<   2010年 02月 ( 18 )   > この月の画像一覧

長崎市南山手町のM邸

c0112559_11281153.jpg
 須加五々道美術館から海岸通りの一つ山側の小道を北東に進んだところにある、これも明治の洋館。石垣の上部に面白い積み方の煉瓦塀。白い下見板貼りの外壁やベランダの軒の形など、凝った設計です。今も個人の住宅として使われていました。木造平屋建て。

M邸
明治中期
設計・施工 : 不明
長崎市南山手町3
撮影 : 2009.5.18
c0112559_1129756.jpg
c0112559_11292135.jpg
c0112559_11294171.jpg

by gipsypapa | 2010-02-26 11:30 | Trackback | Comments(2)

南山手乙9番館(長崎市須加五々道美術館)

c0112559_10153985.jpg
 宝製鋼のすぐ横に明治中期に建てられた南山手乙9番館(旧中村邸)があります。長崎市が買い取り改修したのち、長崎市出身の日本画家・須加五々道(すかごごどう)の作品を展示する須加五々道美術館として一般開放しています。水墨画に西洋美術の遠近法を融合させた独特の画風で、その作品は「新日本画」と呼ばれているそうです。

 下見板貼りの外壁にベランダとバルコニーを持った、長崎ではおなじみの形をした明治の洋館です。国の重要伝統的建造物群保存地区にある、木造2階建て。

南山手乙9番館(長崎市須加五々道美術館)
旧中村邸
明治中期
設計・施工 : 不明
長崎市南山手町3-17
撮影 : 2009.5.18
c0112559_10172919.jpg
c0112559_10174885.jpg
c0112559_1018758.jpg
 ↑にリンクしているホームページにある須加五々道の絵画はよさそうです。残念ながら時間がなく、前を通り過ぎただけでした。
by gipsypapa | 2010-02-25 10:19 | 建築 | Trackback | Comments(2)

長崎の宝製綱株式会社

c0112559_10472597.jpg
 南山手を下ると、交通量の多い海岸通りに出ます。その一角に明治の煉瓦建て工場が今も残っています。すでに旧ウォーカー邸で紹介したウォーカー商会が設立した、清涼飲料水、いわゆるラムネを作っていた工場です。現在は宝製綱株式会社が引き継ぎ、ロープ製造工場になっています。

 工場らしく細長い2階建て。一部は金属のシャッターになったりしていますが、木製のドアや窓枠が残っており、イギリス積みの煉瓦なども、あまり手が加えられずに使い続けられているようです。煉瓦造り、2階建て。

宝製綱株式会社
旧バンザイ炭酸水工場(Banzai Aerated Water Factory)
1902(明治35)年
設計 : R.F.ウォーカー
施工 : 不明
長崎市小曽根町1-39
撮影 : 2009.5.18
c0112559_1049181.jpg
c0112559_10491262.jpg
c0112559_10493015.jpg
c0112559_10494229.jpg
c0112559_10495537.jpg
c0112559_10501549.jpg
c0112559_10504831.jpg
c0112559_1051784.jpg

by gipsypapa | 2010-02-24 10:51 | 建築 | Trackback | Comments(2)

マリア園(清心修道院)

c0112559_11192743.jpg
 大浦天主堂からグラバー通りを南西に下っていくと、レンガ造りの大きな建物が見えてきます。明治31年に建てられた、幼きイエズス修道会・清心修道会(女子修道会)と養護施設マリア園が併設されて、修道女により運営されている施設です。

c0112559_11204713.jpg フランス人宣教師センネツの設計によって建てられた修道院で、ロマネスク様式の赤煉瓦造りの北フランス風様式。建物は3階建。2階までが煉瓦造で、3階は屋根裏を利用した木造になっていて、アーチ型の窓が並んでいます。屋根は銅板張りで、煉瓦色と白い鎧戸との対比が美しく、南山手の閑静な雰囲気に溶け込んでいました。なお、内部には素晴らしい聖堂があるそうで、ネットで紹介されています。国の重要伝統的建造物群に指定された、煉瓦造り、3階建て。

マリア園(清心修道院)
1898(明治31)年
設計 : センネツ
施工 : 不明
長崎市南山手町12-17
撮影 : 2009.5.18
c0112559_11211514.jpg
c0112559_11214772.jpg
c0112559_1122857.jpg
c0112559_1123264.jpg
c0112559_11232977.jpg
c0112559_11235724.jpg
c0112559_11241727.jpg
 ゲラバー坂を降りて、反対側のドンドン坂からも近づけるようですが、そろそろ長崎を発つ時間がせまってきました。心残りでしたが、これ以上の追及は断念しました。
by gipsypapa | 2010-02-23 11:26 | 建築 | Trackback | Comments(2)

