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三峡清水祖師廟

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祖師廟は清代の乾隆34年(1769)に創建された、清水祖師を祭る廟(死者を祀る宗教施設)です。創建以来、地震や日本軍の進駐により損壊した後に再建された歴史があるそうです。

更に台湾光復後の1947(昭和22)年に、祖師廟を中国の歴史と文化、寺廟藝術の殿堂にしようと、芸術家、李梅樹の企画設計によって工事が始まりました。「東方芸術の殿堂」と呼ばれるようになったこの廟は、再建開始以来、いまだに建設途中だとか。ガウディのサグラド・ファミリアを想起します。

建物は石段、床、壁、柱、基礎部分など、下部は石造り。一方、柱の上部は木材で作られ、接着剤や釘を用いない、木組みで構成されています。石造り、一部木造、2階建て。

三峡清水祖師廟
1947(昭和22)年以降
設計 : 李梅樹
施工 : 不明
新北市三峡区常福街1号
撮影 : 2016.9.6
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長い参道の入り口の門。
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参道に中華風の東屋が並んでいます。
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廟に到着。
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派手な装飾彫刻がいっぱい。
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おみくじの引き出しです。
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金色の天蓋がいくつかありました。
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この辺の内部の彫刻も派手です。
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清水祖師の像。ネットから借用しました。
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妻面はレンガ張り。
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2階は回廊になっています。
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派手なオレンジ色の反り返った屋根といい、台湾全体でよく見かける典型的な中国風寺院でした。


by gipsypapa | 2017-09-06 08:15 | 建築 | Trackback | Comments(4)

長浜別院 大通寺

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町通りから北へ進んだところに、広大な大通寺(だいつうじ)があります。真宗大谷派の寺院で、山号は「無礙智山(むげちざん)」。別名、長浜別院や長浜御坊といわれています。

湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転したそうです。伏見城の遺構とされる本堂や大広間、客殿などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られています。

無礙智山 大通寺
江戸初期
重要文化財(本堂、大広間、客殿)
名勝庭園(含山軒、蘭亭庭園)
設計・施工 : 不明
滋賀県長浜市元浜町32-9
撮影 : 2016.11.19
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なまこ壁の塀の向こうに山門が見えてきます。
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手前の脇門(台所門)は工事中。向こうに庫裏が見えました。


山門
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江戸時代末期建立の総欅造り、二層門です。京都の東本願寺山門を模して32年間かけて建築されました。長浜市指定文化財の木造、二層門。

山門1841(天保11)年
長浜市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
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装飾彫刻がいくつも。
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山門のそばにある灯篭。
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ウィキペディアより。右から太鼓楼、本堂、大広間です。

本堂(阿弥陀堂)
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江戸初期建立の入母屋造り、本瓦葺きです。寺伝では、伏見城の殿舎が徳川家康より東本願寺の第十二代 教如へ贈られ、本願寺(東本願寺)の御影堂として用いていたものを、承応年間(1652年〜1654年)に移建したものと伝えられるそうです。国の重要文化財の木造平屋建て。

本堂(阿弥陀堂)
江戸初期
重要文化財
設計・施工 : 不明
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拝観料は500円でした。
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欄間にはこんな洒落たものが。
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本堂と大広間は渡り廊下でつながっています。
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大広間(附玄関)
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これも本堂と同じく、承応年間に東本願寺から移築した書院造りの見事な建物で、伏見城の遺構と伝えられています。附(つけたり)指定の玄関は江戸時代中期の宝暦10年(1760年)建立です。写真は附(つけたり)指定の玄関。国の重要文化財の木造平屋建て。

大広間(附玄関)
江戸初期
重要文化財
設計・施工 : 不明
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見事な大広間。
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違い棚や・・・
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花鳥の襖絵が素晴らしいのですが、誰の作品かは分かりませんでした。
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新御座
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大広間を進むと、建物がつながっている新御座へ出ます。天明7(1787)年、彦根藩の井伊家より住職として明達院乗徳が入寺したときに、彦根藩から寄進された建物で、そのあと何回も改築され、大正のときに現在の新御座として再建されたそうです。長浜市指定有形文化財の木造平屋建て。

