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梅小路蒸気機関車館 扇形車庫

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 玄関棟の旧二条駅舎を奥に進むと扇形車庫に出ます。上から見ると、その姿が扇を開いた形に見えるので扇形車庫といわれ、蒸気機関車の車庫となっています。内部は機関車駐留場や整備などを行う器械場や職場等に分かれて、20線の引き込み線があります。現在でも車庫内では蒸気機関車の保守や修繕などを行われています。

 また屋外には転車台(ターンテーブル)と放射状に伸びる引き込み線があります。蒸気機関車は車庫から引き込み線で転車台まで移動し、蒸気機関車の向きを変え、本線へと移動します。

 扇形庫には蒸気機関車18形式20両が収容・展示され、現在も車両基地としての機能を有していて、営業線とも接続されています。実際に観光のための「SLスチーム号」が運行されていて、多くの鉄道ファンに人気を呼んでいます。

 車庫は大正初期に建設された現存する最古の鉄筋コンクリート造りの扇形車庫。設計と建築を指揮したのは東京帝国大学建築科を卒業し、12年に鉄道院に就職したばかりの若き渡辺節。渡辺はここ梅小路機関車庫や京都駅を担当し後に退官、大阪に設計事務所を開いて、綿業会館、ダイビル本館、商船三井ビルディングなどの有名建築物手掛けました。国の重要文化財と近代化遺産に選ばれた鉄筋コンクリート造り、平屋建て。

梅小路蒸気機関車館 扇形車庫
1914(大正3)年
重要文化財、近代化遺産
設計 : 渡辺節(鉄道院西部鉄道管理局)
施工 : 大林組
京都市下京区観喜寺町56
撮影 : 2014.9.30
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 車庫に立つ煙突は蒸気機関車からでる煙を排出するためのものです。
by gipsypapa | 2015-04-08 09:52 | 建築 | Trackback(1) | Comments(4)

梅小路蒸気機関車館 資料展示館

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 島原からの帰りは歩いてJR京都駅に向かいました。途中に見たかった建物があるのです。

 この建物は1904(明治37)年に当時の私鉄、京都鉄道株式会社によって建設され、長くJR嵯峨野線(山陰線)の二条駅だったもので、1996(平成8)年に嵯峨野線が高架化された翌年現在地へ移築、復元されました。今は梅小路蒸気機関車館の玄関棟兼資料展示館になっています。

 明治期の和風駅舎建築として唯一の残存例であり、京都の近代化を象徴する建物です。全体的には屋根には懸魚(げぎょ)がつるされ、京都鉄道の社紋が入った鬼瓦があるなど、神社のような左右対称で和風を基調とした作りの駅舎ですが、内部には中央が丸みを帯びたギリシャ風の柱や洋風のガラス窓が使用され、明治らしい和洋折衷の建物です。設計は伊東忠太というのと清水組という両方ありますが決め手はないようです。京都市指定有形文化財の木造2階建て。

梅小路蒸気機関車館 資料展示館
旧JR二条駅舎
1904(明治37)年 / 1997(平成9)年移築
京都市指定有形文化財
設計 : 伊東忠太か清水組?
施工 : 清水組か
京都市下京区観喜寺町56
撮影 : 2014.9.30
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 ウィキペディアにある、当時の大阪朝日新聞の記事。
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 建築当時は京都鉄道の本社を兼ねていて、2階は事務所として使われたようです。
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 天皇陛下など皇室用の貴賓室にあった品物も展示されています。
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by gipsypapa | 2015-04-07 09:06 | 建築 | Trackback(1) | Comments(2)

京都の島原住吉神社

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 島原住吉神社(しまばらすみよしじんじゃ)は島原の鎮守社で、島原中堂寺町の住吉屋太兵衛宅に祀られていた住吉大明神が始まりだそうです。1732(享保17)年に大な境内を伴って社が建立されました。1999(平成11)年に社殿、拝殿が改修され、新たに社務所も建設されたそうです。

島原住吉神社
1732(享保17)年 / 1999(平成11)年改修
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷下之町1−6
撮影 : 2014.9.30
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 摂社の幸天満宮(さいわいてんまんぐう)です。かつては揚屋町の会所にあったのですが、1734(享保19)年に住吉神社に遷座したとあります。
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by gipsypapa | 2015-04-06 10:04 | 建築 | Trackback | Comments(2)

