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福岡県立福岡高等学校

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 大正6年に旧制中学として開校した伝統校。西の修猷(しゅうゆう)東の福高(ふっこう)といわれる文武両道の学校です。

 古いほうの修猷館が正門を残すだけで、建て替わってしまったのに比べて、ここは昭和初期の正門や校舎が今も残っています。鉄筋コンクリート造り、3階建て。

福岡県立福岡高等学校 
旧福岡県立福岡中学 1929(昭和4)年
設計 : 三条栄三郎(福岡県)
施工 : 不明
福岡市博多区堅粕1-29-1
撮影 : 2008.1.14
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 当時のままの正門。門扉は、片方には現在の高校のロゴ、もう一方には旧制中学のロゴがありました。
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 正門を入るとロータリーになっていて、円形の植え込みがある、典型的な昔の学校です。
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 大型ながらシンプルな車寄せのある玄関ポーチが正面に。
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 かなり大きなコの字型校舎。北が正面で、これらは中庭から東西の校舎を見たところ。
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 正面から中庭へ抜ける通路。半地下のようになっています。
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 通路から覗いた内部の作りもレトロです。
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 正面の車寄せのあるポーチから玄関へ。
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 玄関ホールとその奥のアーチの向こうに部屋が見えました。なかなかいい雰囲気です。
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by gipsypapa | 2008-03-31 13:33 | 建築 | Trackback | Comments(19)

県立修猷館高校旧正門

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 修猷館(しゅうゆうかん)は元は福岡藩の藩校で、今も旧制中学時代の面影を遺す御影石で作られた門柱。私が福岡にいた時代はこの正門は国道202号線の市電の通る道、つまり今の正門の場所にありました。最近の校舎の建て替えのときに、東側の西南学園大学や百道地区に続く通りに移設されて、唯一歴史を伝えています。

 色々な人のご指摘があり、↑ は勘違いでした。元からここにあった門でした。国道に向かう門(私のころはこちらが正門)は建て替えられています。c0112559_12114846.jpg
 
 修猷館の名は尚書「微子之命」の章句、「践修厥猷」(湯王の道を踏み修む)から取られたもの。徽章は六光星と呼ばれ、1894年(明治27年)12月の制定。由来は朱舜水の「楠公賛」の冒頭の句「日月麗乎天」によるもので、日月と輝きを同じくする星の光に将来を荷う若き青年の希望を託したもの。

県立修猷館高校旧正門
旧制修猷館中学校正門
1900(明治33)年ころ
福岡市有形文化財
設計・施工 : 不明
福岡市早良区西新6
撮影 : 2008.1.14
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 六光星が打ち抜かれた門扉。
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 門の左右に残るレンガ塀。
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by gipsypapa | 2008-03-29 12:19 | 建築 | Trackback(1) | Comments(9)

九州大学西新外国人教師宿舎第3号棟

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今日から再び福岡を少し。昔の福岡は熟知しているつもりで、かつこの近辺は中学、高校と通ったのですが、こういう建物があるのとはつゆ知らず。西新という町でも樋井川沿いの海側の死角になったような場所だったためです。

 かつての旧制福岡高等学校(現九州大学)の教養課程教師の宿舎があった一角だったらしいのです。当時は、大正13年に平屋建て和風家屋3棟、2階建て洋風家屋2棟が、更に昭和2年(1927)に敷地南西部に平屋建て洋風家屋1棟(外国人教師宿舎3号棟)が建て増されたそうです。今はこの外国人教師宿舎1棟のみが残っていて、九州大学国際研究交流プラザの敷地の中に保存され、会合などに使用されているそうです。

九州大学西新外国人教師宿舎第3号棟
旧制福岡高等学校外国人教師宿舎第3号棟 1927(昭和2)年
福岡市指定有形文化財
設計・施工 : 不明
福岡市早良区西新2-16
撮影 : 2008.1.14
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 樋井川沿いの道路に面した。この中央玄関を入ってロビーを抜けるとあります。
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 こじんまりした玄関ポーチが東西に1か所づつ。
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 外壁は各面とも下見板張り。隅や角部に柱がなく、下見板を突き付けです。
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 玄関ポーチの天井。
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 典型的な切妻造り。
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 プラザのビルのブラインドの隙間からも見えます。
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 前回の福岡シリーズでも書きましたが、福岡市には近代建築がほとんどなくなった中で、この建物がかろうじて残っている貴重な遺産です。
by gipsypapa | 2008-03-28 14:12 | 建築 | Trackback | Comments(2)

