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旧花田屋番屋

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台北シリーズを終わり、一挙に北へ移動して、しばらく北海道の旅行記をやります。昨年の11月に北海道の三大岬を巡るツアーに参加しました。バスに乗って、北海道を1周して、宗谷岬、納沙布(のさっぷ)岬から襟裳(えりも)岬を3泊4日で見て回る、弾丸ツアーでした。

初日は新千歳空港から稚内まで、道央自動車道とオロロンラインから国道232号線を経由して日本海側を北上する、約5時間半の工程です。途中何ヶ所か休憩するわけですが、今回のツアーでは縁のないレトロ建築の唯一の例外、旧花田屋番屋です。隣が「おびら鰊番屋」という道の駅なのです。

時間的に閉まっていて中は見ることができませんでしたが、北海道に残る大型鰊漁場建築の数少ない遺構の一つで、ヤン衆(雇い漁夫)の宿泊設備がよく残っているとか。使われている梁などの巨材は、すべて地元の大椴(おおとど)山から切り出した木材を三半船(さんばせん)で海上を運び集め、製材されたものだそうです。国の重要文化財の木造平屋、一部2階建て。

旧花田屋番屋
1905(明治38)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
北海道留萌郡小平町字鬼鹿広富35-2
撮影 : 2016.11.4
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地元の網元だった花田家が建てた番屋です。
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北海道の鰊番屋はすでにこのブログでは旧茨木番屋旧茨木與八郎番屋旧白鳥家番屋(群来陣)旧田中家住宅(小樽市鰊御殿)旧青山家漁家などを紹介しています。
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道内で現存する番屋では最大の規模だそうです。
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雇い人が200人を超えたという大鰊漁家でした。
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天登雁(てんとかり)村とあります。昔はそういわれた場所だったわけです。
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北側に並ぶ道の駅「おびら鰊番屋」。
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番屋の雰囲気です。
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海岸沿いに鰊番屋と書かれた小屋がありますが、新しいようです。
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中を見れなかったので ↑ 以下はネットの写真を借用します。
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大広間は吹き抜けです。
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ちなみに入場料は350円だそうです。

by gipsypapa | 2017-09-10 09:02 | 建築 | Trackback | Comments(0)

黄金博物園区 四連棟日式宿舎

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ここも黄金博物館区内にある4棟の日本式住宅です。日本統治時代に建てられた日本鉱業株式会社の日本人社員宿舎だった建物。当時の木材も使用しながら、2005年に修復工事を終え、2007年から一般開放されています。木造平屋建て。

四連棟日式宿舎
1930(昭和5)年代 / 2005(平成17)年改修
設計・施工 : 不明
新北市瑞芳区金光路69号
撮影 : 2016.9.6
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レンガ塀と木製の両開戸はかなり洋風。
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早朝だったので、まだ開いてなく中の見学ができませんでした。
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道路もレンガ敷です。
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「福」が逆さま。古代中国から伝えられた「倒福」というもので、「福気・福運」の意味で使用されているとか。
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建物自体は木造の和風建築です。外からの見学だけだったのが残念でした。
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ネットの「台北ナビ」にあった内部写真を借用しています。
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内部はかなり洋風を取り入れていますね。

by gipsypapa | 2017-09-05 08:12 | 建築 | Trackback | Comments(2)

黄金博物園区 金瓜石太子賓館

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黄金博物園区の一角にある太子賓館。日本統治時代の皇太子(後の昭和天皇)が、金瓜石を視察するという計画があったため、金瓜石の採掘権を持つ、田中鉱山株式会社が建てた木造の和風建築で、いわゆる迎賓館です。

広い敷地と美しい日本庭園に、主に杉とヒノキを使った日本式書院をしつらえた、質の高い建築です。ただ、実際には皇太子の視察は実現せず、使われることはなかったそうです。木造平屋建て。

金瓜石太子賓館
1922(大正11)年
設計・施工 : 不明
新北市瑞芳区金瓜石金光路8号
撮影 : 2016.9.6
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日本庭園もよく手入れされています。
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日本の邸宅、そのものです。

by gipsypapa | 2017-09-04 08:31 | 建築 | Trackback | Comments(2)

北国街道 安藤家

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旧開知学校前の道路を北に進むと北国街道(ほっこくかいどう)です。安藤家は、室町時代からこの長浜に移り住んだ旧家で、賤ヶ岳合戦(1583年)では秀吉に協力したとか。秀吉は町衆の中から長浜の自治を委ねる「十人衆」を選び、安藤家はその一つとして、町衆文化の一翼を担い、江戸時代は三年寄の一家として、長浜町の発展に尽力したそうです。

