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京都島原の輪違屋

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c0112559_865837.jpg こちらは揚屋です。輪違屋(わちがいや)は、現在も営業されている花街島原の置屋兼お茶屋で、当時を伝える貴重な文化遺産といえます。

 創業は1688(元禄元)年。置屋「養花楼」として始まりました。1872(明治5)年からお茶屋を兼業。かつては芸妓等も抱えていましたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれています。明治初期まではここに住む太夫が揚屋まで行く道中が見られたはずです。

 現在の建物は江戸末期、安政4年に再建されたもので、1971(明治4)年にはほぼ現在の姿となったそうです。表に「観覧謝絶」の札(いわゆる「一見さんおことわり」)の札があります。京都市指定有形文化財の木造2階建て。

輪違屋
1857(安政4)年 / 1871(明治4)年改築
京都市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷中之町120-1
撮影 : 2014.9.30











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 極端に急な階段。太夫は重い着物でここを上り下りしたのでしょうか。
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 2階の「傘の間」の襖には実物の道中傘が貼りこんでありますが、撮影禁止です。↑は仕方なく入場券をスキャンしたものです。ちなみにの傘に「高」の文字が入っているのは、当主の姓が「高橋」だったということに由来するとか。
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 お庭がありますが、揚屋ではないので、坪庭といえる規模でした。
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 なぜかマリア像が彫り込まれたキリシタン灯篭がありました。
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by gipsypapa | 2015-04-03 08:23 | 建築 | Trackback | Comments(0)

京都島原の角屋(角屋もてなしの文化美術館)

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 角屋(すみや)は、島原花街で営業していた揚屋(あげや)です。ちなみに花街には置屋(おきや)と揚屋がありました。置屋は芸者や遊女を抱えている家で、料亭・待合・茶屋などの客の求めに応じて芸者や遊女を差し向けるところ。揚屋は江戸時代に、客が置屋から太夫、天神、花魁などの高級遊女を呼んで遊んだ店のことです。

 1872(明治5)年まで揚屋として営業した後、お茶屋に編入されたそうです。幕末には久坂玄瑞、西郷隆盛などの勤王の志士が密議や接待に使用されていました。また、新選組もここでの遊興を楽しんだとかで、特に芹沢鴨との関わり合いは深く、1863(文久3)年にここで暴挙をはたらき、その際に出来た刀傷が今でも残っています。芹沢が殺害される直前に酒宴を開いたのも角屋でした。

 お茶屋として1985(昭和60)年まで「松の間」を宴会に使用したのち、1989(平成元)年から、1日30人限定で内部を公開していましたが、1998(平成10)年には「角屋もてなしの文化美術館」が開館して、一般公開されています。

 建物は、通りに面する表棟と中庭を挟んで建つ奥棟からなり、両者は玄関部分で接続して1棟となっています。表棟は格子造り。内玄関を入った奥棟部分の1階には、通り土間、板の間、台所、帳場、茶室などがあります。各部屋は装飾や意匠に変化をつけ、数少ない揚屋建築の遺例として、文化的価値が高く評価されています。国の重要文化財の木造2階建て。

角屋(角屋もてなしの文化美術館)
江戸中期 / 1786(天明6)年増築
重要文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷揚屋町32
撮影 : 2014.9.30
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 奥棟に上り口にある芹沢鴨ら新撰組がつけた刀傷。
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 大きな台所。
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 揚屋から茶屋になったと書きましたが、その二つ違いは、大規模の宴席に対応できる台所があるかないか・・だそうです。揚屋では宴席に出す料理を台所で作っていました。かまども焚口が多いです。現代の「料亭」の元祖といえます。一方「茶屋」では料理は作らず、外注して取り寄せます。
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 幕末の絵師、岸連山作「金地桐に鳳凰」の襖絵。
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 引き出しのある階段。2階の「扇の間」がこの時限定で公開されていましたが、別料金がいるのと、撮影禁止とのことで、見ませんでした。
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 料亭みたいなものなので、こじんまりしてはいますが、美しいお庭がありました。
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 次は置屋に行きます。
by gipsypapa | 2015-04-02 09:21 | 建築 | Trackback | Comments(0)

京都の島原大門

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 「京の夏の旅 文化財特別公開」の最終日。一度行ってみたかった京都の花街、島原へ行きました。

 島原は1641(寛永18)年に六条三筋町から移されたわが国最初の公許の花街です。京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、嶋原、先斗町、および宮川町の6つの花街があり、これらを総称して京都の六花街と呼ぶことがあるそうで、嶋原は旧名です。