新御座
1787(天明7)年 / 1912(大正元)年再建
長浜市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
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ここにも素晴らしい襖絵があります。金地墨画梅之図(市指定)は、江戸時代後期に京都画壇で活躍した岸駒の筆によるもの。1786(天明6)年。
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障壁画の琴棋書画図は狩野永岳です。
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この向こう側が客殿だったと思います。
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客殿(含山軒及び蘭亭)(合1棟)

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含山軒は、いわゆる住職の居間です。庭園を望む一の間に狩野山楽筆の山水画、二の間に狩野山雪筆の山水画があります。江戸時代前期の建築と考えられています一方、蘭亭は 江戸時代の宝暦5年(1755年)建立。含山軒とともに、優れた襖絵や杉戸絵があります。いずれも国の重要文化財の木造平屋建て。

客殿(含山軒及び蘭亭)(合1棟)
江戸初期
重要文化財
設計・施工 : 不明
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含山軒茶室南側と蘭亭東端にある「牡丹唐獅子図」の杉戸絵。江戸時代。
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こちらの「蔦に雉子図」は含山軒の東側、一の間と二の間の間の杉戸絵。江戸時代、17世紀と推定されています。
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蔦に雉子図と一対をなすと思われているる「竹に雀図」は襖絵。
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山水花鳥押絵貼屏風。狩野山休の六曲屏風も江戸時代のもの。
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蘭亭の一の間の床の間は床柱側面に、近代的な意匠の透かし彫り。
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鶏図。蘭亭の西端の杉戸絵。これも江戸時代後期に京都画壇で活躍した岸駒の筆によるもの。1786(天明6)年と推定されています。
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庭園は建物から眺めるしかできませんが、なかなか立派でした。
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まずは大広間の前庭。


含山軒庭園
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江戸時代初期築造。書院含山軒の前庭で、伊吹山を借景とする観賞式枯山水庭園です。国の名勝に指定されています。
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蘭亭庭園
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↓ 以下はウィキペディアから借用しています。
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なまこ壁の手前は工事中だった脇門(台所門)。その奥に見えるのが山門です。
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工事前の脇門。庫裏が見えています。

あらかじめ、重要文化財の建物があると知っていたので、訪ねてみましたが、予想以上、見所が多い寺院でした。数々の素晴らしい襖絵や杉戸絵がそのまま残っているのが、大変貴重です。ただ、あまり手をかけていないようで、色あせなど古さが目立つものも。この後どれくらい維持できるのか不安です。

費用的にそう簡単ではないかもしれませんが、京都の建仁寺で紹介したような、高精細デジタル複製(写真)の使用を考えたらどうかと思います。ともあれ、行ってよかったお寺でした。多くの人に是非一度訪ねて欲しいものです。
by gipsypapa | 2017-08-10 08:53 | 建築 | Trackback | Comments(2)

北国街道 浄琳寺

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安藤家から北国街道を黒壁スクエアに向かって北上すると、右側に千鳥破風の屋根を載せた望楼が見えてきます。浄琳寺(じょうりんじ)の太鼓櫓とも太閤楼とよばれるものです。

浄琳寺は真宗大谷派の寺院で、もとは天台宗。開基は道光です。街道に門がありますが、寺の内部は非公開なので、いつも閉まっているそうです。立看板には1798年に今の地に移り、寺子屋を開き子弟を教育したとか。市の湖北町伊部にあった小谷城落城後に、その智の尊勝寺から移転したそうです。長浜の歴史と景観を代表する貴重な建物です。木造平屋建て、望楼付き。

慈雲山 浄琳寺
1789 (寛政10)年
滋賀県長浜市元浜町7-6
撮影 : 2016.11.18
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ここに入り口があるのですが、町家みたいで、お寺には見えません。
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ここで長浜の北国街道を歩いてみます。
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街灯の写真はネットから借用しています。
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長浜は北国街道(ほっこくかいどう)の宿場町として、さらには琵琶湖水運の拠点として古くから栄えました。
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北国街道は、中山道の鳥居本宿(彦根市)を起点として、近江と北陸を結ぶ重要な街道です。
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古くから商家や旅籠、町役人衆の豪邸が軒を連ね、大名行列や文人墨客が往来しました。
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なぜかTHE ALFEE の坂崎幸之助の写真が。
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長浜出身というわけではないようです。和ガラスと写真機のコレクション展?ふ~ん。
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夕食に店に行く途中もここを通りました。
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さすがに夜は人通りもまばらです。
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by gipsypapa | 2017-08-02 08:23 | 建築 | Trackback | Comments(2)