Gitano Family Japan Tour 2008

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 まったくの番外編ですみません。「ヴォーリズを訪ねて」にもアップしましたが、こっちにも。
 
ヴォーリズやレトロな建物の趣味はもちろんですが、音楽を聴くのも大好きです。若いころからポップ、ロック、ジャズ、クラシック音楽を経て、この15年間はジプシー音楽にハマっています。ジプシー音楽にもいろいろあって、東欧のバイオリンを使うもの、スペインのフラメンコが代表的なものでしょう。私が追いかけているのは南仏のジプシールンバ(というジャンルはないでしょうが)なのです。

 私の凝りだしたら徹底的に追求する性格のため、数多くのCDや古い音源のレコードを収集して、このジャンルのファンとしては世界的に知られるようになってしまいました。ただし、このジャンルのファン数はそんなに多くはないのです。(^-^;;

 そういう趣味が高じて、仲間と協力しながら本場のミュージシャンを日本に呼んでライブをすることになりました。今年が2回目になります。昨年のライブはレストランやカフェバーを借りた、こじんまりしたものでしたが、評判がよく、今年は少し大きめの会場を使います。

 まったくの趣味の世界で非営利ですが、ミュージシャンも航空券やホテル代は自費で来てくれます。会場代が赤字にならず、少しでも彼らにお返ししたいと思います。興味のあるかたは、ぜひご来場ください。チケットの購入方法は後半にあります。まだまだ余裕がありますのでよろしくお願いします。

Gitano Family のプロフィール

鬼平犯科帳のエンディングテーマ「Inspiration」やキリン淡麗のCMソング「Vorale」で有名になった Gipsy Kings は、実はスペインではなく、南フランスのジプシーグループ。哀愁に満ちた歌声や叙情的なギターは、フラメンコルンバの流れをくみながら、南フランスのアルルやモンペリエを中心とした、カマルグ地方で独自に引き継がれてきた音楽スタイルなのだ。

 その Gipsy Kings の兄弟バンドである Gitano Familyは、すでに5枚のアルバムをリリースして世界的に著名なグループである。

 リーダーの Julio Romero と現Gipsy Kings の Patchai Reyes が息子や甥達を集めて始動したバンド。しかし、Patchai は Gipsy Kings に加入したため離脱する。その後はリーダー Julio を中心としつつ Canut Amador (現 Gipsy Kings メンバーの息子)、Josephy Gautier (現 Chico & The Gypsies メンバー)ら若手のメンバーを起用し精力的に活動しており、数多くのライブをこなしている。ルンバに乗せて女性陣がしなやかなバイレを加えるステージが特徴的。メンバーの構成も流動的というか柔軟というか、ライブによって毎回違った顔ぶれになる場合もある。現在は Julio Romero を中心に、息子達、親戚、甥っ子などを交えてバンドを構成している。

来日メンバー

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Julio Romero :(リードヴォーカル、ギター)
バンドリーダーであり、よき父親。オリジナル曲はほとんど彼の作詞作曲である。
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Julio-Miguel:(ヴォーカル、リードギター)
Julio の長男。卓越したギターテクニックとハイトーンのバックヴォーカルが厚みのあるコーラスを構成する。
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Lucas-Pedro:(ヴォーカル、リードギター)
Julio の次男。彼のギターテクニックもすごい。いわゆるイケメンで女性ファンが多い。
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Little Patchai:(リードヴォーカル、ギター)
Gipsy Kings メンバーの甥っ子。Gipsy Kings の血をそのまま受け継いだ、独特の塩枯れ声と節回しで、聞く者をあっという間に、彼らの世界へ引き込む魅力的なヴォーカリスト。
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Marjory :(バイレ)
Julio の奥さんでJulio-Miguel, Lucas-Pedoroの母。魅力的な美人。バンド始動時からの花形ダンサー。彼女のフラメンコとは違ったしなやかな踊りはステージの花。

