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三津の旧石川医院

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 モルタル仕上げの外観の中央にハーフティンバー風のペディメントのある洋風建築。腰の部分は濃いブルーとその上部に褐色を用いたツートンカラーのタイル貼り。玄関を中央ではなく左に配し、非対象にしてアクセントとしています。現在は個人の住宅のようですが、元は医院だった建物です。木造2階建て。

旧石川医院
昭和初期
設計・施工 : 不明
松山市三津2
撮影 : 2012.10.20
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by gipsypapa | 2013-07-31 13:06 | 建築 | Trackback | Comments(2)

三津の塩元賣捌所倉庫

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 木村邸の傍に土蔵があります。漆喰塗りの伝統的な土蔵で、かけられている古い看板には「塩元賣捌所 愛媛塩元賣捌株式會社本店倉庫」と書いてあります。

 聞き慣れない名称ですが、「しおもとうりさばきしょ」と読むようで、塩の売りさばきをする場所。特に官公庁などの払下げ品や特定の品の販売をする指定をうけた店だそうです。なお明治から昭和初期にかけて、塩のほかに煙草や印紙の元売捌所が各地にあったとか。土蔵造り2階建て。

塩元賣捌所倉庫
昭和初期
設計・施工 : 不明
松山市三津1-9-23
撮影 : 2012.10.20
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by gipsypapa | 2013-07-30 12:54 | 建築 | Trackback | Comments(0)

三津のカフェ木村屋

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 カフェ木村屋のホームページから。
 明治14年建築。隣家同じく廻船問屋であった藤内家が建てた商家を、木村家が購入。木村家は三津浜で10代にわたり廻船問屋を営む商家で、前の当主であった木村又三郎は町会議員や、三津浜銀行創立者としても活躍した。

 現在はボランティアによって管理され、毎週土曜日にカフェとしてOPENしています。

 丁度通りかかったときが土曜日。開いていましたが、結婚式の披露宴までの時間を考えて通り過ぎてしまいました。ホームページにはレトロな内部の写真がありますので是非見て下さい。木造2階建て。

カフェ木村屋(木村家住宅)
旧藤内邸
1881(明治14)年
設計・施工 : 不明
松山市三津1-11-5
撮影 : 2012.10.20
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by gipsypapa | 2013-07-29 10:55 | 建築 | Trackback | Comments(0)

三津のT邸

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 モルタル仕上げで洋風のファサードを通りに見せる看板建築。パラペットの意匠と2階に並ぶ3連の窓がレトロです。今は個人の住宅ですが、昔は商店だったかもしれません。木造2階建て。

三津のT邸
昭和初期
設計・施工 : 不明
松山市三津1-9
撮影 : 2012.10.20
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by gipsypapa | 2013-07-26 13:07 | 建築 | Trackback | Comments(4)

三津の鯛や

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 再び四国です。義理の甥っ子の結婚式があったので愛媛県の松山へ。ついでに2泊して周辺を回ってきました。まずは式場の近くの海岸沿いの港町、三津を歩きました。三津には松山市駅から伊予鉄道に乗って行きます。三津の散策の前に昼食を憧れの愛媛の郷土料理「鯛めし」にしました。

 松山市三津(旧三穂町)において萬問屋、精米・精麦業を営んでいた森家。店頭で商品を展示・販売する小売業の店先と違って、商談・接待によって商売が営まれた店の特徴を持っているとか。現在は1日30食限定で鯛めしを提供する「鯛や」として営業するとともに、三津の歴史を伝える資料を展示する資料館としても使われ、地域に根付いた活動も行っているそうです。食事は昼だけで、予約が必要ですのでご注意。

 典型的な町屋風の和風建築ですが2階の外壁に緑青の銅板が貼られているのが特徴です。一方、裏側には小さな庭があり、ガラス戸のある住宅風のかまえになっていて、内部は部分的に洋風の部屋もあるようです。国の登録有形文化財の木造2階建て。

鯛や
森家住宅主屋
1929(昭和4)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
松山市三津1-3-21
撮影 : 2012.10.20
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 鯛やの鯛めし。
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 昨日に続いてグルメ談義。きょうは「鯛めし」です。

鯛めし談義 

鯛めしは愛媛県の郷土料理で、地域によって、大きくは東予地方と中予地方の今治風と南予地方の宇和島風といわれる二つの種類に分けられます。

 今治風は、焼いた尾頭付きの鯛を、洗ったお米の上にのせて土鍋で炊きあげたものです。炊き上がったら、土鍋から鯛をいったん取り出して、鯛の身をほぐして、ご飯に混ぜ込んで頂きます。鯛やで食べたのはこれです。