琵琶湖竹生島の宝厳寺

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滋賀県の長浜市へ一泊旅行しました。何度か行ったことはあったのですが、当時はまだ建物にそんなに興味がなかったので、見ていないところが多かったのです。朝、自宅を出発して、高槻からJR新快速を利用すると1時間半強でJR長浜駅に着くので便利です。午前中に着いたので、まず琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)へ。

竹生島は、琵琶湖の北部にある島で、琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されています。人がいる場所は宝厳寺(ほうごんじ)がある、島の南側の一部に限られていて、定期船が発着する港と、すぐ近くにある数店の土産物店と寺社に集中しています。宝厳寺は真言宗豊山派の寺院で、山号を巌金山(がんこんさん)といいます。本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基(創立者)は神亀元年(724年)聖武天皇の頃で、行基によるとされています。西国三十三所観音霊場の第30番札所です。

慶長七年(1602年)に、太閤秀吉の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させたものが現存し、唐門は国宝です。最初の全景写真はウィキペディアから借用しています。

巌金山 宝厳寺
滋賀県長浜市早崎町1664-1
撮影 : 2016.11.18
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長浜からの定期船は1日5往復が運行。長浜港から竹生島までは30分。乗船料は往復で 3,070円でした。
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船を下りると、すぐのところにある拝観受付所で拝観料400円を払います。宝厳寺本堂までは、「祈りの階段」と呼ばれる165段の石段が続きます。
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鳥居から右に行けば都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、つまり竹生島神社にいけますが、これは後に。
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西国三十三所の記帳所は本堂横に脚長で建っています。


宝厳寺本堂
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宝厳寺本堂は船着き場からの石段を真っ直ぐに上りきった高台に建つ、寺内最大の建物です。本尊弁才天像で、1942年に平安時代様式で新築されたものです。鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

宝厳寺本堂
1942(昭和17)年
設計・施工 : 不明
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弁天様の顔を描いた幸せ願いダルマがいっぱい。全部手作りだそうで、中に願い事を書いた紙を入れ、奉納するとか。奉納料は500円です。
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ひっそり立つ石造五重塔は鎌倉時代のもので、国の重要文化財です。
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東側にも石段があり、そこを下ると、唐門があるはず。

宝厳寺唐門
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残念ながら平成25年6月1日から平成30年3月31日まで、事業期間70ヶ月の改修作業中で、足場が組まれシートで覆われていて見えません。しかたなく、外観写真はウィキペディアから借用しました。

この門は京都東山の豊国廟の唐門または大阪城の極楽門を移築したと伝わるもので、慶長8年(1603)に建立されました。妻や桟唐戸およびその両脇などに大胆な意匠の彫刻をはめ込み極彩色をほどこしています。建物全体は黒漆塗を主とし飾金具や極彩色の彫刻などで飾った華麗な門で、豪華絢爛な桃山時代の建築を代表する唐門として国宝に指定されています。

宝厳寺唐門
1603(慶長8年)
国宝
設計・施工 : 不明
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唐門の妻にが濃密な装飾彫刻がありますが、シートの下です。よってこれもウィキペディアから借用しました。大虹梁上の蟇股(牡丹文)と松に尾長鳥の彫刻です。
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門扉の彫刻。
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内部は見ることができます。門をくぐった突き当たりですが、これは次の観音堂の壁と思われます。
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各種の彫刻がありますが、まだ桃山時代。
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あまり洗練されているとはいえません。
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宝厳寺観音堂
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観音堂は唐門と同じときに移築されたもので、唐門の背面は観音堂に繋がっています。観音堂には本尊の秘仏千手観音立像(鎌倉時代)が安置されています。入母屋造檜皮葺きで、傾城地に建てられた、床下に長い柱を立てて支える懸造(かけづくり)だそうですが、外観は屋根と、唐門の後ろが少し見えるだけで、掛造りの部分は木が生い茂って、ほとんど見えません。

写真はネットにあった数少ない側面を写したもの。左は唐門でつながっているのがわかります。また内部も奥は改修中で入ることができませんでした。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺観音堂
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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手前の掛造りは次の船廊下のもの。その向こうに見えるのが観音堂です。
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この辺が観音堂の下です。
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このときはこの突き当りまでしか行けませんでした。
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奥までいけた当時と思われる写真をネットから借用しています。

