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大宝山 千光寺

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尾道の観光スポットとして有名な千光寺(せんこうじ)は山の中腹にある真言宗系の寺院です。高台の境内から尾道の市街地と瀬戸内海の尾道水道、向島が一望できるので、ここからの写真が観光案内やテレビなどで紹介されることがら、観光客が多く訪れるところです。本堂は江戸時代初期に立てられた木造平屋建てで、そのほかにもいくつか古い建造物がありますが、なぜか文化財指定はありません。

大宝山 千光寺本堂
1686(貞享3)年
設計・施工 : 不明
広島県尾道市東土堂町15-1
撮影 : 2017.2.14
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下から歩いて上ってくる人の方が多いようですが、私はロープウェイで山頂まで行ってしまってので、下ってきて裏から入りました。岩だらけです。
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梵字岩。円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれているとか。
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大師堂(だいしどう)。千光寺の建物のなかで、最もお寺らしい建物ですが、いつ建てられたかはわかりませんでした。
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そんなに古くないのかも知れません。
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鐘楼(しょうろう) 1890(明治23)年の再建。大師堂前の小門をくぐると断崖絶壁に朱塗りの鐘楼が建っています。
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本堂は江戸時代初期の1686(貞享3)年築。
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ネットの写真です。わたしが行ったときと同じように、ビニールでカバーされています。まだ寒い時期だからでしょうが、興ざめであるのは間違いないです。ちなみに同じようなカバーは福井県の永平寺でも見ました。
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護摩堂(ごまどう)1710( 宝永7)年築。他の建築物より少し高い、岩の上に建っています。
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ランドマークの玉の岩。
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烏帽子(えぼし)岩ともいわれ、天頂にのくぼみに光を放つ宝玉があったとかで、千光寺の名前の由来もここからきているそうです。
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ちなみにその玉は、盗まれたと伝えられています。
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千光寺はある意味、岩だらけの寺。いろんな奇岩が境内にあります。
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岩や巨石に対する信仰心が、ここ尾道の山に寺社が多い理由みたいです。
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本堂の下をくぐると・・・
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手前は大仙堂(だいせんどう)1994(平成7)年再建と向こう側の三十三観音堂(さんじゅうさんかんのんどう) 1743(寛保3)年。
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三十三観音堂は関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊です。
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毘沙門堂(びしゃもんどう)1774( 宝暦4)年再建。更に一段下がった位置にあります。
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ネットにあった全景写真を借用しました。ロープウェイが真上を通っています。

by gipsypapa | 2017-05-28 08:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

尾道の土堂住吉神社

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昨日(2017.5.20)のNHK「ブラタモリ」で尾道をやっていました。テレビに出てきた山側の写真はしばらくしてからアップします。

尾道の海沿いに土堂(つちどう)住吉神社の小さな社があります。この一帯は住吉浜と呼ばれるところで、1741(寛保元)年に現在地に社殿が建てられたそうです。その後に立て替えられたかどうか不明ですが、一応、そのデータを使います。木造平屋建て。

土堂住吉神社
1741(寛保元)年
設計・施工 : 不明
広島県尾道市土堂2-10-12
撮影 : 2016.3.1
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境内には古い鳥居の上部分が落ちたような物が残っています。向こうに見えるのは沖仕が力比べをした力石。
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自分で撮ったのにはいいのがありません。この写真はネットにあったものを借用しました。
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これはストリートビューです。
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通りに面した門の向こうにレトロな建物が見えます。それは次回に。

by gipsypapa | 2017-05-21 08:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

三嶋大社

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三島市といえば三嶋大社。鎌倉時代以降、伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された神社で、江戸時代初期に今日の境内基盤を整えたといわれています。

社名の「三嶋」は、伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神です。境内入り口の大鳥居前を東西に旧東海道、南に旧下田街道が通っています。

ネット情報では、この近く伊豆国の国府のあった場所で、のちに三嶋大社の門前町として発達し、いつしか地名も大社に由来して「三島」と称されるようになったとか。建造物的には三嶋大社の本殿、幣殿及び拝殿が国の重要文化財に、舞殿と神門が三島市指定有形文化財に指定されています。

三嶋大社本殿、幣殿及び拝殿
1867(慶応3)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
静岡県三島市大宮町2-1-5
撮影 : 2016.2.3
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鳥居をくぐるとある神池(しんち)。
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さらに総門をくぐります。
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社務所はコンクリート造り。
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奥に進むと三島市指定有形文化財の神門があります。
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境内には天然記念物の金木犀(きんもくせい)。
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三島市指定有形文化財の舞殿(まいどの)。
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国の重要文化財の拝殿です。裏側に本殿がつながっています。
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左が重要文化財の本殿ですが、透かし塀で囲われて見えません。
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by gipsypapa | 2017-04-30 08:27 | 建築 | Trackback | Comments(2)

