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博物館網走監獄 五翼放射状平屋舎房

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 明治45年から昭和59年まで実際に網走刑務所で使用されていた獄舎です。 中央見張りを中心に、5本の指を放射状に広げたようになっているため、五翼放射状舎房と呼ばれています。

 この建物の特徴は、少人数でも監視しやすいという利点があり、ベルギーのルーヴァン監獄を模したものと言われています。5棟のうち雑居房は収容定員3~5人で126室あり、部屋の広さは、畳6枚敷、独居房は収容定員1人で100室あり、部屋の広さは畳3枚敷、雑居房、独居房合わせて226室で構成されています。c0112559_1301844.jpg

 雑居房の廊下側の壁は、「斜め格子」で等間隔に「スキ間」を置きながら作られているため(ブラインド方式)、廊下側からは部屋の中は見えますが、部屋の中からは廊下をはさんで向かい側の中は互いに見えないように作られています。

 独居房は「くの字格子」で作られており、換気のためのわずかな隙間はありますが、廊下側からも部屋の中からも見えない造りになっています。


博物館網走監獄五翼放射状平屋舎房
旧網走刑務所五翼放射状平屋舎房
1912(明治45)年/1981(昭和56)年移築
登録有形文化財
設計・施工 : 司法省
北海道網走市呼人2-2
撮影 : 2012.8.27
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 廊下の向こう、房の上部にふんどし一つの男が見えます。
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 日本の脱獄王と呼ばれた白鳥由栄の脱獄シーンのマネキン。脱獄魔と呼ばれた男を描いた吉村昭の『破獄』のモデルです。

 戦前、戦後にかけて4度の脱獄を繰り返したとか。青森、秋田に次いで戦時中の1944(昭和19)年、彼が3度目に脱獄したのが、この五翼放射状舎房の第4舎第24房。扉の視察孔の鉄格子を揺すり続けネジをゆるめて外し、天窓を頭突きで破って逃げたそうです。根性あるなぁ。
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by gipsypapa | 2013-06-28 13:08 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館網走監獄 二見ヶ岡農場

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 網走刑務所農園作業の先導的施設として明治29年に網走の西方丘陵地の「屈斜路外役所」として設置されました。網走湖、能取湖の二つの湖を展望できる位置に建てられたので二見ヶ岡刑務支所として改名されました。

 1世紀を超えた今日も、網走刑務所の食料基地として、また、広い農場での作業であるため職員による監視は穏やかであり、物的人的警備に代えて受刑者自身の責任と自立行動を促すという開放的処遇施設として更生復帰させる重要な役割を果たしています。

 農園刑務所として有名な網走刑務所は、郊外に網走刑務所二見ヶ岡農場という分監の施設を明治29年に設置し、刑務所の農場としては日本一広い面積の土地を有効活用しながら受刑者に働く喜びを体験させ、健全な心身を作ることを目標として、独自の農園訓練規定を設け寒冷地農業に取り組んでいます。

 この風景は、春の開墾、種まき、夏の除草、秋の収穫作業を再現したもので、農機具や馬撬、金輪荷馬車は当時使用されたも明治29年に網走分監の農作業を行うための泊込み作業場として開設されたものである。「屈斜路外役所」から「二見ヶ岡農場」と改名され、平成11年12月博物館に移築復原されたものです。場長室、食堂、教誨堂、炊場、洗濯室、足洗場、浴場、舎房が1棟に設置された造りとなっているのです。


博物館網走監獄二見ヶ岡農場 
旧網走刑務所二見ヶ岡農場(移築復元)
1896(明治29)年/1999(平成11)年移築
登録有形文化財
設計・施工 : 司法省
北海道網走市呼人3-3
撮影 : 2012.8.27
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 ここで監獄食を食べることができます。AとBがあります。
 麦飯(麦3:白米7)、焼き魚(さんま or ホッケ)、小皿、中皿、みそ汁。昔のものではなく、現在の網走刑務所の昼食として出された食事メニューを再現したものです。本物は、みそ汁ではなく番茶らしいです。

 監獄食A 700円 さんま、監獄食B 800円 ホッケです。
 で、お味は?見たとおりの味でした。(笑)
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 二見ヶ岡農場作業
●作業開始年代 明治29年 ●再現年代 平成12年
●網走刑務所二見ヶ岡農場面積 3,588,884平方メートル

 農園刑務所として有名な網走刑務所は、郊外に網走刑務所二見ヶ岡農場という分監の施設を明治29年に設置し、刑務所の農場としては日本一広い面積の土地を有効活用しながら受刑者に働く喜びを体験させ、健全な心身を作ることを目標として、独自の農園訓練規定を設け寒冷地農業に取り組んでいます。

