殿
1867(慶応3)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
静岡県三島市大宮町2-1-5
撮影 : 2016.2.3
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鳥居をくぐるとある神池(しんち)。
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さらに総門をくぐります。
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社務所はコンクリート造り。
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奥に進むと三島市指定有形文化財の神門があります。
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境内には天然記念物の金木犀(きんもくせい)。
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三島市指定有形文化財の舞殿(まいどの)。
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国の重要文化財の拝殿です。裏側に本殿がつながっています。
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左が重要文化財の本殿ですが、透かし塀で囲われて見えません。
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by gipsypapa | 2017-04-30 08:27 | 建築 | Trackback | Comments(2)