龍海山 佛谷寺

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青石畳通りの美保神社と反対側の終点は佛谷寺(ぶっこくじ)です。約1200年前、つまり奈良時代から平安時代に創建された山陰第二の古刹です。本堂は木造平屋建て。

龍海山 佛谷寺
詳細 : 不明
島根県松江市美保関町美保関530
撮影 : 2015.4.30
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創建当時、この一帯の海に3つの妖しい炎があり、海を荒れさせて畏れられていたが、それを「三火(みほ)」と呼んでいて、たまたまこの地にやってきた行基がその三火を封じるために仏像を彫って納めたのがこの寺の始まりなのだといわれています。
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八百屋お七の恋人、吉三の墓がありました。
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大日堂には国の重要文化財の、5体の仏像が祀られているそうです。
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手前は青石畳通り。ここが終点です。

by gipsypapa | 2017-03-20 08:10 | 建築 | Trackback | Comments(2)

美保神社

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旅館美保館から歩いてすぐのところにある美保神社(みほじんじゃ)は、三穂津姫命(みほつひめ)と事代主神(ことしろぬしのかみ)を祭る神社です。三穂津姫命(みほつひめ)大国主神(おおくにぬしのかみ)の后で子孫繁栄や歌舞音曲の神様。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大国主神と神屋楯比売神(かむやたてひめ)の間の子供でえびす神といわれます。海上安全、商売繁盛や歌舞音曲の神様です。「鳴り物」の神様として楽器の奉納も多いとか。

美保神社
島根県松江市美保関町美保関608
撮影 : 2015.4.30
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美保関おかげの井戸

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鳥居の手前にあるのは「美保関おかげの井戸」です。幕末の1861年(文久元)年に乱積みで築かれたもので、国の登録有形文化財です。

美保関おかげの井戸
1861(文久元)年
登録有形文化財
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この近代的な建物は宝物館。
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大狛犬は1850(嘉永3)年奉納とあります。
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出雲丹後狛犬という形式だとか。

神門・回廊
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檜造りのに杉板の柿葺き(こけらぶき)屋根。1828(昭和3)年の造営です。

神門・回廊
1928(昭和3)年
設計・施工 : 不明
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神門の両側に回廊が伸びています。
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神門には太い注連縄が下がっています。
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拝殿
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本殿の手前は拝殿です。伊東忠太の設計監督により造営された檜造り。神門と同じく、屋根は杉板を敷きつめた柿葺き。船庫を模した独特な造りで壁がなく、梁がむき出しの上、天井がないのが特徴です。木造平屋建て。

拝殿
1928(昭和3)年
設計 : 伊東忠太(設計監督)
施工 : 不明
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拝殿の両脇には備前焼狛犬がいます。1830(文政13)年奉納だそうですが、良い状態で残っていますね。
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拝殿は壁がなく、梁がむき出しの上、天井がないことに加え周囲が山に囲まれているために、優れた音響効果があるそうです。
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美保神社本殿
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拝殿の奥に見えるのが本殿です。本殿は大社造りの二殿の間を「装束の間」でつないだ特殊な形式で、美保造りまたは比翼大社造りとよばれていて、建築用材の大半は美保関周辺に自生していた松を使用し、屋根は檜皮(ひわだ)で葺いているそうです。この地方に分布する同形式の遺構のうち、最も規模が大きくて建立年代が古く、大社造の変形として重要な位置を占めるとして国の重要文化財に指定された木造比翼大社造り平屋建て。

美保神社本殿
1813(文化10)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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本殿向かって右側の御殿は大御前(左殿)。三穂津姫命をお祀りし、千木の先端は水平。女神を表しているそうです。
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本殿向かって左側の御殿は本殿の二御前(右殿)です。事代主神をお祀りし、千木の先端は垂直。男神を表しているそうです。 鳴物をお好みになるご祭神への崇敬から年間を通して音楽の奉納も数多く行われます。

拝殿で「朝の舞い」が毎日奉納されているので、見に行きました。
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20分くらいだっだでしょうか。こんなに近くで雅楽と舞を見聞きしたのは初めてす。貴重な経験でした。Youtube にもあります。

by gipsypapa | 2017-03-17 11:16 | 建築 | Trackback | Comments(2)

