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博物館明治村 宗教大学車寄

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 この建物は、現在明治村3丁目の岬の広場に「あずまや」の如く建てられているが、本来は明治41年(1908)東京郊外の巣鴨に新築された私立宗教大学本館の車寄であったものである。

 木造二階建の本館校舎は、講堂を中心に左右に教室を配した一文字型の大きな建物で、その正面にこの車寄があった。この高さ6.9mの車寄からも推し測られるように、本館はバロック風の大屋根を頂く壮大な明治末期の特色ある洋風建築で、車寄と同様、腰石には花崗岩が積まれていた。

 大正15年(1926)大正大学と改称された後も、長く校舎として使われ、椎尾弁匡をはじめとする宗教学の諸碩学が子弟の教育に当たった由緒ある建物でもあった。

 昭和43年(1968)2月、折から帝国ホテルの保存問題が世間の注目を集めていたが、この宗教大学本館が消え去ることを惜しみ、明治村では本館の俤を残すこの車寄部分を解体・保存した。


博物館明治村 宗教大学車寄
1908(明治41)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 東京都豊島区西巣鴨
犬山市内山3-33博物館明治村内
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by gipsypapa | 2012-10-16 13:35 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 第四高等学校物理化学教室

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 明治19年(1886)に「中学校令」が公布され、東京大学予備門が第一高等中学校に、大阪の大学分校が第三高等中学校に改組された。引き続き、翌年には仙台に第二、金沢に第四、熊本に第五高等中学校が設置され、明治27年(1894)の「高等学校令」により、いずれも高等学校に改称・改組された。

 この物理化学教室は高等中学校時代の明治23年(1890)に創建され、以後、第四高等学校、金沢大学へと引き継がれてきた建物である。

 近代化を推し進めようとする明治政府にとって自然科学教育は重要な課題で、明治5年(1872)公布された学制の「小学規則」の中にも窮理学(物理)、科学、博物、生理、の四科目があげられており、初等教育の段階から重きを置かれていた。中等・高等教育においても、実験まで含めた自然科学教育が実施され、ここに見るような物理化学教室が建設された。
 もとはH型の大規模な建物であったが、明治村では中央部分だけを移築・保存している。木造桟瓦葺平家建であるが、階段教室の部分だけ一廻り大きくなっている。外壁は南京下見(なんきんしたみ)と呼ばれる洋風の張り方で、竪長の窓には下に上ゲ下ゲ窓、欄間(らんま)に回転窓が入れられている。又、軒裏には小さな換気口が数多くあけられ、実験室のドラフト・チャンバーとともに室内換気に効果をあげている。

 棟札によれば、この建物の工事監督は文部省技師山口半六、設計者は同じく文部省技師の久留正道である。この二人はともに明治期の学校建築の功労者であるが、特に久留正道、西洋建築の理論や技術の研究を行い、「学校建築設計大要」等を著している。この階段教室も、そういった理論の裏付けのもとに、段の勾配、天井の高さ、窓の位置・大きさ等が設計されている。


第四高等学校物理化学教室
1800(明治23)年
登録有形文化財
設計 : 久留正道
施工 : 山口半六(工事監督)
旧所在地 : 石川県金沢市仙石町
犬山市内山2-15博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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 谷口吉郎・土川元夫レリーフ (製作:菊池一雄)
 明治村は、四高時代同級生であった東京工業大学教授で建築家の谷口吉郎と名古屋鉄道株式会社会長の土川元夫の発想と決意によって誕生した。 
 土川元夫 1903-1974
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 谷口吉郎 1904―1979
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by gipsypapa | 2012-09-23 10:42 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 千早赤阪小学校講堂

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 一階が雨天体操場、二階が講堂となっているこの建物は、もとは大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったが、昭和4年(1929)同校の校舎が新築されるに際し、南河内郡千早赤阪村の小学校に移築されたものである。

 木造二階建桟瓦葺寄棟造で、建物の四周に幅1間(約1.8m)の吹放ち(ふきはなち)の廻廊をめぐらせている。二階の外壁は洋風下見坂で、出隅には柱型を付け、軒には蛇腹をまわしている。壁面に整然と並べたれた堅長の窓には欄間と上ゲ下ゲガラス戸が入れられているが、その廻りには額縁をまわすとともに、上にはペディメントを飾り、窓台下にはブラケットを付けた古典的な姿になっている。一方、下屋に隠れた一階の壁は漆喰塗真壁で柱を表面に見せ、腰には竪羽目板を張っている。四方に開けられた出入口は全て引き違いの大きなガラス戸になっていて、欄間にも引き違いガラス戸を入れている。

 明治中頃から学校教育の中で体操が重視されはじめ、明治後期には体育教育が盛んに行われるようになる。体操の内容も亜鈴式からスウェーデン式へと変わり、広い体操場が求められるようになった。

