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潮音山 口上寺

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瀬戸田の二日目は、北側の寺社を回りました。まず最初は、生口島にある唯一の国宝建造物です。室町時代中期の永享4年、つまり585年前に建立された貴重な遺構。和と唐の混合様式で、朱色などの極彩色が鮮やか。禅宗寺院の塔婆として貴重な遺構であり、室町初期の建造物でも美しく優れているものの一つといわれています。国宝の三間三重塔婆。

潮音山 口上寺三重塔
1432( 永享4)年
国宝
設計・施工 : 不明
尾道市瀬戸田町瀬戸田57
撮影 : 2017.02.14
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最初に口上寺のある一番高いところまで登り、下りながら寺社を巡る行程です。
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「しおまち商店街」は山間の谷間みたいなもの。向こう側に耕三寺の伽藍群と・・・
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未来心の丘が向こう側に見えています。
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上りついた高台の下に三重塔が見えました。
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高さは19メートルだとか。
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585年前の建立。そこまで古いように見えないのは、鮮やかな彩色がよく維持されているからでしょうか。
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瓦は当然ながら新しいです。
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さらに下ってきました。
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下がったところに口上寺の新しい本堂があります。
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この掲示板を見ると本堂が再建されたのは、2003(平成5)年か。
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この角度からも三重塔が見えています。
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本堂から下がったところにある小さな社。鎮守社かもしれません。
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また下がったところに小さな山門があります。
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古そうですが、詳細は分かりません。
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山門をくぐると左に鳥居と石積みがあります。鳥居は先ほどの鎮守社のものでしょう。
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逆に下ってきたわけですが、ここを上っていくのが本来の参道みたいです。

by gipsypapa | 2017-10-22 09:29 | 建築 | Trackback | Comments(0)

耕三寺 千仏洞地獄峡

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耕三寺本堂の西側の至心殿横に千仏洞という洞窟の入り口があります。地下約15m、全長350mの地下霊場になっていて仏教世界の「地獄観」と「極楽観」を表現しているそうです。

内部は富士山と浅間山から運んだ溶岩を鉄筋コンクリートで固めて岩組としています。中間の3ヶ所には高さ約10m広さ数10平方メートルの洞室があり、千体におよぶ石造りの仏像を安置。洞内には滝が流れていたり、隧道に地獄、極楽絵の額を数十面を掲示したりしており、時間を忘れさせます。

耕三寺 千仏洞地獄峡
1965(昭和39)年
尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
撮影 : 2017.02.13
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岩のトンネルです。
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荒削りな仏像があります。
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トンネルは下り坂。
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閻魔大王の居室があります。
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さらに下ります。
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この辺から地獄絵が延々と続きます。
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立体感があるので、「こて絵」でしょう。
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個人的にこの手の絵は好きなのですが、多すぎるので、何枚か省略しました。
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源信僧都の往生要集を絵にしているとか。
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源信僧都は「母からの手紙」で有名だそうですが、知りませんでした。
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この辺からムードが一変。極楽絵でしょうか。
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これらもこて絵でしょうが、画家は地獄絵とは違うようです。
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さらにトンネルを下ると・・・
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地下の広場に出ます。
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このような洞室が三つあり、複雑な空間構成です。
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この辺が地下15メートルでしょう。滝が流れ込む池。
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ここにきて千仏洞の名前の由来を実感。
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いくつあるのか、数え切れない仏像群。
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出口です。
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ここから出ると救世観音大尊像のそば。ほぼ本堂の下を横切ったわけです。


by gipsypapa | 2017-10-12 09:08 | 建築 | Trackback | Comments(2)

瀬戸田 耕三寺博物館

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耕三寺の開山は、大正・昭和期に大阪で大口径特殊鋼管の製造会社を営んでいた技術者で実業家の金本耕三のちの耕三寺耕三によるものです。1929(昭和に)年に故郷の瀬戸田に住む母のために邸宅「潮聲閣」を建てたのが始まり。その母が1934年(昭和9)年に亡くなり、翌年から、金本は母の菩提を弔うため出家して僧侶となって、後に名を耕三寺耕三に改めました。