現在の建物は明治38年から大正4年にかけて建てられたもので、虫籠窓、紅殻格子などが施された造りは、長浜を代表する近代和風建築の一つです。

安藤家のもう一つの見どころが、庭園です。「古翠園(こういえん)」と名付けられた庭園は、長浜で多くの庭園を手掛けた庭師、布施宇吉(植宇)によるもの。巨石をあしらった池泉回遊式の庭です。

北国街道 安藤家
1915(大正4)年
設計・施工 : 不明
作庭 : 布施宇吉(植宇)
滋賀県長浜市元浜町8-24
撮影 : 2016.11.18
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玄関から覗いただけですが、書院の小蘭亭(しょうらんてい)の美術は北大路魯山人(きたおうじ ろさんじん)の代表作とかで、この像は北大路魯山人でしょうか。
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HPから。
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古翠園の写真はネットにあったものを借用しています。
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これもネットにあった小蘭亭の写真。安藤家離れの「小蘭亭」にある天井絵・篆刻 額・篆刻扉・襖・障子などは魯山人の作品です。
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これと以下の内部写真は画像検索で出てきた「のぶちんのトラベろぐ」という見所が多いブログから借用しました。
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このときは他にも見たい建物が多くあったので、パスしてのですが、もしチャンスがあれば、中や庭を見たいです。ちなみに入館料は400円です。

by gipsypapa | 2017-08-01 08:59 | 建築 | Trackback | Comments(2)

松本市の白鳥写真館

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下町会館の南隣に大正時代の洋館「白鳥写真館」があります。明治時代に松本城の堀を埋め立てた土地に数多く建てられた洋館群のひとつ。明治27年創業の写真館で、写真家の白鳥真太郎氏の実家です。

大正13年に建築されましたが、昭和2年(1927)に焼失したため、火災にあった部材を活用しながら創建時の外観を再建したそうです。グレーの外壁に白い柱を強調し、縦長を基調とした端正な建物です。2階中央にバルコニーがありますが、1階の玄関口の和風の庇と共用していないのは変わっています。鉄筋コンクリート造り(多分)、2階建て。

白鳥写真館
1924(大正13)年/ 昭和初期(復元再生)
設計・施工 : 不明
長野県松本市大手4‐8‐12
撮影 : 2016.7.11
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下町会館と並んでいます。
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↑の2枚はネットにあった写真を借用しています。

by gipsypapa | 2017-07-11 07:44 | 建築 | Trackback | Comments(2)

旧松本カトリック教会司祭館

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旧開智学校の隣にある洋館。明治中期にフランス人のクレマン神父が設計し、地元の大工が施工した西洋館です。元は三の丸武家屋敷跡にあった宣教師と伝道師のための住居でした。松本城北側の街路拡幅事業にともない、平成3年に現在の旧開智学校の隣地に移築復元されたそうです。

左右対称の二階建てで、淡いブルーの下見板張りの外壁にイギリス積みレンガ基礎という、シンプルながら典型的な洋館。和瓦葺にレンガ造りの煙突が立っています。ネット情報では、外壁の下見板張りは、遠くアメリカ開拓時代の船大工の技法を残す、アーリー・アメリカン様式の特徴を備えた貴重なものとか。長野県宝に指定された木造2階建て。

旧松本カトリック教会司祭館
1889(明治22)年 / 1991(平成3)年移築復元
長野県宝
設計 : クレマン神父
施工 : 不明(日本人大工)
長野県松本市開智2-6-24
撮影 : 2016.7.11
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入場無料です。
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各部屋に暖炉があります。
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観音開きの縦長窓には木製の鎧戸(よろいど)。
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アンティークな家具も残されています。
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1・2階ともにベランダがあります。
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窓越しに旧開智学校が見えています。こちらは次回に。
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ウィキペディアの写真を借用しています。方形屋根のシンプルな形状です。

by gipsypapa | 2017-07-02 08:17 | 建築 | Trackback | Comments(2)

鳴門市のH邸

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花乃春酒造と多智花家住宅を見て、ホテルに帰るのに、往きと違った道を歩いているときに、偶然見つけた洋館。ピンク色のドイツ壁に、縦長の白い窓枠が美しい上げ下げ窓が整然と並んだ、お洒落な洋風住宅です。

玄関ポーチにある丸い玄関灯を見ても、昔は病院だったと思います。文化財登録であっても不思議ではない、貴重な洋館です。ほとんど情報がありませんが、唯一、「建築ノスタルジア」のブログに昭和7年築とあるのを見つけました。木造2階建て。

H邸
1932(昭和7)年
設計・施工 : 不明
鳴門市撫養町斎田岩崎87-2
撮影 : 2016.3.29
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なお、今は近くに新設したクリニックで歯科医院を開業していらっしゃるようです。

by gipsypapa | 2017-06-28 08:26 | 建築 | Trackback | Comments(0)