京都島原のカフェ「きんせ旅館」

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 京都の島原にはいくつか古い町屋が残っています。『きんせ旅館』は推定築後250年といわれる建物です。元と角屋と同じような揚屋として建てられたものですが、後には旅館として営業していたそうです。現在 は『きんせ旅館』という名前をそのまま引き継いで、カフェ兼地域の文化交流サロンとして営業しています。

 旅館時代に改装されたと思われるレトロで華麗なステンドグラスやタイル、当時の家具などが残されています。木造2階建て。

カフェ「きんせ旅館」
江戸中期
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷太夫町79
撮影 : 2014.9.30
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 2階が総ガラスの引き戸になっています。これは旅館時代に改装したと思われます。
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 屋根の軒先に鐘馗様?

 華麗な内部写真を食べログから借用します。↓
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 旅館時代にダンスホールとして使った部屋です。
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 食べログにはステンドグラスの写真がありますが、タイルはありません。フォートラベル「タイルの宝庫!きんせ旅館」に美しい写真がありますので、どうぞ。

 そのほかにもいくつか古い町屋建築があります。↓
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by gipsypapa | 2015-04-05 08:58 | 建築 | Trackback | Comments(0)

京都島原の輪違屋

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c0112559_865837.jpg こちらは揚屋です。輪違屋(わちがいや)は、現在も営業されている花街島原の置屋兼お茶屋で、当時を伝える貴重な文化遺産といえます。

 創業は1688(元禄元)年。置屋「養花楼」として始まりました。1872(明治5)年からお茶屋を兼業。かつては芸妓等も抱えていましたが、現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれています。明治初期まではここに住む太夫が揚屋まで行く道中が見られたはずです。

 現在の建物は江戸末期、安政4年に再建されたもので、1971(明治4)年にはほぼ現在の姿となったそうです。表に「観覧謝絶」の札(いわゆる「一見さんおことわり」)の札があります。京都市指定有形文化財の木造2階建て。

輪違屋
1857(安政4)年 / 1871(明治4)年改築
京都市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷中之町120-1
撮影 : 2014.9.30











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 極端に急な階段。太夫は重い着物でここを上り下りしたのでしょうか。
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 2階の「傘の間」の襖には実物の道中傘が貼りこんでありますが、撮影禁止です。↑は仕方なく入場券をスキャンしたものです。ちなみにの傘に「高」の文字が入っているのは、当主の姓が「高橋」だったということに由来するとか。
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 お庭がありますが、揚屋ではないので、坪庭といえる規模でした。
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 なぜかマリア像が彫り込まれたキリシタン灯篭がありました。
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by gipsypapa | 2015-04-03 08:23 | 建築 | Trackback | Comments(0)

京都島原の角屋(角屋もてなしの文化美術館)

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 角屋(すみや)は、島原花街で営業していた揚屋(あげや)です。ちなみに花街には置屋(おきや)と揚屋がありました。置屋は芸者や遊女を抱えている家で、料亭・待合・茶屋などの客の求めに応じて芸者や遊女を差し向けるところ。揚屋は江戸時代に、客が置屋から太夫、天神、花魁などの高級遊女を呼んで遊んだ店のことです。

 1872(明治5)年まで揚屋として営業した後、お茶屋に編入されたそうです。幕末には久坂玄瑞、西郷隆盛などの勤王の志士が密議や接待に使用されていました。また、新選組もここでの遊興を楽しんだとかで、特に芹沢鴨との関わり合いは深く、1863(文久3)年にここで暴挙をはたらき、その際に出来た刀傷が今でも残っています。芹沢が殺害される直前に酒宴を開いたのも角屋でした。

 お茶屋として1985(昭和60)年まで「松の間」を宴会に使用したのち、1989(平成元)年から、1日30人限定で内部を公開していましたが、1998(平成10)年には「角屋もてなしの文化美術館」が開館して、一般公開されています。