法界山 大蓮寺

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高田酒造の北側にある大蓮寺(だいれんじ)です。天正年間(1573~1592年)に創建された浄土宗の寺院。江戸時代建築の先代の本堂は戦前に解体され、昭和30年(1955年)に現在の鉄筋コンクリート造りのモダンな本堂に再建されました。山門は古そうなので、江戸時代のままかもしれません。本堂は鉄筋コンクリート造りの、多分、平屋建て。

法界山 大蓮寺本堂
1955(昭和30)年
設計・施工 : 不明
鳥取県倉吉市新町1-2411
撮影 : 2015.4.29
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弁天参道、大蓮寺小路を北へ。
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細い小路の向こうに山門が見えます。
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古そうな山門。
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シャネルのようなロゴがありますね。
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門は2階建てで、2階は鐘楼になっています。
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山門内部に昔の電話機があり、今も使えるそうです。「てらほおん」?
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振り返ると弁天参道。
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狛象ですかね?
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本堂。狛象といいインド風というかアラブ風というか。2本のオーダーはギリシャ風。
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どこかの国旗のような旗が掲げられています。
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庭園がありますが、和風ではありません。
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弁天参道を戻りました。

by gipsypapa | 2017-02-26 12:07 | 建築 | Trackback | Comments(2)

万年山 南菀寺

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三徳川を三朝橋から東に進むと、北側の山の中腹に「南菀(なんえん)寺」があります。臨済宗相国寺派の管長だった橋本独山禅師が、1925(大正14)年に創建したと伝えられています。中華風の山門をくぐって山腹に上ると、西側から庫裏、本堂、隠寮(いんりょう)が一列に並び立つ、独特な形状となっています。梅雨時にはたくさんの紫陽花が咲き誇り「あじさい寺」の別称で親しまれているとか。

なお、文化庁の文化遺産オンラインではどの建物も1927(昭和2)年の築になっています。しかし、山門前の掲示板やネット情報から1925(大正14)年というのもあり、両方を併記します。山門と庫裏(くり)は木造2階建て、本堂と隠寮(いんりょう)は木造平屋建てのいずれも国の登録有形文化財。

万年山 南菀寺
1925(大正14)年/1927(昭和2)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
鳥取県東伯郡三朝町三朝205−3
撮影 : 2015.04.28
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落慶は大正14年(1925年)とあります。落慶って「社寺の新築または改築工事が完成した祝い」です。文化遺産オンラインと2年違っていますね。

山門

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山門は市街地から庫裏に至る石段の途中に建っています。入母屋造桟瓦葺の楼門で、下階を漆喰塗で通路がアーチ状のいわゆる竜宮造りの形式。上階は四面に竪格子をまわし、特徴的な伽藍景観を形成しています。木造2階建て。
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庫裏
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階段を上ると正面は庫裏。南菀寺でもっともお寺らしい建物です。2階には高欄をまわし、花頭窓を並べて特徴的な外観となっています。温泉街からの眺めを意識したそうです。木造2階建て。
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この庫裏の屋根は後ほど。

本堂
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中央に建つ本堂は数奇屋作りで、三つの部屋が東西に並んでいます。中央は仏壇のある仏間、東隣に床の間がある居間と思われる部屋。鬼瓦も面白い形で、山腹に独特な境内を構成する本堂です。木造平屋建て。
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仏間。
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床の間。
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庫裏の鬼瓦
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庫裏の屋根にはユニークな鬼瓦があります。

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こんな瓦もあります。

隠寮
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本堂東側に階段を介した斜面に建っています。本堂側は急傾斜に沿って長さの異なる柱で支えた、いわゆる懸造(がけづくり)の構造です。腰の庇と屋根の軒に杉丸太を用いて数寄屋風につくり、側面には円窓や花頭窓がある、あまり寺院らしくない軽妙な外観。内部意匠にも趣向が凝らされているそうです。木造平屋建て。
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東(手前)から隠寮、本堂、庫裏と並んでいます。
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by gipsypapa | 2017-02-12 09:03 | 建築 | Trackback | Comments(2)

箕面山 瀧安寺鳳凰閣

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瑞雲橋の向こう側に見える建物は修験道の修行をする道場。瀧安寺の他の建物群とは別に箕面川を挟んで東側に建っています。

鳳凰閣は箕面山の中腹、箕面川の渓流沿いに建ち、高く築くいた石垣の上に土塀をめぐらせた敷地にあります。箕面川西側の寺院群とは明らかに、意匠が違う近代的な建物。北端に宝形造の楼閣を置き、平等院鳳凰堂翼廊を表現してるとか。美しい渓流とあいまって、優れた景観を作っています。