南山手8番館(南山手地区街並み保存センター)

c0112559_112731.jpg
 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている南山手地区の資料センター。明治中期建てられた英国人ウィルソン・ウォーカーの住宅でした。元は南山手12番地にあり、昭和期には雨森医院兼住宅として使われましたが、昭和63年に解体が決まり、町並み保存のために長崎市が寄贈を受けて現在地に移築復元した洋館です。

 白い下見板貼りの外観に、1階・2階ともにベランダと、その側面にベイ・ウィンドーのある変化に富んだ明治の洋風建物で、伝統的建造物に指定されています。現在、一般開放されており、1階は展示室、2階は会議室として利用されています。木造2階建て。

南山手8番館(南山手地区街並み保存センター)
旧雨森邸
1883(明治中期)ころ
設計・施工 : 不明
長崎市南山手町4-33
撮影 : 2009.5.18
c0112559_1134853.jpg
c0112559_114534.jpg
c0112559_1142122.jpg
c0112559_114393.jpg
c0112559_115352.jpg
c0112559_1152085.jpg
c0112559_1153814.jpg
c0112559_1155629.jpg
c0112559_1161655.jpg

by gipsypapa | 2010-02-22 11:07 | 建築 | Trackback | Comments(2)

旧羅典神学校

c0112559_11154636.jpg
 大浦天主堂に向って右側に隣接している建物。プチジャン神父が日本人聖職者育成の目的に設立した旧羅典(ラテン)神学校です。神学校の校舎兼宿舎として使用されました。

 骨組が木造で壁に煉瓦を積んだ、木骨煉瓦造り。外開きの鎧戸がついた窓や階段など西欧建築技術が随所に取り入れられていますが、全体的には部屋割りはいたってシンプル。和風の土蔵のような雰囲気もあります。

 設計と施工監督は敷地内に建つ旧長崎教区大司教館と同じく、フランス人のマルク・マリー・ド・ロ神父。現在はキリシタン資料室として一般開放されています。国の重要文化財に指定された、木骨煉瓦造り、3階(屋根裏部屋付き)建て。

旧羅典神学校 
1875(明治8)年
重要文化財
設計・施工 : ド・ロ神父
長崎市南山手町5-3
撮影 : 2009.5.18
c0112559_11171591.jpg
c0112559_111745100.jpg
c0112559_11181654.jpg
c0112559_11183423.jpg
 傾斜地に建っているので、入口は2階部分に。
c0112559_11185610.jpg

c0112559_11202951.jpg
c0112559_11205271.jpg
c0112559_11211378.jpg
c0112559_11213636.jpg
c0112559_1122590.jpg
c0112559_11222631.jpg
 大浦天主堂とは狭い道を挟んで隣接。開け放たれた窓から天主堂が間近に見えていました。
c0112559_1123224.jpg
c0112559_11234222.jpg
 1階と2階をつなぐカーブ状の階段。
c0112559_11244177.jpg
c0112559_1125524.jpg
 明治初期のキリスト教布教に使われた版画や、江戸時代の隠れキリシタン関連の資料などが数多く展示、販売されています。
c0112559_11254742.jpg
 正面に見えるのが旧羅典神学校。そこからさらに坂の小道を上った所に白い鐘楼のような塔が建っています。下見板貼りに見えましたが、近づくとパネル貼りのようでした。新しい建物でしょう。
by gipsypapa | 2010-02-19 11:28 | 建築 | Trackback | Comments(4)

大浦天主堂

c0112559_13273692.jpg
 江戸末期に建てられたゴシック風の日本最古の教会で、長崎では最も有名な建物の一つ。知る限り日本で唯一国宝に指定されている洋風建築です。

在留外人のための教会として建てられ日本26聖殉教者天主堂と呼ばれました。豊臣秀吉によって処刑された、ペドロ神父、パウロ三木ら26人の殉教者を顕彰したもので、大浦天主堂という名称は、地名を付ける日本の習慣に従った通称です。c0112559_13292695.jpg

 フランス人宣教師ジラール、プチジャン両神父の設計図をもとに、プチジャン神父の指導により、天草出身の棟梁・小山秀之進(後の小山秀)が施工しました。

 当初は木造の天主堂でしたが、明治12年(1879)に改修・増築を行い、外壁を煉瓦構造にするとともに、間口を左右に広げ、奥行きも深くして当初の2倍の大きさに拡張。典型的なゴシック建築様式になりました。現在の天主堂は原子爆弾の被害を受けたため、戦後日本政府の援助により、5年をかけて修復したものです。