 なお、明治村への移築に際し、建物の高さが木造建築の法定限度を超えるため、建物四隅の壁体の中に鉄骨を埋め込んで、補強した。

 一階の廻廊には、二間(3.6m)ごとに細い角柱が立てられ、柱間に浅いアーチ形の幕板を入れ、その中央にペンダント状の吊束を付けている。因みに、アーチが連続した廻廊をアーケードという。


博物館明治村 千早赤阪小学校講堂
1897(明治30)年ころ
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 大阪府南河内郡千早赤阪府
犬山市内山2-14博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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by gipsypapa | 2012-09-21 12:56 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 東京盲学校車寄

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 福沢諭吉の「西洋事情」(慶応2年〔1866〕刊)には欧米における盲人及び聾唖者教育の実情も記されており、その中に点字による教育実践の様子が書かれている。

 日本で最初に盲人教育が行われたのは、明治6年(1873)頃であるが、まだ組織化されたものではなかった。

 明治13年、築地に私立の訓盲院が作られ、本格的な障害者教育が開始された。その後国立となり、一時は盲唖学校として障害者の一元的教育を目指した時期もあったが、明治41年(1908)盲唖分離を目的として小石川雑司ヶ谷町に東京盲学校が建設されることになり、同43年6月本館が完成した。

 本館は木造二階建、間口62mにも及ぶ大建築で、板張の壁面に柱、桁、胴差等の垂直材・水平材と筋違い等の斜材を浮き出して装飾とするハーフティンバーと呼ばれる様式が使われたが、これは明治末期の学校建築の典型的なスタイルであった。明治村は、この本館が昭和42年(1967)取り壊される際、デザインの凝縮されたその車寄だけを移築保存し、日本庭園の一角に据えて「あずまや」とした。


博物館明治村 東京盲学校車寄
1910(明治43)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 東京都文京区千駄木町
犬山市内山1-10博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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 この一帯には明治村日本庭園がありました。
by gipsypapa | 2012-09-17 20:54 | 建築 | Trackback | Comments(4)

博物館明治村 三重県尋常師範学校本館・蔵持小学校校舎

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 明治19年(1886)の師範学校令により、東京に高等師範学校が、又各県に一校ずつ尋常師範学校が設けられることになった。尋常師範学校は小学校教師の養成を目的としており、国民皆学の基礎となったものである。明治21年に三重県の尋常師範学校本館として建てられたこの建物は、昭和3年(1928)、本館の改築に伴い県下名張市の蔵持村に売却・移築され、蔵持小学校として使われていた。明治村で保存公開されている三重県庁舎と同じ清水義八の設計になり、三重県庁舎と同様、E字形左右対称二階建であったが、昭和48年(1973)明治村に移築保存するに際しては、特色ある中央玄関部分と右翼の二教室分のみを遺した。

 県庁舎が清水義八による洋風建築初期の作品で、単純で古典的な印象を与えるのに対し、約10年のちのこの建物ではデザインが消化されて、中央の玄関部を除けば穏やかにまとめられている。玄関は四本の円柱を立ててアーケードとし、二階にベランダを設け、入母屋の屋根をいただく。アーチや入母屋の破風に草花をモチーフとした縁飾りをあしらい、懸魚にも洋風の雰囲気を遺している。二階ベランダの手摺、軒廻り、入母屋妻のデザインなどにも設計者の工夫が見られる。翼屋の教室部分の外壁は洋風の下見板張りになっており、白漆喰塗の玄関部とあざやかなコントラストをなしている。

 車寄の柱は三重県庁舎と同じ古代ローマのトスカナ様に作られているが、柱の上ではなく柱の中途に持ち送りを出してアーチを支えている。このように柱間にアーチを組み込むのは中世以降の構成である。一方、通り抜けの入口は両側に太い石の柱を建て、その上に厚い石のアーチを架け渡している。


博物館明治村 三重県尋常師範学校本館・蔵持小学校校舎
1888(明治21)年
登録有形文化財
設計 : 清水義八(棟梁)
施工 : 不明
旧所在地 : 三重県名張市蔵持
犬山市内山1-3博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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by gipsypapa | 2012-09-07 13:21 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館明治村 名古屋旧制第八高等学校正門

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 現在「博物館明治村」の正門として使われているこの門は、もと名古屋の旧制第八高等学校の正門であった。同校は明治41年(1908)に設立され、愛知県立第一中学校の旧校舎を借りて開校したが、翌42年12月に新校舎が落成し、移転した。

 四本の門柱は、赤いレンガに白い花崗岩を帯状に配して作られており、この構成は明治洋風建築によく用いられたものであった。また中央の両開門扉、脇門の片開門扉、袖柵は細い鉄材で作られ、軽快なものとなっている。ここに使われている材料は、いずれも当時の洋風建築を語る時欠くことのできないものである。


