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鎌倉のTHE BANK

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 国道311号線に面し、斜に入る裏通りとの三叉路に建っていて、建物の形状も三角形。横浜銀行の前身、横浜興信銀行の出張所だった、こじんまりした銀行建築。現在はバーになっています。鉄筋コンクリート造2階建て。

THE BANK
旧横浜興信銀行由比ガ浜出張所 1927(昭和2)年
設計・施工 : 不明
鎌倉市由比ガ浜3-1-1
撮影 : 2008.8.2
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 新しいTHE BANK というロゴの上に「由比ガ濱出張所」の文字が見えます。
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 BBは「Bar Bank]の頭文字?
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 レトロで中も面白そうな気配。とにかく暑い日で、この近くにきてのどが渇いたので入ろうかとも思ったのですが、まだまだこのあと見る建物が残っていたので断念。
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 建物は外部の装飾を含めて、ほとんど昔のままの姿を残しているようです。
それにしても、日本各地で見てはいつも幻滅する、この無秩序な電柱と電線はなんとかならんのでしょうか。

食べログに内部写真がありましたので、追加します。(2017.9.17)
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by gipsypapa | 2008-11-30 00:10 | 建築 | Trackback | Comments(14)

鎌倉市教育センター

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 同じく御成小学校の構内にモダンな木造の建物があります。現在は市の教育センターとして使われていますが、旧三井銀行取締役だった間島弟彦氏の夫人愛子さんが、市に寄付した建物だそうです。そういえば、青山学院大学の間島記念館(1929年築).もやはり愛子夫人が氏の遺志によって寄付したものです。この建物は戦後しばらく「鎌倉図書館」として使われていました。木造2階建て。

鎌倉市教育センター
旧鎌倉図書館 1936(昭和11)年
設計・施工 : 不明
鎌倉市御成町18-35
撮影 : 2008.8.2
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 屋根は和風の切妻、木造にモルタル仕上げの壁、4列に整然と並ぶ縦長の引き上げ窓。かなり洗練されたデザインです。ちょっとF.L.ライトの自由学園を思い出しました。
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 今小路から見ると細長い建物。正面ファサードを見たときは、元は住宅だったのかと思いましたが、この単純な形の側面を見ると、やはり当初から公共施設目的だったのかもしれません。
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by gipsypapa | 2008-11-28 10:33 | 建築 | Trackback | Comments(2)

鎌倉市立御成小学校旧講堂

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 JR鎌倉駅の西側、旧安保小児科医院の横の細い道を西側に抜けて、今小路という車道に出ると小学校があります。この建物は皇室の鎌倉御用邸のあった場所に建てられた御成小学校に併設した講堂です。いかにも古都らしい木造建築で、かつて校舎を新築するため取り壊される計画があったそうですが、鎌倉時代の遺跡が発見され取り壊しを免れて保存されています。屋根の上の2つの望楼が印象的な、木造平屋建て。

鎌倉市立御成小学校旧講堂
1933(昭和8)年
設計 : 不明
施工 : 蔵並長勝・鈴木富蔵・三橋幾蔵
鎌倉市御成町19-1 御成小学校内
撮影 : 2008.8.2
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 校門も武家屋敷のようです。

 余談ですが、この日は新しいカメラ(やはりコンデジです)を持っていきました。慣れないせいか、カメラのせいか、照度の自動調整がうまくいきません。暗い画像になってしまいました。今回の鎌倉はこれが失敗で、あまりいい写真が撮れていないのです。
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 これは望楼でしょうねぇ・・・京都の有済小学校にも似た望楼があります。だだ、京都の方はまだ近づいて見たことはありません。
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 ずいぶん老朽化しているので、明治の建物のようですが、実は昭和8年。どう見ても今は使われていません。このまま残してくれるのでしょうか。鎌倉市指定景観重要建造物の指定を受けていないのも理由がありそうな。
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 奥を覗くと戦後の鉄筋コンクリート造りの建物が見えましたが、この建物も講堂を意識したような8角形でユニーク。
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by gipsypapa | 2008-11-27 11:16 | 建築 | Trackback | Comments(6)

鎌倉風致保存会

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 ハーフティンバー妻壁が特徴の医院建築で、1995(平成7)年まで小児科医院として使用されていました。現在は地域のコミュニティー施設として使用されています。内部には当時の照明器具や医療器具が残っていて見どころが多いそうですが、私が訪ねた日は子供会の催しが行われていましたので、遠慮しました。鎌倉市指定景観重要建造物の木造2階建て。