アルバム一覧

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                                    Roque Rock (1993)
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                                    Sara Sara (1996)
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                                     Torero (1996)
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                                    La Fleur Gitano (2000)
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                                    Religius Flamenca (2007)

ライブ日程

4月5日(土)桑名Kuwana レストランRocca
三重県桑名市太一丸22-4 (0594-27-2345)
近鉄名古屋線桑名駅から北東へ徒歩10分
http://www.rocca.tokai.walkerplus.com/
昼の部 open 12:30
    13:00~ 食事
    14:00~ ライブ
夜の部 open 17:30
    18:00~ 食事
    19:00~ ライブ
チケット前売り 9,000円(当日券もあり)
* コース料理 ドリンク別
* プログラム
  1.歌曲(名古屋音楽大学声楽科学生)
  2.Gipsy Fiesta  with ”Gitano Family”
    ゲスト;Mario&Gipsy Nico
お問い合わせ
  090-7693-5598 鈴木
  gf-jp@live.jp

4月7日(月)東京Tokyo Jazz クラブ ”JZ Brat”
渋谷区桜ヶ丘26-1 セルリアンタワー東急ホテル 2F(0120-511-350)
渋谷駅 徒歩5分
open 18:00
   19:30~20:30  GIPSY GROOVE
   20:30~20:50  ABE  KOBA (スペシャルゲスト)
   21:10~22:10  Gitano Family
チャージ
   4500円 (食事・ドリンク別)
お問い合わせ
   info@jz-brat.com
   03-5728-0168 (JZ Brat)
     
4月9日(水)京都Kyoto ライブハウス”ダブルキングカフェ”
京都東山区祇園町北側323番地 祇園会館4F (075-541-7771)
京阪四条駅より徒歩5分
http://www.kk-cafe.jp/index2.html
open 18:30
start 19:00~
チャージ:4000円/当日4500円(1ドリンク付)
お問い合わせ
  075-541-7771(KK Cafe)
  gf-jp-@livejp
  
4月11日(金)大阪Osaka ライブハウス”am Hall” 会場内禁煙
大阪市北区曽根崎2-14-17 CIビル 3F 06-6362-2001)
http://www.amhall.jp/
JR大阪駅 全線梅田駅より 徒歩4~6分
open 18:30
start 19:00~
   GIPSY GROOVE
   Gitano Family
チャージ:4000円/当日4500円(別途1ドリンク500円)
お問い合わせ
 06-6362-2001(am HALL)
 gf-jp@live.jp
 チケットピア   Pコード:286-022
 ローソンチケット Lコード:595585

フライヤー
クリックすると大きくなります。
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by gipsypapa | 2008-03-26 15:14 | Trackback | Comments(0)

世界平和記念聖堂 カトリック幟町教会

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 原爆犠牲者慰霊のためのカトリック聖堂で、国の重要文化財に指定された、村野藤吾の戦後の代表作。世界平和記念聖堂の名称で知られていますが、実際はカトリック幟町教会。現地でもらったパンフレットによると、広島で被爆したドイツ人ラッサール司教の発願で建立された聖堂で、c0112559_13232637.jpg壁面は被爆地の土で焼いた煉瓦を積み重ねてつくられているそうです。

 聖堂の建築にあたって、戦後初めて設計コンペが行われ、丹下・前川案がもっともすぐれていたらしいのですが、コルビジェ色が強かったためイエスズ会側及び審査員の間で意見が割れ1位は該当無しとされて、丹下・前川案は2位となりました。代わって、なぜか審査員だった村野藤吾が自ら設計することになったのですが、この経緯は建築設計競技の公平性や審査のあり方についての議論を呼んだとか。このため、村野は設計料の受取りを辞退したそうです。先に紹介した平和記念資料館ではコンペで1等となった丹下健三の設計が採用されたことを考えると、興味深いです。

 ちなみにコルビジェはフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる建築家ですが、なぜコルビジェ色が受け入れなかったのでしょう。当時の彼の作品を見てみると、住宅建築が多く教会建築はありません。唯一、救世軍難民院(1929)というのが宗教的な作品です。救世軍(Salvation Army)はプロテスタント教派団体ですから、それが嫌われたのか?