博物館明治村 名古屋旧制第八高等学校正門
1909(明治42)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
旧所在地 : 名古屋市瑞穂区瑞穂町
犬山市内山1-1博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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 明治5年(1872)の学制公布から十数年を経て、明治19年森有礼によって一大教育改革が行われ、「小学校令」「中学校令」「帝国大学令」「師範学校令」が定められた。これにより小学校、中学校、師範学校にはそれぞれ尋常と高等の二段階の学校が設けられ、四年間の尋常小学校は義務教育とされた。遅れて明治27年(1894)には「高等学校令」が定められ、それまでの高等中学校が高等学校に改称・改組された。この改革により、その後数十年にわたって整備・拡充されていく学校制度の基礎が築かれた。
 明治時代に作られ、重要文化財に指定されている洋風の門が二つある。一つは明治10年学習院の正門として作られたもの、もう一つは明治11年東京杉並の妙法寺に建てられた門である。いずれも鋳鉄で作られ、和洋のデザインを混用している。

by gipsypapa | 2012-09-05 12:58 | 建築 | Trackback | Comments(2)

京都市立京極小学校

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 京都御所石薬師御門の近くにある、もう一つの戦前に建てられた小学校です。京都市営繕課の作品は、昭和初期には旧京都市立明倫小学校が代表する装飾の多いレトロ感のあるものが主流でしたが、この時期になると、前回紹介した旧京都市立新道小学校のように、シンプルなモダニズム風が多くなり、時代の流行を反映しています。鉄筋コンクリート造り、3階建て。

京都市立京極小学校
1938(昭和13)年
設計 : 京都市営繕課
施工 : 不明
京都市上京区寺町通石薬師下ル西側染殿町658
撮影 : 2008.7.5
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by gipsypapa | 2012-08-31 14:51 | 建築 | Trackback | Comments(0)

旧京都市立新道小学校

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 昭和初期の京都市営繕による学校建築。私が前を通った5年前は現役でしたが、2011年3月31で閉校したそうです。

 1階部分は薄い褐色のタイル貼り、2階以上はコンクリートモルタルの打ちっぱなしで、側面の大きなコンクリート製の煙突が特徴です。鉄筋コンクリート造り、3階建て。

旧京都市立新道小学校
1937(昭和12)年 
設計 : 京都市営繕課
施工 : 松村組
京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町130
撮影 : 2007.3.4
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 念のためグーグルのストリートビューで確認したところ、建物は残っているようです。さすが京都市。
 
 なお、明日から恒例になった北海道旅行に出かけますので、しばらく休ませて頂きます。
by gipsypapa | 2012-08-23 13:39 | 建築 | Trackback | Comments(2)

京都市立二条中学校 特別教室棟

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 これもずいぶん昔の写真です。二条城の前にある学校建築。

 石積みを疑似した車寄せのある玄関ポーチと縦の線を強調した校舎が昭和初期の雰囲気を醸し出しています。それもそのはず、数多くの名建築を手がけた京都市営繕課の設計。ただし、現在の校舎は老朽化したために旧校舎本館の姿を出来るだけ残すような形で昭和61年に全面改築したものだそうです。鉄筋コンクリート造り3階建て。

京都市立二条中学校 特別教室棟
旧京都市立二条高等女学校 教室棟
1928( 昭和3)年 / 1986(昭和61)年改築
設計 : 京都市営繕課
施工 : 不詳
京都市上京区竹屋町通千本東入ル主税町911
撮影 : 2008.1.4
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by gipsypapa | 2012-08-21 14:14 | 建築 | Trackback | Comments(0)

大谷大学尋源館

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 京都を代表する煉瓦造り建築のひとつ。大正初期に真宗大学が現在地にキャンパスを移した際に大谷大学本館として建てられたもので、同窓会、校友センター、尋源講堂、教室などが入る尋源館と呼ばれる大谷大学のシンボルになっています。

ルネサンス式を踏襲した建物で、左右対称の外観に屋根は寄棟造で瓦葺、棟上には塔を載せています。中央正面、窓の上部、胴蛇腹、軒蛇腹には花崗岩や白大理石を用いてアクセントにし、正面中央上部には真宗大学から続く紋章が花崗岩に刻まれています。登録有形文化財の煉瓦造り、2階建て。

大谷大学尋源館
旧大谷大学本館
1913(大正2)年
登録有形文化財
設計 : 須藤勉+山本八太郎(京都帝国大学建築部)
施工 : 不明
京都市北区小山上総町20-1
撮影 : 2011.10.16
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by gipsypapa | 2012-08-15 14:36 | 建築 | Trackback | Comments(2)