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祥雲山 慶瑞寺(慶瑞禅寺)

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 住宅地の細い路地の奥にあるひっそりとしたお寺。ネット情報では、持統天皇8年(694)、宇治橋架橋などで知られる僧道昭が創建し、法相宗に属して景瑞寺と呼ばれていたと伝えられていて、江戸時代初期には、景瑞庵と呼ばれ荒廃していましたが、寛文元年(1661)頃、普門寺の龍溪が再興したとありました。

 今の本堂や鐘楼は古そうに見えますが、これらが江戸初期の築かどうかはわかりませんでした。

祥雲山 慶瑞寺(慶瑞禅寺)
詳細不明
高槻市昭和台町2-25-12
撮影 : 2014.12.25
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 鐘楼。
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 鐘楼の額は東郷平八郎の書だとか。
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 本堂。
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 聖歯塔(せいしとう)。
「後水尾法皇の崇敬篤く、寛文5年皇子の隠仁親王が亡くなると、その歯を、同7年には仏舎利3個と法皇の歯1個を収めた舎利塔を賜り、石塔に収めた。」と書いてありました。
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by gipsypapa | 2015-06-30 09:28 | 建築 | Trackback | Comments(6)

補陀洛山 総持寺

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 しばらく寺社建築をやります。まずは近所の散歩コースから。総持寺(そうじじ)は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院です。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所です。

 寺伝では元慶3年(879年)頃、藤原山蔭が創建し、山蔭の三回忌の寛平2年(890年)に伽藍が完成したとあるそうで、歴史のあるお寺です。現在の本堂は江戸初期の建立ですが、山門などの他の建造物のデータは見当たらず、おおむね最近に再建されたものと思います。

補陀洛山 総持寺本堂
1603(慶長8)年
設計・施工 : 不明
茨木市総持寺1-6-1
撮影 : 2014.12.25
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by gipsypapa | 2015-06-29 10:37 | 建築 | Trackback | Comments(2)

玉藻公園 披雲閣

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 玉藻公園を訪ねた目的はこの披雲閣(ひうんかく)です。高松城だったこの場所には、江戸時代には政務を行い、かつ藩主が生活する場所として「披雲閣」という名前の御殿がありました。

 現在の披雲閣は、明治維新後に老朽化のため取り壊された旧披雲閣を高松松平家の12代当主賴寿伯爵が3年余りの歳月をかけて完成したものです。

 大規模な和風住宅建築で、江戸時代の御殿を意識した伝統的な配置や意匠を採用した近世以来の正統的書院造りで、伝統技術と洋風技術が見事に融合された構造となっています。

 敷地の中央に本館があり桜御門を正門とし、海に面した北側に庭園が広がっています。本館は、接客、居住、家政などの機能をもつ多くの部屋が廊下でつながっています。中でも142畳敷の「大書院」からが見どころで、そのほかに複数の小座敷が配置されていました。

 江戸期の建築様式を踏襲しながら、清水組の近代的な組織体制により設計と施工の管理が徹底された住宅建築であり、大正時代におけるわが国の大規模和風住宅の技術的水準を示すものとして貴重であることから、国の重要文化財に指定された木造平屋、一部2階建て。

玉藻公園 披雲閣
旧松平家高松別邸
1917(大正6)年
重要文化財
設計・施工 : 清水組
高松市玉藻町2-1
撮影 : 2014.11.27
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 三の丸の南面に開く桜御門を正門として敷地の中央に本館があります。
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 脇門をくぐって・・
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 美しい日本庭園。
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 裏側に出ると2階建ての棟があります。
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 1階に大書院があります。
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 中には入れませんでしたが、ガラス戸なのでガラス越しに見えます。
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by gipsypapa | 2015-06-24 08:32 | 建築 | Trackback | Comments(2)

玉藻公園 高松城旧東之丸艮櫓

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 高松駅の近くに玉藻公園(たまもこうえん)があります。高松藩主、生駒・松平家の居城だった高松城跡を整備した公園で、国の指定史跡。園内には枯山水庭園などがあります。

 高松城は瀬戸内海の海水を堀に引き込んでいて、日本三大水城として知られ、園内には本末などはありませんが、重要文化財に指定されている艮櫓、月見櫓、水手御門、渡櫓が残っています。

 今回見たのは艮櫓(うしとらやぐら)。延宝5年(1677)に東ノ丸の北東隅に建築された建物です。櫓が所在する場所が高松城の丑寅(うしとら)だったために、こう呼ばれました。三重三階の総塗籠で、初重には二重の屋根を貫く千鳥破風が見られ、城外側の隅には袴型の石落としが設けられています。国の重要文化財。