宝厳寺渡廊(船廊下)
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観音堂と都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、社名は竹生島神社の本殿を結ぶ屋根付きの廊下です。豊臣秀吉の御座船の用材を用いて建てたという伝承から「船廊下」といわれています。廊下は檜皮葺きで、いわゆる懸造りです。国の重要文化財の木造、平屋建て。

宝厳寺渡廊
1603(慶長8年)
重要文化財
設計・施工 : 不明
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脚長の懸造り。
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都久夫須麻神社(竹生島神社)
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船廊下を進むと都久夫須麻神社の本殿前に出ます。ウィキペディアによると、明治新政府は神仏分離令を出したときに宝厳寺を廃寺にして神社とし、「都久夫須麻神社」と称するよう命じたそうです。しかし、全国の崇敬者の強い要望により宝厳寺の廃寺は免れて寺院と神社の両方が並存することになったとか。

明治7年(1874年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883年)に両者の財産が区別され、以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の法人となっているそうですが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっています。

本殿は唐門や観音堂と同様に、伏見城または豊国廟から移築したと伝えられています。装飾性の豊かな桃山建築ですが、建物中心部の身舎(もや)と周辺部の庇とは本来別個の建物で、建立年代の異なる2つの建物を合体して1棟としたものだそうです。

本殿は永禄元年(1558年)に火災で焼失し、永禄10年(1567年)に再建され、これが現存する庇と向拝の部分にあたり、身舎部分は慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改造したもので、他から移築されたものとか。国宝に指定された木造平屋建て。

都久夫須麻神社(竹生島神社)本殿
1567(永禄10)年 / 1602(慶長7)年
国宝
設計・施工 : 不明
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この装飾彫刻のアップはウィキペディアから借用しています。
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本殿の全景です。

八大龍神拝所

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琵琶湖を望む断崖上にあり、ここから皿の形の土器を湖に向かって投げ、 投げた「かわらけ」が鳥居をくぐると願いが叶うと言われています。
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ということで、かわらけ代2枚300円を払って投げてみましたが、全然だめでした。願い叶わないそうです。(涙)

宝厳寺本坊
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ネット情報がないので、いわれのある建物ではないのは分かっていますが、気になった建物です。唐破風の玄関とそれにつながった2階建ての長大な建物。
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崖の上に建っています。
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宿坊のように見えますが、なかなかの近代建築でした。
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船着場に戻って、
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長浜港へ戻りました。

by gipsypapa | 2017-07-28 08:48 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松本市の四柱神社

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NTT大名町ビルの北側にある四柱神社(よはしらじんじゃ)。四柱とは天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の四人の神のことだそうで、地元では、すべての願い事が叶う「願い事むすびの神」として親しまれています。

1879(明治12)年、現在地に社殿を造営しましたが、1888(明治21)年の松本大火で社殿が焼失し、1924(大正13)年に再建したものです。木造平屋建て。

四柱神社
1924(大正13)年
設計・施工 : 不明
長野県松本市大手3-3-20
撮影 : 2016.7.11
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御幸橋(みゆきばし)1879(明治12)年。松本城の総堀に架けられた眼鏡橋で、明治天皇の信濃地方巡幸のときに、最初に渡られたことから名づけられました。
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神社の傍にカエルがいくつか飾ってあります。松本市なわて通り商店街を舞台に、商店主・地元の学生・市民が協力して運営するかえるをテーマにしたお祭りがあるとか。毎年全国からたくさんのかえる作家さんの連なる「かえる市場」やかえるに関する様々な催し・学生が運営する楽しい遊びコーナーなどが開催されるそうです。
by gipsypapa | 2017-07-16 07:56 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松本神社

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松本城の北側にある松本神社。前身は縁結びおよび郷土発展の神として信仰を集めた暘谷(ようこく)大神社で、松本城主松平康長と松姫の子の虎松(孫六郎永兼)を祀る社でした。その後、いくつかの神社を合祀し、1953(昭和28)年に名称を松本神社と改めたとか。地元では「ごしゃ(五社)」と呼ばれているそうです。木造平屋建て。

