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京都大学 東南アジア研究センター

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 京都大学の積み残しです。

 鴨川沿い丸太町通りの北側、荒神橋近くで目を引く煉瓦造りの建物。当時は京都織物会社という西陣織の織物工場の本館でした。工場自体は本館の後ろにあったそうですが、現存しません。現在は京都大学の東南アジア研究所センターが使用しています。訪ねたときは、鴨川側の正面に工事中の目隠し塀が張り巡らされていて、肝心の正面ファサードが見えませんでした。明治中期の煉瓦造り2(一部3階)建で、施工は日本土木会社(今の大成建設)。

京都大学 東南アジア研究センター
旧京都織物会社 本館 1890(明治23)年
設計 : 日本土木会社(推定)
施工 : 日本土木会社
京都市左京区吉田下阿達町46
撮影 : 2008.1.3
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 残念ながら工事中でした。建物自体の工事ではなく、前庭の工事のようです。何か新しく建てるのか?
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 正面は目隠し板の隙間もないので、北側に廻ったらアクセスができました。
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 明治を感じさせるイギリス積みの煉瓦がいい感じの色になっていました。
by gipsypapa | 2008-07-31 11:05 | 建築 | Trackback | Comments(10)

聖ドミニコ会聖トマス学院京都修道院

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 鴨川沿いに大正期に武田五一が設計した洋館があります。明治から大正にかけて関西を代表する棉業商だった山口玄洞の住宅でした。これが住宅か、というくらいの大型の館で、印象的な車寄せのあるポーチを持つ武田の代表作の一つ。現在は聖ドミニコ会の聖トマス修道院として使われています。鉄筋コンクリート造り、地上2階建て、地下1階建て。

聖ドミニコ会聖トマス学院京都修道院
旧山口玄洞邸 1923(大正12)年
設計 : 武田五一
施工 : 清水組
京都市上京区河原町通今出川下ル梶井町
撮影 : 2008.7.5
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 北側に駐車場があり、建物背面の全貌が見えます。ビルのような建物。これが本当に個人の住宅?
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 中央に大きな縦長のアーチ窓。階段室でしょうか。向こう側に同じアーチ窓があるようです。
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 右側には純和風の蔵と書庫のような洋館。
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 西側の煉瓦塀を南下すると・・
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 本館のアーチ窓と玄関ポーチが塀越しに見えてきます。
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 キリスト教の修道院とは思えない、武家屋敷のような門が開いていました。中には石灯籠があったり・・
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 門を入ると、風景が一変。緩やかなスロープの先は写真で見たことのある、車寄せのついた玄関ポーチ。南側の本館は見ることができなかったので、ここが一番の見どころです。
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 車寄せと思ったらスロープは行き止まりでした。
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 玄関脇に隣接した小部屋。この前を奥に行けば本館の正面が見えるはずですが、行ける雰囲気ではなく。
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 武田五一は「スパニッシュが理想の住宅」と主張したそうで、この建物もスパニッシュ風ですが、玄関ポーチ回りと、少し見えた内部はステンドグラスを多用したアール・デコの香りも。
 武田五一らしさを感じる凝った建物でした。
by gipsypapa | 2008-07-29 17:07 | 建築 | Trackback | Comments(5)

金閣寺の北山文庫

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 「まちかどの西洋館」に興味深いスパニッシュの洋館が出ていました。このブログにコメントをくれるべーさんのHPで、大体の場所を教えていただき、北区を探索したついでに行ってみました。

 一方、「京都の近代化遺産」という本に、北山文庫(旧加藤伍兵衛邸)という、あめりか屋設計の住宅があることも知っていて、見たいと思っていました。「北山文庫」で検索してもほとんど建物としての情報はありませんが、地図検索では金閣寺の一角に北山文庫が出てきます。

 両方の情報を持って行きましたが、結果的にこのふたつは同じ建物であることがわかりました。「まちかどの西洋館」の写真を見てもわかりますが、門は簡単に見つかっても、建物はほとんど見えない状態です。金閣寺の参道から近づくことができないかと、色々探しましたが、結局、門の見える大通りからしか撮影できませんでした。c0112559_1339164.jpg

 →の Google Earth の下のほうにあるのが北山文庫。かなり大型の建物です。写真は右下にある大通りのバス停近くから撮影しました。上に東西に走る金閣寺の参道がありますが、森に囲まれていて、近づけるかどうかわかりません。