そのころから潮聲閣周辺にの地に耕三寺の建立を開始。金本は故郷の瀬戸田にこれという文化財がないことを気にしていたとかで、寺の境内に日本各地の著名な歴史的建造物を模した堂塔をできる限り建てることにしたそうです。それ以来、30余年をかけて、日光東照宮陽明門を模した孝養門、平等院鳳凰堂を模した本堂などをはじめとした伽藍を完成しました。

伽藍配置は、上・中・下3段からなる境内内を南北に貫く軸線を中心として、厳密な左右対称になっていて、全国にも例のない「耕三寺式伽藍配置」として高い評価を得ているそうです。15の建造物が国の登録有形文化財として登録され、また、仏像、書画、茶道具などの美術品・文化財を多数所蔵し、寺全体が博物館法による博物館となっています。現在「西の日光」とも呼ばれる観光の名所です。

耕三寺博物館
尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
撮影 : 2017.02.13
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山門
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いきなり尋常ではない雰囲気を感じさせる三門。京都御所紫宸殿の門を模したものです。御所の門は素木造ですが、こちらは鋼鉄製。
1940(昭和15)年
登録有形文化財
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鋼鉄の総重量は13トンあるそうです。
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極彩色の門ですね。
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中門
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法隆寺楼門(中門)を模したものです。
1939(昭和14)年
登録有形文化財
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羅漢堂
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中門の左右に伸びる回廊状の建物で、内部には五百羅漢像を安置しています。
1939(昭和14)年
登録有形文化財
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礼拝堂
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下段から中段に登る石階段の下にあり、ここまでは普通に入ることができます。この礼拝堂の両側が出入り口になっています。京都の国宝清水寺西門を原型とした独自の仏堂です。戦後の建立。
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入館料は美術品などを展示する金剛館を含めて1400円と高めですが、維持管理を考えれば仕方ないです。
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鼓楼・鐘楼
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新薬師寺鐘楼を模した建物で、中門を入った先の左右対象に位置しています。
1940(昭和15)年
登録有形文化財
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鐘楼です。
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こちらは鼓楼。

仏宝蔵
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新薬師寺本堂を模したもので、境内西側に建っています。
1938(昭和13)年
登録有形文化財

五重塔
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室生寺五重塔を模したもので、心柱は鉄製。鼓楼・鐘楼から階段を上がって一段高くなった敷地の中央に建っています。第二次大戦後の建物なので文化財登録はされていません。
1955(昭和30)年
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法宝蔵・僧宝蔵
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五重塔の左右対称に位置する四天王寺金堂を模した建物です。法宝蔵は近代美術展示館、僧宝蔵が茶道美術展示館となっています。
1941(昭和16)年
登録有形文化財
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孝養門
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五重塔からさらに階段を上がった敷地に建つ、日光東照宮陽明門を模した門。陽明門と同様に絢爛豪華な彫刻がちりばめられた優れものですが、五重塔と同じく第二次大戦後の建築であるため、登録有形文化財の登録対象外なのです。
1963(昭和38)年
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至心殿・信楽殿(しんぎょうでん)
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孝養門の左右に対称に建つ、日野法界寺阿弥陀堂を模した建物です。
1941(昭和16)年
登録有形文化財
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本堂
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平等院鳳凰堂を模したもの。中堂とその東西に翼楼が伸びています。重要文化財の釈迦如来坐像が安置されています。移された釈迦如来坐像(重要文化財、平安時代)を安置。
1940(昭和15)年
登録有形文化財
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丁度このときは改修中で正面にはシートがかかって見えませんでした。
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ということでウィキペディアにある写真です。
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本堂裏にはこじんまりした築山の公園があります。

救世観音像
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本堂左後方に立つ、コンクリート・漆喰併用の彫像で総高15mの観音像。
1967(昭和42)年
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多宝塔
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石山寺多宝塔を模したもので、本堂横にあります。
1942(昭和17)年
登録有形文化財
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八角円堂
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本堂横、多宝塔の反対側にあります。法隆寺夢殿を模した建物。
1942(昭和17)年
登録有形文化財
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左は本堂。

銀龍閣
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八角円堂のさらに西方に建つ、慈照寺銀閣を模した建物です。
1943(昭和18)年
登録有形文化財

正体不明の建物
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境内の東端に巨大なお城のようなものが建っています。これだけの構造物なので、何かネット上に説明があるのではないかと探しましたが、見つかりません。
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あるブログで耕三寺の迎賓館らしいというのがありました。ふ~む。
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月光門
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北側にある朱塗り通用門です。詳細は分かりません。