 建物は、通りに面する表棟と中庭を挟んで建つ奥棟からなり、両者は玄関部分で接続して1棟となっています。表棟は格子造り。内玄関を入った奥棟部分の1階には、通り土間、板の間、台所、帳場、茶室などがあります。各部屋は装飾や意匠に変化をつけ、数少ない揚屋建築の遺例として、文化的価値が高く評価されています。国の重要文化財の木造2階建て。

角屋(角屋もてなしの文化美術館)
江戸中期 / 1786(天明6)年増築
重要文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区西新屋敷揚屋町32
撮影 : 2014.9.30
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 奥棟に上り口にある芹沢鴨ら新撰組がつけた刀傷。
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 大きな台所。
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 揚屋から茶屋になったと書きましたが、その二つ違いは、大規模の宴席に対応できる台所があるかないか・・だそうです。揚屋では宴席に出す料理を台所で作っていました。かまども焚口が多いです。現代の「料亭」の元祖といえます。一方「茶屋」では料理は作らず、外注して取り寄せます。
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 幕末の絵師、岸連山作「金地桐に鳳凰」の襖絵。
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 引き出しのある階段。2階の「扇の間」がこの時限定で公開されていましたが、別料金がいるのと、撮影禁止とのことで、見ませんでした。
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 料亭みたいなものなので、こじんまりしてはいますが、美しいお庭がありました。
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 次は置屋に行きます。
by gipsypapa | 2015-04-02 09:21 | 建築 | Trackback | Comments(0)

京都の島原大門

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 「京の夏の旅 文化財特別公開」の最終日。一度行ってみたかった京都の花街、島原へ行きました。

 島原は1641(寛永18)年に六条三筋町から移されたわが国最初の公許の花街です。京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、嶋原、先斗町、および宮川町の6つの花街があり、これらを総称して京都の六花街と呼ぶことがあるそうで、嶋原は旧名です。

 街の周囲を塀と堀で囲み、大門を一か所に設ける当初の構成は、江戸の吉原がここに倣ったといわれ、遊里を隔離し、遊女を疎外するように作られていました。

 島原大門(しまばらおおもん)は、京都の花街である島原の東入口にあたる高麗門形式の大門で、1854年(嘉永7)年の大火で島原の東側は大半が類焼しており、このとき門も焼失したとか。大火後、門は再建されましたが、1867(慶応3)年に再び建て替えられたものです。

 1867年といえば、大政奉還の年。政争たけなわの京都でも、花街では門が建て替えられていたわけです。京都市の登録有形文化財。

島原大門
1867(慶応3)年
京都市登録有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市下京区薬園町150
撮影 : 2014.9.30
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 前には「出口の柳」が植えられ「さらば垣」があり、今も当時の趣を伝えており島原の由緒を伝える地域の文化財として貴重です。
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 本柱上の屋根のほかに後方の控柱上にも小屋根を載せた、いわゆる高麗門という形式です。
by gipsypapa | 2015-04-01 09:17 | 建築 | Trackback | Comments(0)

同志社大学クラーク記念館

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 相国寺に行く途中、地下鉄の今出川駅で降り、そのまま地下から同志社のキャンパスを横切っていくことにしました。久しぶりの訪問です。

 同志社の今出川キャンパスは関西のレトロ建築好きなら一度は訪ねる文化財の宝庫で、数々の煉瓦造りの建築物が立ち並んでいます。

 このブログでもすでに、相国寺通りの西側では、彰栄館(明治27年)、礼拝堂(明治19年)、ハリス理化学館(明治23年)、ハリス理化学館(明治20年)、有終館(明治20年)、明徳館(昭和27年)の建築群。東側の同志社女子大学ではジェームズ館(大正3年)、栄光館(昭和7年)をあっぷして紹介しています。

 さらに別ブログの「ヴォーリズを訪ねて」の方では、致遠館(大正5年)、新島遺品庫(昭和17)年、啓明館(大正4)年、アーモスト館とその管理棟(昭和7年)を紹介していますが、唯一の撮り残しがありました。それがクラーク記念館でした。

 アメリカの資産家B.W.クラーク夫妻が、27歳でこの世を去った息子(バイロン・ストーン・クラーク)のためにとの寄付により建てられ、1894年に開館。当初は「クラーク神学館」として、神学教育と研究に利用されていましたが、現在の神学館の完成に伴い「クラーク記念館」と改名されました。キリスト教文化センター、教室のほか、クラーク・チャペルがあり、結婚式にも使えるようです。