 北山文庫は金閣寺が管理しているようです。昔からの蔵書などを保管しているのでしょうか。金閣寺の参道から、北山文庫の方向に行けそうな小道が2本ありましたが、どちらも進入禁止でした。中まで見ようとは思いませんが、せめて外観でも見れるようにならないのでしょうかね。

あめりか屋は大正時代から洋風住宅建築の設計・施工を手がけてきた会社です。東京に本社がありましたが、大正12年に山本磯十郎があめりか屋から独立。京都高倉六条に、あめりか屋京都店を設立しました。

京都での代表作は革島医院
他にもあめりか屋としては名古屋市の旧川上貞奴邸などがあります。

北山文庫
旧加藤伍兵衛邸 1936(昭和11)年
設計 : あめりか屋京都店
施工 : 不明
京都市北区金閣寺町20
撮影 : 2008.7.5
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 唯一見ることができる素晴らしい煉瓦造りの門。これを見たら、建物も見たくなります。
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  通り側にも石垣がありフェンスが張ってあります。木々の間からやっとの思いで撮った写真。アーチ窓が見えます。窓のガラスはモザイク模様のようで、素晴らしいようです。このような貴重な建物は、住宅として使われていないのであれば、もう少し一般にも見えるような配慮をして欲しいものです。
 ↑の「まちかどの西洋館」にはもう少し別の角度からの写真があります。
by gipsypapa | 2008-07-28 13:54 | 建築 | Trackback(1) | Comments(6)

京都の旧岡村宇太郎邸

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 再び訂正です。Rさんという方から、この住宅は故岡村宇太郎(日本画家)の邸宅だった。また今は取り壊されて現存しないという情報をいただきました。データを変更します。(2012.5.13)

旧中村建築研究所京都出張所の建物と思って、一度アップしましたが、べーさんから↓の本野精吾のPDFにある写真と外観が違うとのご指摘があり、確かに違うこと。また同じPDFの解説に中村建築研究所京都出張所の南に中村鎮設計の古城邸があるのがわかりましたので、修正します。

 本野邸のすぐ近くにある建物。鎮式コンクリートブロック(鎮ブロック)で有名な、中村鎮(まもる)設計の古城邸だと思われます。こちらは本野邸のようにブロック剝き出しではありませんが、中村鎮設計ですから、躯体は当然コンクリートブロックを使った鉄筋コンクリート造りでしょう。持ち主は本野精吾がいた当時の京都高等工芸学校の古城鴻一教授。
 建築年も本野邸や中村建築研究所と似た意匠なので、本野精吾が設計にかかわっていた可能性があります。本野と中村は京都工芸学校実習室(現存せず)を同じ1924年に協働して設計していることから、この仮説は説得力があります。

 中村鎮は大正から昭和初期に活躍した建築家。鎮ブロックを用いた中村式鉄筋コンクリート構造。鎮式ブロックが外装材と鉄筋コンクリートの型枠を兼ねた構造になっています。

中村式鉄筋コンクリートブロック構造の建築物は、大正9年以降、全国に119件あるそうですが、その一部は↓に。
日本基督教団福岡警固教会
「ひろの東本西走!?」日本基督教団天満教会


 2010年ころ解体されました。

旧岡村宇太郎邸 1924(大正13)年ころ
設計 : 中村鎮+本野精吾?
施工 : 不明
京都市北区等持院北町
撮影 : 2008.7.5
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現在は使用されていないようで、樹木や絡まる蔦に隠れて建物の全貌がみえません。見えないながらも、2階建の洋館です。
 背の低い煉瓦造りの門は、本野精吾自邸と全く同じ形をしていて、やはり本野の関与を感じさせます。全貌は「まちかどの西洋館」で見ることができます。
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 今は空き家のようで、近づくと一部が見えてきました。外観からはブロックは見えず、モルタルで仕上げてあります。
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 こじんまりした玄関周り。
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 壁面も蔦に覆われてほとんど見えません。
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 受取人のいないメールボックス。
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 腰の下部はレンガ貼り。
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 東側に倉庫のような別棟がありました。
 ここは庭木や蔦が落葉する冬にもう一度訪問したいところです。空き家のようなので、問題は、いつまで残っていてくれるかですね。
by gipsypapa | 2008-07-25 10:59 | 建築 | Trackback | Comments(8)

本野精吾自邸

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 当時の日本の建築界では前衛ともいえる、モダニズム運動をリードした本野精吾は、この等持院界隈に大正13年(1924)に自邸を自らの設計で完成させました。彼の作品の数はそんなに多くはありませんが、いずれも当時主流だった古典主義を脱却する過程での実験的なものです。