 煉瓦の表面に白い漆喰塗が施された美しい外観。内部は高い天井はゴシック建築の特徴の一つであるリブ・ヴォールト*(別名 こうもり天井)になっています。当時のステンドグラスと復元されたものとが混在しているそうで、差し込む光が幻想的で荘厳な祈りの空間をつくっていました。国宝の煉瓦造り(一部木造)、平屋建て、鐘楼付き。

(*石やレンガで天井やアーチをつくる場合は、ブロック状に加工した石やレンガを上方の中央部をアーチ状に積んで崩れ落ちないようにしています。この構造をヴォールト天井といいますが、これにリブと呼ばれるアーチ状の筋をつけたものがリブ・ヴォールト。鉄川与助設計の天主堂にも多く見られます)

大浦天主堂(日本二十六聖殉教者天主堂)
1864(元治元)年 / 1879(明治12)年改修・増築
国宝
設計 : ジラール神父+フューレ神父、
施工 : プチジャン神父(指導)、小山秀之進
長崎市南山手町5-3
撮影 : 2009.5.18
c0112559_13295328.jpg
c0112559_13301186.jpg
c0112559_13303166.jpg
c0112559_13304615.jpg
c0112559_1331342.jpg
c0112559_13312390.jpg
c0112559_13314187.jpg
c0112559_13315875.jpg
c0112559_13322335.jpg
c0112559_13324681.jpg
c0112559_1333813.jpg

by gipsypapa | 2010-02-18 13:34 | 建築 | Trackback | Comments(2)

長崎コレジオ(旧長崎教区大司教館)

c0112559_1119083.jpg
 c0112559_11201949.jpg グラバー園から坂を下って大浦天主堂へと続く通りから切妻の煉瓦壁が見えてきます。大正初期に建てられた司教館でした。現在は長崎コレジオといわれるカトリックの司祭を目指す学生が学ぶ神学校になっています。コレジオという聞きなれない名前はポルトガル語のcollegio。英語ではカレッジcollege ですね。

 大型の建物で、北側は煉瓦造りの切妻屋根ですが、南側は和瓦の寄せ棟。北側からは四階建てに見えますが、大浦天主堂に上る階段の手前で東側の側面を見ると二階建てのベランダとバルコニーを持つコロニアル風。傾斜地に建てられたために、何階建てと言い切れない、不思議な形状をしています。

 フランス人のマルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz, 1840 - 1914)神父と鉄川与助の共同設計といわれています。ド・ロ神父は布教活動とともに、出津教会、大野教会、旧羅典神学校などの建築も手掛けた人ですが、この司教館の工事中に事故で亡くなったため、この建物が神父の遺作になりました。



c0112559_1125313.jpg

 鉄川与助(1879 - 1976)は、長崎県を中心に数多くのカトリックの教会堂建築を手がけた棟梁であり建築家です。個人的に実家が九州なので、いつかは鉄川氏の教会めぐりをしたいと思いますが、何しろ五島列島や遠隔地に多く、まだ熊本の手取教会しか見ていません。将来、「毎日が休日」状態にならないと無理でしょう。

旧長崎教区大司教館
1915(大正4)年
設計 : ド・ロ神父+鉄川与助
施工 : 鉄川与助
長崎市南山手町5-3
撮影 : 2009.5.18






c0112559_11204914.jpg
c0112559_112191.jpg
c0112559_11295491.jpg
c0112559_11213329.jpg
c0112559_1129822.jpg
c0112559_1123487.jpg

by gipsypapa | 2010-02-17 11:30 | 建築 | Trackback | Comments(5)

長崎伝統芸能館

c0112559_14221841.jpg
 グラバー園を出たすぐそばにある洋館。1860年(万延元年)に建てられた初代アメリカ領事館員の宿泊所でした。昔は東山手16番地にあり活水学院の前身として使用されたのち、現在地へ移設されました。

 当初の形状は不明ですが、現在は南山手の崖沿いにあり、広大な地下室(とはいえ傾斜に沿っているので、半地下室)に歴史資料館としてグラバーやシーボルトの愛用品、キリシタン資料、南蛮貿易のギヤマン、ビードロなど19世紀の長崎をしのぶ展示品が並び、その一角は土産物屋になっています。

 現在のデータでは旧グラバー邸より3年早い築なので、これが日本で一番古い木造洋館です。しかし移設復元されたという背景からグラバー邸が現存最古とも言えます。木造平屋建て(地下室付き)。