鎌倉風致保存会
旧安保小児科医院 1924(大正13)年
鎌倉市指定景観重要建造物
設計・施工 : 不明
所在地 神奈川県鎌倉市御成町9-1
撮影 : 2008.8.2
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 切妻屋根は3方にあります。1枚目は左側、反対側にも同じ形があり、こちらが通りに面した正面です。いずれも漆喰塗りにハーフティンバー。
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 地域の子供会の催しがあり、少し覗いただけです。
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 裏に回ると全く違ったイメージです。当初は天然スレートで葺きの屋根だったそうですが、 現在は亜鉛引鉄板瓦棒葺きに葺き替えられています。こちらから見ると普通の住宅。
by gipsypapa | 2008-11-26 14:00 | 建築 | Trackback | Comments(4)

鎌倉のIZ邸

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 ホテルニューカマクラの近くで見つけた洋館。右側に和館が繋がっているように見えますが、高い塀と木々に隠れて詳細は不明です。モルタル吹き付けのドイツ壁。妻換気口の下に3つの正方形がありますが、もともとは何かエンブレムがあったのかもしれません。木造平屋建て。

I 邸
大正末期~昭和初期?
設計・施工 : 不明
鎌倉市御成町
撮影 : 2008.8.2
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by gipsypapa | 2008-11-25 10:12 | 建築 | Trackback | Comments(2)

ホテルニューカマクラ

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 関西が続いたので、今日からしばらく関東を。最初は鎌倉です。

 今年の8月初旬に音楽の趣味のイベントで横浜に行くことになり、せっかくですから鎌倉に住む妹の勧めがあって、前日から鎌倉に1泊していくことにしました。行く前から鎌倉の近代建築の情報を検索してターゲットを絞って行きましたが、あまりの暑さに初日で息切れしてしまい、行きたい所もすべて見きれませんでした。残念でしたがまた再訪の楽しみが残ったわけで・・・それにしても暑かったです。

 鎌倉に泊まるならやはりレトロなホテルニューカマクラ。大正時代の建物で、戦前には「山縣ホテル」という名前の鎌倉で初のホテルでした。現在も現役ホテルとして営業されていますが、食事のない素泊まり施設なので、料金は割安です。またホテルの敷地は駐車場として多くの車が止まっていました。

 建物は改修を重ねているようですが、昔ながらの木製の上げ下げ窓や階段周りなどが当時のままの姿で残されています。鎌倉市指定景観重要建造物の木造2階建て。

ホテルニューカマクラ
旧山縣ホテル 1924(大正13)年
鎌倉市指定景観重要建造物
設計・施工 : 不明
鎌倉市御成町13-2
撮影 : 2008.8.2
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木造にモルタルを吹き付けた、いわゆるドイツ壁。
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 欧州によくありそうなこじんまりしたホテルの玄関。Valkommen という文字は Welcome でしょうがスエーデン語らしいのです。なぜスェーデンなのかはわかりません。
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 1階はロビーと受付。客室が少しだけあって、後は共同の浴場です。
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 午後2時ころに。まずチェックインして、町を散策する予定。駐車場が満杯だったので、ホテルも宿泊客でいっぱいかと思っていましたが、駐車場が一杯なのは、鎌倉に駐車場が少なく、ここが有数の便利な駐車場だからだとか。宿泊客のチェックインは私が1番だったようで、「今ならまだ2階の部屋は誰もいないし、鍵をかけていないので自由に見てください」ということで、喜んで2階へ。
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 2階の廊下と客室。さすがにレトロでした。
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 夜のホテル。
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昼間は宿泊客はいませんでしたが、夜はさすがに満室です。予約した時に、「旧館ですが入口が別」と言われた理由は、私が泊まったこの出っ張り部屋。昔は本館1階の客室が特別に大きな部屋、スイートのようなものだったのでしょう。その部屋続きの奥の部屋を仕切って、出っ張り部分を客室にしているようす。本館の玄関から少し歩かなければ入れない、ちょっと寂しい部屋ですが、小さな出入り口があり、他にないシャワーもあるので、それなりに面白かったです。
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 こちらは隣接する南欧風の新館。旧館は私の泊まった部屋以外は共同浴場でしたが、こちらはどうなんでしょう。

 ベッドが木枠で高い位置にあるので、ベッドに出入りする時に太もも裏に木枠が当たるのが玉に瑕でした。ベッドの脚を切って、腰かけても足が床に届くようにしてもらったら完璧です。うん?お前の足が短いって?確かにおっしゃる通りです・・
by gipsypapa | 2008-11-23 22:56 | 建築 | Trackback | Comments(4)