松本神社本殿
1726(享保11)年
設計・施工 : 不明
長野県松本市丸の内10-37
撮影 : 2016.7.11
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ウィキペディアにあった本殿と・・・
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鳥居の写真。後ろに松本城が見えています。

by gipsypapa | 2017-07-04 08:14 | 建築 | Trackback | Comments(2)

高千穂神社

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高千穂は古事記や日本書紀そして風土記に、天孫降臨の地としてその名前が出てくる地です。高千穂神社はその地に鎮座する神社で、約1900で年前の垂仁天皇時代に創建されたそうです。主に農産業・厄祓・縁結びの神として有名で広く信仰を集めています。

高千穂郷八十八社の総社で主祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神(じっしゃだいみょうじん)。高千穂皇神は日向三代と配偶神の総称で、十社大明神は三毛入野命(みけいりののみこと)をはじめとする10柱を祀っているとか。

神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。本殿建築の棟梁と彫刻は豊後鶴崎の牧義右衛門です。木造平屋建て。

高千穂神社本殿
1778(安永7)年
重要文化財
棟梁・彫工 : 牧義右衛門
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037
撮影 : 2016.3.15
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参道にある玉乗り狛獅子。これは重要文化財ではありません。
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2本の杉の幹がくっいた「夫婦杉」。この周りを夫婦、恋人、友達と手をつないで3回まわると縁結び、家内安全、子孫繁栄の3つの願いがかなうと言われています。樹齢800年以上だとか。
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石階を上ったら正面にある拝殿。
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拝殿の裏側にあるのが重要文化財の本殿です。この写真はネットから借用しました。
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本殿は文化遺産オンラインの記事によると、「欅(かやき)材を用いた丁寧なつくりで装飾細部も充実し,意匠的な完成度も高く,九州地方南部を代表する大規模な本殿建築である。また,縁に小規模な社殿を附属した独特の形式や,当地方の伝説や祭礼に関連した彫物など,地方色も顕著に有しており,高い価値がある。」
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本殿の東側面(脇障子というとか)に三毛入野命(ミケヌノミコト)の彫像があります。
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高千穂神社の祭神である三毛入野命が、荒ぶる神である「鬼八(きはち)」を退治したという伝説をもとにつくられた脇障子だそうです。
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自分で撮った写真は、身長不足から、足元が写っていません。ということで高千穂町観光協会のHPの写真です。鬼八くんがごめんなさいしています。
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これは鳳凰でしょう。彫師は豊後鶴崎の棟梁牧義右衛門。写真に撮れなかった西の脇障子の彫刻は「堂宮彫材写真美術館」というHPで見ることができます。
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こちらは神楽殿。
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建物自体は新しいようです。
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この大広間で夜神楽が観光客向けに、年間を通じて毎夜行われているそうです。
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お昼なので、夜神楽は見れません。
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こらが重要文化財の鉄造狛犬。ネットにあった写真です。実物はどこにあったのか?
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参道脇にある大きな建物は社務所でしょうか。
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by gipsypapa | 2017-06-13 08:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)

高千穂の天岩戸神社

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ツアー3日目は、阿蘇を後にし、宮崎県北部の高千穂町を観光しました。宮崎県とはいえ、阿蘇山系の一部で、神話の里として知られる土地です。今回の九州横断ツアーに参加した理由は、個人では行きにくい、ここ高千穂がコースに入っていたからでした。

最初に訪ねた天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は神社本庁の別表神社で、岩戸川を挟んで東本宮と西本宮があります。今回行ったのは西本宮だけです。天岩戸は日本神話に登場する岩の洞窟で、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになり、世界が真っ暗になったという、岩戸隠れ伝説の舞台です。