長崎伝統芸能館
旧東山手十六番館
1860年(万延元年)
設計・施工 : 不明
長崎市南山手町4-15
撮影 : 2009.5.18
c0112559_14232823.jpg
 グラバー園を出た道路からは普通の洋館に見えます。
c0112559_14235944.jpg
 玄関を入って・・
c0112559_14242982.jpg
 すぐ巨大な地下室があり、各種の展示品。
c0112559_1425233.jpg
c0112559_14252554.jpg
c0112559_1425593.jpg
c0112559_14254280.jpg
 奥は土産物売り場。近代的なヴォールト天井の形状から見て、地下部分は最近追加されたようです。
c0112559_14264460.jpg
c0112559_14265899.jpg

by gipsypapa | 2010-02-16 14:29 | 建築 | Trackback | Comments(5)

旧グラバー邸

c0112559_113363.jpg
 グラバー園で最も有名な建物。エレベーターで最も上層にある旧三菱第2ドックハウスから丘を下ってきた、最下層にあります。個人的には、ずいぶん昔にグラバー園を訪れているわけですが、これだけの建物が揃う前だったこともあり、ぼんやり記憶に残っているのは、この旧グラバー邸だけ。といっても当時は今ほど建物に興味がなかったせいもあって、どちらかというと、庭園からの長崎港や対岸の稲佐山の眺めの記憶が強い場所です。

 江戸末期、安政6年(1859)に来日した英国人貿易商トーマス・ブレイク・グラバーが建てた、接客を目的としたベランダ・コロニアル様式の住宅。次回紹介する旧十六番館と並ぶ日本最古級の木造洋風住宅で、長崎港や長崎の市街地を見下ろす高台にあります。プッチーニの「蝶々夫人」の舞台になり、長崎観光の名所となっています。c0112559_11152232.jpg

 江戸末期に来日した西欧人はインドの英国植民地や香港、上海のいずれかを経由して来たことから、当時の彼らが住んだ家は熱帯地方のベランダ・コロニアル・スタイルが一般的に採られており、この建物もそれを踏襲しています。寒いヨーロッバから来た人々がアジアの高温と強い陽射しを避けるため、住宅に幅の広い庇を張り出してベランダを巡らせ、家の中に涼しい風を入れるように考えられた様式ですが、日本は冬が寒いため、ある時期からベランダをガラス窓で囲うようになったそうです。

 クローバー型といわれる珍しい平面形状。ほぼ円形に近い多角形の壁面で囲われた3つの部屋が三方に突き出し、その周りに幅の広いベランダが巡らされ、玄関を設けずにベランダから出入するバンガロー・タイプです。外壁はベランダが廻らされた部分が漆喰壁。丘に面した外壁は一部下見板貼り。屋根は桟瓦葺きで、先端部に鬼瓦を有する和風です。部屋割は多様な形状でバンガロー形式のため、廊下がありません。窓は内向きの両開きフランス窓で、上部に櫛形アーチのファンライトがあります。有名だけあって見どころが多い建物です。

 グラバーの書いた簡単な間取り図を元に、小山秀之進(のちの小山秀)が請負って建てたものといわれています。国の重要文化財指定の木造平屋建て。

旧グラバー住宅(旧グラバー邸)
1863(文久3)年
重要文化財
設計 : 不明
施工 : 小山秀之進(小山商会)
長崎市南山手町8-1(グラバー園内)
撮影 : 2009.5.18
c0112559_11154824.jpg
c0112559_1116355.jpg
c0112559_11161881.jpg
c0112559_11164250.jpg
c0112559_1117059.jpg
c0112559_11172014.jpg
c0112559_11173773.jpg
c0112559_1118793.jpg
c0112559_11182492.jpg
c0112559_1119241.jpg
c0112559_11195087.jpg
c0112559_1120832.jpg
c0112559_11202546.jpg
c0112559_11204318.jpg
c0112559_11205919.jpg
c0112559_11211562.jpg
c0112559_11213091.jpg
c0112559_11214337.jpg
c0112559_1122116.jpg
c0112559_11221992.jpg
c0112559_11223638.jpg
c0112559_11225771.jpg
c0112559_11231919.jpg
c0112559_11233923.jpg
c0112559_1124030.jpg
c0112559_11241951.jpg
 こちらは付属棟。
c0112559_11245912.jpg
c0112559_11251683.jpg
 私は上から降りてこの門を出ましたが、こちらかも旧グラバー邸に行くことができます。
by gipsypapa | 2010-02-15 11:27 | 建築 | Trackback(5) | Comments(2)