金剛館
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境内の外にある金剛館、耕三寺所蔵の重要文化財、重要美術品などの一部常設展示や企画展示などの展示館として公開しています。
1968(昭和43)年



まだまだ見所がありますので続きをお楽しみに。


by gipsypapa | 2017-10-11 09:40 | 建築 | Trackback | Comments(2)

東福寺常楽庵 開山堂

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東福寺の中心部から北へ向かい、通天橋を渡ったところにある開山堂、別名「常楽庵(じょうらくあん)」へ行きました。開山堂というのは、仏教寺院において開山の像を祀った堂のことだそうです。ここでも開山・聖一国師(円爾)を祀っています。

最初の建物が1819(文政2)年に焼失したため、1823(文政6)年に、江戸時代の公卿一条忠良(いちじょう ただよし)によって再建された2階建の楼閣で、開山円爾像を安置しています。また常楽庵は枯山水と池泉式の庭園が、ふたつでひとつの庭園を構成する、見所が多いところです。国の重要文化財の平屋建て、一部楼閣付き。

常楽庵 開山堂・昭堂
1823(文政6)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
京都市東山区本町15−778
撮影 : 2016.12.2
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上層は楼閣風で「伝衣閣」(でんねかく)と呼ばれます。金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並ぶ「京の五閣」の一つだとか。
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参道をはさんで二つの日本庭園があります。作庭者は不明ですが、いずれも江戸時代のものです。
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西側は枯山水庭園で、波紋で市松模様がつけられていました。
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反対の参道東側は緑が美しい池泉と築山で構成された池泉回遊庭園。
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石組みと石橋が、刈り込んだサツキの間に配置されています。
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建物が普門院ともいわれるため、庭園は東福寺普門院庭園と呼ばれるようです。
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これで東福寺を終わり、次回から尾道市の生口島をアップします。

by gipsypapa | 2017-10-07 09:14 | 建築 | Trackback | Comments(2)

東福寺 龍吟庵と庭園

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龍吟庵(りょうぎんあん)は臨済宗東福寺派の寺院で東福寺の塔頭(たっちゅう)です。方丈は東福寺の本坊庫裏の背後から偃月橋(えんげつきょう)を渡った正面にあります。室町時代初期に建造された現存最古の方丈建築だとか。

龍吟庵 方丈
室町時代初期
国宝
京都市東山区本町15−812
撮影 : 2016.12.2
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龍吟庵に向かう途中、東福寺三名橋の中で最も上流に架かる偃月橋。桃山時代の築で、国の重要文化財。秀吉の正室である北政所・ねねが龍吟院にお参りするために架けられたといわれています。

偃月橋
1603(慶長8)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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龍吟庵 庭園
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方丈を囲んで東・西・南の三庭があります。いずれも重森三玲の手による枯山水の庭で、昭和39年(1964年)の作庭です。最初の写真は南庭(無の庭)。方丈の前庭で、白砂を敷いただけというシンプルな庭です。

龍吟庵 庭園
1964(昭和39)年
作庭 : 重森三玲
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西庭(龍門の庭)。龍が海から顔を出して黒雲に乗って昇天する「昇り竜」の姿を枯山水にして、水墨画のようなイメージになっています。
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東庭(不離の庭)。シンプルな枯山水ですが、赤砂を敷いています。伝統的な様式を用いながら、モダンでインパクトの強い庭です。
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by gipsypapa | 2017-10-06 08:45 | 建築 | Trackback | Comments(2)

東福寺 方丈(本坊)と庭園

方丈(本坊)
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これも明治後期に昭憲皇太后より下賜されたもので内部は3室2列の6室あり、前庭のある南面には広縁が設けられているます。方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居ですが、後には相見(応接)の間の役割が強くなったとか。

方丈
1890(明治23)年 / 1909(明治42)年(唐門)
設計・施工 : 不明
京都市東山区本町15−778
撮影 : 2016.12.2
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庫裡の南側にある、東福寺本坊への入口。方丈へは左側にあるもう一つの入り口から入ります。