玉藻公園
高松城旧東之丸艮櫓(うしとらやぐら)
1677(延宝5)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
高松市玉藻町2-1
撮影 : 2014.11.27
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 手前に見える線路は琴平電鉄です。
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by gipsypapa | 2015-06-23 11:05 | 建築 | Trackback | Comments(2)

華下天満宮

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 中部地方のGitano Familyライブが終わり、姫路で一回やってから、海を渡って最後の会場になった高松市へ来ました。

 華下天満宮(はなしたてんまんぐう)は市中心部の片原町商店街の真ん中にあります。商店街から社殿へ至る参道は小路になっていて、居酒屋や飲食店などが軒を連ねていました。

 高松市内で最も古い神社でもとは現在の玉藻公園にあったのが、江戸初期の高松城築城時に現在地に遷座しました。神社としては珍しく社殿が北向きですが、これは高松城の方向を向いているためだそうです。

 ネット情報では「1945年(昭和20年)7月4日の米軍による無差別絨毯爆撃「高松空襲」によって当社の社殿など建築物は一切が失われ、戦後まもなく社地の敷地内を闇市のバラックが占めるようになり、それがそのまま酒場や飲食店に変わったため、戦前の社地はほとんどが失われた。」とあります。昭和20年代の創建でしょうか。

華下天満宮
詳細不明
高松市百間町3-8
撮影 : 2014.11.27
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 前日に海辺のレストラン・ミケイラでのライブシーンを少し。↓
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by gipsypapa | 2015-06-22 08:58 | 建築 | Trackback | Comments(2)

六華苑の土蔵

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 Gitano Family のライブツアーは関東が終わり、中部地方に移動しました。名古屋、四日市と桑名の3会場です。桑名のライブ会場は恒例となった六華苑のレストラン Roccaです。

 六華苑は地元の有力者だった二代目諸戸清六の住居だったところで、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計の洋館と棟梁・伊藤末次郎が建てた和館かあり、これらはすでに六華苑としてアップしています。

 隣には諸戸氏庭園があり、鈴木禎次が設計した洋室や美しい庭でこちらも観光名所です。こちらは西室戸といわれ、コンドルの方は東室戸だそうです。

 今回初めてこの周辺を一周してみました。六華苑の裏側に、いかにも古そうな土蔵が2棟並び立っているのを発見。洋館や和館と同じ大正初期のものと思われますが、詳細は不明です。

六華苑の土蔵
大正初期か
設計・施工 : 不明
三重県桑名市桑名鷹場663-5
撮影 : 2014.11.24
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 白壁に黒塗りの跡が残っているのは、戦時中の名残かもしれません。
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 土蔵の向うを左折すると諸戸氏庭園に出ます。
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 こちらの蔵は煉瓦造り。
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 一周りして再び六華苑へ。コンドル設計の洋館は観光客が多いです。
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 一角にあるレストラン Rocca がライブ会場です。
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 昼の部と夜の部の2回あるので、終わったころは真っ暗になりました。
by gipsypapa | 2015-06-19 09:58 | 建築 | Trackback | Comments(4)

桑名の料亭とレストラン

 江戸時代から「その手は桑名の焼きはまぐり」といわれるほど蛤が名物の桑名市。町の規模の割には飲食店が多いと感じました。さらにいずれも高級な店ばかり。街歩きの途中に目を引いたいくつかの店を紹介します。
撮影 : 2014.11.24

歌行灯本店
桑名市江戸町10
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 歌行灯本店はうどんと日本料理と蛤料理のお店です。歌行灯は泉鏡花の小説の題名からとっています。これはこの後の船津屋で出てきます。
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 食べログに内部写真がありましたので借用します。
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割烹日の出
桑名市川口町19
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 蛤鍋が有名な、割烹・季節料理のお店、割烹日の出です。
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 食べログの写真です。↓
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 これが名物の蛤鍋のようです。
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料理旅館山月
桑名市船馬町32
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 旧東海道「七里の渡」船着場には江戸時代の本陣と脇本陣がありました。山月は脇本陣駿河屋だったもので、創業明治38年の老舗料理旅館です。ここも蛤料理と懐石料理で、少人数なら宿泊でき、宴会なら100名規模までできるとか。
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 大きな店みたいですが、HPや食べログの写真情報が見つかりませんでした。

ザ フナツヤ(船津屋)
桑名市船馬町30
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 その隣が本陣だった船津屋。明治8年創業の老舗料理旅館で桑名ではよく知られています。1990年代まで旅館として、その後は料亭営業していました。現在はリニューアルして和を生かしたモダンなレストランと結婚式場なっています。
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 泉鏡花がこの宿で執筆した小説「歌行燈(うたあんどん)」の舞台になっています。
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 その歌行燈句碑が塀に掲げてありました。
 以下も食べログから。↓
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れすとらん あずまや
桑名市川口町10
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 七里の渡の近くにある桑名では数少ない洋食店。とはいえ、ここも蛤を洋風焼き蛤やグラタン、チャウダー、フライなど、洋食のレシピでアレンジしているそうです。ネット情報では全5品をコース仕立てにした「蛤セット」がおすすめだとか。さすが桑名!
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 ハマグリ・・・ハマグリ・・・