 この風景は、春の開墾、種まき、夏の除草、秋の収穫作業を再現したもので、農機具や馬撬、金輪荷馬車は当時使用されたも明治29年に網走分監の農作業を行うための泊込み作業場として開設されたものである。「屈斜路外役所」から「二見ヶ岡農場」と改名され、平成11年12月博物館に移築復原されたものである。
場長室、食堂、教誨堂、炊場、洗濯室、足洗場、浴場、舎房が1棟に設置された造りとなっているのです。

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 受刑者の逃走、暴行事件などの発生に備えたやぐら監視所を「高見張り」といいます。

 網走刑務所は現在、短期累犯刑務所として、刑期8年未満の受刑者を収容していますが、創設当時の明治23年から昭和43年までは、長期受刑者を収容する施設でした。

 そして、昭和23年には刑期8年以上を収容する重警備刑務所の指定を正式に受けているため、所内と裏山の4箇所にやぐらの廊下が12.95平方メートル、高さ8mの高見張りに、職員が2時間交代で監視を行っていました。


高見張り(再現構築物)
1948(昭和23)年
設計・施工 : 不明
北海道網走市呼人3-3
撮影 : 2012.8.27
by gipsypapa | 2013-06-27 13:19 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館網走監獄 釧路地方裁判所網走支部法廷・監獄歴史館(行刑資料館)

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釧路地方裁判所網走支部法廷

 この建物は、釧路地方裁判所網走支部及び網走簡易裁判所が新庁舎建設のために、旧庁舎を取り壊すのに際して、単独法廷(1人の裁判官によって重罪以外の比較的軽い刑罰を審査する)、合議法廷(重罪事件を3人の裁判官によって審理する)、合議室(合議裁判の途中で当事者から異議申し立てなどがなされその場で即断出来ないような場合に、三人の裁判官がこの部屋に入り合議する部屋)、仮監置室(自分の裁判まで待たされた部屋)及び勾留質問室(裁判官が被疑者または被告人に質問して、勾留すべきか否かを判断するのに使われた部屋)、を譲り受けました。

 この建物の外観は、明治33年から昭和27年まで使われた旧網走区裁判所の外観を再現していますが、内部の移築物は昭和27年から平成3年まで使用されていたものを配置し、広さ高さを元通りに復元し、法廷内部の机や椅子、照明器具、カーテン等は実際に使用されていたものを展示しています。


博物館網走監獄釧路地方裁判所網走支部法廷
旧釧路地方裁判所網走支部(移築復原)
1952(昭和27)年/1993(平成5)年移築再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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監獄歴史館・行刑資料館
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 現在の行刑は、昔の懲罰刑ではなく自由刑です。人間が本来持ってる「自由に生活したい」という欲求を拘禁し、制限するという刑です。

 そして単に自由を拘束するというだけでなく、受刑者の犯罪性を除去ないし減少させ、正常な社会生活への復帰を可能にすることが行刑の目的になっています。

 この資料館では、明治期から現在までの行刑の変遷を刑務所内での生活や規則、刑務作業を通して、また受刑者が北海道開拓に果たした役割を詳しく展示しています。


監獄歴史館・行刑資料館
1983(昭和58)年
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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by gipsypapa | 2013-06-26 13:06 | 建築 | Trackback | Comments(0)

博物館網走監獄休泊所

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 受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしました。

 札幌と網走を結ぶ中央道路の開削にあたり、明治24年4月から11月までの8ヶ月間に、延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。

 別名「動く監獄」と呼ばれ、その建て方は丸太が材料で、壁は60~90㎝位掘って割り板を縦に打ちこみ、部屋の中央は土間で、突きあたりがトイレでした。それには、囲いはなく四六時中監視されていたのです。寝床は板張りで、枕の代用として丸太棒が床に釘づけになっており、夜具は薄い柏布団1枚でした。

 出入口も1か所で、逃亡を防ぐ作りになっています。あとにこれらの休泊所の様式が開拓時代の工事現場に取り入れられ、タコ部屋と呼ばれました。


博物館網走監獄休泊所
旧網走刑務所休泊所(再現構築)
1891(明治24)年/1983(昭和58)年再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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by gipsypapa | 2013-06-25 13:07 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館網走監獄 味噌醤油蔵・耕耘庫・漬物庫

味噌醤油蔵
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 農園刑務所として自給自足を目ざしていた網走刑務所は、明治25年に30坪の味噌醤油工場を建てて味噌や醤油等の調味料を製造しました。

 大豆は麦についで耕作面積が広く、仕込みの手かげんで微妙な味となるので、製造は経験の長い受刑者が専属にあたりました。この蔵に展示してある大きな樽は、五十石という樽で約9,000リットル(1升ビン約5,000本)もの醤油が入る巨大なものです。