東福寺 方丈(本坊)庭園
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ここで有名なものは庭園は近代の造園家、重森三玲(しげもり みれい 1896-1975)作庭により、方丈の四方に配される、国指定名勝の庭園です。これらの庭は重森三玲の事実上のデビュー作で、傑作といわれています。

東福寺本坊庭園
1939(昭和14)年
国指定名勝
作庭 : 重森三玲
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南庭(八相の庭)。荒海の砂紋の中に釈迦の生涯における8つの重要な出来事「八相成道(はっそうじょうどう)」の「蓬莱」「方丈」「瀛洲」「壺梁」「八海」「五山」を表現しているそうです。
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方丈唐門。明治14年の火事で方丈、庫裏、法堂、仏殿が焼失。その翌年、英照皇太后、昭憲皇后から、再興のための賜金が給わされました。明治42年(1909年)に造営された唐門を恩賜門とよぶのは、このためだとか。
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方丈を時計回りに見て行きます。
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西庭(井田の庭)。さつきの刈込みと砂地が大きな市松模様になっています。
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北庭(市松の庭)。白い敷石と緑の杉苔を幾何学的な市松模様に配した新鮮で現代的な庭です。
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重森三玲といえばこれを思い出す、印象的な代表作です。
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東庭 (北斗七星の庭)。波と雲を表す白砂に、円柱の石組みを突き出し北斗七星を表現しています。
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by gipsypapa | 2017-10-05 09:22 | 建築 | Trackback | Comments(2)

慧日山 東福寺

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東福寺(とうふくじ)は、1236(嘉禎2)年に創建された臨済宗東福寺派大本山の寺院で、山号は慧日山(えにちさん)です。鎌倉時代初期に九条道家(くじょう みちいえ)により九条家の菩提寺として伽藍を建立したことに始まるとか。寺名は、奈良の東大寺と興福寺から「東」と「福」の二字をとって東福寺としたそうです。

25の塔頭(たっとう)寺院を持つ巨大な寺院で、三門、本堂、方丈、庫裏などの主要伽藍が軒並み、国宝や国の重要文化財に指定されています。また、秋は紅葉の名所として賑わうことで知られるほか、重森三玲(しげもり みれい)作庭の庭園が有名で見所になっています。

慧日山 東福寺
京都市東山区本町15−778
撮影 : 2016.12.2
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この年は、初めて紅葉の見ごろの11月12日から30日まで、事故防止と混雑緩和のため、主な紅葉の撮影スポットになる通天橋と臥雲(がうん)橋上での撮影が禁止されているというニュースをテレビで見ました。
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警備員や誘導係を多く配置して混雑解消に努めてきたが、近年は海外からの観光客が増えて、撮影で立ち止まる人が多く、行列が動かなくなる時もあるそうです。
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ということで、紅葉の見ごろ期間が終わるのを待ちました。12月になったので、通行禁止も解けたので、紅葉も終わりかけのはず。重森三玲の庭が見たかったこともあり、出かけました。

臥雲橋(がうんきょう)
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東福寺の洗玉澗(三ノ橋川の渓谷)に架けれた3つの橋は、「東福寺三名橋」と呼ばれています。この臥雲橋は三名橋の中で最も下流に架かっている橋で、境内というより公道の間にある橋です。最盛期を過ぎたとはいえ、多くの観光客です。警備の人が、同じ場所で長い間撮影していると、注意する光景も見受けました。

臥雲橋
詳細 : 不明
京都府重要文化財
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日下門(にっかもん)というところから境内へ。これも京都府指定文化財です。

禅堂
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入ってすぐ右手にあるのは禅堂。切妻造りの国の重要文化財です。

禅堂
室町前期
重要文化財

本堂(仏殿)
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境内中央に建つ本堂は新しい建物です。明治後期に仏殿と法堂が消失したため、1934(昭和9)年再建されました。昭和期の木造建築としては最大級のものです。

本堂(仏殿)
1934(昭和9)年
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三門

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境内の南に構える三門。室町時代に足利義持が再建した、現存する禅寺の三門としては日本最古のものだとか。正面に巨大な6本の柱が並び、中央3間が通路になっています。東福寺の建造物としては、唯一、国宝に指定されている二重門。建造年についてはネット上では1405(応永12)年と1425(応永32)年と二つあり、正解はわかりません。