 村野藤吾の代表作の一つになった宗教建築で、戦後の近代建築としては非常に珍しく、国の重要文化財に指定された、鉄筋コンクリート造り3階建て、地下1階、鐘楼付、3廊式バシリカ会堂。

世界平和記念聖堂(カトリック幟町教会)
旧広島平和記念堂 1954(昭和29)年
重要文化財
設計 : 建築/村野・森建築事務所(村野藤吾)、構造/内藤多仲
施工 : 清水建設
広島市中区幟町4-42
撮影 : 2006.10.20
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 被爆地の土砂を使った灰色のレンガで外壁に積み上げています。
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 玄関扉は「平和への門は隣人愛である」というメッセージないなっているとか。ドイツのデュッセルドルフ市からの寄贈品です。細かな文様が入っています。
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 建物に向かうとまず目に入るのが、エントランスポーチの欄間彫刻。彫刻家の円鍔勝三の作品で、旧約聖書の七つの秘蹟(サクラメント)を表しているそうです。正面に5つ、側面に2つあります。
 以下にネット↓で調べたそれぞれの意味も併記します。
http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page9rx03.html
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 正面向かって左から、「悔悛の秘蹟」(ゆるしの秘蹟)と「堅信の秘蹟」。イエスの足元にひざまづき犯した罪を告白し許しを乞う姿(左)と光輪をもつ鳩(右)を表現しています。
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 「品級の秘蹟」 (叙階の秘蹟とも)。ミサ典書、ストラ(祭服)、カリスなどで聖職者になる儀式を表現。
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 「洗礼の秘蹟」と「聖体の秘蹟」。左は神の手、アルファとオメガの印などで大海に翻弄されるノアの箱舟が導かれていて、右には旧約聖書の出エジプト記にでてくるマンナ(一種のパン)。
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 エントランス向って左の面にある「終油(病者の塗油)の秘蹟」。十字架にかかっているストラ(祭服)、壷(聖油をいれる)があります。
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 向って右の面には「婚姻の秘蹟」。シャネルのロゴのような、ハート型模様、ループ状に繋がるバラの飾り。
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 聖堂に入ってまず驚かされる正面聖壇の「再臨のキリスト」(祭檀中央モザイク壁画)。西ドイツアデナウワー元首相の寄贈によるものだとか。また祭壇上ステンドグラスはミュンヘン市聖ルドビコ布教会(ドイツ)から。
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 振り向いたところ。ヴォールト天井の聖堂。ちょと見えにくいのですがドイツのケルン市寄贈のパイプオルガンが奥の中2階にあります。「ケルンと広島、おなじ苦しみに結ばれつつ世界平和のため共に働き共に祈る」
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 かなり大きく荘厳な聖堂。下段の華やかなステンドグラスはドイツ・ポルトガル・メキシコなどからの寄贈品で構成されています。
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 上段のステンドグラスはオーストリアから。
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祭壇左右のバラ窓はドイツのアーヘン市フランシスコザビエル・フェラインから。
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 平和を祈る。
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 隣接する聖母幼稚園。
by gipsypapa | 2008-03-25 14:12 | 建築 | Trackback | Comments(5)

原爆ドーム

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 あまり詳しく書かなくても有名な広島の原爆ドーム。チェコの建築家ヤン・レツルの設計で、ユネスコ世界遺産にも登録されています。竣工当時の名称は「広島県物産陳列館」で、その後「広島県立商品陳列所」「広島県産業奨励館」と名称を変更。原爆・戦争の悲惨さを伝える観光名所です。煉瓦造(一部RC造)3階(一部5階)建て。

 ヤン・レツル(Jan Letzel :ヤン・レッツェルとも表記される)は1906年来日、約10年の滞日中に共同作品を含め、旧宮島ホテル、上智大学1号館、聖心女学院など11カ所の建築を手がけましたが、ほとんどが消失していて、聖心女学院の正門くらいしか残っていません。その写真とレツルの詳しい情報は↓からどうぞ。
http://fkaidofudo.exblog.jp/6608341/