博物館網走監獄味噌醤油蔵
旧網走刑務所味噌醤油蔵(再現構築)
1892(明治25)年/1983(昭和58)年再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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耕耘庫
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 農園刑務所として全国的に有名な網走刑務所は札幌農業伝習学校(現在の北海道大学農学部)卒業の技官を採用してアメリカの近代農業制度を取り入れ、その技術は非常に進歩したものでした。

 刑務所内の敷地だけでなく、網走市郊外の二見ヶ岡、湖畔、住吉といった各農場の拡張が進められ、日本で唯一水田を持つ刑務所となり、その実績が認められ、大正11年に司法省より「農園設備特設刑務所」に指定されました。この耕耘庫には当時農機具や肥料が収められていたのです。


博物館網走監獄耕耘庫
旧網走刑務所耕耘庫(再現構築)
1891(明治24)年/1983(昭和58)年再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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漬物庫
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 冬の間、野菜が不足する網走では、秋に収穫した野菜を越冬用として貯蔵し、漬物として補いました。

 一回の食事で収容者の与えられる漬物の量は約25グラムで、「たくあん」なら3切れほどでした。夏場はキャベツ、ハクサイ、キュウリ等の新漬を食べ、霜がおりる頃になると刑務所内の空き地には丸太が組まれた、たくあん用の大根干しが始まります。

二十五石桶という、直径、深さとも1.6mの巨大な桶に約3,000本の大根をつけこみました。


博物館網走監獄漬物庫
旧網走刑務所漬物庫(再現構築)
1891(明治24)年/1983(昭和58)年再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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by gipsypapa | 2013-06-24 13:05 | 建築 | Trackback | Comments(0)

博物館網走監獄 職員官舎

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 刑務所職員官舎は通称「看守長屋」と呼ばれています。明治45年に刑務所敷地内に建てられ、幾度もの補修を経て、昭和58年まで刑務官の住宅として使用されていました。木造平屋の三軒長屋で、瓦屋根などの外装や井戸、かまどなど大正・昭和の看守家族の生活の様子を再現しています。

博物館網走監獄職員官舎(看守長屋)
旧網走刑務所職員官舎 (再現構築)
1912(明治45)年/2004(平成16)年
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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by gipsypapa | 2013-06-21 15:04 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館網走監獄 裏門・水門

網走刑務所裏門
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 通称「通用門」と呼ばれた網走刑務所裏門は、赤煉瓦門塀製作開始の大正8年に一番最初に着工した門です。

 その後5年間かけて受刑者がこつこつ煉瓦を積み上げ、大正13年に延長1,080mの赤煉瓦を完成させました。以来、平成5年9月まで、70年間に亘り網走刑務所裏門として、受刑者が塀の外の作業場(農業、養豚場)に出かける時に通るのがこの門であり、いかつい正門とは違いこの門をくぐり抜けると構外に出られるという、受刑者にとっては解放感を味わえる門だったようです。


博物館網走監獄裏門
旧網走刑務所裏門(移築復元)
1924(大正13)年/1995(平成7)年移築
登録有形文化財
設計・施工 : 司法省
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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博物館網走監獄水門
 裏門にくっついている水門です。
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 網走刑務所の前方には網走川が流れています。この川を利用して、網走刑務所では、生活物資を運び入れたり、農場へ肥料を運ぶ等、貴重な水路として利用していました。博物館では往時を偲び、筏に肥溜めを載せ農場に運ぶ様子を再現しました。

博物館網走監獄水門
旧網走刑務所水門 (再現構築)
1924(大正13)年/2002(平成14)年再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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by gipsypapa | 2013-06-20 13:09 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館網走監獄庁舎

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 庁舎は明治45年から昭和62年まで使用され「総瓦葺切妻造り」で「コの字型」に三棟を組み合わせた建物です。

 水色とグレイで彩色された外観、屋根に設けられた飾り窓など、一見洋式建築に見えますが、正面の千鳥破風の屋根をもつ草寄、鬼瓦をのせた屋根には和風建築の特徴もみられ、「和洋折衷」と呼ばれた明治時代初期の官庁建築に数多くみられました。
 
 庁舎は刑務所の主軸となる所で、中には、典獄(現在の刑務所長)室をはじめとして、会議室、総務課、戒護課、用度課、作業課等があり、保安管理、数化活動(宗教の力や対人接触により、良い方向に感化すること)等の計画執行を検討したところです。


博物館網走監獄庁舎
旧網走刑務所庁舎(移築復元)
1912(明治45)年/1988(昭和63)年移築
登録有形文化財
設計・施工 : 司法省
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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 昨年(2012年)に国の登録有形文化財に指定されました。
by gipsypapa | 2013-06-19 13:10 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館網走監獄正門・囲壁