京都のレストランNOANOA(ノアノア)

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 哲学の道を北に進み、銀閣寺への参道の入口付近に国指定名勝「白沙村荘・橋本関雪記念館」があります。日本画家の橋本関雪の広大な邸宅だったところで、国の名勝に指定されている庭園と、画室や茶室などの建物、そして関雪が集めた中世の多くの石造美術品などがあります。これらの庭や建物は関雪自身が行ったそうです。

 この洋館は、白沙村荘の北西の角にあり、関雪が欧州旅行で集めたコレクションの展示用として建てたスパニッシュ様式の建物。現在は,レストランになっています。登録有形文化財の鉄筋コンクリート造り、2階建。

レストランNOANOA(ノアノア)
旧橋本関雪邸洋館 1929(昭和4)年
登録有形文化財
設計 : 橋本関雪?
施工 : 不明
京都市左京区浄土寺石橋町37
撮影 : 2008.9.28
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 右に見えるのは新館。
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 正面から東側へ。スパニッシュの洋館です。
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 こじんまりした玄関を入るとロビーに受付がありました。
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 旧館を予約していたので、通されたのは1階のレストラン。
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  1階には台所があり、その周りをカウンターが取り巻いて、15人程度が食事できるテーブル席があります。最近、隣に新館が増築されたため、この台所は使われていないようです。
 テーブルなどの調度品は、5月に行ったプロヴァンスの家庭的なレストランを思わせる雰囲気。
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 2階もレストランスペース。階段を上って・・
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  2階も同規模のレストランスペースでアーチ窓が印象的。本当はここで食事をしたかったのですが、一杯でした。食後に上がったら、もうお客さんが帰った後で、ゆっくり見ることができました。
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 天井には鉄筋コンクリートの梁。
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 開館当初からあったソファとテーブルが残っていました。

 白沙村荘も見たかったのですが、時間がなくなり見ることができませんでした。j-gardenさんのブログ「日本庭園的生活」に素晴らしい庭園の写真がありますので、こちらをどうぞ。
by gipsypapa | 2008-11-21 11:57 | 建築 | Trackback | Comments(2)

関西電力京都支店

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 JR京都駅前を北に出てやや西寄りにあります。装飾の多い武田五一にしてはオーソドックスなスタイルで堂々とした印象。格子状に配置された窓とコーナーの曲面を強調しています。全面タイル貼りで、正面玄関周りに黒御影石を使った鉄筋コンクリート造り8階建て。

関西電力京都支店
旧京都電燈本社 1937(昭和12)年
設計 : 武田五一
施工 : 銭高組
竣工 : 1937年
京都市下京区塩小路通烏丸西入東塩小路町579
撮影 : 2008.9.28
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 黒御影石が口をあけたような出入り口。
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 全面にこのベージュ色のタイルが貼ってあります。
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 存在感のあるコーナー部。しかしながら、新しそうに見えるし、これといった特徴がないので、知らなければそのまま通り過ぎてしまいそうです。
by gipsypapa | 2008-11-20 17:43 | 建築 | Trackback | Comments(4)

山科の栗原邸

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 兵庫県はまだ多くの建物の撮りだめがありますが、長くなったので、少し京都に行ってから、関東地方へ移動します。

 今年7月に本野精吾氏の自邸を見に行ったあとに、この建物を知り、見たいと思っていたところに、新聞で一般公開されることを知り申し込みました。あいにく朝から雨でしたが、現地に到着したころには幸い雨は止んでいました。ただもう少し太陽の光があればよかったのですが。

 この建物は本野精吾が武田五一の招聘を受けて勤務していた京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の校長で、染織家でもあった鶴巻鶴一氏の自邸として昭和4年に建てられたものです。

 先に紹介した本野精吾自邸はこじんまりして、限りなくシンプルなモダニズム建築でしたが、この建物はその5年後の築ということもあって、ウィーン分離派やアール・デコなどの影響を受けたより装飾的で、遊び心のある住宅建築となっています。DOCOMOMO Japan 選出の「中村鎮式コンクリートブロック造」2階建。

