深江文化村の冨永邸

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 長らく西の方をやりましたので、今日から関西へ戻り、兵庫県を。ここも近代建築愛好家としてはターゲットが多いところなので、始めたらきりがないでしょうから、しばらくやったら今度は東へ移動する予定です。

 阪神電車の芦屋川駅から南の芦屋川西岸の東灘区深江南町に大正末期に開発された深江文化村という西洋館街がありました。深江で長らく続いた医者の家系で大地主の阪口磊石(らいせき)から土地2500坪の提供を受けた、建築家W.M.ヴォーリズ建築事務所の吉村清太郎が都市設計を行い、周りとは一風変わった洋風モダンな空気を醸し出す空間「文化村」が出来上がったわけです。

 中央に広大な芝生庭園が造られ、それを囲むように13軒の西洋館が配され、そこにロシア革命を逃れてきたルーチンやメッテルらの音楽家を始めとして、9カ国13組の文化人の家族が居住したそうです。 現在はそれらの洋館はほとんど残っておらず、私が訪れた時には3棟ありましたが、さらにそのあと1棟解体撤去されたということです。

 この冨永家住宅も当時をしのばせる数少ない歴史的建造物で、日本最古のツーバイフォー工法による建造物。 現在も現役の住居として使用されています。登録有形文化財の木造2階建て。

冨永家住宅 大正末期
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
神戸市東灘区深江南町1-3
撮影 : 2007.9.16
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 寄せ棟に一部破風のある特殊な屋根形状です。濃い緑色の外壁に白い窓枠が印象的。よく手入れされているようで、全く古さを感じさせず、むしろ最近流行の建売輸入住宅の原型のように見えます。
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 手前にある付属屋も登録有形文化財。
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 中央にあったといわれる中庭は、その面影がなく、駐車場になっていました。
by gipsypapa | 2008-10-14 15:41 | 建築 | Trackback | Comments(4)
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Commented by j-garden-hirasato at 2008-10-16 06:33
中庭が駐車場ですか。
相当広かったんですね。
車社会は、
いろいろなものを壊してます。
Commented by gipsypapa at 2008-10-16 14:16
j-garden-hirasato さん、
想像するに長方形の敷地の周辺に13軒の洋館が建っていて、
中央部が共通の中庭だったのではないでしょうか。
今は空き地が多く、中庭というイメージはありませんでした。
Commented by 洋館大好き at 2011-02-12 01:08 x
小学校の頃、ふと出会った芝生の向こうの洋館が、彼の有名な「富永邸」であることは、現在私が住むツーバイフォー住宅を建てた建築士が教えてくれました。ここに至るまでは芦屋市浜町にあった伝説的な洋館群の「三宜荘」の中でも、バイオリストの辻久子が新婚時代を過ごした家に15年間、住んでいました。今は、マンションとなり、見る影もありません。最近、近所の洋館も解体され、訳のわからない、文化の欠片も無い物体になってしまいしまた。「富永邸」頑張って下さい。あなたの様な人に感動を与える建物からしか、健全な社会風潮や「やったるぞー!」というエネルギーは生まれて来ません。貴重な大切な存在です。
Commented by gipsypapa at 2011-02-12 10:36
洋館大好きさん
コメントありがとうございます。
各地でこのような古い建物が消えていっています。
深江文化村は13軒もあった洋館が二つだけがかろうじて残るだけです。
ご存じでしょうが<前のページ>をクリックしてもらうと出てくるBaker邸も私が訪ねた直後に解体されてしまいました。
富永邸は手入れがよく行きとどいているようなので、
まだまだ頑張ってくださると思います。
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