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 一方、同じ「鯛めし」でも、南予地方の宇和島名物は鯛の刺身をご飯に載せ、特製のタレと生卵、ゴマやきざみねぎなどの薬味を混ぜたものをかけて食べます。
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 私は生卵入りは敬遠します。鯛の味が消えてしまって、卵かけごはんの風味になるのです。生卵さえなければ、鯛どんぶりですね。こうすれば東予、南予ともにおいしいのですが、食感がかなり違うので注意してください。松山は今治風の圏内ですが、都会ですから両方の鯛めしが食べられます。店に入る前に、どっちの鯛めしが出るのか確認したほうがいいでしょう。

 ちなみに宇和島風には、変化球として、刺身にごまだれ醤油、さらに熱い出汁をかける鯛茶風のがあって、最高においしい。個人的にこれが一番好きです。
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by gipsypapa | 2013-07-25 13:14 | 建築 | Trackback | Comments(2)

神田藪蕎麦

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 写真を整理していて出てきました。大正時代から営業していた蕎麦の名店です。今年、2013年2月19日に火事で焼失した築90年のかんだやぶそば。現在再建中のはずです。木造平屋建て。

 昨夜の ニュースで見ました。来週月曜日、10月20日に営業再開だそうです。おめでとうございます。機会を見つけて、また行きます。(2014.10.17)

神田藪蕎麦 (焼失)
1923(大正12)年
設計 : 佐々木芳次郎
施工 : 松永専蔵
千代田区神田淡路町2-10
撮影 : 2006.5.2
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 食べたのは「せいろうそば」です。

 個人的には麵食いであります。麵ならなんでも好きなのですが、関東に行ったら蕎麦を食べることが多いです。

 大阪に住んでいて感じるのは、関西はうどんが一般的でおいしい。もちろん蕎麦もありますが、相対的に蕎麦は関東がおいしい。うどんは逆といえます。関東は駅の立ち食いそばでも、まず大阪よりおいしいのが多いです。

 そいうことで、建物から外れて蕎麦を。
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浅草の並木藪蕎麦
台東区雷門2−11−9
撮影 : 2005.5.1

東京の神田「やぶ」、並木藪蕎麦、池之端藪蕎麦の3店を称して「藪御三家」というのだそうです。池之端は行ったことがありません。

この店は漫画「美味しんぼ」にも取り上げられた名店で蕎麦つゆが出汁のきいた濃い味。そばの先をちょっとだけつけて食べるのが通です。
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 もりそば。裏返した笊(ざる)に載っています。量はかなり少ないです。私はもう1人前お代わりしました。神田のやぶそばは、特に驚くおいしさを感じませんでしたが、ここはさすがにおいしい。ただ難点はいつ行っても混んでいて、並ぶこともあるし、落ち着けない亊か。
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椿山荘の無茶庵
文京区関口2-10-8 ホテル椿山荘東京 庭園内
撮影 : 2006.5.1

 この店は何の前知識なく椿山荘を散策していて発見した蕎麦屋。緑に囲まれた静かな場所にあり、ここはゆったり落ち着けます。
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 せいろそば。期待以上においしいかったです。値段が少しだけ高めだったかもしれませんが、よい印象が残っています。

 ここで蕎麦のうんちくを少し。

「藪そば」と「更科そば」

 大別して藪と更科があります。ここで紹介したのはいずれも藪そばです。藪そばと更科そばの違いは、見た目では色の違いです。

 その違いの原因は製粉方法の違いです。蕎麦はもともと黒いソバガラをかぶっています。これを麵に挽き込めば、藪そばに使う黒いそば粉ができ、このソバガラを取り除いて製粉すれば、更科そばに使う白いそば粉ができます。つまり更科の方がそばの実の中心部を使っていて、日本酒でいえば吟醸酒のようなもので、高級と言え、実際に上品でさわやかな食感です。しかし藪蕎麦の田舎風の味が蕎麦らしくて好きという人も多いでしょう。

 私は更科派ですが、ここで紹介した藪蕎麦はいずれもおいしかったです。

「ざるそば」「もりそば」「せいろそば」

 関西では「もりそば」や「せいろ」というのは聞いたことがありません。冷たいそばは「ざるそば」一辺倒と思います。「もりそば」は並木藪蕎麦で初めて店のお品書きで見ました。

 調べてみましたが違いがはっきりしません。というかあいまいで店によって呼び方があって、そばの種類や器で明確に区別されているわけでもないようです。

 「もりそば」はつゆをかけて食べる「かけそば」と区別したもので、つゆにつけて食べるそばの総称だったとか。語源は古いようです。

 つゆと麵を別々に出す場合の総称としては広い意味で使えますが、現代では逆に狭い使われ方をしているようです。

 「ざるそば」は言葉通りに、ざるに盛られたそばです。江戸の深川にあった「伊勢屋」が発祥で、水の切れがよく、そばの食べ方に最適と評判となり広まりました。時代とともに「ざるそば」には「ざるつゆ」と呼ばれる甘めの特別なつゆが考案され、きざみ海苔がかけられるようになりました。