原爆ドーム
旧広島県物産陳列館・産業奨励館 1915(大正4)年
ユネスコ世界遺産
設計 : ヤン・レツル
施工 : 椋田組
広島市中区大手町1-10
撮影 : 2006.10.20
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 この日は10月とはいえ天気がよく気温も高くて暑かった。暑さは原爆ドームと平和記念公園に合っているのかな。
 
 ついでに同じ公園内にある広島平和記念資料館 および平和記念公園も。
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 丹下健三の記念碑的な建築。日本におけるモダニズム建築の傑作でもあり、DOCOMOMO Japanによるモダニズム建築100選にも選ばれています。
 1948年の世界平和記念聖堂のコンペでは、1等がなくて、丹下案と他にもう1案が2等に並び、コンペによる案は実現せず。(これは次回に紹介します。
 1949年平和公園とそこに立つ平和会館のコンペに、丹下健三案が選ばれ、1955年に開館しました。

広島平和記念資料館 および平和記念公園 1955(昭和30)年
国指定重要文化財・国指定名勝
設計 : 丹下健三計画研究室(丹下健三、淺田孝、大谷幸夫)
広島市中区中島町1-2
撮影 : 2006.10.20
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by gipsypapa | 2008-03-24 14:07 | 建築 | Trackback(3) | Comments(4)

内子座

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3年以上前、四国を旅行した時に、立ち寄りました。愛媛県の内子町は、江戸後期から明治時代にかけて、和紙と木蝋で栄えた町で、当時の面影を残す八日市・護国地区の町並みが、今も美しい佇まいを見せ、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

 中でもこの内子座は、大正5年に建築された本格的な歌舞伎劇場で、現在も芝居やコンサート、寄席などに利用されています。枡席や回り舞台、奈落などが昔のまま残る劇場。木造2階建て、地下奈落。

内子座
1916(大正5)年
設計 : 長曽雄熹
施工 : 西岡暹 
愛媛県内子町内子2102
撮影 : 2004.9.24




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 大正時代を喚起するような看板。
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 こちらは現代の出し物。歌舞伎もありますが、結構有名な芸能人がいますねぇ。
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 内部の見学は有料ですが、安かったと思います。
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 都会では少なくなった典型的な芝居小屋。福岡県飯塚市の嘉穂劇場もそうですが、土地の人々の熱意によって支えられている貴重な財産です。
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 昔の街道が残る内子の町並み。
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 通りの古い店の看板です。「酢卵」という聞きなれない名前。飲み物のようですが、何でしょう?
by gipsypapa | 2008-03-23 21:52 | 建築 | Trackback | Comments(2)

愛媛県立美術館分館(旧萬翠荘)

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 3年以上前に四国を旅した時にホテルの近くにあった建物。旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵の別邸でした。彼は陸軍駐在武官としてフランス生活が長く、この別邸もフランス風様式にしたそうです。現在は愛媛県立美術館の別館として活用されています。
 鉄筋コンクリート造、屋根小屋組-鉄骨造の3階建て。

愛媛県立美術館分館
旧萬翠荘/久松定謨邸 1922(大正11)年
愛媛県指定有形文化財
設計 : 木子七郎
施工 : 不明
愛媛県松山市一番町3-3
撮影 : 2004.9.24
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 この頃はまだ系統立って建物を見ていたころではなく、内部も見学してのですが、写真はこの踊場壁面の大きな帆船のステンドグラスしか撮っていませんでした。
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 外観はフランス風の白いタイル張り。 勾配のきつい屋根とドーマー窓が印象的で、機会があればもう一度見たい建物です。
by gipsypapa | 2008-03-22 23:09 | 建築 | Trackback | Comments(2)

大阪の橋~桜宮橋

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 中之島から東は上流の大川。淀川の支流です。川沿いに大阪城の北側を通って、直角に北に曲ると桜の宮。この橋の周辺は河岸公園で、この橋も公園散策の風景美です。橋の西詰には大阪で最も古い洋館「泉布観」と大阪造幣局や造幣博物館があり、毎年春にはここで行われる「桜の通り抜け」で賑わいます。