三門
室町初期
1405(応永12)年
国宝
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門の南にある思遠池(しおんち)は放生池で、中央に三門へとつながる石橋が懸けられています。
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六波羅門(ろくはらもん)
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境内南側の通用門は鎌倉前期のもので、1221年(承久3年)に後鳥羽上皇により起こされた「承久の乱」の後、朝廷を監視する目的で執権北条氏により京都に置かれた六波羅探題の遺構を移築したものと伝わっています。寺内で最も古い建築物の一つで、国の重要文化財に指定されています。

六波羅門
鎌倉前期
重要文化財

浴室(よくしつ)
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境内の南、三門の東側にある入母屋造りの浴室。国内最大で、室町時代の築と考えられ、禅宗では現存最古の浴室であることから、重要文化財にも指定されています。

浴室
1459((長禄3)年ころ
重要文化財
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蒸し風呂だったようで、現在でも使用できるほどの近代的なシステムだそうです。

五社成就宮(ごしゃじょうじゅきゅう)
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入口にある石の鳥居、この鳥居をくぐって石段を上がった先に本殿があります。東福寺の鎮守社で、石清水八幡・賀茂・稲荷・春日・日吉の五社を祀ることから「五社明神社」とも呼ばれています。京都府の有形文化財の一間社流造り。

五社成就宮
1594(文禄3)年
京都府指定文化財
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十三重石塔(じゅうさんじゅうせきとう)
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花崗岩製の石塔で比良の魔王を祀ったもので、南北朝時代に東福寺の創立祈願のために建立されたそうです。国の重要文化財の石塔。

十三重石塔
1343(康永2)年
重要文化財

鐘楼
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五社成就宮のある広場のにあるのは鐘楼。江戸時代の建立で、京都府指定文化財。梵鐘には1954年(昭和29年)の刻印があるそうです。鐘は戦時中に徴収されたのでしょうか。

鐘楼
1671(寛文11)年
京都府指定文化財

庫裏(くり)
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本堂(仏殿)の北側に方丈に接続して建っています。明治14年に消失したため、明治45年に再建されました。明治天皇皇后であった昭憲皇太后の恩賜建築だそうです。庫裡(庫裏)は寺院における台所、つまり食事を作る建物を指しますが、住職やその家族、あるいは僧侶の生活する場所であったり、寺務などが執り行われる場合もあるそうです。

庫裏
1910(明治43)年

経蔵(きょうぞう)
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開山の円爾弁円(聖一国師)は、仁治2年(1241)宋持ち帰ったの多くの経典が納められていた経蔵で、江戸時代の寛政5年(1793)の再建されたものです。

経蔵
1793(寛政5)年

愛染堂(あいぜんどう).
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朱色が鮮やかな八角形の愛染堂。元は、南北朝時代、東福寺の塔頭だった三聖寺に建てられましたが、室戸台風で倒壊。この場所に移築再建されたものだそうです。愛染明王を祀っています。

愛染堂
詳細不明

通天橋
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通天橋は、境内中央の仏殿・方丈から北側にある開山堂(常楽庵)に至る渓谷の洗玉澗に架けられた橋廊で、紅葉を楽しむ最良のスポットになっています。1380年に春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が谷を渡る苦労から僧を助ける為に、橋を架けたと伝えられています。元の橋が伊勢湾台風で倒壊したため、昭和36年に建て替えられました。上部は木製の橋ですが、橋脚部分は鉄筋コンクリートです。

通天橋
1961(昭和36)年
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通天橋の向こうにある開山堂(常楽庵)へ向かうのに通天橋拝観券販売所で拝観料400円を払って、洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷のそばを通ります。最盛期を過ぎたとはいえ、まだ見事な紅葉でした。
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これ以降はウィキペディアから。
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安藤広重の通天橋。次回からは、東福寺の美しい庭園に注目します。

by gipsypapa | 2017-10-04 09:45 | 建築 | Trackback | Comments(4)

巣鴨地蔵通り商店街と「とげぬき地蔵」高岩寺

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翌日は大阪に帰る前に。一度は行ってみたかった巣鴨へ。高岩寺がある巣鴨地蔵通り商店街周辺は、「おばあちゃんの原宿」として、多くの高齢者で賑わっているとかで有名です。