 同じざるに盛ってあっても、麵の上に海苔がのっているのが、「ざるそば」、のっていないのが「もりそば」というのが最近の趨勢のようです。並木藪蕎麦はざるにのっていますが「もりそば」となるのは、海苔がかかっていないからでしょう。

 ざるではなく、せいろに盛られているのが「せいろそば」。せいろは蒸し器のことで蒸篭と書きます。神田藪蕎麦では「せいろうそば」と言っていたはずです。昔は蕎麦を茹でないで蒸し器で蒸して、その蒸し器のまま出して食べたので、せいろと呼ばれました。無茶庵の「せいろそば」は蒸してあるような気もしますが、神田藪蕎麦の方は、茹でた麺ではないかと思いました。
by gipsypapa | 2013-07-24 14:28 | 建築 | Trackback | Comments(4)

法曹会館

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 もう1件、7年前の写真です。 
 日比谷公園を出て内堀通りを西に少し移動すると法務省や高等検察庁など司法関係のビルが並ぶ一角があり、お堀に面したところに法曹会館があります。昭和初期に司法界の社交場として建てられた倶楽部建築ですが、今は一般に開放されていて宴会や結婚式場として使われています。

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 全面に薄いグレーのタイル貼りで、両側に尖塔屋根のある塔屋のあるシンメトリーな正面ファサード。中央に車寄せがあります。外観は教会を思わせるようなアーチ窓があるくらいで、大人しいデザインですが、内装は正面にステンドグラスがはめ込まれてあり、深紅の絨毯が敷き詰められた階段など、昭和レトロの雰囲気だそうです。

 設計は三菱地所で、大正から昭和期にかけて三菱銀行本店、丸ノ内ビルヂング(丸ビル)、丸ノ内八重洲ビルヂング(八重洲ビル)などのオフィスビル建設を手掛けた藤村 朗(ふじむら あきら 1887 - 1953)。鉄筋コンクリート造4階建て、地下1階。

法曹会館
1936(昭和11)年
設計 : 藤村朗(三菱地所部)
施工 : 竹中工務店
千代田区霞が関1-1-1
撮影 : 2006.5.2
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 中から見たい大きなステンドグラス。
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 法曹会館のHPにあったバンケットルームの写真です。
by gipsypapa | 2013-07-23 13:43 | 建築 | Trackback | Comments(2)

東京大学本郷キャンパス

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 東京をやったついでに、ずいぶん古い写真をアップします。もう7年も前になります。この頃はレトロな建物に一応興味はあったのですが、まだ今のようにネット上で公開するわけでもなく、旅行先で漠然と建物の外観を撮る程度だったのです。

 国内の旧帝国大学は、古い建物がほとんど残っていない名古屋大学以外はすべて行ってみました。なかでも東大は、母校を除けば一番早く訪れたわけですが、当時の建物へのこだわりの薄さや下調べ不足のため、何を撮ったか分からなくなっていて、放置していました。なにしろ数多くの建物が内田祥三(うちだ よしかず1885 - 1972)が昭和初期に設計した、いわゆる「内田ゴシック」といわれるデザインパターンで、みんなよく似ているのです。

 しかしすでに行ったことだし、よほどのことがない限り再訪することもなさそうなので、ネットで調べながら、特定できるものを一挙に紹介することにしました。

東京大学本郷キャンパス
文京区本郷7-3-1
撮影 : 2006.5.3
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 訪れた時にもらったキャンパスマップと同じものです。クリックすると大きくなります
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赤門
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 有名な赤門を通ってキャンパスへ。

徳川第11代将軍・徳川家斉(とくがわ・いえなり 1773-1841)の第21女・溶姫(やすひめ 1813-1868)が、 加賀藩第13代藩主・前田斉泰(まえだ・なりやす 1811-1884)に輿入れする際に建てられた門。

東京大学 赤門
旧前田家上屋敷御守殿門
1827(文政10)年
重要文化財
設計・施工 : 不明
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コミュニケーションセンター
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 赤門の横にある小さな煉瓦造りの建物はかつて人力車の車庫だったもの。

東京大学コミュニケーションセンター
旧人力車車庫
1910(明治43)年
設計・施工 : 不明

医学部2号館(本館)
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赤門を抜けて正面に緑の並木道の奥に見えるのが医学部本館です。

東京大学 医学部2号館(本館)
1936(昭和11)年
設計 : 内田祥三
施工 : 不明
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教育学部 総合図書館
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左折して並木道を進むと、右には弓道場、左に大きな建物。教育学部と総合図書館です。そのまま通り過ぎましたが、もっと追及すべき建物でした。