 印象的な尖塔があるドイツのネオ・ゴシックを基調とする建築物で、同志社のランドマークです。2003年から2008年まで修復工事が行われました。前に2回訪ねたのはその期間中だったので建物全体がシートに覆われて撮影できなかったわけです。今回、相国寺に行く途中に立ち寄ってきました。うれしいことに内部も一部とはいえ一般公開されていました。

 設計者のリヒャルト・ゼール(Richard Seel 1854 - 1922)はドイツ人の建築家。ドイツのエンデ・ベックマン事務所が日本の官庁集中計画を受注したことから来日。ベックマン事務所のもとで東京裁判所、司法省の庁舎設計にかかわった後に日本で建築設計事務所を開設し、教会堂やミッションスクールの工事を主に手がけました。このブログでも函館旧ロシア領事館を紹介しています。国の重要文化財の煉瓦造り2階建て、塔屋付き。

同志社大学クラーク記念館
1894(明治27)年
重要文化財
設計 : リヒャルト・ゼール
施行 : 小島佐兵衛ほか
京都市上京区玄武町601
撮影 : 2014.9.24
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 玄関の欄間に"Byron-Stone Clarke Memorial Hall"と刻まれています。クラーク夫妻の夭折した息子を今も伝えているわけです。
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 2階です。扉が閉まっていますが、この中がチャペルで、回廊が吹き抜けの2階部分を取り囲んでいるのではないかと想像します。
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 ネット情報によると、昼休みにはチャペルが開放されているとありますが、この時は「チャペルは公開していません」の立札が立っていました。
by gipsypapa | 2015-03-29 09:03 | 建築 | Trackback(1) | Comments(0)

レストラン菊水

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 移動途中でお腹が空いてきました。7年前にアップしたことがあるレストラン菊水に入ってカレーライスを食べることにしました。7年前の記事を1部修正して再掲します。

 四条大橋の北東のたもと、南座の正面にアーチ状の塔屋がひときわ目立つビルがあります。アサヒスーパードライと京阪電車の看板。長い間京阪電車の駅舎かと思っていましたが、そうではなく地下が京阪電車の四条駅になっているためです。このビルは大正5年創業の祇園の老舗レストラン菊水で、京都の西欧料理の草分け的な店です。

 大正15(1926)年の建築。当時流行していたアールデコ、表現主義などの様式をとり入れ、装飾は簡素ですが、正面の放物線を描くアーチ状の塔屋と、縦長の窓のラインが印象的な建物です。国の登録有形文化財の鉄筋コンクリート造り5階建て、地下1階、塔屋付き。

レストラン菊水
1926(大正15)年
登録有形文化財
設計・施工 : 上田工務店
京都市東山区川端町187
撮影 : 2007.3.4 & 2014.9.24
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 1階のレストラン・パーラーです。
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 少なくとも1階は期待したほどのレトロ感はありませんでした。2階は本格的なレストランなのでどうかな?しかし、まず行くことはないでしょう。(笑)
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by gipsypapa | 2015-03-27 08:30 | 建築 | Trackback | Comments(4)

京都祇園の仲源寺

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 大雲寺から相国寺へ向かうため四条通を西に向かって歩きました。祇園の商店街の隙間のようなところに小さな寺院があります。

 仲源寺(ちゅうげんじ)は、京都市東山区にある浄土宗の寺院で、山号は寿福山といいます。本尊は地蔵菩薩で、目疾(めやみ)地蔵とも称されて眼病に霊験があるとして信仰されているそうです。洛陽三十三所観音霊場第十六番札所で、観音堂の千手観音菩薩は平安期の作で国の重要文化財です。

 平安時代中期の開山で、1585(天正13)年現在の寺地へ移されたとありますが、現在の社がいつ建てられたかはわかりませんでした。

仲源寺
詳細不明
京都市東山区祇園町南側585−1
撮影 : 2014.9.29
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by gipsypapa | 2015-03-26 12:52 | 建築 | Trackback | Comments(2)