設計は洋風建築のみならず、和風建築でも数多くの作品をのこした武田五一( たけだ ごいち、1872 - 1938年)。このブログでも過去にたくさんの作品を紹介しています。国の登録有形文化財の木造平屋建て、塔屋付。

箕面山 瀧安寺鳳凰閣
1917(大正6)年
登録有形文化財
設計 : 武田五一
施工 : 高橋組
撮影 : 2017.1.16
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滝からの帰りに立ち寄ろう思っていましたが、さすがに疲れていて、向こう側には行きませんでした。ネット情報では橋は渡れるが、向こう側の門は閉鎖されているとあります。行かなくてよかったようです。実際、ネット上で建物に近接した写真は見つかりませんでした。
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文化遺産オンラインの解説。「近代和風建築としての特色は、桟を細かく格子状に割り付けた硝子戸を入れ、外界を一望できるようになっている点が挙げられる。宝形造の楼閣は壁に花頭窓を開け、銅版葺きの軽快なものとする。」さすが武田五一という軽妙なデザインです。
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行きは雪が降っていました。
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こちら側の石垣も見事。
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箕面川の渓流と一体になって優れた景観をつくりだしています。 ↓ はネットにあった写真です。
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by gipsypapa | 2017-02-03 08:31 | 建築 | Trackback | Comments(0)

箕面山 瀧安寺

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瀧安寺(りゅうあんじ)は箕面公園にある本山修験宗(修験道の一派)の寺院。寺伝では7世紀に箕面滝の下に役行者(えんのぎょうじゃ)が堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりとか。室町時代末期に織田信長によって焼失し、江戸時代に後水尾天皇の援助によって現在地に再建されました。

滝への信仰を伝えながら、山岳信仰修験道の根本道場として、全国各地から修験者が集まり、大護摩法要が毎年4・7・11月に行われているそうです。またウィキペディアでは宝くじの発祥である富くじの発祥の地とありました。

箕面山 瀧安寺
箕面市箕面公園2-23
撮影 : 2017.1.16
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山門
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山門は光格天皇が1809年に京都御所から移築したものだそうです。

瀧安寺山門
1809(文化6)年移築
設計・施工 : 不明

観音堂
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中央に重要文化財の如意輪観音、左右に阿弥陀如来、弘法大師を安置しています。新しく再建されました。

瀧安寺観音堂
2002(平成14)
設計・施工 : 不明
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天女がいました。
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行者堂と本堂へは、この見事な石垣の横の階段を上ります。
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行者堂(護摩堂)
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瀧安寺の行者堂は前後2棟で構成される珍しい構造で、奥に本尊が祀られており、手前は護摩堂となっています。2棟をまとめて行者堂と言うこともあるとか。行者堂法要に採燈大護摩供と山伏大行列が行われるところです。

瀧安寺行者堂(護摩堂)
1693(元禄6)年か?
設計・施工 : 不明
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弁財天本堂
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後水尾天皇の勅命により江戸時代初期の1656年(明暦2年)に建てられました。この弁財天は日本四弁財天の一つだそうです。奥殿と拝殿から成る神社形式になっています。

瀧安寺弁財天本堂
1656(明暦2)年
設計・施工 : 不明
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琵琶の絵があります。弁天様は水や音楽の神様なのでかな。
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本堂横の大黒堂。詳細はわかりません。
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手前は朱色に塗られた瑞雲橋。橋の向こう側に見える建物群は修行をする根本道場。武田五一設計の鳳凰閣がありますので、次回に。
by gipsypapa | 2017-02-02 08:46 | 建築 | Trackback | Comments(2)

福岡市博多の西門飢人地蔵尊

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 昨日紹介した法性寺の南側に西門飢人地蔵尊(さいもんうえにんじぞうそん)が祀られています。御本尊はお地蔵さんで、ネット情報では享保17~18年(1732~1733年)に起きた「享保の大飢饉」。春から続いた大雨・洪水に加え、害虫の大発生で作物は全滅状態となり黒田藩でも人口36万のうち、約3割の人々が餓死したそうです。

 農村部から福博地区に流れてきた行き倒れた人々も多く、その遺骸の埋葬地に石を置き、後に地蔵を建てて亡くなった方々を弔ったのがこの飢人地蔵尊のお祭りの起こりだと伝えられています。毎年8月23日・24日の両日、施餓鬼供養が盛大に行われ、幻住庵をはじめ8名の僧侶によって参詣施餓鬼会の回向が執り行われるとか。

西門飢人地蔵尊
1933(昭和8)年
設計・施工 : 不明
福岡市博多区千代2-8
撮影 : 2015.1.19
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by gipsypapa | 2015-07-29 09:20 | 建築 | Trackback | Comments(0)