巣鴨地蔵通り商店街
東京都豊島区巣鴨
撮影 : 2016.11.27
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JR巣鴨駅から歩いて数分。巣鴨地蔵通り商店街の南の入り口へ。
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確かに歩いている年齢層は高いかな。でも若い観光客もちらほら。
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「日本一の赤パンツ」が目印の「赤パンツ」専門店。赤パンツの元祖「巣鴨のマルジ」があります。東京都豊島区巣鴨4-22-8
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チンドン屋の3人組と遭遇。これ巣鴨では日常風景らしいです。



萬頂山 高岩寺
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「とげぬき地蔵」の高岩寺です。開基は古く、慶長元年(1596年)。江戸湯島に開かれた高岩寺は、明治24年(1891年)に、ここ巣鴨に移りました。ある女性が、口にくわえた針を誤って飲み込んでしまったとき、このお寺の本尊・延命地蔵菩薩の写しを飲ませたところ、針が地蔵尊の御影を貫いて出てきたというのが「とげ抜き地蔵」と呼ばれる由来です。本堂は1957年(昭和32年)の建立で、設計者は東北大学教授の横山秀哉。国の登録有形文化財に登録された鉄筋コンクリート造り、平屋建て、地下1階。

萬頂山 高岩寺本堂
1957(昭和32)年
登録有形文化財
設計 : 横山秀哉
施工 : 不明
東京都豊島区巣鴨3-35-2
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文化遺産オンラインの写真。地下に事務機能があるらしいです。地下室があるとは知りませんでした。
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by gipsypapa | 2017-09-29 06:36 | 建築 | Trackback | Comments(2)

三峡清水祖師廟

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祖師廟は清代の乾隆34年(1769)に創建された、清水祖師を祭る廟(死者を祀る宗教施設)です。創建以来、地震や日本軍の進駐により損壊した後に再建された歴史があるそうです。

更に台湾光復後の1947(昭和22)年に、祖師廟を中国の歴史と文化、寺廟藝術の殿堂にしようと、芸術家、李梅樹の企画設計によって工事が始まりました。「東方芸術の殿堂」と呼ばれるようになったこの廟は、再建開始以来、いまだに建設途中だとか。ガウディのサグラド・ファミリアを想起します。

建物は石段、床、壁、柱、基礎部分など、下部は石造り。一方、柱の上部は木材で作られ、接着剤や釘を用いない、木組みで構成されています。石造り、一部木造、2階建て。

三峡清水祖師廟
1947(昭和22)年以降
設計 : 李梅樹
施工 : 不明
新北市三峡区常福街1号
撮影 : 2016.9.6
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長い参道の入り口の門。
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参道に中華風の東屋が並んでいます。
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廟に到着。
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派手な装飾彫刻がいっぱい。
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おみくじの引き出しです。
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金色の天蓋がいくつかありました。
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この辺の内部の彫刻も派手です。
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清水祖師の像。ネットから借用しました。
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妻面はレンガ張り。
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2階は回廊になっています。
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派手なオレンジ色の反り返った屋根といい、台湾全体でよく見かける典型的な中国風寺院でした。


by gipsypapa | 2017-09-06 08:15 | 建築 | Trackback | Comments(4)

長浜別院 大通寺

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町通りから北へ進んだところに、広大な大通寺(だいつうじ)があります。真宗大谷派の寺院で、山号は「無礙智山(むげちざん)」。別名、長浜別院や長浜御坊といわれています。

湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転したそうです。伏見城の遺構とされる本堂や大広間、客殿などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られています。

無礙智山 大通寺
江戸初期
重要文化財(本堂、大広間、客殿)
名勝庭園(含山軒、蘭亭庭園)
設計・施工 : 不明
滋賀県長浜市元浜町32-9
撮影 : 2016.11.19
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なまこ壁の塀の向こうに山門が見えてきます。
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手前の脇門(台所門)は工事中。向こうに庫裏が見えました。


山門
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江戸時代末期建立の総欅造り、二層門です。京都の東本願寺山門を模して32年間かけて建築されました。長浜市指定文化財の木造、二層門。

山門1841(天保11)年
長浜市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
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装飾彫刻がいくつも。
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山門のそばにある灯篭。
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ウィキペディアより。右から太鼓楼、本堂、大広間です。