 街の周囲を塀と堀で囲み、大門を一か所に設ける当初の構成は、江戸の吉原がここに倣ったといわれ、遊里を隔離し、遊女を疎外するように作られていました。

 島原大門(しまばらおおもん)は、京都の花街である島原の東入口にあたる高麗門形式の大門で、1854年(嘉永7)年の大火で島原の東側は大半が類焼しており、このとき門も焼失したとか。大火後、門は再建されましたが、1867(慶応3)年に再び建て替えられたものです。

 1867年といえば、大政奉還の年。政争たけなわの京都でも、花街では門が建て替えられていたわけです。京都市の登録有形文化財。

島原大門
1867(慶応3)年
京都市登録有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区薬園町150
撮影 : 2014.9.30
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 前には「出口の柳」が植えられ「さらば垣」があり、今も当時の趣を伝えており島原の由緒を伝える地域の文化財として貴重です。
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 本柱上の屋根のほかに後方の控柱上にも小屋根を載せた、いわゆる高麗門という形式です。
by gipsypapa | 2015-04-01 09:17 | 建築 | Trackback | Comments(0)

同志社大学クラーク記念館

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 相国寺に行く途中、地下鉄の今出川駅で降り、そのまま地下から同志社のキャンパスを横切っていくことにしました。久しぶりの訪問です。

 同志社の今出川キャンパスは関西のレトロ建築好きなら一度は訪ねる文化財の宝庫で、数々の煉瓦造りの建築物が立ち並んでいます。

 このブログでもすでに、相国寺通りの西側では、彰栄館(明治27年)、礼拝堂(明治19年)、ハリス理化学館(明治23年)、ハリス理化学館(明治20年)、有終館(明治20年)、明徳館(昭和27年)の建築群。東側の同志社女子大学ではジェームズ館(大正3年)、栄光館(昭和7年)をあっぷして紹介しています。

 さらに別ブログの「ヴォーリズを訪ねて」の方では、致遠館(大正5年)、新島遺品庫(昭和17)年、啓明館(大正4)年、アーモスト館とその管理棟(昭和7年)を紹介していますが、唯一の撮り残しがありました。それがクラーク記念館でした。

 アメリカの資産家B.W.クラーク夫妻が、27歳でこの世を去った息子(バイロン・ストーン・クラーク)のためにとの寄付により建てられ、1894年に開館。当初は「クラーク神学館」として、神学教育と研究に利用されていましたが、現在の神学館の完成に伴い「クラーク記念館」と改名されました。キリスト教文化センター、教室のほか、クラーク・チャペルがあり、結婚式にも使えるようです。

 印象的な尖塔があるドイツのネオ・ゴシックを基調とする建築物で、同志社のランドマークです。2003年から2008年まで修復工事が行われました。前に2回訪ねたのはその期間中だったので建物全体がシートに覆われて撮影できなかったわけです。今回、相国寺に行く途中に立ち寄ってきました。うれしいことに内部も一部とはいえ一般公開されていました。

 設計者のリヒャルト・ゼール(Richard Seel 1854 - 1922)はドイツ人の建築家。ドイツのエンデ・ベックマン事務所が日本の官庁集中計画を受注したことから来日。ベックマン事務所のもとで東京裁判所、司法省の庁舎設計にかかわった後に日本で建築設計事務所を開設し、教会堂やミッションスクールの工事を主に手がけました。このブログでも函館旧ロシア領事館を紹介しています。国の重要文化財の煉瓦造り2階建て、塔屋付き。

同志社大学クラーク記念館
1894(明治27)年
重要文化財
設計 : リヒャルト・ゼール
施行 : 小島佐兵衛ほか
京都市上京区玄武町601
撮影 : 2014.9.24
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 玄関の欄間に"Byron-Stone Clarke Memorial Hall"と刻まれています。クラーク夫妻の夭折した息子を今も伝えているわけです。
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 2階です。扉が閉まっていますが、この中がチャペルで、回廊が吹き抜けの2階部分を取り囲んでいるのではないかと想像します。
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 ネット情報によると、昼休みにはチャペルが開放されているとありますが、この時は「チャペルは公開していません」の立札が立っていました。
by gipsypapa | 2015-03-29 09:03 | 建築 | Trackback(1) | Comments(0)

レストラン菊水

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 移動途中でお腹が空いてきました。7年前にアップしたことがあるレストラン菊水に入ってカレーライスを食べることにしました。7年前の記事を1部修正して再掲します。

 四条大橋の北東のたもと、南座の正面にアーチ状の塔屋がひときわ目立つビルがあります。アサヒスーパードライと京阪電車の看板。長い間京阪電車の駅舎かと思っていましたが、そうではなく地下が京阪電車の四条駅になっているためです。このビルは大正5年創業の祇園の老舗レストラン菊水で、京都の西欧料理の草分け的な店です。