 彼は東京帝国大学を卒業した後、当時京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の教授であった武田五一の招きで、1908年に同校図案科の教授となって京都へ。その後、ヨーロッパへ留学を経た後に本格的な活動を京都で始めました。武田吾一に招かれたからといっても、作風は武田とは違うヨーロッパの新しい建築モダニズムの影響を受けています。

 この自邸は中村鎮式コンクリートブロックを剥き出しのまま使用し、合理性を追求した、日本におけるモダニズム建築の先駆になったものです。この建物は平成15年(2003)に「DOCOMOMO Japan 100」に選ばれています。コンクリートブロック造り、2階建。

 本野精吾については INAX Report が Web にあり、詳細な解説や写真が掲載されています。ここにあるPDFファイルはさらに詳細で、近代建築ファンは必見です。ということで、ここでこれ以上詳しく書くは述べません。なお、他の建築家の貴重かつ専門的な解説もありますので、ご参考に。

本野清吾自邸 1924(大正13)年
設計 : 本野精吾
施工 : 不明
京都市北区等持院北町
撮影 : 2008.7.5
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 現在も現役の住宅なので正面からの撮影は控えめに。玄関が北東の角にあり、上部は切り欠きになっていて、古典主義とは違う非対称形。
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 北側の隣家前から建物の側面が見えました。
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 まったくのコンクリートブロックむき出し。だだ、玄関脇の柱にはレンガタイルが貼られて単純なモダニズム建築ではない、設計者の意図が感じられます。
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 シンプルですが、現代に通じるデザイン。最近、だんだん装飾の多い住宅より、このような単純明快な形式美がいいなと思うようになってきました。
by gipsypapa | 2008-07-23 17:07 | 建築 | Trackback | Comments(0)

桜谷文庫洋館

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 京都の北区等持院界隈は、大正の初めに日本画家の木島櫻谷(このしま・おうこく)が市内中心部からここに転居して以来、画家を中心とした人々が集っていた住宅地でした。さらに当時としては前衛ともいえる建築家・本野精吾が等持院界隈に居住して自邸を含む周囲の住宅を建てたりしたために、文化人の集う町だったそうです。

 この桜谷文庫は彼の作品を保存・展示するために、自邸を使って開設されたもの。当時の主屋(櫻谷文庫和館)、収蔵庫(洋館)、画室があり、主屋と画室は和風の木造ですが、収蔵庫は西洋風の木骨煉瓦造り2階建。いずれも登録有形文化財。

桜谷文庫洋館
旧木島櫻谷邸 収蔵庫 1913(大正2)年頃
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市北区等持院東町55
撮影 : 2008.7.5
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 純和風の正門。脇に国の登録有形文化財のプレートがあります。2006(平成18)年指定。
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 洋風とはいえ、土蔵のイメージ。非公開になっているため塀越しにしか見ることができません。
by gipsypapa | 2008-07-22 15:47 | 建築 | Trackback | Comments(0)

聖ヨゼフ修道院 門の家

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衣笠会館から西大路通を北上し、北野白梅町駅を通り過ぎると右手に聖マリア養護学校やひばり学園などの校舎があります。

その東裏側にあるのが聖ヨゼフ修道院。東の露地に面している大正期の門衛所。旧財閥の住友家衣笠別邸があった場所で、今は修道院や学校になっている広大な敷地に日本家屋と接待所に使われた大きな洋館があったそうですが、戦後になって取り壊され、この門と門衛所だけが残っています。

設計者の多久仁輔氏は住友の建築設計部門に所属した人。中世のヨーロッパを思わせる、とんがり屋根とハーフティンバー、平屋建ての登録有形文化財。

聖ヨゼフ修道院 門の家
旧住友家衣笠別邸 門衛所 1920(大正9)年
登録有形文化財
設計 : 多久仁輔
施工 : 八木甚兵衛
京都市北区北野東紅梅町7
撮影 : 2008.7.5
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このレンガ造りの門も国の登録有形文化財。
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 今でも広大な敷地があります。左に見える白い像は聖ヨゼフでしょうか?
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腰部分は煉瓦壁、上部は木造のハーフティンバー様式です。
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小さいながらもハーフティンバーでベイウィンドウと煉瓦の煙突もある、当時の洋風設計の意匠を凝縮させたような建物。これが守衛の詰め所か。昔の財閥のけた外れの財力を思い知ります。
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 門の家のすぐ後ろに、もう一棟さらに小ぶりな煉瓦造りの小屋のようなものがありました。右側は煉瓦、左は石を使ったコンクリート壁のように見えます。丸窓があり、屋根はとんがっています。
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設計者の多久仁輔という人は住友の建築設計部門の頭だったことしか詳細がわかりませんが、こんな素晴らしい門衛所を設計したのなら、壊されたという洋館も見たかったと思うのは、誰でも同じでしょう。
by gipsypapa | 2008-07-20 16:14 | 建築 | Trackback | Comments(5)

