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金刀比羅宮宝物館

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 金刀比羅宮に上って行く途中にある宝物館。帝冠様式風の外観で入母屋造り,本瓦葺の屋根や唐破風造の玄関のある和風建築を石組で建て、窓などは洋風の意匠を採用しています。明治期に日本人建築家が,伝統的な建築に本格的な洋風の意匠を持ち込んだ初期の事例として言われています。

 設計は山口半六が文部省営繕を辞した後の2代目指導者だった久留 正道(くる・まさみち 1855-1914)。明治後期から学校建築を数多く手がけ、このブログでも第四高等学校物理化学教室大阪市立愛珠幼稚園国際子ども図書館京都大学学生部留学課留学生センター京都大学本部構内正門を紹介しています。国の登録有形文化財の石造り2階建て。

金刀比羅宮宝物館
1905(明治38)年
登録有形文化財
設計 : 久留正道
施工 : 不明
仲多度郡琴平町1083
撮影 : 2012.2.27
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by gipsypapa | 2013-04-06 15:42 | 建築 | Trackback(1) | Comments(4)

博物館明治村 第四高等学校物理化学教室

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 明治19年(1886)に「中学校令」が公布され、東京大学予備門が第一高等中学校に、大阪の大学分校が第三高等中学校に改組された。引き続き、翌年には仙台に第二、金沢に第四、熊本に第五高等中学校が設置され、明治27年(1894)の「高等学校令」により、いずれも高等学校に改称・改組された。

 この物理化学教室は高等中学校時代の明治23年(1890)に創建され、以後、第四高等学校、金沢大学へと引き継がれてきた建物である。

 近代化を推し進めようとする明治政府にとって自然科学教育は重要な課題で、明治5年(1872)公布された学制の「小学規則」の中にも窮理学(物理)、科学、博物、生理、の四科目があげられており、初等教育の段階から重きを置かれていた。中等・高等教育においても、実験まで含めた自然科学教育が実施され、ここに見るような物理化学教室が建設された。
 もとはH型の大規模な建物であったが、明治村では中央部分だけを移築・保存している。木造桟瓦葺平家建であるが、階段教室の部分だけ一廻り大きくなっている。外壁は南京下見(なんきんしたみ)と呼ばれる洋風の張り方で、竪長の窓には下に上ゲ下ゲ窓、欄間(らんま)に回転窓が入れられている。又、軒裏には小さな換気口が数多くあけられ、実験室のドラフト・チャンバーとともに室内換気に効果をあげている。

 棟札によれば、この建物の工事監督は文部省技師山口半六、設計者は同じく文部省技師の久留正道である。この二人はともに明治期の学校建築の功労者であるが、特に久留正道、西洋建築の理論や技術の研究を行い、「学校建築設計大要」等を著している。この階段教室も、そういった理論の裏付けのもとに、段の勾配、天井の高さ、窓の位置・大きさ等が設計されている。


第四高等学校物理化学教室
1800(明治23)年
登録有形文化財
設計 : 久留正道
施工 : 山口半六(工事監督)
旧所在地 : 石川県金沢市仙石町
犬山市内山2-15博物館明治村内
撮影 : 2011.9.22
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 谷口吉郎・土川元夫レリーフ (製作:菊池一雄)
 明治村は、四高時代同級生であった東京工業大学教授で建築家の谷口吉郎と名古屋鉄道株式会社会長の土川元夫の発想と決意によって誕生した。 
 土川元夫 1903-1974
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 谷口吉郎 1904―1979
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by gipsypapa | 2012-09-23 10:42 | 建築 | Trackback | Comments(2)

大阪市立愛珠幼稚園

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 淀屋橋の南、レトロな建物が多く残る北浜、高麗橋に近い一角にある緒方洪庵の適塾と同じブロックに純和風の大規模で見事な建物があります。

 一見して寺院か武家屋敷のようですが、明治34年に大阪市の幼稚園として建てられた愛珠(あいしゅ)幼稚園。北船場の豪商たちの寄付で建てられたもので、今も現役なのが凄い。保母の伏見柳の原案を基に、大阪府技手・中村竹松と文部省営繕技手の久留正道が設計を担当。この時代に女性が建築を担当したということも驚きです。c0112559_1436661.jpg

 敷地のまわりは高塀で囲まれ、南正面に本柱(角材)の間に2枚の扉を入れた門があり、その向こうに入母屋大屋根の管理棟。その北側にはさらに大きな、2階建てにも見える大入母屋屋根の遊戯室があります。遊戯室の南・北・西の三面を1925(大正14)年に増設された庇のある廊下が取り巻いています。国の重要文化財の木造平屋建て。

大阪市立愛珠幼稚園
1901(明治34)年/1925(大正14)年増設
重要文化財
設計 : 伏見柳(保母)+中村竹松+久留正道
施工 : 大阪土木
大阪市中央区今橋3-1-11
撮影 : 2006.5.28 & 2007.1.14
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 南側にある正門。どう見ても武家屋敷のようです。
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 西側には遊戯室の切妻を見せ、塀の向こうは長大な廊下が延々と続きます。
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by gipsypapa | 2011-01-20 14:40 | 建築 | Trackback(1) | Comments(6)

国際子ども図書館

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 上野公園内にある国際子ども図書館は旧帝国図書館として1906(明治39)年に建てられました。その後、1929年(昭和4年)に増築され、現在の規模となりました。 1949年(昭和24年)から1998年(平成10年)まで国立国会図書館支部上野図書館として利用されましたが、 改修工事を行い、2000年(平成12年)5月5日から国立国会図書館国際子ども図書館になりました。
 ルネサンス様式の代表的な明治期洋風建築として東京都選定歴史的建造物に指定されています。鉄骨補強煉瓦造、一部鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階。

国際子ども図書館
旧帝国図書館 1906年(明治39年)、1929(昭和4)年増築、1998(平成10)年改修
東京都選定歴史的建造物
設計 : 久留正道、真水英夫、岡田時太郎
施工 : 直営
東京都台東区上野公園12-49
撮影 : 2007.5.1
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 入館は無料です。
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 改修されていますが、階段や廊下の様子はほとんど昔のままの意匠です。
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 図書閲覧室は2階の左右にあり、正面向かって右が外国の書籍、左が日本の書籍が集められています。私達は外国の書籍のほうへ。さすがにコレクションは充実していて、珍しい海外の絵本や童話本などが一杯。
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 1998(平成10)年の改修は安藤忠雄が設計し、2つのガラスボックスが既存の建物を貫くイメージで増築されました。この改修によって、ガラスの箱の玄関になりイメージが一新していますが、これを好ましいと思うかどうかは個人差がありそうです。
by gipsypapa | 2007-06-07 14:10 | 建築 | Trackback | Comments(0)