 大正15(1926)年の建築。当時流行していたアールデコ、表現主義などの様式をとり入れ、装飾は簡素ですが、正面の放物線を描くアーチ状の塔屋と、縦長の窓のラインが印象的な建物です。国の登録有形文化財の鉄筋コンクリート造り5階建て、地下1階、塔屋付き。

レストラン菊水
1926(大正15)年
登録有形文化財
設計・施工 : 上田工務店
京都市東山区川端町187
撮影 : 2007.3.4 & 2014.9.24
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 1階のレストラン・パーラーです。
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 少なくとも1階は期待したほどのレトロ感はありませんでした。2階は本格的なレストランなのでどうかな?しかし、まず行くことはないでしょう。(笑)
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by gipsypapa | 2015-03-27 08:30 | 建築 | Trackback | Comments(4)

京都祇園の仲源寺

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 大雲寺から相国寺へ向かうため四条通を西に向かって歩きました。祇園の商店街の隙間のようなところに小さな寺院があります。

 仲源寺(ちゅうげんじ)は、京都市東山区にある浄土宗の寺院で、山号は寿福山といいます。本尊は地蔵菩薩で、目疾(めやみ)地蔵とも称されて眼病に霊験があるとして信仰されているそうです。洛陽三十三所観音霊場第十六番札所で、観音堂の千手観音菩薩は平安期の作で国の重要文化財です。

 平安時代中期の開山で、1585(天正13)年現在の寺地へ移されたとありますが、現在の社がいつ建てられたかはわかりませんでした。

仲源寺
詳細不明
京都市東山区祇園町南側585−1
撮影 : 2014.9.29
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by gipsypapa | 2015-03-26 12:52 | 建築 | Trackback | Comments(2)

京都祇園の中村楼

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 四条通から八坂神社の南側を歩いて大雲院を目指して歩いているときに見つけた料亭建築。調べると創業450年の歴史を持つ中村楼でした。

 ネット情報では室町末期に門前茶屋として創業。名物の田楽豆腐などを供すようになり、江戸末期から料理茶屋になり、明治維新の頃には屈指の京料理店として知られ、宮家、政財界、文人墨客などが集うようになったそうです。

 明治期の料亭建築の本館と総檜造りの貴賓館とを結ぶ、渡り廊下があるそうです。また尾形光琳の襖絵をはじめ、随所に配された著名な作家の書画からも、その歴史と格調の高さが窺えるとあります。二軒茶屋といわれる門前茶屋では抹茶、甘酒、おしるこ、軽食、茶屋ソフトクリームなどの甘味も楽しめるらしいので、庶民はこっちでしょう。木造2階建て。

中村楼
明治期
設計・施工 : 不明
京都市東山区祇園町南側509
撮影 : 2014,9.29
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 高級料亭なので、一生中に入ることはなさそうです。したがって例のごとく食べログにあった写真を借用します。↓
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 これらも食べログにある外観写真。↓ 玄関は八坂神社の鳥居をくぐった境内にあります。
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 さすがに京都にはまだまだ知らない歴史のある料亭が残っています。これが他の都市だったら、逆によく知られているはずです。
by gipsypapa | 2015-03-25 09:23 | 建築 | Trackback | Comments(2)

萬年山 相国寺

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 この日の「京の夏の旅」の文化財特別公開は地下鉄に乗ってもう一か所。臨済宗相国寺派大本山の相国寺(しょうこくじ)に行きました。

 創建は室町幕府3代将軍・足利義満の時代の明徳3年(1392年)という歴史のある禅寺です。足利将軍家、伏見宮家や桂宮家ゆかりお寺であり、初めて知りましたが、京都の観光名所として有名な鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)なのです。

 境内は京都御苑の真北に位置し、御所の今出川御門から同志社大学の間の道路を北上したところにあります。

 境内には方丈:文化4年(1807年)や庫裏 :文化4年(1807年)、鐘楼:天保14年(1843)など江戸末期の古い建物が立ち並んでいますが、お目当てはもっとも古い重要文化財の法堂(はっとう)です。

 慶長10年(1605年)に豊臣秀頼の寄進によって再建されたもので、日本にある法堂建築としては最古のものだとか。天井にある狩野光信の手による龍の絵見どころで、特定の場所で手を打つと反響するため、「鳴き龍」と呼ばれています。