衣笠会館(衣笠会 繊維研究所)

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京福電鉄北野線の終点北野白梅町駅で降りて西大路通りを南に進むと、右側に暖炉の煙突がある洋館が見えてきます。京都では他にほとんど見ない煉瓦造の住宅建築。

 紡績会社・京都綿ネルの専務だった藤村岩次郎の邸宅の一部で、戦後は京都工芸繊維大学繊維学部の所有になっていました。現在は文部科学省所管・財団法人衣笠会・繊維研究所として使用されています。藤村岩次郎の京都綿ネル会社の本社は先に紹介した、今の日本写真印刷の本館です。レンガ造りとばかり思っていましたが、門の脇に掛けてあった説明書では木造煉瓦造り2階建てとなっていました。木造煉瓦造り?の登録有形文化財。

衣笠会館(衣笠会 繊維研究所)
旧藤村岩次郎邸 1905(明治38)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市北区北野下白梅町29
撮影 : 2008.7.5
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 この日は土曜日で門扉が閉まっていましたが、平日は建物の中には入れないものの、庭に入ることができるそうです。
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 仕方がないので塀越しか・・
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 門扉の隙間からしか見えません。
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 西大路通りに戻って、北側に移動。建物の裏側が駐車場で裏面が見えました。
by gipsypapa | 2008-07-18 15:43 | 建築 | Trackback | Comments(2)

同志社大学フレンドピースハウス

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 同じく京都御苑の東側に同志社関連の明治時代の洋館があります。同志社の宣教医ジョン・C・ペリーの旧自邸でした。その後は同志社大学留学生の布哇(ハワイ)寮として使われたのち、現在は国際親善のための施設や会合など多目的に使用されているそうです。

 白い下見板の壁面に窓や柱の緑色の木部を露出させた美しい洋館。しかしながら屋根は桟瓦葺で和洋折衷です。1997(平成11)年に改修が行われています。登録有形文化財の木造2階建て。

同志社大学フレンドピースハウス(布哇寮)
旧J.C.ペリー邸 1887(明治20)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
京都市上京区寺町通石薬師下る染殿町665-1
撮影 : 2008.7.5
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 新島襄旧邸のある寺町通りから西へ入ったら見えてきます。
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 北面の切妻造りの玄関。
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 北側を通って西側へ・・
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 南・西面の1・2階には開放的なベランダ。アメリカ南部の田舎を思わせる風景です。前庭の芝生も美しくこのシーンが一番の見どころでしょう。
by gipsypapa | 2008-07-17 10:39 | 建築 | Trackback | Comments(4)

新島襄旧邸

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 京都御苑に東側にある明治の建物。同志社の創立者新島襄の自邸でした。同志社教員で医師・宣教師でもあった W.テーラーの助言をもとに、新島自身が設計したといわれています。三方にベランダを巡らせたアメリカのコロニアル様式の住宅建築。スタイルは洋風ですが和風在来工法である真壁造の寄せ棟、木造2階建て。京都市指定文化財。

 この近くには他にも見どころのある建物があるので、何度か前を通っていますが、門が閉じていたりして、今回初めて門をくぐりました。

新島襄旧邸 1878(明治11)年
京都市指定文化財
設計 : 新島襄
施工 : 不詳
京都市上京区寺町通丸太町上ル松蔭町
撮 影 : 2006.6.24, 2008.1.3 & 2008.7.5
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 この日は休館日。他にも観光客の姿が見えますが、門がしっかり閉まってます。
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 鉄の門扉に同志社の校章。
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 今度は門が開いていましたので敷地内へ。
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小さな煙突が両側に見えます。
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 床が高く、三方にべランダがあり、窓には鎧戸。白い真壁に茶褐色の木部を露出した装飾のない簡素な二階建住宅です。
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 アーチ形の潜り門。
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 北側にある平家部分は純和風。
by gipsypapa | 2008-07-15 13:51 | 建築 | Trackback | Comments(4)