栗原邸
旧鶴巻邸 1929(昭和4)年
設計 : 本野精吾
施工 : 不明
京都市山科区御陵大岩17-2
撮影 : 2008.11.8
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 公開日の初日ということで、たくさんの見学客でした。建物は中村鎮式コンクリートブロック造ですが、この玄関ポーチとその上の張り出しサンルームは印象的な円柱形なので、普通のコンクリート造り。
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 道路から門を見た建物は、自邸に通じるモダニズムのデザイン。
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 通用口や窓に直線的な庇があるのは、F. L. ライトを思い出させます。庇を設けたのは雨が多く日差しの強い日本の気候を配慮したものだそうです。
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 裏側からの全景。異様に高い煙突が先端にかけて微妙に細くなっています。
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 他の窓はブロックで囲んだシンプルな構造ですが、左の面の窓だけは張り出して複雑な構造。このショットはF.L.ライトか遠藤新みたいです。
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 コンクリートブロック剝き出しの壁は本野清吾らしい。中村鎮式コンクリートブロック造は、現在のコンクリートブロックではなく、L字型を組み合わせることによって空間を作り、その空間に鉄筋を入れてコンクリートを流し込む方式なので、耐震強度が強いのです。中村鎮が設計した建物が関東大震災(1923)で倒壊しなかったことに本野精吾が注目し採用したとのこと。
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 2本の円柱で支えられた玄関ポーチ。この辺はモダニズムというより、かなり装飾的です。
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 1階の居間。
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 木製の戸棚が組み込まれた当時としては現代的なキッチン。
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 バスルーム。
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 書斎。インテリアの家具は当時のままです。
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 円形に張り出した2階のサンルーム。
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 2階のもう一つの部屋。寝室だったかも?
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 染織家でもあった鶴巻鶴一氏が書いた襖絵。
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 各部屋の灯具は多様です。これらも本野清吾によるもの。
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 各部屋に暖炉がありました。
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 階段を上って。
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 屋上に出ました。琵琶湖疎水が北側を流れていて、見晴らしの良い場所にあります。夏はここでビールを飲みたくなるでしょう。
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 見どころの多い、わたし好みのモダニズム建築でした。外観はさておき、内部は傷みが目立っている箇所が多く、このような古い建物の維持がいかに難しいか、というかお金がかかるか、ということを再認識しました。さらにコンクリートブロック造りの場合は、後になって壁に配管や配線用の穴をあけるのに躊躇しそうですね。
by gipsypapa | 2008-11-18 15:28 | 建築 | Trackback(1) | Comments(8)

武田史料館

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 大邸宅が並ぶ住吉山手。阪急電車の御影駅から坂道を上がって、旧乾邸、小寺邸や白鶴美術館を見に行ったことがあれば、途中に巨大な邸宅と石積みの門があるので、気付いた人は多いかと思います。

 今でも威容を誇る大邸宅で、武田薬品工業の六代目会長の武田長兵衛氏の住宅でした。関西ではよく略してタケチョウといわれる武田長兵衛は、特定の個人名ではなく武田薬品工業の武田家の当主が代々、襲名してきた名前でした。

 右は2004年11月2日の日経新聞に載った記事です。これによると現在、武田史料館になっている本宅と北側にやや規模の小さな同じ意匠の建物が建っているとあります。何回か歩いた記憶では、正門の近くは石塀と垣根の植え込みが邪魔してほとんど建物が見えず、北側に行って見えてきたので、私が撮った写真は六代目会長の三男で、やはり後に会長になった武田國男氏の住居が大半だと思います。

 英国風のハーフティンバー・スタイルの洋館。設計は京都を中心に多くの建築物の設計を手がけた建築家で、ネオ・ルネサンス様式の名建築として知られる京都府庁舎旧本館や、京都ハリストス正教会聖堂武田道修町ビルなどの設計などで知られる松室重光。

武田史料館
旧武田長兵衛邸・ 銜艸居(かんそうきょ)
1932(昭和7)年
設計 : 松室重光
施工 : 不明
神戸市東灘区住吉山手4
撮影 : 2006.4.22, 2006.7.30
& 2006.11.11




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 御影駅から坂を上ってくるとこの巨大な門が目に入ります。いかにも大邸宅。
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 正式名である「銜艸居(かんそうきょ)」の表札。薬業にゆかりの深い家として中国の古典から名付けられたそうです。
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 正門横の通用門に「武田史料館」の表札がありました。
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 六代目がケンブリッジ大学に留学したためチューダー様式を採用したとか。日経の記事によると外観は洋館ですが、中には和室や茶室もあるそうです。それにしても、私が撮った写真が小ぶりな三男邸だとすると、本館はどれほどの規模なのでしょう。
by gipsypapa | 2008-11-17 10:40 | 建築 | Trackback | Comments(10)