天岩戸神社 西本宮神楽殿
明治期
設計・施工 : 不明
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073-1
撮影 : 2016.3.15
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訪ねたのはマップの下側にある西本宮だけでした。
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岩戸の洞窟の外で八百万(やおよろず)の神が歌い踊る騒ぎに、不思議に思った天照大神が扉を少し開けました。その機会に扉を開け放った、力持ちの手力男命戸取(あめのたじあらおのみことととりぞう)の像が神社入り口付近に立っています。
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境内に入ると木々がうっそうと茂っていて、神秘的な雰囲気です。
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西本宮は本殿を持たない特有の造りで、1986(昭和61)年の造営だとか。お祓いを受けた後に、この裏側に周り、岩戸川の向こう側の天岩戸を見ることができますが、見学のみ。撮影禁止です。実際に見ましたが、どこが岩穴か、よくわかりませんでした。
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お祈りしているのはツアーのバスガイドさん。
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その拝殿左脇に配祀神を祀る切妻造妻入の御旅所があります。
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ネットにいい写真がありましたので借用します。向こう側が西本宮で、手前が神楽殿(かぐらでん)。
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神楽殿は明治時代に造営された旧社殿の一部が移築保存されたものだとか。
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よく見ると手の込んだ装飾彫刻があります。
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木鼻は獏(バク)でしょうね。
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入り口近くに立ち並ぶのは、社務所、斉館や微古館です。
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時間が足りずに行けませんでしたが、西本宮から徒歩10分の距離(2枚目の神社マップの左端)に、天安河原(あまのやすかわら)があります。写真はネットにあったものを借用しています。
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高千穂は半日の旅程では見切れません。またいつか、一泊+レンタカーで訪ねたいところです。

by gipsypapa | 2017-06-12 08:18 | 建築 | Trackback | Comments(2)

尾道の艮(うしとら)神社

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千光寺山を山頂駅から下って、出発点のロープウエイ山麓駅まで帰ってきました。山麓駅の横に鳥居がある艮神社(うしとらじんじゃ)は尾道最古の神社で、境内は樹齢900年と推定される大楠が茂る神聖な雰囲気です。桓武天皇の平安時代に創建されましたが、火事で消失したそうで、現在の社殿は江戸時代に造営されたものではないかと思われます。

艮神社本殿
江戸時代か?
設計・施工 : 不明
広島県尾道市長江1-3-5
撮影 : 2017.2.14
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ロープウェイ山麓駅の隣に参道の入り口があります。
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手前の石柱には天保11年と刻まれています。1840年、幕末ですね。
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写真では見えないですが、鳥居には萬治3年と刻まれています。1660年、こちらは古く江戸時代初期ですね。
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山門も古そうですが、詳細はわかりませんでした。背景にロープウェイの駅が見えています。
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階段を上ったら境内。
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境内入り口の両側に鎮座する狛犬。足かせみたいなブロックは何?
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相当古いものでしょう。風化して擦り切れたようになっています。
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こちらはその奥、本堂の手前にある狛獅子。鳥居の奥に巨岩があるのは尾道らしい。
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もう一組小さな社の前にも玉乗り狛獅子。
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本堂です。
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丑(うし)と寅(とら)の間であることから艮は「うしとら」と読まれ東北の方角を意味するそうです。
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神道における岩への信仰を磐座(いわくら)というらしいです。
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樹齢900年と推定され、広島県の天然記念物に指定されている大楠。

しばらく続いた尾道編はこれで終わります。次は九州へ。

by gipsypapa | 2017-06-01 08:26 | 建築 | Trackback | Comments(2)

萬松山 天寧寺三重塔

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千光寺から更に下ったところにある、天寧寺(てんねいじ)は室町時代の1367(貞治6)年に足利義詮が普明国師を招いて開山したもので、この塔婆(とうば)は元々は五重塔として建立されたとか。

江戸時代初期に落雷による火災で伽藍のほとんどが焼失してしまいましたが、塔だけは難を逃れたといわれます。今の塔婆は境内からはかなり離れた高い場所にあり、嘉慶2(1388)年に五重塔として建立されたものです。

しかし老朽化して痛みが激しかったことから1692(元禄5)年に上の二層を取り除き、三重塔に改修しました。国の重要文化財の木造三間三重塔婆(元五重)。

萬松山 天寧寺塔婆
1388(嘉慶2)年
設計・施工 : 不明
広島県尾道市東土堂町17-29
撮影 : 2017.2.14
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ちなみに、天寧寺は創建当時は東西三町にわたる壮大な大寺院だったそうです。
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現在は本堂などのある境内と、そこから少し山を登ったところにある三重塔とは、別の敷地に建っています。
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いわれてみれば、ずんぐりしています。なんとなくバランスが変。
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ネットの「AllAbout 旅行」に内部写真がありました。記事では「近くに寄って格子の隙間から塔の内部をのぞくと、極彩色の天井画や金色の仏像を見ることができます。」とあります。へえ、確かに格子がありますが、そこから覗けるとは知らなかった。
by gipsypapa | 2017-05-29 08:24 | 建築 | Trackback | Comments(2)