 この辺りは阪神高速も走っていないし、河川敷には桜並木が連なって、川沿いの景色も良いのですが、実はこの橋の東詰北側には大阪でも有名なラブホテル街になっています。

 通称「銀橋」と呼ばれる橋ですが、残念ながら、この日は塗装工事中で橋そのものはブルーシートで覆われていて見えませんでした。しかし、もともと目的は武田吾一が意匠指導した階段塔でしたので、その目的は達成しました。

 階段塔は東西に1棟ずつ同じ意匠のものがありますが、この日は西側だけみました。本当は東側も見たかったのですが、なにしろ橋自体が工事中なので歩行での移動は断念。

桜宮橋 1930(昭和5)年
設計 : 大阪市+武田五一(意匠指導)
施工 : 大林組
大阪市北区天満橋1~大阪市都島区中野町1
撮影 : 2008.1.26
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 武田吾一意匠設計のレンガ造りの階段塔。写真は造幣局側の西の塔です。
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 河川敷からこの入口を入って、橋の上に上るわけです。
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 螺旋階段を上って。
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 2階レンガのアーチが美しい。
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 天井に照明器具が下がっていた跡が残っていました。
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 河川敷の階段塔脇に「みゆき橋跡」という表示。ここに支流があったのでしょうか。
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 今年の造幣局の通り抜けの頃には、工事も終わっているでしょう。「泉布観」も改修中で見れなかったので、今年は行ってみようと思います。
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 アクアライナーといわれる水上バスは、中之島からここ大川を通って北上し、淀川の近くまで航行しています。
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 現代の屋形舟も。

 大阪の橋シリーズはこれで一旦終わります。
次は大阪を出て、京都にするか兵庫にするか、思案中ですが、その間しばらく関西以外を少し寄り道します。
by gipsypapa | 2008-03-20 12:50 | 建築 | Trackback | Comments(6)

大阪の橋~難波橋

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 堂島川と土佐堀川を一本で渡る難波橋(なにわばし)。中程東側には中之島公園に下るルネッサンス風の広い石造りの大階段があって、中之島公園バラの広場の緑地と橋の見事な調和が見どころ。

 橋の四隈の親柱の上に、阿と吽それぞれ2体の石造のライオン像が配されていることから『ライオン橋』とも呼ばれます。獅子(ライオン)の石像は彫刻家天岡均一の作品を採用し、莫大小会館や生駒時計店を設計した宗兵蔵(宗建築事務所)が大阪市電気鉄道部技術課とともに設計。宗兵蔵氏らしい濃密な意匠の橋です。

難波橋(なにわばし) 1915(大正4)年
設計 : 大阪市+宗兵蔵
施工 : 大林組
大阪市中央区北浜1・今橋2~大阪市北区西天満1
撮影 : 2006.5.28, 2008.1.16 & 2.19
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  口をかみつかんばかりに開けている阿形(あぎょう)像。メスだそうですが、女は怖いですね~。
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 両手をそろえてつき口をつむっている吽形(うんぎょう)の獅子像。このような穏やかな表情は日本特有とか。ではこっちがオスか。
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 大阪の市章である「みをつくし」を入れた欄干。
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 橋上灯の意匠も凝ったもの。
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 神社を思い出させる石塔。
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 このルネッサンス風の広い石造りの大階段を下りると中之島公園。
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 後で気づいたら、アングルがないためもあり、川に架かった部分の橋げたを撮影していませんでした。唯一右上に写っています。
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 中ノ島の西から東へ難波橋の下をくぐって、
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 東に出るとバラの広場。5月には満開です。中央左向こうに見えるのが中之島公会堂。
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 バラの広場におしゃれな建物が。と思ったら実はこれトイレでした。
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 この小さな橋(難波橋ではなく、新しい橋です)をさらに東に渡ると、
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 小さな島があり、そこが円形バラ園。
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 円形バラ園から見た土佐堀川の水上バス。
by gipsypapa | 2008-03-18 14:53 | 建築 | Trackback | Comments(2)