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通称「赤レンガ門」と呼ばれる網走刑務所正門は、重厚で威風堂々としており「最果ての監獄」と呼ばれ恐れられた時代の網走刑務所の威厳を感じさせます。正門の左右には部屋が設けられ、一方は、正門担当看守が受け付けとして使い、もう一方は、面会に来た家族が申しこみと待合室に使いました。

 赤レンガを際立たせている表面に艶のある煉瓦は、窯の中に塩を入れ、塩が分解する1,160度以上の高温で焼き上げるため、独特の釉薬をかけたような黒褐色の色をしており、形も普通の煉瓦より20~30%小さいのが特徴です。現在はこのような焼き方はできないため、ここに復元した門はレンガ建築の歴史を知るうえで重要なものです。

 現在の正門は、1909(明治42)年の大火後木造で再建されたものにかわり、構内で生産を始めたれんが造で新築されたものです。門は、緩勾配の切妻壁の中央に半円アーチを開けたデザイン。アーチ内側のモールディング(細長い板状の装飾用部材)や中央上部の小窓は、当時流行したユーゲントシュティルが反映されています。両脇のドーム屋根を架けた番所は、永専寺に譲った木造の旧門と共通しています。


博物館網走監獄正門・囲壁
旧網走刑務所正門・囲壁(再現構築)
1924(大正13)年/1983(昭和58)年再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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 正門の前を竹箒で掃いているのは、明治の脱獄王、五寸釘の寅吉こと西川寅吉の人形。三重監獄を皮切りに6回も脱獄を繰り返し、逃走途中に五寸釘を踏み抜いたまま、12キロの距離を走ったそうです。1901(明治34)年に網走監獄に移送されてからは、模範囚として過ごしたとか。
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by gipsypapa | 2013-06-18 13:08 | 建築 | Trackback | Comments(2)

博物館網走監獄

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 今回の道東の最後の訪問地は網走市。網走といえば網走監獄に行かないわけにはいきません。北見を朝発って網走へ。早速訪問しました。c0112559_1384913.jpg

 博物館網走監獄は、明治時代から網走刑務所で実際に使用されていた建物を天都山に移築・修復して保存公開している野外博物館です。いわゆる建物博物館で、明治村や北海道開拓の村、四国村などと同じコンセプトで、1983(昭和58)年に開館しました。

  網走刑務所にあった獄舎をはじめとする建物を移設または再現し、また北海道開拓使とともに歩んだ刑務所の歴史などの展示物を多く展示しています。獄舎の中には、日本の脱獄王と呼ばれた白鳥由栄の脱獄シーンがマネキンを用いて再現されていたり、刑務所の食事を再現したメニュー「監獄食」が提供されているなど、家族で楽しめるスポットでした。

 なお現在は国の登録有形文化財が7棟追加されました(2012年7月)が、登録から間もないことから、これらはまだ文化遺産オンラインのデータに載っていません。すでに登録されていた3棟を含み網走刑務所から移築保存を行った建築物10棟すべてが、登録文化財に認定されました。

 博物館には鏡橋を渡って向います。今回も解説文は博物館網走監獄のホームページを引用します。

網走市字呼人1-1
撮影 : 2012.8.27






博物館網走監獄鏡橋
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 網走刑務所は、市街地と網走川を挟んだ位置に設置されているため橋を渡らなくては出入りすることは出来ません。

 明治23年の設置から現在までに4回橋は架け替えられましたが、名前は「鏡橋」と呼ばれています。「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」との思いが、その名前の由来と言われています。

 博物館に再現しました「鏡橋」は大正6年に架けられた二代目の特徴である擬宝珠付きの欄干と、昭和25に架けられた三代目の特徴であるトラス(橋の強度を高めるために付けられた骨組み)を併せもったものとし、往時の姿を甦らせました。


博物館網走監獄鏡橋(再現構築)
旧網走刑務所鏡橋
1891(明治24)年/1991(平成6)年再現
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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博物館網走監獄入場ゲート
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 明治24年に始まった中央道路開削工事などの、外役労働が終り、網走刑務所が自給自足による農業監獄を目指して本格的な開墾が始められました。

 明治29年には、現刑務所から西方6kmの二見ヶ岡に外役所が設けられて、やがて日本一の広大な(1,732ヘクタール)刑務所農場がつくられました。

 この門は、博物館に移築復原されている二見ヶ岡農場の正門を再現し、博物館網走監獄の入場ゲートとしたものです。


博物館網走監獄入場ゲート
旧網走刑務所二見ヶ岡農場正門(再現構築)
築年  : 1896(明治29)年
設計・施工 : 不明
網走市呼人1-1
撮影 : 2012.8.27
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by gipsypapa | 2013-06-17 13:16 | 建築 | Trackback | Comments(0)