鳴門市の多智花家住宅

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花乃春酒造の西隣に建つ、大型の和風建築。花乃春酒造の当主で、現在の社長である多智花(たちばな)氏の住宅です。主屋は昭和前期に建てられた入母屋造りの豪壮な住宅建築。南に位置する土蔵は明治中期の切妻造りで、壁面に小さな片開窓が規則的にならんでいます。正門を含めていずれも国の登録有形文化財の2階建て。

多智花家住宅
主屋 : 1932(昭和7)年
土蔵 : 1894(明治27)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
鳴門市撫養町斎田字浜端105-3
撮影 : 2016.3.29
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門も国の登録有形文化財です。
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立派な庭があります。
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北側にあるのは大型の土蔵です。
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鉄扉。
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文化遺産オンラインに花乃春酒造と並んだ写真がありました。

by gipsypapa | 2017-06-27 10:04 | 建築 | Trackback | Comments(0)

尾道の島居邸洋館 

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千光寺へと続く長い階段の途中にスパニッシュ風の洋館を見つけました。寺社や和風建築が多い山手では珍しい華やかな住宅です。普通のレトロな住宅かと思いましたが、調べると現在は一棟貸町家「せとうち 湊(みなと)のやど 島居(しまずい)邸洋館」という滞在形の宿泊施設として使われていることがわかりました。

昭和初期建築のお洒落な洋館で、スクラッチタイルを貼り付けた、カーブを描く特徴的な塀で囲まれています。建物の屋根は赤いスペイン瓦、外壁はクリーム色のモルタル仕上げのスタッコ壁にアーチ型や丸窓を配した、欧風の意匠になっています。滞在施設にするに当たり、外観は当時の面影を残しつつ、内装を宿泊客がくつろげるモダンな空間に改造したそうです。木造2階建て。

せとうち 湊のやど 島居邸洋館
旧島居邸
1931(昭和6)年
設計・施工 : 不明
広島県尾道市東土堂町11
撮影 : 2016.3.1
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宿泊施設に改修するときの設計は桐谷昌寛氏が行ったそうです。
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これ ↑ 以降の写真はせとうち 湊のやど 島居邸洋館のHPなどから借用しました。
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すばらしい空間です。いつか泊まってみたい。

by gipsypapa | 2017-05-26 08:10 | 建築 | Trackback | Comments(2)

尾道市文学記念室(旧福井邸)

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高台に南向きに建つ瀟洒な数寄屋風の住宅。元々は地元企業役員だったの福井家の住いでした。寄棟造の東棟が大正元年の築、昭和2年に入母屋造の西棟が、昭和3年に茶室が増築されました。現在は尾道市が管理する尾道市文学記念室として、尾道ゆかりの作家である林芙美子や高垣眸、横山美智子、行友李風、歌人の中村憲吉、山下陸奥、麻生路郎の愛用品や書簡、直筆原稿等を展示しています。茶室、蔵とともに国の登録有形文化財の木造平屋建て。

尾道市文学記念室
旧福井家住宅主屋
1912(大正元)年 / 1927(昭和2)年増築
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
広島県尾道市東土堂町13-28
撮影 : 2016.3.1
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尾道特有の坂の途中に建っている住宅です。
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敷地は高低があり下の段から石段を登っていきます。
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こちらが西棟。増築された部分です。
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玄関を真ん中にして・・
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こちらは古い方の東棟です。
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中に入らず、外からガラス越しに見ています。
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展示室。
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東棟にもう一つ玄関があります。こちらが元の玄関だったのでしょう。
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1段下がったところに立つ快傑黒頭巾(かいけつくろずきんの石碑、1935(昭和10)年に発表された高垣眸の小説の記念碑です。
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山側にある文学関係の建物などは総じて「おのみち文学の館」と呼ばれ、この「文学記念室」のほかに「中村憲吉旧居」、「志賀直哉旧居」と、その建物南側の「尾道市文学公園」の4つの施設からなっています。以下はネットの写真を借用しています。

中村憲吉旧居
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尾道市のHPから。「中村憲吉はアララギ派のリーダーとして現代日本歌人の第一人者として短歌界に重きをなしました。昭和8年12月25日、おだやかな尾道の千光寺山中腹に転地療養し、昭和9年5月5日に46才で惜しまれながら世を去りました。」

中村憲吉旧居
昭和初期か?
設計・施工 : 不明
尾道市東土堂町15-10

志賀直哉旧居
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これも尾道市のHPからです。「大正元(1912)年志賀直哉が尾道に移り住んだ棟割長家が現在でもご覧になれます。代表作「暗夜行路」もここ尾道のこの部屋で草案が練られました。併設の文学公園では文人達の作品を見ながら休むことができます。 」

志賀直哉旧居
明治後期か?設
計・施工 : 不明尾
道市東土堂町8-28

尾道市文学公園
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by gipsypapa | 2017-05-25 08:39 | 建築 | Trackback | Comments(2)