萬年山 相国寺法堂
1605(慶長10)年、
重要文化財
設計・施工 : 不明
京都市上京区相国寺門前町701
撮影 : 2014,9.29
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 同志社の間の道を北に進むと、参道わきに庭があり、
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 山門があります。
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 さらに北上すると、これが重要文化財の法堂。
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 狩野光信の龍の天井絵も見ましたが、ここも例にもれず撮影禁止です。仕方なくもらったパンフレットの写真です。
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 北側に回廊で法堂とつながる方丈。
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 さらに北に位置する書院との間に美しい庭園があります。裏方丈庭園は江戸末期の作庭です。
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 菊の御紋がある引手。どの建物にあったか忘れましたが、御所から移築されたのでしょう。
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 庫裏(くり):文化4年(1807年)の築です。
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 鐘楼は1843(天保14)年の築。
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 基礎部分に特殊な工夫がなされているようです。
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 一角にある大通院は相国寺専門道場。「相見謝絶」という見慣れない看板があります。禅の修行道場のようです。
by gipsypapa | 2015-03-24 14:45 | 建築 | Trackback | Comments(4)

大雲院祇園閣

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 毎年催されている「京の夏の旅」という文化財特別公開。この年は7月12日から9月30日までの開催でした。京都の夏は暑いので、おいそれとは行く気にはなりませんが、この時しか見ることができないものなので、いくつか訪ねることにしました。

 まずは大雲院。1587(天正15)年の開山で、織田信長の子信忠の菩提を弔うための寺院です。何度か移転を繰り返した後、1972(昭和47)年に、ここ大倉喜八郎旧邸を買得して再移転したそうです。

 祇園閣は大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が別邸建設にあたり、伊東忠太に依頼して別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部で、展望台を兼ねた高閣を建てたもの。塔の上方に祇園祭の山鉾をかたどった塔が立つことから「祇園閣」いわれています。屋根が銅板葺きで、大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったためだそうです。

 国の登録有形文化財。下層と基礎部分は鉄筋コンクリート造り,中層以上は鉄骨鉄筋コンクリート造り、「総高約34mの3階建ての塔状建築。

大雲院祇園閣
旧大倉喜八郎別邸高楼
1927(昭和2)年
登録有形文化財
設計 : 伊東忠太
施工 : 大倉土木
京都市東山区祇園町南側594-1
撮影 : 2004.5.26&2014.9.29
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 入り口が分かりにくく、うろうろしました。入場はこの南門から。
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 狛犬。というか狛獅子も怪奇物好きらしい伊東忠太の作。
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 高楼内部は見ることはできますが、撮影禁止です。それだけではなく、最上階からの下界の展望も撮影禁止。当いうことで、以下2枚はネットにあった写真です。
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 ということで、内部写真は入場券の写真をスキャンしたものです。螺旋状の階段の両側には鮮やかな色彩の壁画がいっぱいでした。この壁画は敦煌壁画を模したもので、当初からではなく1988(昭和63)年に完成したもの。それにしても撮影禁止は残念。
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 東側にあるのが、総門。
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 本堂の屋根。1972(昭和47)年に移転したお寺なので、古い建造物は大倉邸ゆかりのものしかありません。
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 鐘楼。これも新しいのでしょうか。
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 近づくことはできませんでしたが、本堂から見えた和風建築は大雲院書院で、これも祇園閣と同時期に伊藤忠太の設計で建てられたものです。こちらも国の登録有形文化財の木造・鉄筋コンクリート造り、2階建て。

大雲院書院
旧大倉家京都別邸 
1927(昭和2)年
登録有形文化財
設計 : 伊東忠太
施工 : 大倉土木
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 裏の墓地には織田信長、信忠の碑と・・・
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 石川五右衛門の墓があります。これは処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、貞安が引導を渡した縁によるそうです。
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 10年前に境内の外から撮影した祇園閣。
by gipsypapa | 2015-03-23 09:42 | 建築 | Trackback | Comments(2)

キャピタル東洋亭本店

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 地下鉄北山駅の西、京都府立植物園の北側に歴史を感じさせる欧風のレストラン東洋亭があります。

 東洋亭は京都で有名な南欧料理の老舗。1897(明治30)年に河原町で創業し、今の北山に移ったのは1966(昭和41)年です。カフェスポットとしても有名で、南欧風の外観は町のシンボルとして親しまれているそうです。鉄筋コンクリート造り、3階建。

キャピタル東洋亭本店
1966(昭和41)年
設計・施工 : 不明
京都市北区上賀茂岩ケ垣内町28-3
撮影 : 2014.9.12
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 食べログにある店内写真をいくつか借用します。 ↓
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by gipsypapa | 2015-03-18 09:00 | 建築 | Trackback | Comments(2)