柿安料亭本店
桑名市江戸町36
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 創業明治4年の柿安料亭本店。こちらは牛料理の店です。やっと普通のお店が・・・(笑)
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 以下は食べログから。
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タイル張りの民家
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 おまけです。「あずまや」の隣に陸屋根の変わった建物があります。白いタイル張りの洋風建築なのに、玄関回りは和風です。
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by gipsypapa | 2015-06-18 10:01 | | Trackback | Comments(2)

桑名の街歩き(その1)

 桑名は揖斐川の西岸にあり、江戸時代には桑名藩11万石の城下町で、東海道五十三次で知られる東海道42番目の宿駅・桑名宿として栄えました。桑名城跡は九華公園として整備されています。

 揖斐川(いびがわ)に面する川口樋門から南大手橋に至る三之丸掘の石垣約500mが現存する城壁です。この日は堀に沿って南から北へ歩きました。
撮影 : 2014.11.24

北大手橋
三重県桑名市三之丸
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 堀にはいくつかの橋が架かっています。まず北大手橋です。
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 堀は船寄場になっています。ここから堀を北上すると揖斐川に出るので、ひいては海に通じているわけです。

多聞橋
三重県桑名市三之丸
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 意匠を凝らした橋です。
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 この袂も船寄場です。
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七里の渡跡
桑名市東船馬町
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 七里の渡し(しちりのわたし)は東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海上の渡しで、東海道における唯一の海上路でした。
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 七里の渡しの名称は、移動距離が7里であったことに由来します。渡し船によって移動し、所要時間は約4時間だったそうです。
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 ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。
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蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)
桑名市川口町
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 七里の渡に面して建てられた河口のまち桑名を象徴する蟠龍櫓。かつては東海道を行き交う人々が必ず目にした桑名のシンボルを忠実に復元しましたものです。「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことだそうです。龍は水を司る聖獣で、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられています。
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 徳川家康の重鎮、本田忠勝。武勇をはせた武将ですが、桑名10万石の城主になったのですね。
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 揖斐川が眼下に見えます。
by gipsypapa | 2015-06-17 10:00 | | Trackback | Comments(2)

桑名の春日神社

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 石取会館に展示されているのは石取祭の祭車だったわけですが、その祭りが催されるのが春日神社です。桑名神社と中臣神社の両社を合わせて桑名宗社といい、奈良から春日大明神を勧請して合祀したため、「春日さん」の名で親しまれ、通称が春日神社となったそうです。

 文化4年(1807)建立の拝殿、天保4年(1833)建立の堂々たる楼門などがありましたが、戦災で焼失したため、拝殿は1954(昭和29)年、楼門は1995(平成7)年に再建されたものです。

桑名宗社(春日神社)拝殿
1954(昭和29)年
設計・施工 : 不明
桑名市京町46
撮影 : 2014.11.24
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 この立派な楼門は平成7年に再建されました。
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 拝殿です。
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by gipsypapa | 2015-06-15 08:51 | 建築 | Trackback | Comments(2)

桑名市石取会館

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 Gitano Family のツアーは関東が終わり、中部地方に移動しました。名古屋、四日市と桑名の3会場です。桑名のライブ会場へは駅から徒歩で向かい、ゆっくり途中の町並みを見ながら行きました。

 東海道筋に位置し、桑名の経済の中心地の京町にある石取会館は、大正末期に建てられた四日市銀行桑名支店だった建物です。その後、信用組合桑名金庫庫の本店、ついで京町支店を経て、1991(平成3)年に土地と建物が桑名市に寄贈され、桑名市石取会館として石取祭を紹介している施設になっています。

 当時の銀行建築の様式を色濃く残すデザインで、古典様式が簡略化され、角を円形にした印象的なアールデコ風の外観です。大きな柱の柱頭は装飾がなく、柱と柱の間には縦長長方形の上げ下げ窓が整然と並んでいます。窓の上部には歯飾りがある、陰影の深い意匠となっています。国の登録有形文化財の鉄筋コンクリート造2階建て。

桑名市石取会館
旧四日市銀行桑名支店
1925(大正14)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
桑名市京町16
撮影 : 2014.11.24
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 中には入りませんでしたが、銀行なので2階建てとはいえ、吹き抜けに回廊が取り巻く構造になっていたと想像します。
by gipsypapa | 2015-06-12 08:56 | 建築 | Trackback | Comments(2)