東京大学 教育学部 総合図書館
1928(昭和3)年
設計 : 内田祥三+野田俊彦
施工 : 大林組
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文学部3号館
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法文2号館 法文1号館
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更に進むと文学部3号館が建っていて、そのアーチをくぐると法文2号館。アーケードをくぐってさらに進むと法文1号館が並立しています。いずれも国の登録有形文化財。

 法文1号館と法文2号館は安田講堂を突き当たりとする道を挟んで左右対称に配置されています。二つの建物を横切って、ギリシャ風の彫刻が刻まれた古風なアーケードがあり、内田ゴシックの真骨頂といわれています。

東京大学 法文2号館
1938(昭和13)年
登録有形文化財
設計 : 内田祥三
施工 : 不明

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東京大学 法文1号館
1935(昭和10)年
登録有形文化財
設計 : 内田祥三
施工 : 竹中工務店
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大講堂(安田講堂)
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 1968(昭和43)年の大学紛争による安田講堂占拠事件で有名になった大講堂。長らく閉鎖されていましたが、1994(平成6)年に改修され、 現在は講演や式典などに使用されています。

 この大講堂は、安田財閥の安田善次郎からの寄付によって建てられたため安田講堂と呼ばれています。国の登録有形文化財。

東京大学 大講堂(安田講堂)
1925(大正14)年
登録有形文化財
設計 : 内田祥三+岸辺日出刀
施工 : 清水組
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中央食堂
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 お腹が空いたので中央食堂で昼食。かなり大きな食堂です。この日は5月の連休の真っただ中。学生よりも一般の人たちで結構込み合っていました。定食は数種類から選べるようになっていて、安かった記憶があります。
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 ところで、私達が食べようとして隣の席を見ると、年配の紳士が缶ビールを飲んでいる・・・・確か入口の近くに自動販売機が並んでいたと思って行ってみるとビールはなくソフトドリンクだけ。はて??結局その年配の方に訪ねたら「そこの生協に売っている」と教えてくれました。
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 ビールを買うついでに見ると色々な土産物が売っていました。昼食後にまた行って買ったのは「東大ゴーフル」。
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工学部
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 工学部エリアへ。この一角も内田ゴシックです。

東京大学 工学部2号館
1924(大正13)年
設計 : 内田祥三
施工 : 不明
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東京大学 工学部3号館
1939(昭和14)年
設計 : 内田祥三
施工 : 不明

理学部
理学部のエリアには大正時代の煉瓦造りが残っています。
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東京大学 理学部化学東館
1916(大正5)年
設計 : 山口孝吉(東京帝国大学営繕課長)
施工 : 不明
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第2食堂
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 理学部から北へ。ここにバス停があります。この建物は第2食堂と思われます。ここでトイレを拝借。
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医学部付属病院
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 医学部付属病院のエリアです。バス停が校内にあるのはこのためです。
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東京大学 医学部附属病院管理研究棟
1928(昭和3)年
設計 : 内田祥三
施工 : 不明
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by gipsypapa | 2013-07-22 13:39 | 建築 | Trackback | Comments(5)

慶応義塾大学 第一校舎

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 大きな樹木の間から淡い色のタイル貼りのモダンな校舎が見えます。昭和になると装飾が省略されて、現代的な印象になります。シンプルながら昭和初期らしいタイル貼り、軒の高い2階と3階に並ぶ縦長窓が美しい建物です。

 図書館旧館や塾監局と同じ曽禰中條建築事務所の設計、戸田組の施工です。それぞれ1912(明治45)年と1926(大正15)年で、こちらは1937(昭和12)年。

 同じ建築事務所が設計しても、時代とともにこんなに意匠が違ってくるのかを、あらためて認識させられます。建築界の様式主義からモダニズムへ移行した歴史的な足跡がこの一角に並んでいるのが大変に貴重です。鉄筋コンクリート造り、3階建て。

慶応義塾大学 第一校舎
旧慶応義塾大学学部校舎
1937(昭和12)年
設計 : 曾禰中條建築事務所
施工 : 戸田組
港区三田2-15-45
撮影 : 2012.9.30
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by gipsypapa | 2013-07-19 13:13 | 建築 | Trackback | Comments(2)

慶応義塾大学 塾監局

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 図書館旧館と同じ曽禰中條建築事務所の設計。褐色のタイル貼り2階部分には半円アーチ窓。玄関ポーチの構えや最上部の尖ったパラペットなど、様式主義の色が残った外観です。

 全国各地の大学に残る古い校舎と共通点があり、大正期の学校舎建築を代表するデザインといえます。鉄筋コンクリート造り、3階建て。

慶応義塾大学 塾監局
1926(大正15)年
設計 : 曾禰中條建築事務所
施工 : 戸田組
港区三田2-15-45
撮影 : 2012.9.30
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by gipsypapa | 2013-07-18 12:59 | 建築 | Trackback | Comments(2)