本堂(阿弥陀堂)
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江戸初期建立の入母屋造り、本瓦葺きです。寺伝では、伏見城の殿舎が徳川家康より東本願寺の第十二代 教如へ贈られ、本願寺(東本願寺)の御影堂として用いていたものを、承応年間(1652年〜1654年)に移建したものと伝えられるそうです。国の重要文化財の木造平屋建て。

本堂(阿弥陀堂)
江戸初期
重要文化財
設計・施工 : 不明
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拝観料は500円でした。
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欄間にはこんな洒落たものが。
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本堂と大広間は渡り廊下でつながっています。
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大広間(附玄関)
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これも本堂と同じく、承応年間に東本願寺から移築した書院造りの見事な建物で、伏見城の遺構と伝えられています。附(つけたり)指定の玄関は江戸時代中期の宝暦10年(1760年)建立です。写真は附(つけたり)指定の玄関。国の重要文化財の木造平屋建て。

大広間(附玄関)
江戸初期
重要文化財
設計・施工 : 不明
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見事な大広間。
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違い棚や・・・
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花鳥の襖絵が素晴らしいのですが、誰の作品かは分かりませんでした。
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新御座
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大広間を進むと、建物がつながっている新御座へ出ます。天明7(1787)年、彦根藩の井伊家より住職として明達院乗徳が入寺したときに、彦根藩から寄進された建物で、そのあと何回も改築され、大正のときに現在の新御座として再建されたそうです。長浜市指定有形文化財の木造平屋建て。

新御座
1787(天明7)年 / 1912(大正元)年再建
長浜市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
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ここにも素晴らしい襖絵があります。金地墨画梅之図(市指定)は、江戸時代後期に京都画壇で活躍した岸駒の筆によるもの。1786(天明6)年。
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障壁画の琴棋書画図は狩野永岳です。
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この向こう側が客殿だったと思います。
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客殿(含山軒及び蘭亭)(合1棟)

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含山軒は、いわゆる住職の居間です。庭園を望む一の間に狩野山楽筆の山水画、二の間に狩野山雪筆の山水画があります。江戸時代前期の建築と考えられています一方、蘭亭は 江戸時代の宝暦5年(1755年)建立。含山軒とともに、優れた襖絵や杉戸絵があります。いずれも国の重要文化財の木造平屋建て。

客殿(含山軒及び蘭亭)(合1棟)
江戸初期
重要文化財
設計・施工 : 不明
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含山軒茶室南側と蘭亭東端にある「牡丹唐獅子図」の杉戸絵。江戸時代。
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こちらの「蔦に雉子図」は含山軒の東側、一の間と二の間の間の杉戸絵。江戸時代、17世紀と推定されています。
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蔦に雉子図と一対をなすと思われているる「竹に雀図」は襖絵。
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山水花鳥押絵貼屏風。狩野山休の六曲屏風も江戸時代のもの。
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蘭亭の一の間の床の間は床柱側面に、近代的な意匠の透かし彫り。
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鶏図。蘭亭の西端の杉戸絵。これも江戸時代後期に京都画壇で活躍した岸駒の筆によるもの。1786(天明6)年と推定されています。
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庭園は建物から眺めるしかできませんが、なかなか立派でした。
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まずは大広間の前庭。


含山軒庭園
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江戸時代初期築造。書院含山軒の前庭で、伊吹山を借景とする観賞式枯山水庭園です。国の名勝に指定されています。
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蘭亭庭園
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↓ 以下はウィキペディアから借用しています。
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なまこ壁の手前は工事中だった脇門(台所門)。その奥に見えるのが山門です。
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工事前の脇門。庫裏が見えています。

あらかじめ、重要文化財の建物があると知っていたので、訪ねてみましたが、予想以上、見所が多い寺院でした。数々の素晴らしい襖絵や杉戸絵がそのまま残っているのが、大変貴重です。ただ、あまり手をかけていないようで、色あせなど古さが目立つものも。この後どれくらい維持できるのか不安です。

費用的にそう簡単ではないかもしれませんが、京都の建仁寺で紹介したような、高精細デジタル複製(写真)の使用を考えたらどうかと思います。ともあれ、行ってよかったお寺でした。多くの人に是非一度訪ねて欲しいものです。
by gipsypapa | 2017-08-10 08:53 | 建築 | Trackback | Comments(2)